夏が過ぎたら(2)

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「ミライさん」
 昼餐が終わって部屋を後にしたところで、ミライはソキウスに呼び止められた。
「くれぐれも早まった真似はしないでくださいよ」
 その言葉にぐっと息を呑む。見抜かれている。やはりこの人の鋭さは生半可ではない。諦めの溜息をついて、赤の瞳でじっと彼を見返した。
「でも、私達が何とかしなければ、彼が何をしでかすかわかりません」
 統一王国が成ったとはいえ、旧セァクと旧イシャナの全員が一朝一夕で手を取り合って仲良く、という訳にはいかない。分裂を狙った勢力が、わざとごたごたを起こし西方を挑発して攻め込ませ、『ほら見ろヒョウ・カは王国の統制など利かないのだ』と新王を陥れようとしていても不思議ではない。
 それをインシオンの名で行わせる訳にはいかない。彼がいくら自分は関与していないと言い張っても、何らかの責を負ってしまうだろう。ようやく人並みの幸せを得ようとしているエレから、彼を奪うような真似をさせる訳にはいかない。
「打つ手なら私がいくらでも考えます」
 そんなミライの心情を全て見越してか、ソキウスは灰色の瞳を細めてこちらを見すえるのだ。
「あなたに無茶をさせて何かあったら、エレ達に申し訳が立ちません」
「……わかりました。すみません」
 口では殊勝な事を言いつつも、ミライの中では鬱屈した思いが渦を巻く。結局またエレなのか、と。
 自分はエレとは違う。死にそうな目にもさんざん遭ってきた。それをくぐり抜けてきたのだから、エレよりは不測の事態に対応する術も多く持っているだろう。それをソキウスに知ってもらいたい。
 ミライは、そう思う事こそが子供の意地だと認められない歳ではあったが、そう思う理由がどういう感情に起因しているかを自覚できないほど幼くはなかった。

 晩餐の席でも、偽インシオンはぼろを出す事無く、ゆるりとした時間が過ぎた。ソキウスが敢えてこの場で追いつめないように話題を上手く誘導していた為でもあるだろう。
 晩餐が終わった後、偽英雄が席を立ち、ソキウスがユーカートと酒を酌み交わしながら雑談に興じているのを横目で見つつ、ミライはそっと敷物から腰を上げて部屋を出た。
 西方の建物は簡素な木組みといえど、一族の長の屋敷はそれなりに広い。見回りの衛兵に偽物の部屋を聞くと、できる限り足音を殺して部屋へ近づき、扉に取り付いた。
「……は……だ」
 部屋の中からは、人の話し声が聞こえてくる。だが、扉一枚を挟んでいるので聞こえが悪い。はりつくようにしてぴったりと耳をつけ、ミライは意識を集中させた。
「ユーカートも今なら酔っているだろう。西方一をおごっていても、酔いつぶれたところを襲えば赤子の手をひねるようなものだ。だが、くれぐれも手抜かりするなよ」
 偽インシオンの声だった。ミライ達の前にいた時の穏やかさはどこへやら、やたら低く、他人を侮ったような声音をしている。いや、問題はそこではない。
 この男は今、部下か暗殺者か、とにかく何者かに、ユーカートの殺害を命じているのだ。その先がどうなるかは、ミライでも想像がつく。
 英雄の名を持つ男と、一介の訪問者であるミライとソキウス。何か事件が起きた時、どちらがより嫌疑を向けられるかといったら、答えは明白であった。
 腰に帯びた剣の柄に手を伸ばす。鋼水晶の剣はまだそこにある。イナトに帰ってから旅立つまでのほんの数週間だが、インシオンから手ほどきも受けた。
『お前、カナタと同じ剣の振り方するんだな』
 一通りの手合わせが終わった後、タオルで汗を拭きながら、彼はしみじみと呟いたものだ。
『双子ってのは、一緒に育ってきたらそうなるもんなのか? 俺とレイは似なかったからな』
