7:レイイン(4)

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 肩の手当てをして、再び姫君に相応しい豪奢な衣装に着替えさせられたエレは、二人の兵士に護衛――という名の監視――をされて、城の庭に出た。
 周囲は背の高い広葉樹に囲まれ、まるで城内に森が出現したかのよう。セァクでは見られない鮮やかな色の花が咲き乱れ、春の出会いを求めて鳥や虫が飛び交う。木漏れ日は程良く地上に降り注いで、ここだけ現世から切り離された天上世界ではないかと錯覚してしまうほどだ。
 その庭の一角にあずまやが一軒建っていた。白い石造りのその場所で、長椅子に座ってくつろいでいる人物がいる。遠目にも、プリムラと同じ金色の髪が陽光に照らされているのが見えた。十中八九彼がイシャナ王だろう。
「陛下。エン・レイ姫をお連れしました」
「ああ、ご苦労」
 兵が呼びかけるとイシャナ王が返事をした。その声が誰かにひどく似ている気がして、エレは首を傾げる。だが、エレの考えが答えに行き当たるより先に彼が顔をこちらに向けたので、エレは思考を中断して息を呑む羽目になった。
 金髪が映える碧眼。エレの瞳が若草なら彼は水を閉じこめた碧だ。しかし驚いたのはその色ではない。ゆるりと微笑む青年王は、ついさっき別れたばかりのあの人と瓜二つの顔立ちをしていたのである。
「やっと会えたね、アルテアの巫女殿」
 呆然と立ち尽くすエレに向け、イシャナ王は穏やかに告げて目を細める。あの人が心から優しく笑ったらこうだろうという想像そのままだ。
 エレはしばらくきょとんとしていたのだが、自分の立場と相手の身分を思い出し、咄嗟に居住まい正して頭を垂れようとする。
「はじめまして、わたくしは」
「堅苦しい挨拶は無しにしよう」
 膝をつきかねないエレを制して、国王はゆっくりと手招きした。
「とりあえず、お茶でも飲みながら語ろうじゃないか。僕らはイシャナ王族とセァク皇族。ましてや結婚を誓った仲だ。対等に話す事に何ら問題は無い」
 兄も妹も、イシャナ王族の親睦を深める最初の手段は茶を飲み交わす事なのだろうか。エレはぎこちなくうなずきながら国王に近づく。その歩みが、王の差し向かいの椅子まであと一歩のところで止まった。
「僕の弟と行動を共にしていたというし、是非話を聞かせて欲しいんだ」
「……弟?」
 心臓が逸る。まさかの思いが脳内を駆け巡る。エレの予感を後押しするように、国王は鷹揚にうなずいた。
「インは僕の双子の弟だ」
 予想と少々異なる名が返って来た事にエレが目をぱちくりさせると、王は「ああ」と顎に手をやり苦笑した。
「君にはインシオンと言った方が馴染みがあるのか」
 エレが恐る恐る国王の向かいに座すると、メイドが茶を注いで去ってゆく。国王が手を挙げると兵達も距離を取った。
「大丈夫。彼らからこちらは見えるけど、向こうが風上だから話の内容までは聞こえない」
 柔らかな物腰からは想像がつかないが、意外とものを考えている人物のようだ。そうでなければ大陸二大国家の片割れの王など務められないのだろうが。
 注がれた琥珀色の茶を見つめて黙り込んでいたエレは、「あの!」と勢い良く顔を上げて切り出した。全身が心臓になったかのごとくばくばく言うのを感じながら、優しげに目を細めて先を促す国王に問いを投げかける。
「インシオンと双子だとおっしゃいましたが、それはどういう事ですか」
 国王と双子の兄弟ならば、インシオンはイシャナの王族、それも次期王位に果てしなく近い地位の人間になる。それほどの身分の人が、何故遊撃隊の隊長に甘んじているのか。
 視線が全てを問いかけていたのだろう。国王が苦笑して口を開いた。
「巫女殿、君は古代の言葉にも精通しているという。ならばこれを言えばわかってもらえるかもしれないね」
 一旦間を置き、国王は名乗った。
「僕の名前はレイ。弟の本名はイン」
 君と同じ『レイ』の名を持っているね、と国王が淡い笑みを見せる。古代語でレイは光、もしくは王そのものを指す。
「私のレイはヒノモトで冷気を表すものです」
