8:最後のアルテア(2)

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「どうすんのさ、これ!?」腰を低めて剣を構えながらも、シャンメルが悲痛な叫びをあげる。「攻撃しようが無いよ!」
「私もこれくらい巨大だったんですかね」ソキウスが呑気に分析しながらも、その額には汗の粒が浮いている。
「この破神が大陸へ飛び立ったら……!」二度見た悲劇を思い出しているのだろう、ミライが愕然と呟いた。
 しかし。
「お前ら、だから一番きつい任務だって言っただろ」
 少しも諦めの色を宿していない、自信に満ちた声が、その場にいる全員の鼓膜を叩いた。
「破神は倒すんだよ、俺達インシオン遊撃隊が」
 瞳に決意の炎を燃やし、インシオンはうっすらと笑みさえ浮かべながら宣誓する。
「なんせ俺は英雄インシオンだぞ? 二度も破神と戦ってるんだからな。今回もやれる」
 ただびとが言ったのなら、恐怖を前に狂ってしまった人間の戯言と切り捨てられただろう。だが彼にはその言葉を現実にできるだけの実力と、過去がある。この絶望的な状況をひっくり返してくれるだろうという望みを抱かせてくれる。不敵な横顔を頼もしく思って見つめていると。
「エレ」
 不意に赤の瞳がこちらに向いて、エレの心臓はどきりと跳ねた。
「お前の血とアルテアをくれ」
 エレの動揺を知ってか知らずか、インシオンは神妙な顔で語を継ぐ。意図がよくわからなくて小首を傾げると、「相変わらず変なとこ鈍いな、お前」と額を指で小突かれた。
「お前の力があれば、今なら『神の血』を制御できそうだ。前回俺は空飛んでただけだし、アイドゥールではそれどころじゃなかったしな。どうやって破神を倒すか、見せてやるよ」
 とにかく彼の言う事を信じよう。大丈夫だと信じよう。エレはうなずくと、唇をかみ切って血を含み、踵を上げ背伸びしてインシオンに口づける。相手の舌が血をなめ取る感触を味わうと、唇を離して高らかに宣った。
『私の英雄に、破滅を食い止める力を』
 橙色の蝶がインシオンに吸い込まれ、彼が低く呻いて破獣化が始まった。しかしそれはいつものように、理性を失った獣になる変身ではない。身体の左半身は黒く覆われ鋭い爪を有し、黒髪もたてがみのように伸びたが、その顔と右半身は人の姿を保ったままである。
 どうだ、とばかりにインシオンがにやりと笑い、髪をかき上げた。ちらりとのぞく牙も今の姿に似合っている。エレはそう思ってしまい、
(今は、そんな感想持ってる場合じゃないです)
 と自己嫌悪に陥りつつも、気を取り直してうなずき返してみせた。
 ばさりと背の翼を広げてインシオンが上空へ舞い上がる。人と同じ身の丈の半破獣と、小山ほどの破神。その大きさの差は絶望的で、風車に立ち向かう旅人の昔話を彷彿させる。だが、それを見守る誰もが、インシオンはその愚かな旅人とは違う、という確信を抱いていた。
 インシオンはエレ達の期待に見事に応えた。翼をはためかせてまっすぐ破神に突っ込むと、鋼水晶の剣を素早く振るう。喉を切り裂き、腕の腱を裂いて、確実に破神から力を奪ってゆく。
 破神が苛立ちの唸りをあげ、大口を開いてインシオンを食らおうと迫ってきた。インシオンは冷静に剣を縦にすると、がぢり、とつっかえにして破神の口を封じ、鋭い爪を持つ左手を、破神の右の眼球に叩き込む。剣を引いて身を離せば、破神が叫びをあげながらのけぞった。
 ぼたぼたと破神の血が地上に降り注ぐ。そこで変化があった。血溜まりからむくむくと黒い破獣が生まれ、ゆらりと立ち上がって、次々とエレ達ににじり寄ってきたのである。
「これもカナタを取り込んだ影響なの!?」
 ミライが破神殺しの剣を振るって破獣を次々斬り捨てる。シャンメルとリリムも応戦するが、インシオンが破神に攻撃を加える限り、地上に降り注ぐ血は無尽蔵で、破獣も尽きない事になる。先に人間達が力尽きるのは明白だった。
