6:もうひとつのアルテア(1)

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 対決の朝が来た。
 アルセイルの法廷は宮殿の一角で開かれた。重臣が見届け人としてずらりと居並ぶ中、上座にアーヘルが膝を立てて座り、その隣に第一王妃シュリアンが悠然と正座している。部屋の真ん中で二人と向かい合うように、レスナとエレが直立している。エレは緊張を顔に満たし、レスナは不敵な笑みを浮かべてシュリアンをじっと見つめていた。
「では、始めようか」アーヘルが片手を掲げて開始の合図とする。「シュリアンがエン・レイの命を狙っているという証拠。用意はできたか」
 王の言葉に「はい」と毅然と答えて優雅に腰を折ったのはレスナだった。
「持っていらっしゃい」
 緑の衣をまとった己の侍女に呼びかけると、侍女はびくつきながら、厚い布をかぶせた銀の盆を持って来た。それが傍らに来ると、レスナはさっと布を取り払う。途端に場が騒然となり、アーヘルは眉をひそめ、シュリアンは目を丸くして青い薄布で己の口を覆った。
 銀の盆に載っているのは女の頭部だった。三日前、レスナともみ合いになった末に果てた、シュリアンの侍女の首を、レスナは証拠として残していたのだ。
「この侍女は、エレの薬の杯を取り換えようとしていました」
 あたりに漂う死のにおいに何ら動揺する事も無く、レスナは言葉を継ぐ。
「鑑定にかけた結果、杯の破片からは毒も検出されています。毒を塗った杯にすり替えようとしていた事は最早明白。シュリアン様、あなたがこの侍女に命じてそうさせた事は、言い逃れの出来ない事実ですのよ」
 いつに無く饒舌にレスナは頬を紅潮させて語る。しかし。
「それも全てお前の想像した結果だろう。確たる証拠にはならぬ」
 その独壇場を断ち切ったのはアーヘルだった。
「そもそも割れて破片が混ざった杯のどちらに毒があったかなど、お前に言い当てる事はできぬのだろう」
 確信した勝利を目の前で砕かれて憮然とするレスナには目もくれず、「とりあえずこの話は置く」と彼はエレの方を向いた。
「エン・レイ。三日前の晩、余の兵が大陸人の賊を捕らえた」
 それを聞いたエレの心臓がどきりと跳ねる。少年王が合図すると、後ろ手に縛られたイシャナ人が三人、兵に小突かれつつ引き立てられて来た。
「もー、そんなせっつかなくてもちゃんと一人で歩けるってばー」
 聞き覚えのある声に、心拍数は更に増す。ぶつくさ文句を言うシャンメル。むすっとした顔のリリム。そして最後に続くのは、眼鏡こそしていないがソキウスだった。
 何故ソキウスまでいるのか。身を乗り出しそうになるが、彼が一瞬こちらを向き、視線で制してきたので、感情を呑み込んでアーヘルに向き直った。
「面識はあるか」
 アーヘルの問いに首を横に振る。
「お前とは無関係だと?」
 今度は深くうなずき、痛む喉から必死に声を絞り出して訴えた。
「漂着、した……方々でしょう。解、放、して、ください」
 痛みで声を出せないと嘆いている場合ではない。助けに来てくれたのは嬉しいが、今、彼らを守って無事にイシャナへ帰す事ができるのは自分の言葉しか無い。懸命に一言一言を紡ぎ出す。しかし。
「ならんな」
 エレの訴えを、アーヘルはさもつまらなそうに頬杖をついて切り捨てた。
「アルセイルに不法侵入した異邦人は、アルセイルの秘密を持ち出されぬよう、海に沈めるしきたりだ。二度と大陸には帰さん」
 あまりの言いように、エレの中で怒りが爆発した。
「あなたが!」
 熱い血が焼けた喉からせり上がってくるのを自覚しながら、エレは声を張り上げた。
「あなたが、そう、だから! 王妃様、がたは、あな、たを信じずに、憎んで、いるのでしょう!?」
 エレのあまりの剣幕に、場がしんと静まり返る。ところが。
「憎む?」
 滑稽そうに冷笑を放ったのは、アーヘルの脇に座するシュリアンだった。
「そうだったら、とうの昔に陛下の寝首をかいているでしょう」
 エレの中でずっとわだかまっていた違和感が、確固とした形を成してゆく。やはりこの人は犯人ではないのだろうか。そうすると、真の黒幕は。