 エレの切り返しに、光の王は興味深そうに目を細める。しかしエレの中では、王が挙げたもう一人の名前について、何故の思考が浮かんでいた。
 イン。それは東方の言語では『影』を示す。何故王族にそのような不吉な名前が与えられたのか。疑念に応えるように、レイ王が語り始めた。
「イシャナでは双子の王族は凶兆とされている。前王、つまり僕らの父は、一人だけを王族として育てる事にした」
 その王子を一人選ぶ時、国王の容姿を色濃く受け継いだ金髪碧眼の兄と、死神のような黒髪赤眼の弟。王がどちらを選ぶかは火を見るより明らかだった。
 そして兄は光の王、弟は影の名前をつけられたのである。
「でも、皮肉なものだね」
 レイが自嘲気味に笑い、それから軽く咳き込む。その音に病的なものを感じてエレは眉をひそめた。セァクにいた頃は、アルテアの巫女として病人を何人も癒した事があった。その時に聞いた、肺の病を患った者がする咳と、王の咳は、全く同じだったのだ。
 エレの視線を感じたか、「この通りさ」とレイが肩をすくめて苦笑する。
「選ばれた僕は子供の頃から身体が弱くて王の務めには不向き。見捨てられたインの方が、肉体も精神も強かった」
 王族の系譜から外された影の王子は、城下の退役軍人の元に預けられ、一介の戦士として育てられた。その実力は一軍の兵士数十人を凌駕するものとなり、イシャナ王も無視できなくなった。インは真の身分を隠したまま、イシャナ王直属の戦士として召し抱えられたのである。
 インは決して王族とは扱われず、前王の影として、時に過酷な前線で戦い、時に闇に潜んで政敵を葬る暗殺者として立ち振る舞った。
「見捨てた子を、息子としてではなく駒として自分の傍に置いたのですか?」
 要らぬと捨てたのに、役に立つと知ったら手元に引き寄せる。しかし決して親子として接する訳ではない。そんな扱いを受けた子供の気持ちはいかほどか、エレの想像は及ばない。だが、あまりにも身勝手な王である事は確かだ。理不尽さにエレの胸にふつふつと怒りが湧いた。
 しかしレイが続けた突然の告白に怒りは四散し、驚きと戸惑いに心が支配される羽目になったのである。曰く。
「十三年前、アイドゥールに現れた破神。あれは前イシャナ王、僕らの父だ」
 あの化け物が、元は人間、しかもインシオンの父親だというのか。ではインシオンは、父親をその手で弑したというのか。エレが困惑する間にもレイ王はとつとつと語る。
「前王はイシャナでは禁忌タブー視されていた破神の研究に手を出したんだ」
 その中で前王は、『神の血』の存在に気づいたという。破神の血がその身に流れる人間の血液を取り込めば、破神と同等の力を得る事ができると。それがどれだけの量かまではわからなかった王は、破神の血を引くと思しき人間を見出しては、傍に召し上げた。だが、その人間は遅かれ早かれ、全員姿を消した。
「恐らく父は、彼らを殺してその血を取り入れていたのだろう」
 レイは臆する事無く実父の悪行を口にした。
 破神の血を持つ人間を求めて、セァクにまで密かに兵を派遣してさらって来るようになった前王に対し、セァク側も危機感を抱いた。しかし、セァクがイシャナに遺憾の意を示しても、イシャナは知らぬ存ぜぬを通すばかり。しまいにはセァクがイシャナを侵略する口実を作ろうとしていると言いがかりをつけ、堂々とセァク領に踏み込んで街を荒らすようになり――セァクの人々の怒りは爆発した。
「それが十五年前、イシャナとセァクに戦争が勃発した真相だ」
 戦はあっと言う間に泥沼化した。殺し殺され、奪い奪われる日々。多くの街が火に包まれ、多くの人が命を失った。
 このままではどちらかが滅びるまで争いは続く。事態を重く見た時のセァク皇王は、イシャナ王に講和を呼びかけた。それに対してイシャナ王が示した条件は、セァク皇王自身が、国境の街アイドゥールまで会談に赴く事だった。
「それでアイドゥールの悲劇だ」
 会談とは名ばかり。イシャナ王が欲したのは領土でも金でもなく、破神の血を引く末裔と称される者、すなわちセァク皇王の血だったのだ。
「そこから先は、現場を目撃した人間が軒並み死んだ為に、瀕死だったイシャナ兵一人の証言しか残っていない。だが」