 血と雪でぬめりきった地面に足を取られ、ミライがよろめいた。そこへ破獣が襲いかかる。だが、鋭い牙がミライをとらえる事は無かった。破獣とミライの間に割り込んだ者が、代わりに牙を受けたのである。
「ぐ……うっ!」
 掲げた腕に食らいつかれ、呻き声を洩らしながらも敵を睨みつける灰色の瞳。ソキウスは左腕を犠牲にして自由な右手を突き出し、破獣の顔をつかむと、低い声で告げた。
「無に、戻りなさい」
 ぼうっと銀色の光がその手から放たれ、破獣が消滅してゆく。遊撃隊の誰もが初めてまともに見る、『神の手』の発動だった。
「そんな事をしたら!」
 ミライが泣きそうな顔をしてソキウスの腕に取りつく。ソキウスの『手』の代償は己の記憶の欠損だ。これ以上を失わない為に、二度と使って欲しくないとエレが願い、ソキウスはそれに応えて今まで封印していたのだ。
 しかし彼は、
「大丈夫ですよ」
 いつになく優しい笑顔をミライに向けて、いつになく穏やかな声で言った。
「これくらいの傷、私も『神の血』ですぐに塞がります。それに私が記憶を失くしても、これからはあなたが私に全てを教えてくれるでしょう?」
 ミライの顔が火を噴いたように真っ赤になる。
「あー、そういう事?」間断無く剣を振るいながらシャンメルがけらけら笑い、
「ソキウス、意外とちゃっかりしてる」次の矢をつがえる合間にリリムがぼそっと呟いた。
 エレだけが、状況を忘れてぽかんとしてしまう。どうもおいてけぼりになっているのは自分一人のようだ。しかし、新たに生まれる破獣を視界にとらえ、それどころではないと思考を戦いに戻し、そして唐突に思い至った。
 この無数の破獣の誕生を、破神がカナタを取り込んだ影響なのか、とミライは言った。ならば、それを止める方法は。
 空を仰ぐ。インシオンは半破獣のまま破神の周囲を素早く飛び回り、容赦無い攻撃を加えている。エレは意を決すると、再度唇を血で湿して、アルテアを紡いだ。
『この身に獣の力を』
 インシオンを半破獣にしたのと同じ変化が始まる。しかしエレの変貌は、背に白い翼をはやすだけで進行が止まった。それで充分だ。薄く笑みを浮かべると、エレは地を蹴って軽やかに飛翔した。
「インシオン!」
 破神と対峙する英雄に声をかけると、彼はぎょっとした様子でこちらを向き、怒鳴りつけてきた。
「お前まで無茶苦茶してるのかよ!」
「先に無茶をしたのはあなたの方でしょう?」
 腱を切った破神の腕は既に回復し、ぶうんとこちらに向けて薙いでくる。咄嗟にインシオンがエレの手を引いて回避した。
「ひとつ、お願いを聞いてくれますか」
 今は押し問答をしに来たのではない。エレが至極真面目な顔で告げると、インシオンは怪訝そうに眉根を寄せたが、「言え」と先を促した。エレは己の要望を口にする。それを聞いたインシオンの眉間の皺が更に深くなった。
「可能性は低いぞ」
「それでもです」
 エレの瞳に宿った決意の光は消えなかった。
「もう破神の為に誰も死なせないと、半年前のあの日に誓いました」
 実際には、救えなかった人が大勢いる。孤独に狂ったレスナ。消えゆく命を繋ぎ止められなかったレイ。死までは至らぬものの、破神の血に冒された海底の民。エレの知らないところで犠牲になった人々もきっと少なくないだろう。
 それでも。もう後悔はしたくない。救える確率が残っているなら、誰にでも手を差し伸べたい。それはエレの心からの本音だ。
「……やれるところまではやるが」
 インシオンががりがり頭をかきながら、渋面を作る。
「お前のアルテア頼りだぞ。最後まで面倒見きれるか、わからねえからな」
「ありがとうございます!」
 エレがぱっと笑顔を輝かせると、とん、と破獣化した手が軽く頭を叩いた。それきりインシオンは背を向けて、再び破神に立ち向かう。背中に取りついて透明な刃を刺し込む。そのまま勢い良く振り抜いて、翼一対をもぎ取る。破神が狂ったように吼え暴れても、インシオンは振り落されまいと左手で破神の背中に爪を立ててしがみつき、立て続けに二枚の翼を斬り落とす。更に背中を駆けて、苛立たしげに揺れる尻尾を薙ぎ払った。
