4:英雄の本音(1)

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『あたし、あなたを信用した訳じゃありませんから。「英雄」って名前にあぐらかいてるだけの人なら、従いませんよ』
 対面したいの一番、敬礼をしながらも、彼女はぬけぬけと言い放ってみせた。
 それならこちらも面倒を見てやる義理は無い、とろくすっぽ指示も飛ばさずに戦いに出ると、彼女は予想外にも、こちらの意図を正確に受け取って、見事な戦闘補佐をやってのけた。
『中尉。あなた、自分が傷ついてもあたし達に怪我させなければ、それでいいと思ってません?』
 その日の夕食の席で、赤ら顔の彼女はけらけら笑いながら酒をあおった。
『見くびらないでくださいよ。そんな気を遣われるほど弱かったら、あたしは最初からこの配属の話を蹴ってます』
 その後も幾多の戦場を共にした。彼女はこちらが一を言えば十を理解し、自分に必要な全てをこなしてくれた。
 これを話せば多くの人間が『そんな話は聞いていない』『自分には荷が重すぎます』と隊を離れて行った、自分にまつわる秘密を明かした時も、彼女は『……ああ』と微かに笑んで、赤髪に手をやった。困った事があると髪を手ですくのは彼女の癖だった。
『だから隊長は、いつもどこかあたし達を遠ざけていたんですね』
 でも、と指がくるくると毛先を巻いて離れる。それは彼女が決意した証だ。
『嬉しいです。そこまで話してくれて。あたしを頼ってくれて。約束、守ります。いざという時はあたしが必ず隊長を止めます』
 しかし約束は果たされる事が無かった。
 彼女は、身体に布をかけられた状態で横たわっていた。はみ出た素足には血が通っていないのか、恐ろしく白い。この布を取ってはいけない事を知っている。それでも足は勝手に歩み寄り、手は布をはぐ。
 かっと見開かれた血走ったまなこが、ここではない虚空を見つめていた。

