8:ひきつれた傷

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 事件は翌朝に起きた。
「無い!?」大きいカナタが素っ頓狂な声をあげて、カウンターをばんと平手で叩いた。「どういう事だよ!?」
 馬を引き取りに馬舎へ行ったところ、昨夜の内にカナタ達の馬を連れて行った連中がいたというのだ。
「い、いや」
 大きいカナタに詰め寄られてたじろぎながらも、馬舎の番人は申し訳無さそうに頭をかく。
「あんた達に頼まれたって、兄さんの名前を出して言われたもんだから、こっちもすっかり信じきっちまってさ」
 すまなそうな態度の割に、声には反省の色が全く乗っていない。あくまで自分は悪くない、と主張したいようだ。
 とにもかくにも、明らかにカナタ達の旅路を邪魔しようという意図のある人間の仕業だろう。折角王都を離れてから馬を調達したのに既に足がついているとは、敵の情報網はこちらが思っている以上に広いのかもしれない。見えない蜘蛛の糸がびっしりと張り巡らされているようで、ぞっとすらする。
「相手の顔は?」
「いやあ、それがさ」
 深々と溜息をつきながら大きいカナタが訊ねても、番人は悪びれない態度を見せるばかり。
「夜更けに黒い服なんか着てて、とにかく今すぐ発つ事になったって急かされたから、こっちもよく見てなくてさ」
 実はこの馬番も仲間グルなのではないかと思うばかりの反応である。もういい、と大きいカナタが呆れきった吐息を洩らして馬舎を飛び出し、町中を探して、目指す馬は馬屋の軒先で三頭仲良く繋がれているのを見つけた。
 のだが。
「返せだあ? あんたらの馬だって証拠がどこにあるんだよ?」
 馬屋の主人は胡乱げに片眉をはね上げ、カナタ達をねめまわした。
「こっちもそれなりの金を出して買い取ったんだ。それ以上を払ってもらわなけりゃ、商売あがったりだ」
 横暴な、とユーリルが愚痴るのがカナタの耳に入った。
 馬が無ければこの先の旅を乗り切る事ができない。大きいカナタが金を管理しているが、馬を二度買うような金額は持ち合わせていないだろう。
 時間を追うほどにユスティニア姫の身も危険になってゆく。
(八方塞がりだ)
 カナタが顔をしかめたその時、いま一人の自分はふっと唇の端に笑みを浮かべて、「ナイスタイミング」と呟いた。
「団長」
 いつの間にかカナタ達三人の背後に立っていた小柄な少女が、長い前髪の下にある青灰の瞳で、こちらをじっと見つめている。
「そろそろ路銀に困ると思って陛下から貰ってきたが、余計なお世話だったか?」
「いや」大きいカナタは満足げにうなずきながら、マリエルの差し出した革袋に手を伸ばした。「完璧だよ」
 この馬屋で一番高価な箱馬車を余裕で買えそうなほどのリド硬貨が詰まった袋の口を開けた青年は、請求された馬の代金を三割ほど上回る金額をカウンターに積む。たちまち主人の目の色が変わった。
「次に同じ事があったら、相手の顔と名前をよく覚えておいてくれよ。どうせ偽名だろうけど、顔は誤魔化せないからさ」
 予想外の収入にほくほく顔の主人は、さっきまでのつっけんどんな態度はどこへやら、「お安い御用さ」とゆるみきった表情で硬貨を掌に載せ吟味する。
「……現金」
 ユーリルが呟いた言葉に、カナタも今度は同意せざるを得なかった。