 翼と尾を失った破神が均衡を崩し、高度が落ちる。その眼前にエレは飛んで行き、ぎんと睨みつけるとアルテアを紡いだ。
『カナタを吐きなさい!』
 風情もへったくれも無い、直球の言葉だったが、虹色の蝶はきちんと生み出された。緑色に輝いた蝶が破神の口に吸い込まれると、低い呻きの後に、人間が一人、口の奥から吐き出されて宙に飛び出した。
 インシオンが即座に飛んできて、その人間の襟首をひっつかむ。
「なんで……」
 破神の胃液まみれながらもしっかりと生きていたカナタが呆然と呟くのを半眼で見下ろして、インシオンはそっけなく言い放った。
「俺じゃねえ。お前の大好きなエレに感謝しろ、このクソガキ」
 そして、決して死なないがまともに落ちたら確実に痛い高度から、少年を放り投げる。カナタも慣れたもので、空中で体勢を整えると、受け身を取って地面を転がり事なきを得た。
 エレの予想通り、カナタを救い出した事で破神の異様な進化も止まった。血が地上に落ちても破獣が生まれなくなったのである。
 後はとどめを刺すばかりだ。それを思ったところで、エレの思考はふっと一点に辿り着く。
 この破神も、千年続く因果の被害者なのだ。ただ存在を滅ぼすだけで良いのだろうか。今ここで破神を食い止めても、根本を断たない限り、いつかどこかから破神は生まれ、世界を焼く。その繰り返しなのではないだろうか。
 破神の血。ライ・ジュの制約。カナタが使った濁りあるアルテア。破神タドミール、という濁りある言葉。
 それらを考えた時、エレの中で答えは出た。
「おい、エレ?」
 いつの間にか傍らに来ていたインシオンが肩に手を置く。ふっと見上げれば、赤い瞳と視線が交わる。
 強い意志を秘めたこの瞳が好きだ。耳に心地良く響く低い声が好きだ。彼の全てが、果てしなく愛おしい。
 だからこそ、終わらせよう。この人の未来の彼方の為に、自分自身の言の葉で。エレはインシオンと向かい合い、その胸に手を置いて、静かにアルテアを紡いだ。
『あなたに幸ある人の生を』
 白い蝶が胸に吸い込まれる。すると、がくん、とインシオンの身体が下降を始めた。半破獣の状態が解かれ、翼が自重を支えきれなくなったのだ。
「エレ!?」
 こちらに向けて手を伸ばす姿が遠くなる。きっと地上でシャンメルかソキウスが受け止めてくれる。死ぬ事は無いだろう。結果を見届ける事無く、エレは破神と向かい合った。
 破神はインシオンの攻撃で満身創痍だった。驚異的な回復力も容赦無い斬撃の前には追いつかず、あちこちから血を流している。それを哀れに思うのは、ただの自己満足なのだろうか。自嘲して、エレは破神の眼前に手をかざす。
破神タドミール
 途端、身の奥から突き上げるような痛みが走った。濁りあるアルテアを紡ぐ代償か。
『その存在に終焉を』
 脳髄まで激痛が響く。喉の奥では血の味がする。
『これ以上、誰もが破神の血に惑わされる事の無い世界の為に』
 全身の皮膚が裂けて血が噴き出す。しかし怯む訳にはいかない。これはきっとエレにしかできない事だ。最後まで、最期までやり遂げなくてはならない。決意を込めて、一際大きい声を張り上げる。
『全ての破神の呪いを解き放て!!』
 直後。
 今までにない膨大な数の蝶がぶわりと生まれ、虹色を描きながら舞い躍った。高らかにアルテアの発動を謡いながら飛び回っていた蝶は、ある瞬間に、まばゆいばかりの金色に輝くと、世界中へと散ってゆく。
 光舞う中、エレの身体はゆっくりと落下を始めた。上を向けば破神の姿が黒の粒子と化して霧散してゆくのが見える。下を向けば、人の身に戻ったインシオンが駆けてくる。両腕を精一杯伸ばし、その口が必死に何かを叫んでいる。自分の名を呼んでくれているのだとわかった途端、とめどない涙が溢れた。頬を伝うその感覚も、愛しい人の顔も、全てが遠くなる。
 金色の世界に、エレの意識は弾けて消えた。

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