そしてまた巡り来る

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 豪奢な造りをした二頭立ての箱馬車が、白い鎧をまとって馬に乗った兵達に護衛され、桜の花びら舞い踊るフェルム新生統一王国首都アイドゥールの大通りをゆく。
 民は道の両脇に人垣を作り、興味津々といった様子で、珍しい来客を見守っている。
 馬車の中から窓に張り付いてその様子を見ていた、六歳ほどの少女が、褐色の頬を上気させ、黒目がちな瞳をきらきら輝かせながら、隣席の母親を振り仰いだ。
「かあさま、かあさま! みんながわたくしたちを見ている!」
「そうですわね」
 艶やかな紅を塗ったふっくらした唇に笑みを乗せて、アルセイル王妃シュリアンは、娘の、自分と同じ夜色の髪を優しく撫でた。
「こんなにたくさんの人たちも、こんなに大きな街も、アルセイルで見た事がないわ!」
「ルリだけではなくて、俺達にも新鮮な経験だ」
 母娘の向かいに腕組みして座る青年が、興奮気味の我が子に苦笑を向ける。
「この都市だけで、アルセイルの全人口の数倍の民が暮らすというからな」
「すうばい? すうばいって、どれくらい? 千より大きいの?」
「万かもしれぬ」
 知らぬ数字にぽかんと口を開けて呆けてしまう娘の頭を軽く叩いて、アルセイル王アーヘルは笑う。かつての不遜な少年の面影はもう鳴りを潜め、背も伸び思慮を備えた精悍な青年へと成長していた。
 数年前、アルテアの巫女を巡って騒動が起きた後、フェルムの新王は優秀な部下を使って、南海を漂うアルセイルの正確な航路を割り出し、何度も遣いを寄越し、フェルムとアルセイルの正式な国交樹立に心を砕いてきた。
 最初は親書を交わす事から。次第に、互いの国の特産物を届け、商人達が行き来するようになってリド硬貨がアルセイルに流通し商売が成立すると、両国の重臣も訪れるようになり、この春、いよいよアルセイルの国王一家がフェルム王都に招かれた。
 そこまでに、五年。長いようであっという間の時間であった。
 フェルムの国王ヒョウ・カはアーヘルと同じ二十歳だという。プリムラ王妃はそのひとつ上なので、シュリアンと三歳違いという事か。子を持つ姉さん女房仲間として話が合いそうだと、シュリアンは密かに女同士の対話を楽しみにしていた。
 やがて馬車は巨大な白亜の城の前に辿り着く。
 馬車の扉が開き、出迎えた青年騎士を見て、アーヘルは目をみはり、シュリアンも瞬間、身を固くした。
「アルセイルからの長旅、誠にお疲れさまでした」
 赤服の女騎士と共に粛々と頭を下げる黒服の騎士。アルセイルに混乱をもたらしたその黒髪と翠の瞳を忘れるはずが無い。
「……僕も嫌だって言ったんだけど」
 明らかに警戒してみせた国王夫妻に向けて、黒服の騎士――カナタは顔を上げ、子供っぽく唇を尖らせてみせる。
「もう敵意が無いって示す為にもお前が出なくちゃ意味が無い、ってヒカに言われたんだよ」
 この青年と双子の姉の素性については、既にヒョウ・カ王から仔細を聞いている。叔父とはいえ国王を呼び捨てするあたりはまだ生意気だが、かつてその目に宿っていた狂気は既に無い。一国の騎士としての責任感をきちんと負った色をしている。
 苦笑交じりにアーヘルが馬車から出た後、女騎士の手を借りて、シュリアンと娘のルリも降りる。二人の騎士に先導されて、創世神話を描いたステンドグラスの続く廊下を歩き、謁見の間へと踏み込んだ。
 上座にはヒョウ・カ王とプリムラ王妃が座していたが、アルセイル王一家がやってきたのを見ると、ヒョウ・カはたちまち顔を輝かせ、席を立ってきざはしを駆けるように降りてきた。
「はじめまして、アーヘル王、シュリアン王妃。フェルム国王ヒョウ・カです」
 まるで知己に出会ったかのように友好を前面に押し出して、ヒョウ・カが握手を求めてくる。
「不思議な気分だ」
 アーヘルも相好を崩してその手をしっかりと握り返した。
「そなたと会うのは初めてという気がせぬ。文を交わしていたせいもあるか」
「僕も同じ気持ちです」
