いつか終わる冬の話(3)

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 北へ向かえば向かうほど、雪が深くなってきた。こんな雪道を馬車で通るのか怪しいところだが、逃げる方も追いかける方も最も険しい道を、誘拐犯は行くだろう。そう確信して、カナタはリエラと共に全力で馬を走らせた。いくつもの宿場町を通り過ぎ、休息は宿の馬小屋を借りて馬に寄り添い、必要最低限しかとっていない。身体のあちこちが悲鳴をあげていたが、エレはもっと辛い目に遭っているに違いないと思うと、気ばかりが急いて自分の疲労などどうでもよくなった。
 やがて、舗装された街道が終わりを告げ、険しい山道へと変わった。雪に足を取られて馬が滑落しないように、速度を落とすしか無くなる。白い息を吐きながら逸る馬をどうどうとなだめていると、「見て」リエラが地面を指差した。
 新雪が積もって跡が薄くなってはいるが、比較的新しい轍が刻まれているのがわかる。自分達より先を行く馬車があるのは一目瞭然だった。
 大丈夫、まだ追いつける。少しだけ気を緩めて安堵の息をついたその時、四方八方から突き刺さってくる強い殺気に、カナタは目を細めて馬を止め、リエラも腰の剣に手をやった。
 殺意は十数の矢という形をとって、二人に降り注いできた。二人同時に抜刀し、避けられるものは手綱を器用に操って馬ごとかわし、避けきれないものは剣で叩き落として、全ての矢をいなした。インシオンが矢に撃たれてエレを助け損ねた事がある話は聞いている。あの男の二の轍を踏むのだけは矜持が許さなかった。
 たった二人の若造を弓矢で仕留められなかった事に苛立ったか、敵がわっと姿を現した。蛮刀や斧を手にした山賊達が馬を駆って次々と迫ってくる。最初の一人を斬り倒し、返す刀で背後に迫っていた二人目の喉笛を切り裂く。
 カナタが今手にしている剣は、鋼鉄製の一般的なイシャナの剣である。愛用していた、鋼水晶から作られた破神殺しの剣は、インシオンに折られてしまった。透明な刃は太刀筋を相手の視界から消せるという意味でも非常に有用だったのだが、
『軌跡を殺すのを前提にした剣の振り方だけしてたら、その手が使えねえ時に読まれてあっけなく死ぬぞ』
 と、剣を折った本人に言われた。言った当人はまだ透明な刃を振るっているくせに、と悔しくて悔しくて、普通の剣でも充分に敵と渡り合えるだけの稽古を積んだ。
 馬の脚を狙ってくる一撃を受け流し、そのまま振り上げる。腹から喉までを一気に斬り裂かれ、驚愕の表情を顔に満たしたまま敵があおのけに倒れてゆく。ちらりと視線を送れば、リエラは鐙だけで馬を操りながら、次々と襲いかかる敵を斬り伏せていた。流石は王の騎士に列せられるだけある。イシャナ式のように流麗ではないが、敵を確実に葬る事に特化した、実戦向きの剣であった。
 やがて、視界に動いている敵がいなくなり、カナタは馬を止めてほうと息をつく。
「――カナタ!」
 リエラの注意喚起が飛んで来たのはその時だった。雪をかぶった木々の向こうで、ぎらりと光る鏃が見える。はっとして剣を握り直すが、きっと相手が弓弦から手を離す方が速い。全身が痛くなって硬直した。
 だが、放たれた矢がカナタの身体を貫く事は無かった。咄嗟に反応したリエラがカナタの眼前で剣を振り下ろし、叩き落としたのだ。唖然とする暇もあらばこそ、彼女は袖の下から小刀を取り出して、恐るべき速度で矢の飛んできた方向に飛ばす。低い呻き声の後、何者かが足を滑らせて崖下へと滑落してゆく音が聞こえ、後は静寂が残った。
 カナタはリエラの方を向く。これを他人に言うのはとても気が引ける。だが、ここで言わなければ確実に彼女の気を害する。二度、三度躊躇った後、少年はぼそぼそとその一言を唇の先からつまびくように呟いた。
「助かった、ありがとう」
 リエラが珍獣を見たように驚いた表情を顔に満たす。しばらくの沈黙の後聞こえてきたのは、ぷっと吹き出す声であった。
「ちょっ、待ってよ」
 笑いをこらえきれない様子で彼女は肩を震わせる。
「あんたがお礼を言うとか、不吉な事が起きる前兆じゃなければいいんだけど!」
 カナタは途端に半眼になった。折角自尊心に折り合いをつけて言葉にしたというのに、この反応か。嫌味のひとつも返そうと口を開きかけた時。
 消えたはずの殺気がひとつ、ぎらりと牙をむいて飛来した。それは矢という形を取って、カナタの馬の首を刺す。
 痛みで狂乱した馬が棹立ちになる。すっかり油断しきって手綱からも手を離していたカナタは、馬から振り落される。雪の上を滑り、山道から崖下へと転がり落ちてゆく。
「カナタ!? カナタ!!」
 リエラが慌てふためいてこちらの名を呼ぶのが遠くなる。不吉な事は起こった。これではエレを助けられない。絶望感に胸を黒く塗りたくられながら、黒より尚深い闇へと、カナタの意識は呑み込まれていった。

