プロローグ:影走る

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 その街は燃えていた。
 暗い空から火の玉が隕石のごとく次々と降り注いで地上が赤く染まる。建物を、人を押し潰し、煌々と燃え上がり、炎は風を呼び、風は更なる炎を吹き上げて、赤と黒ばかりが支配する世界で、全てが炭となってゆく。
 漆黒の空に悠然と舞うは、闇よりなお黒い巨躯。六対の蝙蝠のごとき翼は、思い切り広げれば端から端までが街を覆う。蜥蜴に似た尻尾が揺れ、勢いよく振られれば、黒焦げの建物が砂の城のようにあっけなく崩れ去った。
 獣の唸り声までそこかしこから聞こえる。地上からむくむくと湧くように、空の支配者の下僕とも思わしき黒い怪物が頭をもたげて立ち上がり、黒煙の中咆哮を放つ。彼らはかろうじて生き延びていた人々に襲いかかり、容赦無く爪で引き裂き、あるいはその鋭い牙で喉笛を食いちぎって、生者をただの肉塊へと変えてゆく。
 阿鼻叫喚の惨劇の中、駆け抜ける小さな影があった。人だ。正気を保った人だ。それを認識した瞬間、意識がその人物と重なる。
 じりじりと炎が迫り肌を焼く中、その人物は抜き身の透明な刃を持つ剣を手に、崩れていない建物の屋根を器用に伝い飛ぶ。時折襲いくる黒い獣を、見えない軌跡で斬り捨てる。道を共にする者が獣に食われ、あるいは炎にまかれて脱落していっても、影は顧みる事無くまっすぐに、天空の巨体目指して走り続ける。
 ひときわ大きく跳ねて、空を覆っていた破滅の使者の喉に刃を突き立てる。そのまま腹まで一気に斬り裂けば、赤黒い血がぶわりと噴き出し、雷が轟くより大きな絶叫が聴覚を塞いだ。
 ぼたぼたと。血が雨のように降ってくる。髪から顔から、全身に返り血を浴びて、口の中にまで苦い鉄錆の味が流れ込んでくる。
 恐怖は無かった。代わりに胸を占めるのは、大きな安堵と、狂喜にも似た昂揚感。
 やっとだ。
 やっとこいつを殺せた。
 黒い粒子と化しながら大地に沈んでゆく巨体を視界に収めながら、血濡れの口元がにやりと満足気な笑みを象った。

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