 互いに気軽に肩を叩き合い、既に打ち解け合った様子の男達を後目に、プリムラ王妃がゆっくりとシュリアンのもとへ近づいてくる。その腹はふっくらと大きい。
「お二人目と聞き及びました」
 シュリアンがゆるい笑みをひらめかせると、プリムラも可憐に笑って、己の腹をぽんぽんと叩いた。
「元気よく腹を蹴りまくりますの。また男の子じゃないかって、医師は言っておりますわ」
『また』という言葉に、そういえばフェルムには王子が既にいたはずだ、と思い出す。「お子様は?」という質問をシュリアンが投げかけようとした時、プリムラ妃の背後にしがみついて、ちらちらとこちらの様子をうかがう子供の存在に気づいた。
「こら、ユウキ」
 ヒョウ・カが苦笑いをして息子をたしなめる。
「大事なお客様だぞ。お前が王になった時に、しっかりお付き合いせねばならぬ方々だ。きちんと挨拶をしなさい」
 ユウキと呼ばれた王子はそれでも、母親の背でもじもじとしている。ルリよりひとつかふたつ年下だと聞いている。その年頃の男の子は、女の子より消極的でもあるだろう。しかし。
「まったく、大の男がぷるぷるして、なさけないわね」
 こましゃくれた発言をして、引っ込み思案な王子にお構いなく手を差し伸べたのは、アルセイルの王女だった。
「わたくしはルリ。あなたは?」
 それでも王子が口元に手をやって黙しているのに業を煮やしたか、「もう!」ルリは腰に手を当てて半眼になった。
「女に先に名を名乗らせるなんて、男としてはずべきことよ! いずれ王様になる人がそんなにたよりなくて、どうするの!?」
 同年代の女子に一喝された経験など無いのだろう。王子はびっくりして目をみはった後に、おずおずとルリを見上げながら、
「……ユウキ」
 と、今にも消えそうなか細い声で、やっと名乗った。
「もう、勇気なんて名前なのに、気持ちの小さいかたね」
 ルリはぷくりと頬を膨らませ、ユウキの細い腕を取る。
「まあいいわ。わたくしの遊び相手として不足はありませんもの。お城を案内してくださいな」
 ませた王女の発言に、王子はおろおろして両親の顔色をうかがう。
「行ってこい、ユウキ」
「ルリ姫に失礼の無いようになさいね」
 助け舟を出してくれると思った父母に、逆に千尋の崖から突き落とされるような宣告を受け、少年の表情は明らかにこわばった。しかしそこは腐っても、千年の歴史を持つセァクの気高さと、帝国を打倒して版図を広げたイシャナの勇猛さ、両方を受け継いだ王子。きゅっと唇を引き結ぶと、ルリの手をぎゅっと握りしめ、
「こっち。いっしょに、遊ぼう」
 と姫君の手を引いて謁見の間を出て行った。案外、親達が思っている以上に仲良くなってくれるかもしれない。
 騎士二人が、王子達の警護として共について行ったのを見届け、ヒョウ・カがアーヘルに笑いかける。
「驚かれましたか」
「驚きはしたが、遺恨は無い。そなたが罰しないのなら、これ以上俺達が責める謂れも無いだろう」
 カナタの事である。彼がアルセイルでしでかした事を思えば、罪人として引き渡せと言われてもヒョウ・カが拒む事はできない。しかし、あの青年もまた、破神タドミールの血の被害者だ。これ以上責める事は誰にもできないのだった。
 そうして、話題は必然的に、その破神の呪いから世界を解き放った、この場にいる皆がよく知る人物に移る。
「エレは?」
「城下で暮らしています」
 アーヘルの問いにヒョウ・カが答えた。
 まだイナトが首都だった頃、結婚後に一度エレが誘拐された話は、アーヘル達の耳にも入っている。しかしアイドゥールに遷都してからは、再び城下に構えた家に一家で住み、憲兵の見回りも強化した事で、平穏な暮らしを保っているという。
「本当は、あなた方がいらっしゃるので、インシオンと共に城に呼びたかったのですが、無理をさせられない身体なのです」
「どこかお悪くて?」
「いいえ。同じ状態ですの」
 シュリアンが眉をひそめると、今度はプリムラが答えた。にっこり笑って己の腹を指差す。
「産み月の見込みも同じ頃でしてよ」
「なんと、四人目か」