 一度も顔を合わせる事の無かった亡き伯父を引き合いに出して、インシオンはぼやいたものだが、ミライとカナタでも、身につけた剣の型が同じというだけで、性格は別方向を向いている。こうと思い込んだら曲げない点だけは、母親譲りで一緒だとは思うが。
 そしてその思い込んだら一直線な性分は、今まさに遺憾なく発揮されようとしている。ぐっと剣の柄を握り締め、扉を開こうと手をつけた瞬間。
 予告無く扉が内側に開き、体重をかけていたミライは体勢を崩してよろめいた。そこにぐっと手をつかまれ、声を出す間も無く室内へ引き込まれる。
「これはこれは」
 扉に鍵をかける音と共に、揶揄するような声が耳に届く。はっと顔を上げれば、青の瞳が、獲物をとらえた獣のような獰猛さを帯びてミライを見下ろしていた。
「東では、盗み聞きをするのが女性のたしなみなのか?」
 気づかれていたのか。青ざめながらも、つかまれていない方の手を振り回す。しかし偽者でもそれなりの武芸は積んでいるのか、背をそらすだけで攻撃は避けられ、逆にこちらの手もつかまれて、両手を背の後ろに押しつけられる。用意周到な偽英雄はそのままミライを床に引き倒すと、あっという間に両手足を縄で縛りあげてしまった。
 それでも気力で負けまいと赤の瞳でぎんと睨み返すと、偽物は喉の奥でくつくつと笑いながら身を屈め、ミライの顎に手をかけた。
「さすがは東方から二人だけで乗り込んできただけはあるな。度胸は一人前だ」
「あなたは西方人ですか」
 言葉から察して問いかけると、「どうだろうな」と偽英雄は自嘲気味に唇を歪めた。
「たしかに父親は西方の部族の長だが、母親は呑気に旅をしている時にさらわれてきた、イシャナ貴族の娘だ」
 それで西方人に多い茶髪と黒の瞳ではなく、イシャナ人のような容姿をしているのか。
「長一族に生まれながら、西方の色を持っていなかったというだけで、父や兄達から爪弾きにされ、部族内でも白い目で見られた人間の気持ちが、君にわかるか?」
 わかる、とは言えないが、わからないと言い切るほどでもない。インシオンがどういう出自を持っていたかは、エレから聞いている。外見だけで親から見捨てられた子供の話は、何も彼に限った事ではなく、遍在しているのだろう。
「うちの部族はイシャナとの国境に近い分、ユーカートよりは東の話が入ってくる。その時父親は初めて俺に声をかけたんだよ。『穀潰しがやっと使える』とな」
 東方の容姿を持つ人間が、東方人の名を騙って事件を起こし、統一王国へ攻め入る口実を作る。筋書きとしては完璧だ。
「しかし、改めて見るとなかなか美しいな、君は」
 偽インシオンは愉悦に浸った表情でミライの頬を撫で回す。ぞわりと鳥肌が立ち、せめてもの抵抗に目を細め歯を食いしばって睨んだが、針の先ほどの攻撃にもなっていないようだ。
「本当は、ユーカートと君の連れを始末した後、君に濡れ衣を着せようと思っていたのだが、君は連れ帰って俺の妻にしようか。『アルテアの魔女』と同じ赤銀髪の子供が生まれれば、それなりに使い道もある」
 使い道。まるで物みたいな言いようにミライは絶句した。だが、衝撃を受けた理由はそれだけではない。彼はインシオンだけでなくエレの事まで把握している。東方について相当調べ尽くしているのだ。
 こんな人間が西方にいる事が恐ろしい。一体どれだけの間諜をイシャナやセァクに送り込んでいるのか。
 産みの親は時の彼方で命を落としたといえど、エレとインシオンはこの時代でもミライにとって大事な人達だ。二人の娘として、こんな陰謀の前に屈する訳にはいかない。自由にならない身体をよじって、赤い瞳に精一杯の反抗を宿す。が、返ってきたのは、
「いけないな」
 嘲笑と、ぱん、と乾いた音を立てるきつい平手打ち一発だった。
