いつか終わる冬の話(5)

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 エン・レイ姫誘拐事件は無事に解決した。
 プリムラ王妃の懐刀であるアーキから、エレがさらわれカナタ達がテネを目指したとの連絡を受けたインシオンは、リエラの推理と同じ結論に至り、シャンメルとリリムだけを連れて後を追って来たのだ。雪道で馬車の進みが普段より遅かったのが救いだったろう。これが夏だったり、ヴォミーシアの水路を使われていたりしたら、どういう展開に転んでいたかわからない。
 御者と実行犯の一人を生け捕りにした事で、尋問の結果黒幕はすぐに判明した。統一王国成立の際に重臣になり損ねてセァクに取り残されていた、旧い家柄の人間だった。エレを傀儡として擁立する事でセァクを再び独立させ、実権を握ろうとしていたらしい。あまりにも身勝手な犯行の上、本人も当初は知らぬ存ぜぬを通していたのだが、同じような立場の旧臣に宛てた呼びかけの文書をアーキが続々発見してきた事で、彼は逃げ場を失い、とうとう捕らえられたのである。

「今回も、皆に迷惑をかけてしまいましたね」
 イナト王宮の一室で、子供達の寝かしつけを終えたエレは、先にソファにかけて茶を飲んでいたインシオンの隣に腰を下ろすと、ぽすんと彼の肩に頭をのせた。
「ちゃんとやっていけると思ったんですけど。私、やっぱり甘いなあ」
 城下の家はめちゃくちゃにされてしまった。それにまだ残党の可能性が残っているだけでなく、便乗して新たにエレを狙う輩がいてもおかしくないという状況の為、ヒョウ・カ王の強い勧めで、一家は王宮での保護を受け入れたのである。
「正直な」
 インシオンがカップをテーブルに置き、大きな手でエレの髪をすく。
「俺はずっと心配だったんだよ。お前らだけ残して家を空ける事が多いだろ。俺の手が届かない時にお前らに何かあったら、後悔してもしきれねえ」
 だから、と彼は赤の瞳を細めて妻に告げた。
「お前らはヒカの言う通り、しばらく王宮で暮らせ。窮屈だろうが、内部にも敵がいる内は、誰かがすぐ助けてくれる場所にいた方がいいし、俺も安心できる」
「そう……ですね」
 まだ諦めがつかない様子で、エレは左薬指に戻ってきた輝きをひと撫ですると、ベビーベッドですうすう寝息をたてる双子を振り返る。
「あの子達には、私達の持つしがらみなんて関係無しに、自由に育って欲しかったんですけど」
「仕方ねえだろ。魔女と死神の子供だぞ。肩書きは一生ついて回る」
 それを覚悟せずに結婚したと言えば嘘になる。自分だけが「もう関係無い」と主張しても、周りは決してそう思ってくれない事は、今回嫌というほど思い知った。うつむいて溜息をつくと。
「しばらくの辛抱だろ」
 インシオンの手がぐしゃぐしゃとエレの頭を撫で回す。
「アイドゥールに遷都したら、また状況は変わってくる。先の事はそれから考えればいい」
「……はい」
 エレがおずおずと頼り無い返事をすると、それでも満足したらしい、インシオンはエレの額に軽く口づけて手を離した。それからすっくと立ち上がる。
「どちらへ?」
「あいつの見舞いに行ってくる」
 問いかけにインシオンは端的に答えたが、「そうだ」と振り返った彼の顔は、最高のいたずらの種を見つけた子供のように浮かれきった表情に満ちていた。
「信用できる誰かに子供達を任せられるなら、お前も来るか? きっと面白いものが見られるぞ」
 こういう時のインシオンは本当に意地の悪い事を考えている。一緒に暮らしてきてそれをしっかりと把握したエレは、ややひきつった笑いを返すしかできなかった。