 アーヘルが感服した様子で目を丸くして息を洩らした。
「『黒の死神』の跡継ぎは一体何人まで増えるのだ? 一人一人に別の色を与えねばなるまいに、種類が尽きてしまうのではないか」
 アルセイル王の冗言に、ヒョウ・カとプリムラが吹き出し、シュリアンも口元をおさえて控えめに笑う。
「賓客にいつまでも立ち話をさせてはなんです。お茶にしましょうか」
 ヒョウ・カがにっこりと笑ってアルセイルの国王夫妻をうながした。
「セァクの緑茶も、イシャナの紅茶も出せます。お望みなら、酒を酌み交わす事も」
「いやいや」
 それにはアーヘルが苦笑を浮かべて手を横に振った。
「さすがに昼間から酒をかっくらうのは王の沽券にかかわる。夕飯の楽しみにしよう」

 二組の国王夫妻は、春の日差しがさんさんと降り注ぐ中庭へと出た。秋には赤く色づく広葉樹に囲まれた庭には、白い天然石製のあずまやがたたずんでいる。かつてイナトにあり、最後のイシャナ王レイが愛したその姿を、プリムラのたっての願いでアイドゥールでも再現したのだ。
 亡き兄王を思い出して辛いのではないかとヒョウ・カは気をもんだのだが、逆にプリムラが、『忘れる方が辛い事もありましてよ』と頑として譲らなかったので、見た目はイナトにあったものとほとんど変わらない。
 そのあずまやで、ヒョウ・カの隣にプリムラが座り、向かい合ってアーヘルとシュリアンが座すると、メイド服に身を包んだ、王妃の懐刀アーキがカートを押してきて、苺とクリームのたっぷり載ったタルトを切り分け、ローズヒップの香り漂う紅茶を注いで、客人と主それぞれの前に配る。
 フェルムとアルセイルの間に商売が成立したといえど、生鮮物を送り届けるほどまで両国の輸送技術は進歩していない。アルセイルの国王夫妻にとって大陸の食物は初めてだ。タルトをおっかなびっくり慣れないフォークでつついて口に運ぶシュリアンと、把手ではなくカップをそのまま手にして茶を含むアーヘル。未知との遭遇に二人が目を丸くするのを、ヒョウ・カとプリムラは笑顔で見守った。
「きっとアルセイルの食事を見たら、そなた達も同じ反応をするぞ」
 初めて尽くしの菓子と茶に驚いたのを見られて、心もち頬を赤くしながら、アーヘルが唇を尖らせる。
「初めて昼餐の席についた時のエレの反応は傑作だった。時が戻るなら見せてやりたいものだ」
「そう言われては、決して驚かないように心の準備をしておくしかありませんね」
 十数年王をやってきて、人並み以上の度胸も受け答え方も身についたヒョウ・カは、不敵とすら取れる笑みを浮かべてまぜっかえした。
 茶と菓子を楽しんだ後は、女達は空いている椅子の背もたれや座面に、アルセイルから持ってきた織物を広げて、歓声をあげる。アルセイル独特の手法でひとつひとつ丁寧に織られたので、世界にふたつと同じ物が存在しない美しい模様の布を次々手に取りながら、これは息子に似合いそう、とか、王妃様のくつろぎ着にすればきっと落ち着きます、とか、折角だから分け合って子供達の揃いにしましょうか、などと、女性同士の会話に花を咲かせる。
 その様子を眺めながら、今度はセァクの緑茶をすすっていたアーヘルがしみじみと呟いた。
「平和だな」
「ええ」
 その言葉には、ヒョウ・カも目を細めて深くうなずいた。
 大陸情勢を鑑みれば、西方の騎馬民族の動きがあり、まったくもって平穏無事とは言いがたい。また、大陸外から入って来る情報には、異大陸の戦話も混じっている。
 それでも、ミライとソキウスをはじめとしたフェルムの人間が働きかけている事で、西方との関係は比較的穏やかに築かれつつあり、辿るかもしれなかった悲劇の未来への道からは確実に逸れつつある。つ国の話も、穏やかならぬ噂ばかりではない。どこぞの姫君が隣国の王子に嫁いで幸せになった、あの国の科学者が生活を変えるほどの驚くべき技術革命を成し遂げた、などという明るい話題も入ってくる。
 この安寧を保つ為にも、今を生きる自分達が、王族としての責任をもって、世界が間違った方向に進まぬよう努めていかねばならない。幸い、思いを共有できる同志は、こうして目の前にいるのだ。