 喀血のような声を出して、インシオンは覚醒した。全身汗まみれで、心臓が激しく脈打っている。起き上がろうとすると、吐き気と一緒に身体中の血管を虫がはい回るような不快感が襲って来た。
「インシオン」
 耳に届く声は今は現実だ。栗色の髪の少女――リリムが、心配げな表情をしながら湯気の立つカップを差し出している。上体を起こし受け取って、口に含むと、嘔吐をかき消す清涼感が胃腑へと滑り落ちて行った。
 ディルアトでエレ救出に失敗して撃たれた傷は、既に塞がった。しかし敵は念入りで、鏃に毒を塗っていたのだ。『神の血』は、破神タドミールの血を持つ人間を死に至らしめる効力を持つ透明な武器による傷でもたちどころに治したが、毒を浄化するまではできなかった。
 動けなくなったインシオンを、シャンメルが再び寿命をすり減らしても『神の足』で王都まで連れて行き、アーキに連絡を取ったのである。
『英雄』に対する扱いは破格で、すぐさま王宮に運び込まれて、医者が召喚された。しかし手練れの医師でも、わかったのは、使われた毒が大陸には存在しない種類のものであるという事だけだった。とにかく何種類かの解毒剤を投与して、あとはインシオン自身の回復力に任せる対症療法しか無かった。
 痛いとか苦しいにはとっくに慣れているつもりだったが、『神の血』ですぐに癒える事にも慣れてしまっていたらしい。常に嘔吐えずきと倦怠感に苛まれるのは、さすがにしんどい。撃たれた直後よりだいぶ症状は治まってきたとはいえ、まだ固形物を口に入れる気が起きず、水かリリムの淹れた薬草茶だけ飲み続けた結果、ひどくやつれて目の下にはくままで浮いている。こうなっては黒の死神も形無しだった。
 体力が落ちたせいなのだろうか、過去の夢など見たのは。まだ青臭い若造の頃の出来事で、当時は何夜も続けて悪夢にうなされたが、ここ数年は忘れかけていた事だ。彼女の死と、エレの喪失が、似通っていたからかもしれない。
 セア。
『自分を捨てた親なんかにつけられた名前は嫌いです』と言った彼女に、インシオンは隊内での呼び名を与えた。思えばあれが、遊撃隊の人間に通称をつける始まりだった気がする。
 遊撃隊の面子は十四年の間に何人も入れ替わった。インシオンの独行についていけなくて脱落した者、インシオンの破獣化を知って恐ろしくなり除隊を願い出た者。再起不能の怪我を負ったり、戦死した者も少なからずいた。セアはその一人だった。
 イシャナ国内を荒らす盗賊団の討伐。任務の難度としては中程度だった。しかし地の利のある盗賊達に予想外の苦戦を強いられた。
『あたしが引きつけます。隊長はその間に敵の頭を討ってください』
 セアはそう言い残して単身敵陣に乗り込んだ。彼女の機転のおかげで頭を討つ事には成功したが、残党が彼女を連れ去って、行方が知れなくなった。
 帰って来たのは数日後。息絶えて川岸に打ち捨てられた彼女の姿は直視しがたい状態だった。
『あなたのせいですよ、隊長』
 女戦士として最も屈辱的で悲惨な末路を辿った遺体の顔を見て絶句するインシオンに向け、当時の隊員は恨めしげな目を向けた。たしか彼も数ヶ月後、破獣に食い千切られて絶命したのだったか。『神の力』を持つ同士であるシャンメルとリリムが入隊してから二人がずっと生き残ってきた為に、遊撃隊の離隊率が高い事も忘れかけていた。
 アルセイルという国については、既にアーキから聞いている。彼女は密偵として実に優秀で、十数日で、セァクまで駆け、皇家の秘密にまで触れて帰還した。
『皇王のみが閲覧できる、皇国始祖ライ・ジュの手記を、ヒョウ・カ皇王は国王陛下と遊撃隊の皆様には特例という事でお話ししてくださいました』
 陛下には報告済みです、とアーキは締めくくった。しかしそのアルセイルという漂泊の島国の実情を知って、心配は更に募る。
 アルテアと破神を生み出した南海の国が、アルテアの巫女であるエレをさらった。そこには何か深遠な陰謀があるのではないか。破神の生み方を知っている国が、アルテアを再び手元に置いて、世界の覇権を狙おうと考えているとしても不思議ではない。
 エレをアルテアの使い手として人目に触れさせておけば、いつかこんな日が来るかもしれない、という予感はうっすらとあった。だが、自分のもとにいれば守り通せるだろう、という慢心もあった。
(結局、俺のせいかよ)
 片手で目を覆い、またこみ上げてきた嘔吐感を必死に呑み込んで、インシオンは独白する。『英雄』の名と『神の血』の能力に驕って、自分が負ける事は無いと思い込んでいた。だが実際は、自分を慕う少女一人守れなかった。無力感に苛まれて、再びベッドに身を沈め、嘆きに近い息を吐き出した時。
「インシオン」
 部屋の扉が開く音がしたので、目から手をどけて視線だけを向ける。蜂蜜色の髪に菫色の瞳をした少女。王妹――インシオンの妹にもあたるが――プリムラは、シャンメルとリリムが慌てて居住まい正して敬礼をする中、ずんずんと部屋を横切り、ベッドに手をついて、その形の良い唇から、
「なに、情けない格好をしていやがりますの」
 と、姫君にあるまじき台詞を吐き出したのだった。
「わたくしの兄は二人とも、どうしようもない腑抜けですの?」
 愛らしい顔には、今は明確な怒りが宿っている。セァクのヒョウ・カ皇王と文通を行い時折互いの国を訪ねて交流を重ねる事で、婚約者としての親密度を上げていて、恋を知り少しはしとやかになったと思っていた。しかし現実は、この姫のどこか粗雑な物言いは、鳴りを潜めるという言葉を知らないようだ。
「ったく、相変わらず口が達者だな、お前」
 うるさそうに顔をしかめて返すと、「まあ!」プリムラが気色ばんだ。
「折角心配して来てさしあげたのに、何て人!」
「お前に心配される程やわじゃない」
「では、今わたくしの目の前で無様に寝っ転がっている人間は、どこのどいつなのかしら」
 ああ言えばこう言う。インシオン自身、他人の事を言えない口の悪さであるのは自覚しているが、この姫は一体誰に似たのか。
「言いたい放題言いやがって」
 せめてもの反撃をして顔を背けると、だん、と平手が鼻先をかすめた。プリムラの手だと気づくのに数瞬かかって、理解した途端、あっけにとられてしまう。
「それだけの元気があるなら、お兄様に言ったらどうですの。エレを助けてくれって」
 振り向くと、プリムラの顔が至近距離にあった。その瞳は明らかに潤んでいる。
「悲劇の主人公みたいなざまをして。エレを心配しているのが自分だけだとお思い?」
 言われて思い出す。プリムラはエレを親友と認めていた。更にはプリムラにとってエレは、将来の義理の姉だ。案じない理由があるだろうか。
 心の奥でくすぶっていた苛立ちの埋み火が立ち消えてゆくのを感じる。見渡せば、シャンメルもリリムも、いつもの調子はどこへやら、気遣わしげな瞳でインシオンを見つめている。これだけの人間に心配をかけて、この十数日不貞寝のように寝込んでいた事に気づき、今更ながら自分が情けなくなる。
 インシオンはひとつ息をつくと、肘をついて身を起こした。ほとんど動いていなかったせいで節々が悲鳴をあげるが、この程度であっという間に弱りきるような身体の作り方はしていない。
「……レイに連絡を取ってくれ」
 プリムラを押し退けながらその言葉を口にする。シャンメルとリリムがほっとしたような表情を見せ、
「やっと、やる気になりましたわね」
 プリムラが口角を持ち上げて、満足そうに笑んだ。

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