7:背を押され(4)

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 灰色の空からぽつり、ぽつりと雨粒が落ち始めた。紅葉がすっかり散って裸の木々ばかりが並ぶ王族墓地は、もの寂しい空気に包まれている。
 冷たい雫が身を叩いても、インシオンは立ち尽くしたまま、ひとつの墓石の前から微塵も動かない。真新しい御影石の墓標には、双子の兄の名が刻まれていた。
 わずかな重臣にしか真の身分を知られていないインシオンは、表向きはイシャナの一軍人である。彼の帰還まで待つのは不自然なので、レイ王の葬儀はとうに済まされ、ここに埋葬された。遺体を見届けられなかったせいで、兄の死に殊更現実味が無い。
「……レイ」
 面と向かえば「お前」としか言い合っていなかった。まともに名前を呼んでやった事は数えるほどだ。ましてや兄と口にした記憶など無い。こんなに早く別れるならば、一度でも呼んでやれば良かった。
「俺は、英雄になれるのか?」
 返事をしてくれる者などいないのに、問いかける。
 自分は誰も守れなかった。アイドゥールだけの話ではない。遊撃隊で多くの部下を死なせ、頼みにしてくれていた兄の期待にも最後まで応えず、エレも失った。今の自分に英雄インシオンを名乗る資格は無い。やはり自分はただのインのままだ。
 雨はしとしと降り注ぎ、少しずつ髪と服を濡らしてゆく。このままここに倒れ伏して何もかも投げ出す事ができたら、どんなに楽だろうか。うつむき唇をかみしめた時。
『考えすぎだよ』
 レイの声が聞こえた気がして、はっと顔を上げる。
『お前はいつも言い訳ばかりする。過去を思って自分で身動きを取れなくしてしまう』
 気配を感じて振り向けば、金髪碧眼の同じ顔が透けるような姿でたたずんで、苦笑を向けていた。
『そうですよ、隊長』
 これも聞き覚えのある声。反対側を向けば、親しげな笑みを浮かべた赤髪の娘が、背で手を組んで、愛らしげに小首を傾げていた。
「……セア」
 思わず声に出して名を呼んでしまう。
『隊長はここで終わるような人じゃないって、あたし、信じてます。だって、あたしが心から信頼した人ですから』
『お前もたまには、過去ばかり見ていないで、未来の彼方へ思いを馳せてみたらどうだい?』
「未来の……彼方……」
 どちらも時を超えてきた子供達の名だ。そしてどちらもヒノモトの言語で無限の行く先を示す言葉である。きっとエレが考えに考えてつけた名前なのだろう。
『僕達みたいに、もう終わった命ではないのだから、もう少しあがいてみせなよ』
『隊長、しっかりつかまえておかないと駄目ですよ。諦めないでください』
 レイがゆるりと微笑み、セアがびっとこちらを指差して白い歯を見せる。その姿がゆらりとかすんで消えてゆく。
 まばたきをすれば、全てが夢幻であったかのように、そこには誰の姿も無かった。人に言えば白昼夢と笑い飛ばされるだろう。だが彼らの言葉はしっかりと残った。インシオンの心に。
 まだ、望んで良いだろうか。エレの手をつかんで引き寄せて、共に歩めと言い聞かせてやって良いのか。彼女の英雄でいて良いか。
 答えは出た。
 背を押してくれた人々に感謝の念が湧き上がり、顔を伏せゆるく笑む。頬を、雨ではない水分が伝ってゆく。それは、養父が死んでから十数年封印していた、英雄になってからは初めての涙だった。

 吹っ切れたな。
 それがその場に居合わせた全員がそれぞれの胸に抱いた感想だった。
 墓地から戻って来たインシオンは、赤の瞳に決意を燃やし、ついさっきまで悄然としていたのが嘘のように、英雄の貫録をすっかり取り戻していた。
「エレを追う」
 誰もが待ち望んでいた一言を、しっかりと言い切る。
「カナタがあいつにアルテアを使わせる前に止める」
 そしてヒョウ・カをまっすぐに見すえて、肩を叩いた。
「破神無しで将来の侵略を防ぐ方法は、お前が考えてくれ。俺もできる限りの事をする」
「勿論です」
 ヒョウ・カも真剣なまなざしで深くうなずく。
「それがセァクの、いえ、この大陸の王としての務めだと思っています」
 姉上をあなたに任せきりなのが、少し悔しいですけど。そうこっそり呟いて、傍らで聞こえていたプリムラが、婚約者の耳を引っ張る。だが彼女も、インシオンの立ち直りを歓迎しているのは、うっすら微笑む表情から察する事が出来た。
「追えるか」
「お任せください」
 ソキウスに声をかけると、彼は得意気に胸を張り、己の耳を小突いた。
「大陸外でも追跡できる事は、アルセイルの件で立証済みですからね。たとえ天の上でも地の果てにいても、エレの声を拾います」
 非常に頼もしい答えに笑みを返し、シャンメルとリリムに声をかける。
「今までで一番きつい任務になると思う。嫌なら抜けていい」
「今更ー?」
 シャンメルがぷうと頬を膨らませ、リリムも軽く眉間に皺を寄せた。
「ここでいち抜けたーってするくらいなら、最初からあんたについてってないしー」
「エレを迎えに行くなら、皆一緒じゃないと駄目」
 もう覚悟は揺るがないようだ。仲間達に感謝し、最後に、ミライを振り向く。
「酷だろうが、頼みがある」
 緊張を顔に満たして背筋を伸ばす少女に、インシオンは深々と頭を下げた。
「あと二回だけでいい、アルテアを使ってくれ」
 顔を上げて真正面からじっと見つめ、返事を待つ。少女は躊躇うかと思ったが、深く問い詰める事無く、
「わかりました」
 と覚悟を決めた様子でしっかりうなずくのだった。

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