「あなたは、言葉を操る巫女だと言うけれど、人の心の機微には疎いのね」
 黙りこくるエレを眺めて溜息をつき、第一王妃は部屋の入口にすっと視線を向けた。
「だから、大切な人の気持ちにも気づかないのかしら」
 新手の兵が入って来る。彼らに護衛されて堂々と踏み込んできた人物の姿を見て、エレははじめ目を疑い、それから、驚きで瞠目した。
 見慣れた黒装束。短い黒髪。鋭い赤の瞳。
「エレ」
 数週間離れていただけなのに最早懐かしいとさえ思える声が、耳朶を打った。
「迎えに来たぞ」
「おそーい」シャンメルが抗議の声をあげ、リリムがほっとした表情を見せる。ソキウスまでどこか安堵した様子だ。
「わたくし直属の兵が保護して匿っていました」
 シュリアンが、初めて見る優しげな笑みをエレに向ける。
「発見した時、破獣カイダ化に苦しんでいたので、部下が血を与えて抑えたわ」
 最早彼女の言葉は耳に入って来なかった。喜びがこみ上げて全身に染み渡ってゆく。気づけば床を蹴って駆け出し、彼の胸に思い切り飛び込んでいた。それを頼もしい腕がしっかりと抱きとめてくれる。
「寂しい思いをさせたな」
 包み込む腕に力がこもり、いとおしむような温かい声が降ってくる。夢なら覚めないで欲しいと願えば、勝手に涙が溢れ、泣き笑いの顔を彼に見せながら、エレはぶんぶんと首を横に振った。
「成程。貴様が『黒の死神』とやらか」
「お前が王か」
 アーヘルが興味深そうに目を細めてインシオンを見すえる。ひけを取らない眼光の鋭さで、インシオンが少年王を睨み返した。
「色々と世話になったな。本当はこの場で破獣になって暴れまくりたい気分だが」
 その言葉に、観衆がざわつき、王周辺の兵が剣の柄に手をやった。インシオンは平然とそれを見渡し、シュリアンに視線をやってから、エレを見下ろす。
「そこの王妃に助けられたのと、こいつがそういうのを嫌がるんで、黙って俺達をイシャナに帰してくれれば、これ以上の騒ぎは起こさねえ。戦になってもお互い疲弊するだけだろ。こっちの王の望む所でもない」
 言っている事は謙虚であったが、声音には険があって、聞き届けなければこの場にいる全員を相手にする事も辞さない決意が込められている。ぎらぎらと瞳に炎を燃やす『死神』の気迫に圧されて、兵は後ずさり、戦いを知らない文官は完全におびえきって、アーヘルさえも余裕の笑みを消して、インシオンをじっと見つめるしかできなかった。
 触れれば切れそうな程ぴりぴりとした空気が漂い、誰もが身を固くする。しかし。
「――何でよ」
 全く状況を読まない、恨みのこもった声が、そこに割って入った。
「王はシュリアンばかり。エレにもそんなに味方がいて」
 酔っ払いのようにやや呂律の回らない喋り方でゆらりとたたずむのは、レスナだった。その瞳はどこを映しているのかわからず、口元はへらりとだらしなく笑っている。
「ねえ、誰も私を見てくれないのね。兄達や父様が私を放っていたように、いつまでも私は放っておかれるのね。私はこんなに頑張っているのに。こんなに頭が良いのに。そして」
 ふらふら踊るように身体を揺らし、唇が完全な三日月形を象って、彼女は懐から短剣を取り出した。
「私だってアルテアが使えるのに」
 さっと刃が腕を走り、赤い血潮が伝い落ちる。大事なもののように口づけて紅を唇に移すと、レスナはいやにゆったりと、しかしはっきりと、宣誓した。
『皆、破滅の血に狂うと良い』
 直後。
 七色の蛇がレスナの足元に生じた。蛇はあっという間に数十匹に増殖すると、黒く輝いて素早く床を這う。インシオンがエレを左腕だけで抱き上げて、右手は素早く剣を抜き、足元に迫った蛇を切り裂く。蛇は黒い煙をあげて消失した。シャンメルやリリム、ソキウスも、蹴っ飛ばしたりその場に跳躍する事で、彼らを目指してきた蛇をかわしたようだ。
 しかし、黒い蛇にまともに取りつかれた人々に変化が起きた。蛇が鎌首をもたげて足に噛みつくと、噛まれた人間は呻き声をあげながらその場に身を折り、そしてあっという間に黒い獣に変貌したのである。
 まさに、破獣に。

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