春の日に(1)

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 雲一つ無い青空が広がる春の日だった。太陽光は柔らかく地上を照らし、優しく渡る暖かい風に桜の花弁がふんわりと乗って流れてゆく。
 そんな好天のイナトでは、王城の広間で兵の叙任と昇進の式典が行われていた。若きヒョウ・カ王自らが、イシャナもセァクも関係無しに兵に言葉をかける事で、統一王国の威信を高めようという狙いもある。
 エレはセァク式の衣に身を包んで、玉座の左側、プリムラ王妃の次の地位に座している。普段着る事が多い、赤地に金色の蝶の刺繍が施された生地ではなく、浅葱色の生地に折しも城外と同じく桜舞う、落ち着いた雰囲気の衣だ。それをえんじ色の帯で留め、真っ白い袴をはいていた。
 式典はまず、王が新設した直属騎士団の叙任から始まった。自分と年齢の近い少年少女十数人を国王自ら選び出して召し上げた、将来有望な若者達だ。その中には、ヒョウ・カに仕えて西方との交渉の為助言する事を課されたカナタの姿もある。
 真新しい黒の騎士服をまとってひざまずく姿は、狂気にとらわれていた少年の姿からは想像がつかないほど凛々しくて、成長を感じられる。だが、中身はまだ変わりきっていないようだ。王が玉座から降りて一人一人に叙任の言葉をかける間も、じっとこちらだけを見ている。
 エレが苦笑を浮かべて、『きちんと前を向いていなさい』と視線で諭すと、少年は不服そうに唇をへの字に曲げながらも、つっと正面に向き直り、丁度前へやってきたヒョウ・カに向け、拳を胸に当てて深々と低頭した。
 続いて、統一王国設立の際に貢献した者へ昇進の祝辞が与えられる。一人一人名を読み上げられ、勲章を胸に抱き、ヒョウ・カのねぎらいの言葉がかけられるのだ。その順番が過ぎてゆくのを、エレはじりじりとした焦燥感に駆られながら見守っていた。
 インシオンはかなりの昇進をすると聞いた。本来ならば十四年前の功績でとっくに将官の地位にいるはずだったのを、本人がずっと蹴り続けていたので、今回は大佐止まりだという。それでも、戦死した人間が二階級特進する以上の特別扱いだ。
 あの人は英雄だ。最初に名を呼ばれなければ、きっと場を盛り上げる為にも最後に順番が来るだろう。弟の考えた演出を理解しながらも、早く、早く、と逸る気持ちを抑える事ができない。なんだか足がむずむずして、エレは袴に足先を隠してこすり合わせた。
 二時間近い式典の終わりが近づいた時。
「最後に、インシオン」
 進行役の文官がようやっと彼の名を読み上げて、エレは思わず腰を浮かせそうになる。居並ぶ兵の先頭に立っていた彼が、一回頭を下げて堂々と王の前へ進み出た。いつもの黒装束ではない。白いイシャナ兵の制服に身を包んでいる。
『あれは汚れたら目立つから普段着にならないんだよ』
 以前、着ないのかと訊ねてみた時、彼はそうぼやいて一張羅の襟を引っ張ってみせた。
『もうこれを着慣れちまったからな。他のを着る気が起きねえ。それに「白の死神」ってのも何か威厳が無いだろ』
 そんな冗談まで言っていたのに、いざ身にまとったところを見ると、すらりとした長身に良く映えていて、いつも以上に頼もしく見える。心臓が勝手に騒いで、頬が熱くなった。
 王を前に緊張してかちこちだった兵が多い中、微塵も物怖じしない態度で彼はごく自然にひざまずき王に低頭する。ヒョウ・カは側近が赤い布の上に載せて来た銀製の勲章を自ら手にして、インシオンの胸につけると、彼を見下ろしてよく通る声をあげた。
「インシオン。これであなたは大佐です。これからも、英雄の名に相応しい活躍を期待しています」
「陛下のご期待に応えられるよう、今度とも誠心誠意精進する所存です」
 ヒョウ・カがインシオンを見下ろすだけでも物珍しい光景なのに、インシオンが敬語を使った。あの、誰にでも砕けた態度で接するインシオンが、殊勝な敬語を。おかしくて吹き出しそうになるが、軽く咳払いをする事に変えてごまかす。幸い拍手が沸き起こっていたので、エレに気を向ける家臣はいなかったが、隣のプリムラがちらりとこちらを向いた。しかし、彼女の口元もおさえようがないほどにゆるんでいる。きっと彼女も同じむずがゆさを味わっているのだろう。
「さて」
 これでインシオンの番は終わりだと思っていたのだが、ヒョウ・カが言葉を継いだ事で、一体何事だろうと場にささやき合いが生じる。
「あなたの昇進を祝して、王として、ひとつ褒美をさしあげたいと思います。何でも望むものを言ってください」
 エレはきょとんと目をみはる。側近も誰一人聞いていなかった段取りらしい。さざめきが大きくなった。過剰な別格扱いはインシオンの望むところではないだろうが、セァク人の王がイシャナ人の英雄を重んじる事で、イシャナもセァクも一緒くたで今までの枠組みには囚われない、という事を強調する為だろう。弟の考えをエレはよく理解した。
