4:終焉を見た者(2)

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「……姉上」
 いつものように、双子の弟と共にエレの膝に頭を預けて、彼女の口ずさむセァクの童謡に聴き入っていた時、きしんだ音を立てて部屋の扉が開き、ヒョウ・カ王が入ってきた。いつも温かい笑顔で頭を撫でてくれる穏やかな青年王は、ひどく青い顔をしながら、わななく唇を開く。
「インシオンが」
 続けられた言葉に歌が止んだ。自分の髪をすく手が止まり小刻みに震える意味を知るには、少女はまだ幼すぎた。

 理解したのは後年だが、その時大人達が話し合っていた会話はやけに耳に響いて残っている。
 レイ王の死後に大統合を果たしたセァクとイシャナの連合王国。より大きく豊かになった国を狙って、西方で興った騎馬帝国が攻めて来たのは、少女――ミライが生まれて四年を数えた頃だった。
 純粋に国を守る為と、兵達の士気を高める為。両方の役割を背に負って、イシャナの英雄インシオンは最前線で戦った。
 だが、軍が大きければ大きいほど綻びが生じる。毒がじわじわと染み入るように、末端に生じた歪みが上層部を冒してゆくのは時間の問題だった。帝国皇帝自らが討って出て来た、国境を守る重要な戦いで、インシオンは帝国に通じていた部下に裏切られ、彼の部隊は渓谷で奇襲を受け孤立した。
 絶望的な状況の中、彼が下した決断は、自ら殿を務めて一人でも多くの兵を祖国に帰す事だったという。しかし一人の前に押し寄せるは、千を超える帝国の騎馬兵。いくら英雄でも全てを斬る事はできず、消耗しきったところに矢の雨を浴びて地に縫い付けられ、満を持して現れた皇帝が、破神殺しの剣を奪い彼の首を落とした。
 皇帝の目的は最初から『神の血』であった。インシオンの血を浴び、口にする事で、『神の血』は皇帝に不死に近い身体と破獣化の呪いを与えた。
「きっと帝国は、姉上、あなたのアルテアも狙ってきます」
 唯一返ってきたインシオンの形見である、赤い硝子製の腕輪を差し出しながら、ヒョウ・カ王は深刻な色を赤紫の瞳に宿してエレに告げた。
「どうかミライとカナタを連れてイナトから逃れ、身を隠してください。破神の血を持つ者を竜に変える事ができる姉上の力が帝国に渡れば、アイドゥールの再現です」
 弟の説得を、エレはやたら落ち着いた顔で聞き、静かにうなずきながら腕輪を受け取った。インシオンの死に取り乱し嘆くかと誰もが思っていたようだが、恐ろしいほど冷静に彼女は状況を受け入れた。心を失ってしまったのかと思うような、一切の感情の揺らぎを見せない無表情だった。
 裏切りを恐れて、護衛は遊撃隊だけ。かつてセァク帝国の都を追われて逃れたライ・ジュ皇女のようにもの寂しい旅立ちであった。
 遊撃隊が各地に残していた隠れ家のひとつに潜んで数ヶ月後、イナトが陥落した報が届いた。インシオンという最強の楯を失った王国軍は簡単に瓦解し、ヒョウ・カ王と幼い王子が処刑され、プリムラ王妃は虜囚となった。それを聞いた時も、エレは淡々とした表情で、「そうですか」と、報せをもたらしたリリムの話にうなずいているばかりだった。

 そんなエレでも、インシオンの事を語る時は幸せそうに微笑んだものだ。まるでまだ恋する少女であるかのように熱っぽい瞳で、自分を助けてくれた英雄の姿を、眠る前のミライとカナタに話してくれた。
「本当に英雄なの? やられてばっかじゃん」
 エレを守る為に矢に撃たれてひどい傷を負った話まで包み隠さずすると、カナタが面白くなさそうに唇を尖らせた。
「絶対僕の方がインシオンより強いよ! 早く大きくなって、エレを守ってあげるんだから!」
「そうですね。カナタなら、きっと強い子に育ちます」
 拳を突き上げるカナタの頭を優しく撫でて、エレは曖昧に微笑み、でもね、と囁いた。
「あの人が英雄たりえたのは、きちんと優しさをもっていたから。ただ強いだけでは駄目。人を思いやる心を、失くさないでくださいね」

 だが、そんな風に人の良心に頼るエレの願いなど、虚しいだけだったのではないかと思う日々が訪れる。
 赤銀の髪の女性の姿はどんなに潜んでも目立って映る。近くの村人の密告によって隠れ家が暴かれたのは、ミライが十歳の時だった。きっと報奨金に目がくらんで、王国の民としての誇りなど忘れてしまった人間の仕業だろう。
 隠れ家を取り囲んだ帝国兵は火を放ち、こちらを炙り出そうとした。どんどん充満する煙に喉と目を焼かれ、涙が止まらず咳き込む子供達を抱きしめるエレに、シャンメルが言った。
「オレが道を開くからさ、先行って」
 抜き身の剣同様にやたらぎらぎらした目で外の帝国兵達を睨みつける横顔は、いつもくだらない冗談でミライ達を笑わせてくれる陽気な青年ではなく、覚悟を決めた戦士の表情だった。
「必ず後から行くから」
 そう言い残して、彼は隠れ家を飛び出し、敵陣へ切り込んだ。混乱した帝国兵の包囲をかいくぐってエレ達はその場を逃れ、ほど近く離れた森に身を潜めて、日暮れまで待ったが、シャンメルは追いついて来なかった。一晩を明かし、太陽が南中に至るまでその場で過ごしても、彼はとうとう姿を現さなかった。
「遊撃隊は、戦闘で落伍したら置いていくしきたり。インシオンが決めた事」
 まだ諦めがつかなそうなエレに向けて、リリムが無感情に告げ、荷物を拾い上げた。
「もう行こう」
 何て冷たいのかと思ったが、背を向ける彼女の後ろ姿は小さく震えていた。シャンメルを失って一番悲しいのは誰か。それに気づくには、ミライがもう少し大きくならなくてはいけなかった。

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