12:怒りの拳

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 旧イシャナ首都イナトは、うらぶれていた。
 かつて数百年の栄華を誇った王国の要石であったのが嘘のように、人通りは極めて少なく、大通りには砂塵が舞い、そこに面する店の大半は扉に板が打ち付けられて、留めてある釘も錆が浮いている。放置されて屋根が朽ち、窓硝子が割れた家も少なくない。
 アイドゥールが十五年かけて栄える間に、この街は繁栄を吸い取られるように没落への道を辿っていったのか。時の流れの無常さを感じたが、今はそれを噛みしめている場合ではない。
「……わかるな?」
 馬を降りて手綱を引きながら大通りを歩いていると、大きいカナタがごく自然に近寄ってきて、カナタにしか聞こえない声量で囁いた。
「ユーリルを守る事」
 そう言い残し、青年は馬の背にひらりと飛び乗ると、何事かと驚き振り返る人々を後目に、ひびの入った石畳の通りを駆け抜ける。それを見届けるが早いか、カナタは引いていた馬の手綱から手を離して、思い切り尻を蹴る。吃驚して暴れ出した馬は、カナタとユーリルの間を駆けて、背後の裏通りへと飛び込んだ。
 一瞬の静寂の後、馬が何かを蹴散らす派手な音と、慌てふためいた悲鳴が聴こえた。
 カナタとユーリルは顔を見合わせて頷き合い、裏通りへと飛び込む。そこにいたのは、いまだ興奮に歯をむき荒い息を洩らす馬に踏みつけられている黒服が一人、暴れ馬がひっくり返した樽や箱の下敷きになっているのが二人。体格から判別すればどいつも男で、フードの下に素顔を隠していたが、痛みに顔をしかめて呻いているのはわかる。馬に踏まれた男はあばらも折っただろう。まさか騎士が正攻法でなく邪道で攻めてくるとは思わなかったに違いない。
 ユーリルが腰に帯びていた縄で男達を周到に縛り上げていると、蹄の音が近づいてくる。大きいカナタが別働隊をのしたらしい。片手で手綱を操り、片腕にぐるぐる巻きにした黒服をしっかりと抱え込んでいた。
「さて」
 襲撃者になるはずがあっという間に捕虜になってしまった四人の内一人の喉元に、大きいカナタが抜剣した切っ先を突きつける。
「じっくり吐いてもらおうか。君達に指示を下した人間が誰か。それがわかれば、ユスティニア姫を誘拐した目的も自ずとわかる」
 それを聞いた男はくっとフードの下で笑い、目元を皮肉気に細めた。
「我らを侮るなよ、汚れた血を持つ王の面の皮をかぶった賊の狗が」
 途端、大きいカナタの翠眼が、すっと氷点下に凍った。
 同じ目つきをカナタは見た事がある。幼い頃、父に連れられてアイドゥールの城下街を歩いていた時だ。父と手を繋いで、買ってもらった蝶の形の飴細工を一心不乱になめていたところ、褐色の肌に尖った耳介を持つ男が早足に近づいてきた。生粋のセァク人だ。彼は穢れたものを見るような目でカナタを見下ろすと、勢い良くカナタの手をはたいて飴細工を叩き落とし踏みつけた。蝶は、ぱりんと軽い音を立てて彼の靴の下であっけなく砕け散った。
 幼い心では何が起きたのか把握しきれず呆然とするカナタから目を逸らし、男は父に顔を近づけて、険を帯びた口調で早口にまくし立てた。あの頃はわからなかったが、恐らく、自分達の巫女姫を奪い汚した男、と父に罵声を浴びせたのだろう。カナタ達子供らの事にも何か言及したのかもしれない。
 見るも無残な姿になった飴細工を見て、カナタが目尻にじんわりと涙をためたその時、父の手に強い力がこもった。驚いて顔を上げると、父の表情が豹変していた。厳しいながらも家族への愛情を忘れない英雄は、そこにいなかった。怜悧な光を赤い瞳に宿した『死神』がにたりと唇をつり上げたかと思うと、片手でぐいっと男の襟首をつかみ、軽々と持ち上げたのである。足が地につかなくなって、セァク人の男は明らかに青ざめ、息が苦しいのか空気を求めて、打ち上げられた魚のようにぱくぱくと口を開閉した。