「ありがとうございます、では」
 インシオンがより頭を低くした後、その面をしっかりと上げてまっすぐにヒョウ・カを見つめると、会場に響き渡る声で、はっきりと言い切った。
「陛下の姉君、エン・レイ姫を、我が妻に」
 今度こそ完全に、場が騒然とした。誰もが驚きの声を交わし、カナタは今にも列から飛び出しそうなほど身を乗り出して、ヒョウ・カも虚を衝かれたように目をみはっている。
『セァクの姫君がイシャナの英雄の元で各地を回っていた』
 その話はイシャナにもセァクにも広く鳴り響いていたが、まさかその英雄がセァクの姫を妻に望むとは思っていなかったのだろう。
「死神が! 我らの巫女姫を軽々しく求めるな!」
 元セァク側の家臣の一人が顔を真っ赤にして怒鳴ったが、それでもインシオンが怯む事は無い。
「陛下は何でも望むものを、とおっしゃいました」
 罵声を浴びても、再び頭を下げて、悪びれもせずにヒョウ・カに告げる。
「これが自分の望みです。叶わないならば、何もいただきません。新たな地位さえ」
 言葉遣いは慇懃であったが、エレを嫁にくれなければこの昇進も蹴るぞ、という完全な脅しである。無礼に過ぎる。実際、ヒョウ・カの顔つきが硬いものに変わってゆくのを、エレはしっかりと見た。
 これ以上インシオン一人にこの責を負わせていたら、式典自体が失敗してしまう。インシオンの将来を閉ざすだけでなく、ヒョウ・カにも恥をかかせてしまう。エレはすっくと立ち上がると、迷わずきざはしを駆け降りた。
「馬鹿、おっ前、今走るな……!」
 ぎょっとするインシオンの傍らに駆け寄りかがみこむと、いつもの口調の小声で叱咤されたが、応えもせずに、エレは膝を揃えて弟の顔を見上げた。
「陛下、私を王族の系譜から外してください。今すぐにでも」
 赤紫の瞳を丸くするヒョウ・カに向けて、はっきりと宣言する。
「私は彼を――インシオンを愛しています。既に彼の子も宿しています」
 ここに、と腹に手を当てると、いよいよ場のどよめきが大きくなった。
「おま……っ、馬鹿たれ、それは最後の最後に言う事だろ!」
 インシオンが完全に慌てきった様子で制止をかけてきたが、エレの中の決意はもう変わらない。
「彼の妻になれないのなら、私は、生涯独り身を貫きます」
 それはエレの心底からの本音だ。インシオンと結ばれる事を許されないなら、未婚なのに子を持つ女と世間から白い目で見られようとも、無理矢理他の誰かのものになるよりずっとましだ。
 ヒョウ・カの瞳がすっと細められる。いつにない怒りを宿した表情を弟が見せたのを目にして、エレの心臓はぎゅっと縮こまった。
「……姉上」
 今まで聞いた事の無いような低い声が、ヒョウ・カの口から洩れる。反射的に背筋を伸ばすと。
「あまり僕を見くびらないでくださいますか?」
 そこに込められた意味をはかりかねて、ぽかんとしてしまう。弟が何に怒っているのかいよいよわからなくなってきた。ヒョウ・カはそんな姉の顔を見て深々と溜息をつき、それから、苦笑いを浮かべた。
「僕はいずれきちんと、あなたの事をインシオンにお願いしようと思っていたんですよ。今回は、それ以外に彼に褒美を与えようという意図だったのに、どうして二人仲良く段取りをめちゃくちゃにするんですか」
 それは、つまり。理解すると同時、果てしない喜びと、早まった恥ずかしさとがじわじわ心にこみ上げ、エレは真っ赤になって、うるさく騒ぐ胸をおさえた。
「インシオン」
 ヒョウ・カがインシオンの方を向き、深々と頭を下げる。
「あなた以外にエレを幸せにできる人はいません。どうかよろしくお願いいたします」
 インシオンは無感動を装っていたが、口元がぴくりと嬉しそうに動くのを、エレは傍らではっきりと見届けた。
「全身全霊をかけて、この命の限り」
 彼が再びこうべを垂れる。その姿を見て、あっという間に目の奥が熱くなって、じんわりとまつげが濡れる。まばたきしてそれを抑えると、エレも倣って頭を下げた。
 最早どよめきはおさまっている。静寂に包まれた式典会場で、ぱん、ぱん、と誰かが拍手の音を立てた。
 それを合図にしたか、波のごとく拍手の輪が広がってゆく。顔を上げて見回せば、カナタまでもが、苦いものを含んだような顔をしながらも手を叩いてくれている。それを目にした瞬間、エレの涙腺はとうとう決壊した。
「ありがとう、ございます」
 しゃくりあげながら顔を伏せると、大きな手が伸びてきて、その頭をしっかりと包み込んでくれた。

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