 舗装された街道はやがて、ひびが入り雑草が遠慮無く伸び放題の、荒れた道に変わった。明らかに手入れされていない旧王都への道を、三頭の馬が駆けてゆく。
 マリエルの、というかヒョウ・カ王の機転で路銀を得て、無事に馬を買い戻した一行は、再びイナトへの道を進んだ。
 しかし夏も終盤とはいえ、じりじりと射す太陽光の下を走り続ければ、汗を大量に吹くし、人馬共に疲労もたまる。日が暮れ始めた頃、大きいカナタが街道を少し外れて探索し、穏やかな清流を見つけてきたので、その近くで野宿をする事にした。
 彼はここでもユーリルを気遣ったのだが、彼女はやはりあっけらかんと返してきたのだ。
「西方の民は、父なる空と母なる大地の間で眠るのが、最高の休息」
 だから平気、と軽やかに笑う彼女の言を受け取って、一行は馬を土手の上の木に繋いだ。
 そして、大きいカナタが女性を優先しようとしたのだが、「馬は見ているから行ってきなさいよ」とユーリルが頑として譲らなかったので、男衆が先に川岸に降り、身体を洗う為に服を脱いで流れの落ち着いた浅瀬へと入った。
 川の水温は温すぎず冷たすぎない快適さを帯びている。カナタは桶で水をすくい頭からかぶって、髪についた砂埃を払うと、水滴のしたたる顔をふっと上げ、濡れた布で身をこするもう一人の自分の後姿を見つめた。
 その背中には、ひきつれた大きな傷痕がある。カナタがまだ生まれて間もない頃、セァク再興を狙う不届き者に母と共に誘拐され、それを彼が救う為に負った刀傷だと聞いている。当然ながら、赤ん坊だった自分にその時の記憶は全く無い。
 両親以外の、事情を知る人間は、カナタ達四きょうだいに過去の話をよくしてくれたが、大きいカナタは自己の経験を語る事はまずしない。もう一人の姉である大きいミライもだ。一年のほとんどを西方で過ごす彼女とは滅多に会わないという理由もあるが、二人の口は両親以上に固い。
『あなた達に言って聞かせるような、気分の良い経験をしてきた訳ではないのですよ』
 そう諭したのは、大きいミライと行動を共にしているソキウスだ。かつて父の参謀だった男には、大きいミライが全幅の信頼を寄せている。それ以上の深い感情も付随しているとカナタが気づいたのは、色恋の香りが自分の周囲に漂うようになってからで、『兄ちゃん、すんごい鈍い』と妹のトワに呆れられたものだ。
 実質夫婦なのだから形にすれば良いのに、『そんな悠長な事をしている場合ではない』と二人は声を合わせ、結婚式もせず、揃いの指輪も無く、子も作らないで、王国と西方の架け橋として奔走する。そんな二人を見かねたのか、母が父に『略式でも良いですから、せめて身内だけでも集まって、あの子にドレスを着せてあげたいです』と相談を持ち掛けたのを見た事がある。その時の父は、苦虫を噛みつぶしたような険しい表情をして、『俺は認めた訳じゃねえからな』と母の訴えを一蹴していた。
 同一人物だから、カナタの実姉であるミライもソキウスに好意を寄せているものかと思った時期もあった。しかし双子の姉はあっけらかんと、
『だって、ソキウスは姉さんの旦那さんでしょ。他人のものに手を出すほど餓えてないから』
 としれっと言い放ち、全く興味を持っていない事を明かして、
『同一人物でも、同じ人間に好意を抱く訳ではないのですね』
 と、ソキウスが心中複雑そうな苦笑を見せたものだ。だがそれは当然だとカナタは思う。自分自身が、大きいカナタの妻をどうこうしようという気など全く起きないのだから。
 とにかく、もう一人の自分達が己の幸せを削ってまで大陸の平穏の為に働くのは、過去に起因する事は聞いている。かつて母エレだけが操り、二人が受け継いだ、今はもう存在しない言の葉の力『アルテア』を駆使し歴史に干渉して、悲劇的な終焉を辿る未来を変えようとした事も。
 深い絶望を目にしたからこそ今この時代にカナタ達が存在する事について、二人が殊更己の働きを誇示する事は無い。そこは姉弟で示し合わせたのか、カナタらきょうだいにはわからない事情だ。二人は黙して語らず、両親と子供達の為に、ひいては王国の平和の為に、力を尽くしてくれるだけだ。
 大きいカナタとて、口を開けばエレ、エレ、だが、その奥には家族への深い情を秘めている事は確かなのだ。父をやけに敵視するのも、昔は本当に憎悪だったらしいが、今は子供時代にもらえなかった愛情の裏返しで、根底には、男同士の信頼感が存在しているのだと読み取れる。
 ひきつれた大きな傷を見る度に、彼の普段見せない深い思いを感じて、カナタは面映ゆくなる。胸の奥の熾火をかき消す為に、もう一度桶で水をすくって、勢いよく頭からかぶるのだった。

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