9:夕餉の後に

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 じゅうじゅうと。
 焚き火の傍で焼ける肉が脂をしたたり落とす音が耳に届く。日が暮れた後の土手の上で、炎は明々とカナタ達の顔を照らしていた。
 ただし、カナタと大きいカナタの表情は浮かない。
「遠慮なんかしなくていいのよ」
 にこにこ顔なのは、ユーリルただ一人だ。串で肉をつついて、「ほら、もう食べ頃」と男達をせっつく。
 野宿の基本は現地調達だ。旅の空ではいつどこで無駄足を食らうかわからない。携行している保存食はぎりぎりまで浪費したくない。
 結果、ユーリルが「私に任せて」と短弓と箙を手に近くの林へ出かけて行って、見事猪一頭を担いで戻ってきたのだ。ここは流石狩猟民族と褒めておくべきなのだろうか。カナタ達があっけに取られる前で、彼女は短刀を持ち出して手早く猪をさばき、見事な肉塊へと変えてしまった。
「塩がたっぷりあれば塩漬けにして、今後の食料にしておけるんだけど、仕方無いわね」
 彼女は事も無げにそうぼやいて、今夜の夕食と明日の朝食分以外の肉片を林の奥へ放ってきた。西方の民は、自分達が食べきれない量の獣は極力獲らない。やむを得ない場合は獲った場所に戻して他の生物の餌にする事で、母なる大地にその身を還すのだという。
 しかし今は、西方の風習より深刻な問題がある。二人のカナタは、同じ困り顔を見合わせた。
 アイドゥールで一般的な肉といえば牛と鶏だ。昔一度だけ、ヒョウ・カ王の、息抜き旅行を兼ねた旧セァク領への視察に、一家で同行した事がある。その時の晩餐で、猟師が獲ってきた熊肉が主菜として出された。醤油でよく煮込まれても消えきらない独特の臭みと歯ごたえに、父もきょうだいも閉口したが、伊達に思春期をセァクで過ごしていない母は、懐かしそうに満面の笑みを浮かべて、
『セァクではこれが最高のごちそうですよ』
 とぺろりと平らげ、普段動揺する事の無い父インシオンをして唖然とさせたのだ。
 あの時の熊ほどの衝撃ではないが、猪の肉も食した事など無い。おそるおそるかぶりつくと、やはり食べ慣れた肉とは違う食感と味がして、それに慣れずに、カナタは貴重な塩胡椒で味をごまかしながら、呑み下す。横目で見やれば、大きいカナタも、時折山椒を振っていた。
 何とか猪肉を平らげた後は、やはりユーリルが林で見つけてきた果実にかぶりつく。こちらは甘い果汁がじゅわっと広がり、もそもそしていた口内を存分にすすいでくれた。
 やがて辺りが暗くなって空には星々が瞬き始める。くちくなってまったりとした時間を過ごしていると、ユーリルがおもむろにタオルと着替え一式を持って立ち上がった。
「今から水浴び?」大きいカナタが眉根を寄せる。「暗くなってから川の流れに入るのは、感心しないな」
「大丈夫よ」しかしユーリルは、平然とした様子で返してきた。
「林の奥を探索していたら、湯の湧き出る泉を見つけたの。誰も来ないわ」
「それでも、女の子が一人になるのは危険だよ」
 青年の言う通りだ。どこに邪魔者が潜んでいるとも限らない道中である。大きいカナタはしばらく思案顔をしていたが、やがてカナタの腕をぐいと引いて、少女の前に突き出した。
「こいつを見張りに連れて行くといい」
 また自分をだしに使うのか。カナタは不機嫌に顔をしかめ、それに気づいたか、ユーリルも不服そうに鼻を鳴らしたのだが。
「女の子を守るのは騎士の役目」
 上司にそう言われては、カナタは立場上受け入れるしか無い。しぶしぶながらも少年と少女は並び立って林の奥へと向かった。一足早く秋の虫が鳴く草むらをかき分けてしばらく進むと、空気が湿り気を帯びてくる。木々が途切れた先に、温かそうな湯気を立てる白い泉が広がった。
「ここまで」
 ユーリルがこちらを向き、掌を見せてこちらを牽制した。
「のぞいたら承知しないわよ」
「しないよ」
「どうだか」
 じとりと目を細め、憎まれ口を叩いて、ユーリルは草むらの向こうに消えた。カナタは泉が見えないが何か異変があれば音は聞こえる場所まで離れて、傍にあった木の幹に背を預け、腕を組んで上を向いた。葉の隙間から降り注ぐ星明かりだけが、あたりをうすぼんやりと照らしている。
 旅立ってから三日が過ぎた。二人のカナタが王都を離れた話は、きっとマリエルかヒョウ・カ王自身から、父を通じて家族にも秘密裡に伝わっているだろう。だが、直接何も言わずにアイドゥールを出て来てしまった事で、優しい母はカナタ達の身を案じ、女にしては太い眉を不安にひそめて、カナタに似た顔を曇らせているに違いない。
 カナタは四きょうだいの中で最も母親似だと、会う人会う人に言われる。幼い頃は、両親に連れられて王城へ行き、人前へ出る度に、容姿について触れられた。
『姫様によく似て、可愛らしいお子様でいらっしゃる』
『女の子でしたら、姫様と瓜二つに育ちますでしょうに』
 子供の時は、母に似ていると言われれば素直に心がうきうきして笑顔になった。だが、年を経るごとに、異性の親に似すぎている顔というのが、年頃の少年にとっては喜ばしいものではなくなってきたのだ。大きいカナタが母親似であるのをやたら誇っている事と、双子の姉は父親似できりりとした顔立ちをしている事が、より劣等感コンプレックスとなって、結果余計に母と距離を取る原因になってしまった。
 そんな少年の胸中も知らずに、言い寄ってくる女子連中は後を絶たなかった。彼女らはカナタの血筋も勿論だが、間違い無くその顔も目当てにしていた。セァクの巫女姫似の美少年の争奪戦は、本人のあずかり知らぬところでその競争率を跳ね上げた。城下の学校に通っていた時、朝やってくると机の中に必ず一通は入っている恋文に、周囲の級友達からは相当なやっかみを受けたものだ。
 だが。
 今、向こうで湯浴みをしているだろう少女は、カナタの姿についてとやかく言わない。家系がどうとも口出ししてこない。『姫と英雄』あるいは『魔女と死神』の息子ではなく、ただ一人の『カナタ』という少年として接してくる。女子にそんな反応をされたのは初めてだ。
 何だか胸の奥がむずむずして、自分が湯に浸かっている訳でもないのに火照ってくる。耳の奥でうるさく騒ぐ鼓動に、おさまれ、と必死に命じていると、木立の向こうから小さく悲鳴が聴こえた。直後、ばしゃんと何かが沈み、しばらくばしゃばしゃと水面を叩く音がしていたが、やがてしんと静まり返る。
 まさか、の考えが脳裏を巡る。カナタは反射的に騎士服の襟を引っ張りながら、走り出していた。

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