「この平穏の為にも、貴国とは今後も末永く友好を続けてゆきたいものです」
 ヒョウ・カが口元をゆるめて再度右手を差し出すと、アーヘルが虚を衝かれたように目をみはり、それから「まいったな。俺が先に言おうと思っていたのに」と頭をかいて苦笑いを見せた。
「だが、そこまで信頼されているからには、応えない訳にはいかぬ。よろしく頼む」
 アーヘルは緑茶の入った湯呑みをテーブルに置き、しっかりとその手を握り返すと、親しげに笑みを浮かべて語を継ぐ。
「今度は、そなた達がアルセイルに来て欲しい」
「勿論です」
 ヒョウ・カも赤紫の瞳を親しげに細めて、首を縦に振った。
「その時は是非、エレ達も一緒に」
「それは賑やかで楽しくなりそうだ」
 アーヘルが膝を叩いて、本当に楽しみだとばかりに豪快な笑いを響かせるのだった。

 大人達がそんな会話を交わしている間、ユウキ王子はルリ姫と二人の護衛騎士を連れて、城内を歩いていた。くせのある金髪に赤紫の瞳の少年と、艶やかな黒髪に黒い瞳の少女は、人の目には好対照に映る。
「あれが、女神ゼムレア。この大陸をつくったかみさま」
「ふうん」
 拙いながらもステンドグラスの説明をする王子の話に、ルリはすっかり聴き入っている。
「アルセイルでは、世界はやおよろず? だったかしら? とにかくたくさんたくさんの神が力をあわせてつくったと言われているわ」
 子供達は手を繋ぎ、小走りの速さで廊下を抜けて、やがて春の花咲き乱れる庭園へと出た。
「きれい!!」
 ルリはぱあっと顔を輝かせ、ユウキの手を離すと、花壇の花々に駆け寄った。フリージア、アリッサム、サイネリア、芝桜、アネモネ。どれもアルセイルではお目にかかれない、春の盛りを彩る花ばかりだ。
「すき?」
 色とりどりの花を楽しんでいると、背後から唐突に質問を投げかけられて、ルリはきょとんとした顔で振り返る。
「この庭、すきになった?」
 王子がまたもじもじとしながら、頬を赤く染めて、こちらの答えを待っている。
「好きよ。アルセイルでは見られない花がいっぱいだもの。楽しいわ」
 ルリが大きくうなずくと。
「じゃあ」
 いつの間に手折ったのか、目の前に、一輪の赤いアネモネの花が差し出された。
「また来て。春がきたら毎年来て。毎年あんないするから」
 ルリはしばらくぽかんと口を開けて立ち尽くしてしまったのだが、やがて、褐色の肌でもわかるくらいに頬を朱に染めると、そっと花を受け取った。
「春に来るくらいじゃたりないわ」
 王女の言葉の意味がわからなかったらしい。王子が小首を傾げると、黒の瞳が不敵に細められる。
「毎年じゃなくて、毎日。わたくしを案内してちょうだい。わたくしたちが大きくなったら」
 それはとどのつまり、嫁にしろという宣告であったのだが、幼い王子には伝わりきらなかったらしい。まだよくわからなそうな顔をしながらも、拒否されなかった、という事だけは理解したらしく、ようやく顔をほころばせて、心からの笑みを見せた。
 アネモネは『期待』を花言葉とするが、少年と少女がそこまでの意味を知る由は無い。それでも、幼い二人が心を通わせるには、紅の花は充分な存在感を持っていた。

「……今時のお子様はませてるねー」
 つかず離れず、しかし何か脅威があったらすぐに詰められる距離で子供達を見守っていたカナタが、口を変な形に曲げてぽつりと洩らすと、
「まあ、いいじゃない」
 傍らの女騎士がぽんと彼の肩を叩く。
「それだけ平和な証拠よ」
 そうして彼女は、王子達から見えない背中の位置で、こちらの手に指を絡ませてくる。カナタは一瞬びっくりして動きを止めたが、やがて、リエラ、と小さく囁くと、そっとその手を握り返した。

 季節は巡る。
 誰かが生まれ、誰かが去っても、世界は変わらずに時を刻み続けるだろう。
 春が来て、花は咲き続けるのだ。
 人々の想いを乗せて、永遠とわに。

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