12:愛して、生きる

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「最後に顔を見たのは葬儀の時だった。一切をリエーテの夫が取り仕切ってくれたが、遺体は共同墓地に葬られて、それきりだ」
 全てを語り終えて、インシオンはふっと口を閉ざした。沈黙が落ち、聞こえてくるのは双子の寝息だけだ。
「……インシオンは」
 やがてぽつりと、ソファの隣に座ったエレが口を開く。その声色は涙の成分を含んでいた。
「お義父様の仇を取ったのですね」
 宣言通り、インシオンはスウェンを殺した――その指示を下した――人間を、その手で討ったのだ。しかし妻の口調は、責めている様子ではない。むしろ納得し、共感を示してくれているようであった。
「お義父様の事が、大好きだったんですね」
 言われて返す言葉に詰まる。思い出すのは厳しく鍛えられた日々。骨を折ったり命に係わる怪我こそしなかったが、大小の傷を負ったのは一度や二度どころではない。とんだ親であった。
 だが同時に、心の底に残っている記憶がある。満足に動かない右腕をかばいながら食事を作る背中。表通りへ買い物に出れば必ず買ってくれた飴細工。訓練でくたくたに疲れ果てた自分をおぶってくれた、夕方の帰り道。粗目ざらめのパンにむしゃぶりつくのを、向かいに座って頬杖をつきながらまぶしそうに眺めていた、古い向こう傷のある顔。
 憎んでいたのか、と問われれば、真逆の感情だ、としか答えられないだろう。
「やっぱりガキには面白くない話だったろ」
 自嘲気味に洩らすと、隣でぶんぶんと首を横に振る気配がした。
「あの子達にも話します。今はまだ全部をわからなくても、人を想う事がどれだけ大切か、いつかはわかってくれるはずですから」
 そう答える妻を振り向けば、翠の瞳がふっと細められて、彼女はそっと手を腹に添える。
「この子にも、いつか」
 その腹は大きい。三人目の子供の誕生はもうすぐだ。双子は毎日のようにエレの腹に耳を当てて小さな心音を聴き取ろうとし、弟か妹かまだわからない、新たなきょうだいに話しかけている。自分達が姉兄になる事もぼんやりとは理解しているようだ。
「ずっと、考えていたんです」
 愛おしげに腹を撫でさすりながらエレがぽつりと洩らす。
「女の子だったらもう名前は決めているんですけど、男の子の名前が、なかなか良い名前が思いつかなくて。でも、決めました」
 その言葉に、インシオンは思い当たる節があって、眉根を寄せながら妻を見下ろす。
「お前。まさか『スウェン』にするつもりじゃねえだろうな」
「そのまさかですけど?」
 悪びれずにしれっと返された答えに、インシオンの眉間の皺が深くなった。
「やめろ。まじでやめろ。毎日あのクソジジイの顔を思い出す羽目になる」
「あら、いいじゃないですか。お義父様の事を忘れずに済んで」
 くすくすと少し意地悪げに笑う姿を見て、こいつも言うようになったな、とインシオンは思う。セァクの姫だった頃は、身を縮こめて謝ってばかりだったのに、今はこっちをからかう余裕さえできた。そんな彼女を小憎らしいと思うが、それ以上に、愛おしいと、守りたいと思う気持ちは年を経るほどに強くなってゆく。
「なら」
 妻の頬に手を当て、きょとんとするその顔を引き寄せて口づけを落とす。途端に真ん丸になる目を至近距離で見つめて、インシオンは少年のような笑みをひらめかせた。
「絶対に女が生まれるように祈っとくしかねえか」
 誰かを愛する事。その為に生きる事。その礎を作ってくれたのは『紅の鬼神』。
 彼に今の自分の姿を見せたら、どういう反応をしただろうか。驚くだろうか。笑うだろうか。いずれにしろ、最後は紫の瞳を細めて、こう問いかけるだろう。
『お前は今、幸せか? チビ』
 そうしたら、自分はきっとこう答えるに決まっている。
「愚問吐いてるんじゃねえよ、このクソジジイが」
 目を閉じれば、紅髪の年老いた男がこちらを向いて苦笑している姿が、まぶたの裏に浮かぶのだった。

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