 イシャナ王はセァク皇王を殺し、その血を手に入れた。そして破神になったのだ。
「多くの人間が死んだ。イシャナの兵もセァクの兵も、街の民も、老若男女問わず、あらゆる人間が死んだ」
 エレも知っている。今なら思い出せる。破神が空を舞い炎に包まれた街で、何もかもが燃えていた光景を。母を呼び泣き叫ぶ自分の声を。
「生き残った人間はわずかだった。破獣になった人間と、『神の力』を得た人間と、そして、弟だ」
 彼は、周囲の兵が炎に焼かれ、破獣に食われても、最後まで一人で破神に立ち向かい、アイドゥールの地に沈めた。親殺しの勝利の代償に、『神の血』と自身が破獣になる呪いを受けて。
「これは、イシャナの中でもごく限られた者しか知らない話だ」
 語り終えたレイ王は、咳をしながらカップに口をつけた。つられるようにエレも茶を口に含む。茶はすっかり冷めきっていた。
「秘された事実だ。破神が前王であった事は公にはされていない。突然現れて両国の王を殺し、それを弟が倒した、という事にされている」
 インは怪物を倒した勇者として讃えられ、いつからか『英雄』――インシオンの名を戴く事になった。イン英雄インシオンになったのである。
 莫大な下賜金と軍内での特進を与えられた彼はしかし、
『富はもらっといてやる。名声はいらねえ』
 と、イシャナ軍での重鎮の座を一蹴し、自由に動ける遊撃隊の存在を求めた。そして下賜金を使ってアイドゥールの近くに孤児院を建てた。親を亡くし破神の血を浴びた――悪しき言い方をすれば汚染された――子供達を保護する為だったという。
 だがその孤児院も焼け落ちた。無自覚だったとはいえ、エレがアルテアで燃やしてしまったのだ。そこに住んでいた子供達も多くが死に、生き残った子供の行方もわからなくなってしまった。
 あの時自分の手を引いて行ったのが誰だったのか。思い出そうとすればやはり頭の奥がうずいて邪魔をする。
 自分の記憶はこれで正しいのだろうか。間違っているとしたら、何故道を逸れて行ったのだろうか。理由がわからない。
「私……は」
「無理をしなくて良いよ」
 頭を抱え込んでうつむくエレに、レイ王は静かに告げた。
「君が正しいと信じていたものを壊すのは、相当な苦痛をもたらすだろう。実際セァクからここまで、戸惑いの連続だったはず」
 碧の瞳が優しくエレを見つめて細められる。その顔で微笑まれると、まるであの人に言われているようで、エレの胸はきゅっと締め付けられた。
「人は自分にできる領分に限界がある。誰かの力を借りる事ができるなら、迷わずその手を取って構わないんだ」
 金の睫毛を伏せて、レイ王は告げる。
「僕は無力だ。王とは名ばかりで身体も弱く、何かを為す力もろくに持たない」
 だから、と碧の瞳がエレをまっすぐに見つめた。
「君やインのように力を持つ人間に託すしか無い。頼るしかできない無力な王だ」
「無力ではありません」
 それに対し、エレは勢いよく首を横に振り、思わず王の手を握りしめていた。
「人に頼って戦おうとされているではありませんか。己の限界を知り、それでも素直に誰かに助力を求める事のできる方を、私は尊敬します」
 レイ王が目をみはる前で、アルテアを紡ぐ。
『あなたの勇気はきっと実を成します』
 今は虹色の蝶を飛ばせないが、魂の言の葉は届いたらしい。王は目を丸くしてエレを見つめ、しばし思案した後。
「エレ」
 とこちらの手を握り返した。エレがわずかに驚きの表情を浮かべると、レイ王はゆるく笑んで話を続ける。
「ここから君は声で答えなくて良い。君の言葉はソキウスに筒抜けだというからね」
 今までのような儚げなものではない。為政者としての狡猾さを帯びた、含むところのある笑みだった。それがどことなく彼の双子の弟を彷彿させて、勝手に胸が高鳴る。
「ここはひとつ僕と結託してみないか? お互いの敵をいぶり出す為に、僕を助けてくれ、エレ」
 人に頼られた。『セァクの姫』や『アルテアの巫女』としてだけではなく、『エレ』として。
 嬉しさのあまり、一も二も無くエレは幾度もうなずいた。

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