「いたたたたた痛い痛い痛い!!」
 兵達の男子宿舎の一室に、悲痛な叫びが響き渡る。
「ったく、起き上がるだけでそんなに大騒ぎするなんて、根性足りてないんじゃないの?」
「痛いものは痛いんだよ、この横暴女!」
「あーら、何か幻聴が」
 涙目で睨みつけると、背中がばしんと平手ではたかれる。縫われた傷口をしたたかに打たれ、カナタは声もあげられずに目をむいて喀血のような息を吐き出した。
 カナタが事件解決を知ったのは、黒幕の拘束から三日も経った後だった。背中の傷は生命に関わるほどではなかったが、縫合を必要とし、高熱が出て、ずっと夢現の狭間を彷徨っていたのだ。
『神の血』ですぐに傷が癒えるのが当たり前だったカナタにとって、人生初とも言えるこの大怪我は、天地がひっくり返るような経験だった。傷に触れるのであおむけになれず、ずっと横向きに寝ていなくてはならないし、少し身じろぎしたり水を飲むだけでも、引きつれた痛みが走る。身体を起こすなどといった行動に至っては、とてつもない激痛を伴った。
 エレが無事だったのが唯一の幸いで、それを拠り所にじりじりと回復を待っているのだが、日がな一日ベッドの中で横になっているというのは、実に無為な時間を浪費していると思えるような苦行だった。
 しかし、いつ捕まるかわからない恐怖に駆られながら道なき道を行き、木の根を噛んで過ごしていた幼い日や、狂気に堕ちてゆく自覚も無いまま破滅に手を貸していた思春期に比べたら、今は何と穏やかな空気に満ちているのだろう。
 エレが生きて笑っている。もう一人の自分は両親を失う事無く心安らかに眠っている。手を伸ばして追いつけなくても、過去の行為に苛まれる夢を見ても、もう昔のようにひとりよがりでわめき散らしたりはしない。一番好きな人に振り向いてもらえず、誰にも罪を責めも許しもされない。それが自分に与えられた罰なのだと受け止め生きていけるだけの覚悟はついた。
 それに。
「ほら、ちゃんと食べないと、治るものも治らないわよ。今回の件であんたの評価は大分変わったんだから、早く回復して、皆の前に堂々と顔出しなさいよ」
 目の前に、粥の入ったスプーンを差し出されて、カナタは無言で相手を見つめる。
「なに。『エレの手からじゃなきゃ食べられなーい』とか言う訳?」
 黒目がちの瞳が、からかうように細められる。そこにわずかに住む嫉妬の色を読み取れるほど、カナタはまだ大人ではない。だが、厚意をむげにするほどの子供である時代も終わった。粥を口に含み、まだほんわりと熱を残したそれを飲み下して、真正面から相手を見つめる。
「……何で君がいちいち僕の面倒を見てくれるのかなって」
 少女がきょとんと目をみはる。彼女は不意にそっぽを向き、心なしか頬を赤く染めながら、スプーンをぶらぶらと振った。
「そ、それはほら、あれよ。あんたに助けられたじゃない。そのお返し。そう、そうよ。それ以上の何でもないんだからね、勘違いするんじゃないわよ!」
(……あ、そういう事)
 厚意ではないようだ。むしろ、アルテアとしては同じ発音だがそれ以上の。
 気づいた途端、顔が熱を帯びる。耳にまで血が回ってどくどく言うのがわかる。心拍数は意志とは関係無く速度を上げた。相手はエレではないのに、胸の奥がむずむずする。この感情に名前をつけるのは何だか悔しい気がして、カナタはその光を必死に無視しながら、そっけなく言い放つ。
「じゃあ、僕の気が済むまでお返ししてもらうよ。早く食べさせてよ」
 リエラ、と名を呼ぶと、彼女の顔がますます紅潮する。そんなに照れるな。こっちまで照れ臭くなるではないか。
 エレの方がずっと愛嬌があるし、優しいし、女らしい。まさか正反対の性格の人間にこんな気持ちを抱くなんて。自分の想いに戸惑っていると、動揺した彼女に冷めていない粥をいきなり口へ突っ込まれ、「あっつい!!」カナタは絶叫してのけぞり、また傷に響いて悶絶した。

 外は降り続いていた雪が止んで、太陽の光がさんさんと地上を照らしている。
 雪は融け、冬はいつか終わりを告げる。凍っていた少年の心にも、もうすぐ春が訪れるのだろう。

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