6:壊れたペンダント

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 蹄の跡が三頭分、砂のうずたかまった石畳に刻まれてゆく。アイドゥールと旧王都イナトを繋ぐ古い街道を、カナタ達は馬を駆ってひた走っていた。
 城下で馬を買ってはすぐさま内通者に知られる可能性がある。アイドゥールを出てしばらく徒歩でゆき、小さな宿場町で馬を調達した。気づかれるのは時間の問題だろうが、少しでも足がつくまでの時間稼ぎをすべきだろうという、大きいカナタの判断だった。
 最初は馬車を買おうとしたのだが、ユーリルは腐っても西方の民だった。「物心つく頃から荒馬を乗り回していたわ」と胸を張るので、全員乗用の馬にしたのである。彼女は宣言通り手慣れたもので、鮮やかな手管で馬に馬具を取り付けると、ひらりとその背に飛び乗ってしまった。馬の首を軽く叩いてどうどうとなだめる姿も様になっている。
 カナタはそれを後目に見ながら、自らも鞍を馬の背に載せる。王立騎士団員ともなれば、馬番の少年がそばづいて世話の一切を取り仕切ってくれるのだが、カナタはまだ見習いだ。
『若い頃は何でも自分で経験した方が身になる』
 という父の弁もあって、若手は自分の馬は自分で世話をするならいになっていた。当然、乗馬の準備も己でするのだ。
 少年少女がもたつかなかった事で、出立にはさほどの時間を要さなかった。
 冬には雪の帽子をかぶるが、夏は青々とした様相を呈するエルヴェの山並を左手に見ながら、旧街道を駆け抜けてゆく。カナタが生まれる数十年前には、イシャナとセァクの国境の最も近くに存在する街として両国の商人の出入りで栄えたアイドゥールと、イシャナ旧王都イナトを結ぶ主要道として栄えたらしいが、アイドゥールに遷都した今では、古巣を離れがたかった老親に子供達が孫の顔を見せに行くか、そんな彼らに顔なじみの商人が物資を売りに行く、そして裕福な階層の人間が旧跡を訪ねる遊興旅行くらいにしか使われない。
 そんなうらぶれた街道を行く馬車の情報は、すぐさま耳に入ってきた。
「そいつだったら、昨日見ただあよ」
 その日の宿を求めて宿場町に入った夕刻、見張り番の男性はあっけらかんと答えを寄越した。
「王都から来たみてえなのにここで休みもしないで、大丈夫かと思ったから、よおく覚えてるわ」
「どっちへ向かった?」
「東だ。まーっすぐ東」
 大きいカナタが問いつめると、男はのんびりとした所作で東を指し示す。東という事はやはりユーリルの言う通り、敵はイナトへ向かっているのか。
「休んでなどいられない。すぐにでも出発しよう」
 それを聞いたユーリルが急いた様子でまくしたてるが、大きいカナタは片手を掲げてそれを制した。
「急いては事を仕損じる、だよ。恐らく最後は戦いになるだろう。僕らも休息を取っておかなかったら、万全の状態で重要な局面に臨めない」
 そう言われて、ユーリルも反論の余地を失ったようだ。ぐっと言葉を呑み込み、「……わかりました。すみません」と口では従順だったが、顔は全く納得していません、という様相をありありと示している。その落差にカナタは思わず事態を忘れて吹き出しそうになってしまったのだが、ユーリルがついとこちらを向いて、怪訝そうに眉根を寄せたので、慌てて手で口をおさえて咳払いする事でごまかした。
 馬を町入口の馬舎に預け、通りを歩いてゆく。
 日の暮れた宿場町はそれなりに賑やかで、食堂では、酒の入った旅人が談笑しながら食事を楽しみ、商人達は熱心に商談をしている。
「とりあえず、腹ごしらえをしようか」
 大きいカナタが空いていそうな食堂を探して、ぐるっと辺りを見渡した時。
「きゃっ」
 ユーリルの短い悲鳴に、カナタは咄嗟に彼女を振り返った。最後しか見られなかったが、道行く男が彼女にぶつかって突き飛ばしたらしい。小柄な身体がひっくり返りそうになるのを、彼女は足を突っ張って耐えた。
「大丈夫か」
 大きいカナタも振り返る。
「ええ、ちょっと胸を触られたけど……」
 頬を羞恥に染めながらユーリルは答え、それからはっとして胸元を探る。その顔色が青ざめた瞬間、カナタは弾かれたばねのように踵を返し、ユーリルにぶつかった男を追いかけた。
 それなりに上背のある十六歳の少年がか、というほど俊敏に、カナタは男の背を目指して走る。追われていると気づいた男は振り返り、髭面をしかめてちっと舌打ちすると走る速度を上げた。しかし、騎士団で鍛えられたカナタの方が遙かに速い。瞬く間に距離が詰まり、カナタが地を蹴って飛びかかったかと思うと、がっと首をつかんで地面に引き倒し、相手の腕を背に締め上げた。通りを行く者が誰一人反応できずに、今更ながら何事かと振り返ってざわめき始める、あっという間の出来事だった。
 カナタはしばらく無言で、眉間に皺を寄せ、翠眼を細めて男を見下ろしていたのだが、その手に握られた輝きをみとめると、ひったくるように取り上げ、後を追いかけてきた大きいカナタとユーリルを振り返った。
「これ」
 犯人を離さないように押さえつけたまま、短く言って、つっけんどんに、小さな輝き――ペンダントをユーリルに向けて差し出す。
「あ、ありがとう……」
 ユーリルが少しだけ涙目になりながら、それを受け取る。決して大粒ではないが、海を凝縮したかのように深い青の石がはめ込まれたペンダントは、取られた拍子にチェインを引きちぎられてしまっていた。
「大事な物?」
「母の形見なの」
 訊ねれば、大方の予想通りな答えが返ってくる。手の中の壊れてしまったペンダントを悲しそうに見下ろすユーリルから視線を外して、「兄(あにい)」とカナタはもう一人の自分を呼んだ。
「こんな町にも、装飾品店くらいはあるよね」
「ああ」
 やはり同一人物。相手はカナタの意図を正確に受け取って、深くうなずいた。
「修理の金くらいも持ってるし」
 二人のやり取りを聞いていたユーリルは、はっと顔を上げると、今にも泣き出しそうなほど瞳を潤ませ、
「……すみません」
 と、小さく吐き出したのだった。

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