 相手の口の端に泡が立ち、白目をむきかけた頃、父はぱっと手を離し、男は無様に道に尻餅をついた。
 父はそれをひどく冷めた目で見下ろし、
『嫌味の一つも言う暇があったら、もっと国益になる事を考えて口にしやがれ』
 と言い捨て、『飴はまた買ってやる』とすぐさま元の声色に戻ってカナタの頭を撫で、その場を歩き去った。
「ふうん」
 あの時の父と同じ、愚者を見下す軽蔑の眼差しで、大きいカナタはにやりと口元を持ち上げる。
「それじゃあ、どこまで君達がその忠誠を貫けるか、僕の堪忍袋の緒が切れるのが先か、我慢比べといこうじゃないか」
 刃が男の喉元にぐっと押し付けられる。服を裂き、ぷつりと皮膚が切れて、血の粒が浮く。
「目を潰したら、次は鼻を削ぐ」
 剣先がつうっと鎖骨を撫で、頬を辿って目玉すれすれに近づく。
「舌も引っこ抜いてやりたいところだけど、喋れなくなっちゃうね? ああ、他の奴に口を割らせればいいかな」
 カナタもユーリルも、彼の豹変ぶりに唖然とする中、男がひくっと喉を鳴らす音がやけに大きく聞こえる。
「――大将だ! アルファルド大将だ!」
 恐慌に駆られたか、わめくように男が叫んだ。
「あの方は純血イシャナ派だ。ヒョウ・カと王寄りのインシオンを蹴落とし、プリムラ王妃を妻にして、セァク人を排し、イシャナ帝国を作る気だ!」
「……そんな事で?」
 カナタは思わず呆れ切った声を発していた。その場の全員の視線が自分に集中するのを自覚しながら言葉を継ぐ。
「そんな事の為に、関係無いユスティニア姫まで巻き込んだのか?」
「大陸にはイシャナ人だけがいれば良いのだ。西方の蛮族さえ要らぬ」
 調子づいた男が、まくし立てるように吐き捨てる。
「イシャナ人でありながら敵国の姫としてかしずかれ、セァクの思想にかぶれた女の子供なぞ、我らの汚点よ」
 エレの事を愚弄されて、大きいカナタの目の色が変わる。しかし彼が激情に駆られて剣を振り下ろすより先に、激しい殴打一撃が男を脳天から襲い、地面に叩きつけていた。
 カナタだった。翠眼をぎらぎらと光らせ、血のにじむほどに唇を噛みしめながら、息も荒く男を見下ろしている。
 自分の事などどうでもいい。だが、こいつらは。
 父や叔父を陥れようとした。
 母を侮辱した。
 きょうだいを汚点と言った。
 ユーリルを要らぬと言った。
 自分の周囲の人間をことごとく馬鹿にした。
 悔しい。こんな腐れた思想を持つ人間が同じ国にいる事が、腹立たしくてならない。口から泡を噴いて目を回す男への追撃とばかりに拳を振り上げた時。
「カナタ」
 その腕をつかんで引き留める手があった。
「やめて」
 ユーリルだった。カナタの腕を引き下ろし、すがりつくように包み込んで懇願する。
「あなたがこんな連中のせいで血に汚れる必要なんて無い」
「でも」カナタは不服で鼻を鳴らした。「こいつらは君の一族も虚仮にした」
「私は構わない」
 ふるふると首を横に振る彼女の、短い赤毛が近づいて、すうっと頬を撫でる。
「私達西方の民は、蔑まされる事には慣れているから。だから、私の為にあなたが騎士の面目を潰さないで」
「慣れるなんて、ありかよ」
 激昂の火はまだ胸の奥でくすぶっていたが、ユーリルの声はそれをかき消す流水のように沁みこんでくる。カナタがゆっくりと腕から力を抜くのを確かめると、ユーリルの手と髪もそっと離れていった。
「……さて」
 気を取り直した大きいカナタが、気絶した一人には目もくれず、残る三人に剣を向ける。
「次に潰されたいのは、誰?」
 下手に逆上させれば仲間と同じ命運を辿る事をまざまざと見せつけられたのだ。男達は最早、狼の前にさらされた憐れな子羊のごとく震えあがるしかできなかった。

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