4:邂逅

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「怠慢だ!」
 ばしん、と会議机を激しく平手で叩いて怒鳴り散らしたのは、王国軍の全権を握るアルファルド大将であった。五十路の髭面に憤怒を浮かばせて、向かいに座し、腕組みして軽く目を伏せ黙りこくっている黒服の男に罵声を浴びせかける。
「これは国防軍の手抜かり以外の何物でもない! インシオン中将、貴様の責任問題だぞ!」
 会議場にいる多くの人間の非難がましい視線を浴びても、英雄の名を持つ男は、反論もせずにただそこにいる。その平然とした態度が、大将の怒りを更に煽ったようだ。
「英雄などという名前にあぐらをかいて、慢心していたのではないか!? 『黒の死神』は統一王国に死をもたらすか!」
 彼は早口にまくし立て、上座の王を振り返る。
「陛下、このような役立たずに国防軍を任せておく事は、非常に危険です。いずれどのような災厄を我が国にもたらすか!」
「所詮英雄など三十年前の栄光。今となっては化石よりも意味が無い!」
「『アルテアの魔女』の色香に現を抜かしていたのではないか?」
「英雄色を好むと言うし、四人も子供がいるしな。今もお盛んな事だろう」
 大将に続いて次々と批判や下世話な侮辱の声があがっても、男が反応する事は無い。若かりし頃は相当な美形であっただろう面影を残す顔に、平然とした色を宿して、場に満ちる非難を聞き流している。その様子が、彼を断じる人々を一層苛立たせたらしい。アルファルド大将が更に言を継ごうと口を開きかけた時。
「皆、茶でも飲んで少し治まろうか」
 やたら落ち着き払った声で片手を掲げて場を静まり返らせたのは、統一王国元首であるヒョウ・カ王であった。彼の言葉に従い、メイド達が旧セァク特産の緑茶を参加者の前に注いで回り、湯呑みからのんびりと湯気が立つ。真っ先にずずっと音を立てて茶をすすった王は、湯呑みを卓上に静かに置くと、赤紫の瞳でゆっくりと全員を見渡した。
「今ここで責任の所在を論じても意味が無い。時間を浪費するだけだ。我々には、それより先にすべき事がある」
 年期の入った王としての威厳を保って、彼はきっぱりと言い切った。
「最悪の事態を回避する事が先決だ。ユスティニア姫を、暗殺ではなく誘拐という形を取ったなら、犯人はすぐに姫を殺めるつもりではないという事だ」
「お言葉ですが、陛下」大将が鼻を鳴らす。「根拠は」
「十六年前にあるだろう?」
 言われて誰もがはっと顔を見合わせる。国王の姉エン・レイ姫が、セァクの再興を狙う一派にかどわかされた事件は、あまりにも有名だ。
 冷や水を浴びせかけられたように静まり返る一同を見渡し、
「インシオン」
 王は黒の英雄に声をかけた。
「対策は、立てられるね?」
 呼ばれた者が腕を解き、顔を上げる。赤の瞳がまぶたの下から現れ、鋭く光る。
「陛下のご期待通りに」
 そして英雄は、殊勝な言葉と共に深々と頭を下げたのだった。

 無駄な行為だ。
 その文言を延々と脳裏に繰り返しながら、カナタは横倒しのままの馬車の傷痕を何度も指でなぞった。
 アルファルド大将から王立騎士団に課せられた使命は、昨日の誘拐現場の検証を行い、少しでも犯人に繋がる手がかりをつかめ、というものであった。
 馬を射た矢は旧イシャナ製。目撃者達の証言から、誘拐犯は黒ずくめの集団で、逃走の馬車に使われた馬は筋骨逞しいイシャナのものでも小柄なセァクのものでもなかったというから、恐らく西方の荒馬。足がつかないようどこかで乗り捨てたかと思われるが、まだ見つかっていない。
 半日で得られた情報はそこまでで、これ以上はここにいても出てこないだろう。大将直属の部下達は、姫お付きだったあのハシムとかいう男と共に、捜索の為アイドゥールを離れたというのに、騎士団に与えられた任務は、米粒を数えるのと同じくらい無意味なものに思えた。
あにい……団長」
 血の付着した御者台に取りついていた大きいカナタに声をかける。彼はつとこちらを振り返り、左右に首を振りながら降りてきた。
「これ以上僕らにできる事は無いよ」
 同一人物だから、という理由ではないだろうが、彼の考えも一緒のようだ。
「インシオンは行動起こさないで何考えてるんだか。自分の立場の危機だってのに」
 口に手を当てて、彼は眉間に皺を寄せぶつぶつとひとりごちる。
「降格なんかになってエレに迷惑をかけたら、許さない」
 やはり二言目にはエレである。本当に未来の自分がこれなのかと思うと、鬱屈した気分になり、カナタは顔を伏せ深く溜息をついた。
 と。
 目線が変わったせいか、今まで見えなかったものが視界に入った。ほど近い建物の陰から、こちらを見ている怜悧な視線がある。
「――どうした?」
 大きいカナタが声を少年にかけた事で、気取られたと勘付いたらしい。人影はさっと身を翻し裏通りに消えた。犯人は現場に戻ってくるともいう。逃がす気は無い。カナタは翠眼をすっと細めて走り出した。
 アイドゥールの裏通りを、逃走者は勝手知ったる道のように身軽に駆けてゆく。カナタも負けじと全力で走った。騎士になる時、大きいカナタからも父インシオンからも、『知ってると得になる』と言われて、首都の全ての経路を頭に叩き込んだのだ。旧セァク皇都レンハストや旧イシャナ王都イナトは歴史が古く、地図にも載っていない抜け道が迷路のように入り組んでいたが、再建されてから二十年と経っていないアイドゥールは基盤が整備されている。しかもカナタが育ってきた街だ。覚えるのは苦ではなかった。
 この先は行き止まりだ。追い詰めたと確信を持って、カナタは角を曲がる。
 しかしその先の袋小路に人の姿は無かった。確かに石の壁はそこにそそり立っているのに、逃走者は影も形も見えないのだ。道を間違えたか。いや、そんなはずは無い。狼狽するカナタの耳に、ひゅっと風を切る音が届いたかと思うと、頭上に影がさした。
 こちらの身体が動くより相手の方が速かった。かろうじて見上げた視界に映ったのは、燃えるような赤毛に、意志の強そうな漆黒の瞳。その色に目を奪われた直後、がつ、と衝撃がカナタを襲った。屋根から飛び降りてきた相手が、こちらの首根っこをおさえ込み、地面に引き倒したのである。
 予想外の事で受け身も取れず、後頭部をしたたかに打って、頭がぐらんぐらんする。それでもぎっと相手を睨み返し、首にかかった手首をつかむ。
「伊達に王立騎士団ではないようね」
 降ってきたのは女声だった。
 髪が短いのときつい顔立ちで、初見ではわからなかったが、屋根と屋根の隙間から降り注ぐ陽光に照らされた姿は間違い無く、女性――少女と呼んでも差し支え無いかもしれない――だったのである。

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