「女が夫になる男にそんな顔をするのは非常に良くない。きちんと大人しく言う事をきくように、しっかり教育する必要がありそうだ」
 打たれて切れたか、血の味が口の中に広がる。偽物が下世話な笑いを浮かべてミライの胸元に手を伸ばしてくる。女としての本能が嫌だと恐怖を告げる。あの人以外に触れられるなど、嫌だ。ひくっと喉を鳴らした時。
 どごん、と。鍵どころか扉そのものが轟音をあげて吹き飛び、抜き身の剣を手にした戦士達が続々部屋になだれ込んできた。その先頭に立つ人物を見て、ミライは心底からの安堵を覚える。
「大人しくするのはそちらですよ」
 ソキウスは灰色の瞳にぎらぎらとした怒りを帯びて、偽インシオンを鋭く見すえた。
「あなたの雇った暗殺者は、ユーカート殿が生け捕りにしてくださいました。軽く絞ったら、あっさりあなたの名を吐きましたよ」
「……何て軟弱な!」
 偽英雄は吐き捨てたが、ソキウスの言う「軽く」が本当に軽く済むはずが無い。恐らく捕らえられた刺客は短時間で相当の恐怖を味わっただろう。
「大丈夫ですよ。あなたの事は悪いようにはしません」
 彼がぱちんと指を鳴らすと、戦士達があっという間に偽物を取り押さえ、ぐるぐる巻きにしてしまう。
「敵部族との交渉材料として、ユーカート殿が存分に活用してくださるでしょう」
「俺など捕らえたところで、父は折れぬぞ。どうせ使い捨ての駒だ」
「それは私ではなく、ユーカート殿が使途を考えるところですよ」
 見下すような瞳でソキウスはしれっと言い放つと、それきり偽物には興味を失ったように目を逸らし、呆れきった様子でミライのもとに歩み寄ってきた。
「あれほど言ったのに、本当にあなたは頑固ですね」
「……すみません……」
 短剣で縄を断ち切りながら深々と溜息をつく彼に、しゅんとして返す。本当に自分が浅慮だった。きつく縛られて赤い痕になった手首をさすっていると、ぱしりと手をつかまれて、ソキウスの口元に引き寄せられる。
「まったく、嫁入り前の女性がこんなになって。もう『神の血』は無いというのに」
 彼の唇が手首に触れる。息が吹きかけられる距離で囁かれて、心臓がばくばく言う。一体どういう事だ。意味を持っている行動なのだろうか。混乱するミライの視界の端で、引き立てられてゆく偽インシオンの姿が見えた。
「――あなたの!」
 反射的にミライは声をかけていた。
「あなたの本当の名前は、何と言うのですか」
 偽物は肩越しにちらりとミライを振り返り、呟くように返す。
「……シンだ」
 古代語で『罪』などという名前をつけられていたのか。ミライが目を丸くする間に、偽インシオン、いや、シンは、部屋から連れ出されて行った。
 その背をぼうっと見送っていると、背後でソキウスが深々と溜息をつくのが聞こえて振り返る。彼は白髪をぐしゃぐしゃとかき回し、ぼやくように言った。
「今回これで、我々はユーカートに貸しを作りました。しかし個人的には借りも作りましたね」
 一瞬、意味をはかりかねたが、ミライの頭は即座に理解する。西方人同士の陰謀を未然に防いだ。それは大きな評価だが、ソキウスは恐らく、ミライを助ける為に兵を貸してくれと、ユーカートに頭を下げただろう。差し引きゼロになるほどの借りだ。
「……すみません、私のせいで」
「あなたに何かあったらエレ達に申し訳が立たない、と言ったでしょう」
 申し訳無さに肩を縮こめると、ソキウスはまた一際深い息をつく。やはりそれだけなのか。ミライはしゅんとうつむき、無言の時間が流れる。
「……ああ、いや」
 蚊の鳴くような細い声が聞こえたのは、沈黙が耐えがたくなってきた頃だった。顔を上げれば、ソキウスがぶんぶんと頭を振り、額に手をやって唸っている。