 気づけば暗闇の中に一人立っていた。
「……エレ?」
 愛する人を呼んでも、応えは返らない。
「エレ」
 湧き上がる不安に胸を苛まれながら再度呼ぶ。
『救える訳、無いでしょ?』
 いつかどこかで聞いた声が耳朶を叩くので、振り返る。どこかで見た覚えのある血塗れの少年が、にたりと歯をむいてこちらを指差した。
『フェルムでも、アルセイルでも、自分のエゴで大勢死なせたお前に、誰かを救う資格なんて、あるはず無い』
 気づけば足元が赤い血でぬめっている。一面の血の海の中から、黒い腕が幾本も幾十本も伸びて、こちらを引きずり込もうと迫ってくる。
 少年が血に濡れた口元を歪めて何かを囁く。赤い指が一方向を指し示す。
 そこには、赤銀の髪を乱して倒れ伏す女性。その髪から足先までだけでなく、周囲の広範囲が。
 深紅の花を咲かせていた。

「――カナタ!!」
 呼びかける声にびくりと反応して、カナタは覚醒した。夢だったのか。安堵すると同時、あまりにも不吉すぎる内容に、心臓がばくばくと激しく脈打っているのを自覚する。
 昔は見なかった夢にこうやって苛まれるようになったのは、失くしていた良心が少しずつこの胸に戻ってきてからだ。心が人のものになってゆくにつれ、自分を責める人間の数が増した。後悔しても、この罪を消す方法など最早無い。時を巻き戻してやり直す事は、もうできない。罪悪感を抱えて生きてゆくしか無いのだ。
 深く息をついて目をこすると、心配そうな顔でこちらをのぞき込む少女の黒の瞳と視線がかち合った。身を起こそうとすれば、あちこちがずきずき痛い。崖を落ちる時にぶつけまくったのだろう。それでも何とか上体を起こして、自分が落ちてきた崖を見上げた。ゆるやかではあるが相当な距離がある。雪が緩衝材になってくれたというのもあるだろうが、打ち所が悪ければ命にも関わりかねなかった。
 溜息をつき、それから、同僚の顔を見る。この崖を生身で降りて来て、傷を作っていないどころか、息ひとつ乱れていない。そして先程の戦闘での身のこなし。
「リエラ」
 目を細めて低く名を呼ぶと、少女がびくりと肩を震わせるのがわかった。更に動揺するだろう事を予想して、カナタは言を継ぐ。
「西の人間が、どういう了見?」
 リエラは顔をそむけ、唇を真一文字に引き結んで答えない。それが答えだ。セァクでもイシャナでもない剣。暗器を使う技術。凡人を超えた身体能力。事態を冷静に観察して犯人を導き出す推理力。自分を殺そうとする人間に対峙しても物怖じしない胆力。相当訓練された戦士であるとしか思えない。更に、定まった数を数える時、指を立ててから折ってゆく数え方は、イシャナでもセァクでもしない。思い出すのにひどい苦味を覚える記憶の底で、騎馬帝国の人間がやっていた方法と同じだ。
 ヒョウ・カ王は側近騎士を、国や身分や過去に関係無く採用した。少女はこの中の全てに相当していたのだ。
「……あんたの思ってる通りよ」
 やがて、腹をくくったようにリエラが息をついた。
「あたしは西方出身。他国に入り込んで諜報活動を行う特殊部隊で育てられた人間」
 でもね、とうつむき加減になって、彼女は己の胸中の闇を絞り出すように感情を吐露する。
「あたしは嫌だった。大人の都合の良い道具になって、他国を侵略する駒としてだけの生き方なんてまっぴらごめんだった。だから逃げ出したのよ」
 特殊部隊を無断で抜けた者には死が与えられる。かつての仲間だった追手を斃し、逃げて、逃げて、名を変えてイシャナ軍に溶け込んだ。
「ヒョウ・カ王は、全てを知った上で、あたしを召し抱えてくれた」
『故郷と戦えと言うのが酷な事はわかっている。憎んでくれて構わない。それでも、将来の戦を避ける為に、どうか君の力を貸して欲しい』
 若き王は赤紫の瞳に強い力を宿して、リエラに深々と頭を下げたという。
「もう、故郷なんてどうでもいいのにね」
 そう苦笑しながらも、少女の笑みにはまだいくばくかの未練があった。
「どうする? 今ここであたしを裁く? でも大人しく斬られる気は無いから、殺し合いになっちゃうけど」
 これが数ヶ月前のカナタだったら、「エレを死なせた西方の人間」ただそれだけで、躊躇無くリエラの心臓を貫いていただろう。だがあの時からは、事情もカナタの心情も変わった。
「しないよ」
 素直に言うのはまだ照れが邪魔をするので、そっぽを向きながら言い放つ。
「そんな事で時間と戦力を浪費するくらいなら、エレを助ける為に力を貸してよ」
 リエラがきょとんと目をみはり、それからぶはっと吹き出した。またか。一体何がそんなにおかしいのか。じろりと見すえると、「ごめんごめん」と、笑い過ぎて目尻に浮かんだ涙を拭いながらリエラが言う。
「あんたから頼み事をされるなんて思わなかったからさ、つい」
 それでもリエラはまだしばらくけらけら笑い転げていたのだが、ようよう笑いを引っ込めると、すーはー深呼吸する。
「じゃあお望み通り、手を貸してあげるわ。あんたの馬は使えなくなっちゃったけど、山賊が残して行った馬があるから、そっちを使って」
 そう言い残すと、彼女は猿なのかと思うほど身軽に崖を登ってゆく。カナタも気を取り直し、後を追った。

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