2:燃ゆる南海の国(1)

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 南海を渡ってきたイシャナの軍船は、立派なものだった。海水に浸かっても腐食しにくい木材を、水を弾く塗料で黒く塗り、数十人の乗組員を擁して、風を受ける帆と櫂を漕ぐ人力両方の力で動き、四門の砲台を有している。エレ救出にイシャナの戦力は出せないとレイは言ったらしいが、その言葉を覆すような充分すぎる用意である。たしかにこの船でいきなりアルセイルに乗り込んでは、戦争の意志ありとみなされても仕方無いだろう。沖合に停泊させて小舟で上陸したインシオンの判断を、エレは正しいと思った。
 もっとも今はアーヘル王が了承しているので、船はアルセイルの港に直接停泊している。大陸の船など珍しい事この上無いので、地元の人間が老若男女問わず押し掛けて、興味津々といった目つきで遠巻きに船を見ていた。未知の文明に対して臆している訳ではない。むしろ積極的に近づいて、船員の話を聞きたがっているようだ。しかし、彼らが岩場の上や木々の間からしか様子をうかがえないのは、彼らの王と王妃が直々に大陸人の見送りに来ているからだった。
「そうして見ると、たしかにそなたは戦士だな」
 腕組みしながらエレを見つめて、アーヘルがしみじみ洩らす。元の服を返してもらって着替え、無事に戻ってきた組紐で髪を結ったエレは、もうアルセイルの姫ではない。インシオン遊撃隊の一員に立ち返っていた。
「これはこれで、王宮の兵として欲しい気もする」
 アーヘルなりの冗言だったのだろうが、シュリアンが恨めしげな視線を向けて王の頬を軽くつねり、エレの隣ではインシオンが非常に苦々しい表情をしている。王妃の嫉妬はともかく、何故インシオンまでそんな顔をするのかはかりかねて、エレは首を傾げた。
「エレ」
 シュリアンの手から解放されたアーヘルが、頬をさすりながら、太陽光を受けて赤く輝く何かを差し出した。何だろうとのぞきこんで、エレは大きな声をあげてしまう。
「言の葉の石!」
 古ぼけたチェインに通された涙型の石は、形こそ違えど、かつてエレがアルテアを行使する際に使っていた、破神タドミールの血を持つ者の血を凝縮した媒介と同じものだった。形以外に異なるのは、随分と年季が入っているようで、今にも割れそうなひびまで見受けられる事か。
「言の葉の石は千年前に大量に作られたのだが、破神の暴走で失われてな。完璧なものもセイ・ギが大陸に持ち去ってしまい、アルセイルに残っているのはこれひとつしか無い」
 アーヘルはすまなそうに語り、言の葉の石をずいとエレに向けて突き出した。
「そなたの血を込めた小瓶は、部下が海に捨ててしまった。どこまで代わりになるかはわからんが」
 そこまで聞いて、エレは少年王の意向を理解した。
「ですが、最後の一つを……」
「アルセイルに置いていても、使える者はおらぬのだ。宝の持ち腐れよりは、使える人間が所持していた方が良いだろう」
 遠慮するな、とばかりにアーヘルが笑う。傍らのインシオンを見上げても、「もらっとけ」と視線で諭されたので、エレは赤い石を受け取り、深々と頭を下げた。
「我々はこの海を漂う生き様をすぐには変えられぬ。だがいつかは、大陸とも交流を行えるだけの国力をつけて、フェルムとは刃でなく友好を交わしたい」
 アーヘルがインシオンの方を向いて、殊勝な言葉を述べ右手を差し出す。インシオンはその手をしっかりと握り返した。
「セァクの皇王と、次のイシャナ王に伝えておく」
 次のイシャナ王。その台詞に、レイ王は本当にもういないのだという喪失感が、改めてエレの胸に訪れる。身内であるインシオンの胸中ははかり知れない。それでも、彼の悲しみを少しでも減じる事が出来るなら、自分は彼の傍にいて、誰にも見せられない弱さを受け止めてあげよう。その決意を静かに心に宿して、エレは再度アーヘルとシュリアンに向けて頭を下げた。
 イシャナの船が風を受けて帆を大きく張る。陸地から少年王と王妃だけでなく、アルセイルの人々が大きく手を振って見送ってくれている姿が、どんどん小さくなる。
 次にここに来る時は、平和的な訪問をしたい。甲板で手を振り返しながら、エレは島影が見えなくなるまで、いつまでもいつまでも、アルテアの故郷を見つめていた。

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