「これではいけませんね。これでは。私とした事が、これしきをはっきりと言えないなど、情けない」
 何をひとりごちているのかはかりかねて、きょとんと目をしばたたくと、彼の瞳がまっすぐにこちらを向いた。
「エレ達に申し訳が立たないというのは嘘ではありませんが、建前でもあるんです。あなたがあの男に手込めにされそうになっているのを見て、心底肝が冷えました。無事に助け出せて本当に安心したんですよ」
 心臓がどきりと脈打つ。
「でも」
 その先が出ない。ソキウスの想いが誰に向いているかは知っている。それを承知で傍にいたいと望んだのは自分だ。しかし。
「エレを意識していたのは確かですがね、もうすぐ人妻となる女性にいつまでも懸想するほど女々しい男ではありませんよ、私は」
 どれだけ未練がましく見えているのでしょうね、と自嘲して、ソキウスは続ける。
「この際だから言ってしまいましょう。あなたと一緒に西方に来たのは、命令や義理からなどではなくて、あなたが心配だったからです。エレの娘だからなど関係無しに、あなたが私に一途に想いを寄せてくれる一人の女性で、きちんとその想いに応えたいと思ったからです」
 理解が一拍遅れてやってくる。意味を悟った途端、心の奥底から喜びが溢れて胸を満たす。
 死の概念もわからなかった幼い自分に、『ずっとあなたを守ります』とアルテアを与えてこの世を去ったあの人が、今ここにいて、自分を対等な一人の人間として見てくれている。それがどんなに幸せな事か。
「夏が過ぎたら、一度イナトに帰りましょうか」
 ソキウスがゆるい笑みをひらめかせる。
「インシオンには一発どころでなく殴られそうですが」
「させません」
 ミライも不敵な笑顔を返す。
「彼がそんな事をしたら、私が返り討ちにします」
 ソキウスの瞳が軽い驚きに見開かれ、「頼もしい限りです」と細められた。
 夏が過ぎたら。彼がそこを帰郷の時期に選んだ理由を、ミライも正しく理解している。晩夏の暑気が去る頃、イナトには産声がふたつ、あがるだろう。それを見届けて、祝いの言葉をかける機会をくれたのだ。
 その時、エレに言えるだろうか。
『あなたの娘として生まれてきて、幸せです』
 ミライの知る時の彼方で、帝国の虜囚になった彼女は絶望して、ユーカートを破神タドミールにする事で全てを終わらせてしまった。しかし、諦めてしまった彼女は、それでも最期まで母親だった。今ならわかる。
 命尽きる寸前、鮮血にまみれながら彼女は最後のアルテアを紡いでいたのだ。
『私とあの人の想いは、永遠にミライとカナタを守ります』
 声は耳に届かなかったが、彼女の唇はたしかにそう動いた。そして金色の蝶が双子に吸い込まれたのだ。
 あのアルテアが、未来のエレ達の想いだ。自分が破滅を生き延びたのも、弟が人の心を取り戻す事ができたのも、全てはあのおかげではないかと、今なら思える。
 この世界を、穏やかな時間を守りたい。大好きなこの人と共に。決意を込めて見上げると、灰色の瞳が穏やかに笑み返してくれる。
「ひとつ、お願いを聞いてくれますか」
「何でしょう」
 彼が小首を傾げる。その顔が次の瞬間には驚きで崩れるのを期待して、ミライは少しだけ唇の端を持ち上げて言葉を継いだ。
「そろそろ『さん』づけをやめてくれませんか。いつまでも他人行儀です」
 予想通り、ソキウスが驚きに目をみはった。一度、二度、視線を外して躊躇い、困ったように頭をかいた後。
「インシオンに殴られるのは、避けられそうにありませんね」
 諦めきった吐息をついてから、彼は大事に、その名を呼んでくれた。
「わかりました、ミライ」
 幼い頃に聞いたのと同じ、温かく優しい声で。

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