13:ユーリルの正体

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 人々が去り、手入れする者もいなくなったイナトの王城は、元は真っ白だった壁に蔦がびっしり這い、あちこちが風に削られて風化し、ここが首都でなくなってからの時間経過をまざまざと見せつけていた。
 そのイナト旧城が、アルファルド大将の息のかかった連中の根城である事を、男達を脅して聞き出したカナタ達は、奴らを路地裏に放っておくと、すぐに城を目指した。
 城門前には、アイドゥールでユスティニア姫のお披露目を襲撃した幌馬車が無造作に乗り捨てられていた。馬房へ移したのか、もう要らぬと放したのか、馬の姿は見つからない。
 恐らく城内にも敵がいるだろう。ユスティニア姫の居場所もわからぬまま真正面から強行突破を狙えば、追いつめられた連中が何をしでかすかわからない。裏口から忍び込んで、できるだけ見つからずに姫のところまで辿り着きたい、というのが、大きいカナタの提案だった。カナタはそれに同意し、西方の民として思うところがあるのだろうユーリルはしばらく口ごもったが、最後には「……わかりました」とうなずいた。
 城周辺にぼうぼうと生えた背の高い雑草は、身を隠すにはうってつけだ。茂みに隠れて裏手へ向かう。騎士としては一、二年しかここで過ごさなかったとはいえ、大きいカナタの脳裏に刻まれた城内の見取り図は完璧だった。裏口を見つけ、彼一人が茂みから出て行って、少々がたついた扉を開き、中の様子をうかがう。やがて彼はカナタ達を振り返り、腕を振って『来い』と合図した。
 裏口は厨房に繋がっていた。商人が食材を運び込む為の勝手口だったのだろう。残された調理器具が埃をかぶり、天井には蜘蛛の巣が糸を張っているのを横目に見、どこかで鼠がちょろついている音を聞きながら、足音を殺して進み、出入口の扉を開ける。
 大きいカナタがそっと顔を出して廊下の様子をうかがい、親指と人差し指で円を作った。西方の伝え方で大丈夫だ、という意味だ。この青年がたまに西方のやり方をするのは、西方人だったという彼の妻の影響だ。エレ、エレと言いながらも、きちんと人生の相方を見ている証拠だ。
 影のように静かに、三人は廊下へ滑り出る。かつて城内に張り巡らされていたという水路の流れは止まり、澱んだにおいがする。アイドゥールの王城にあるものとよく似た創世神話のステンドグラスはあちこちが割れて、創造の女神ゼムレアの顔にひびが入り、見捨てられた事を嘆いて涙を流しているようにさえ見えた。
 時刻は夕方近く。ステンドグラスの合間から傾きかけた日の光が斜めに射し込んでくる中を、靴音を忍ばせて通り過ぎる。
 やがて、とある角を曲がろうとしたところで、先頭を行っていた大きいカナタが不意に足を止めた。続くユーリルと殿のカナタも慌てて、背中にぶつからないように踏みとどまる。
「あ」
 もう一人の自分を呼ぼうとした声は、ユーリルに手を伸ばされて遮られた。その事と、大きいカナタが翠眼を鋭く細めて角の向こうを睨んでいる事から、察する。
 いるのだ。自分達以外の人間――十中八九敵――が、この先に。
 大きいカナタが振り返り、手招きでカナタを呼んだ。指を二本立て、その後で自身を指してから右を指し、カナタに向けてから左を示す。伊達に同一人物ではない。彼の意図をカナタは正しく受け取った。
 二人のカナタは同時に床を蹴ると、角の向こうへ飛び出した。指示通り左右に散開し、豹のように素早く標的へ忍び寄る。
 こちらの気配に気づいて振り向いたのは、二人。どちらもやはり黒装束に身を包んでいるが、カナタ達の襲撃にぎょっと目を見開く。腰の剣を抜く暇も与えず、カナタ二人は男達に飛びかかった。
 カナタは左側の男に向けて、蹴りを繰り出す。がつ、と鈍い音を立てて、硬い革靴が男の脇腹を強かに打つ。続けざまに掌底を顎に叩き込めば、めきゃ、と骨のひしゃげる音がして、男は白目をむいてその場に崩れ落ちた。
 気絶した男から目を逸らし、いま一人の自分に視線を向ける。大きいカナタは相手の首をがっちりと腕で締め上げ、失神させていた。やはり体術の師匠が同じなだけある。心配は全くの杞憂だった。
『絶対安易に使うなよ。命に関わるからな』
 十歳になった息子に素手での立ち回りを教える際に、父はそう強く前置きした。その時は、得た技術をすぐさま発揮したくてうずうずしていたが、父が教えた一般兵が、訓練中に度が過ぎて、首の骨を折り寝たきりの生活を強いられる羽目になった話を聞くと、自分の得た力に恐怖を感じて、迂闊にこの力を用いてはいけないと子供なりに自戒した。
 だが今は、その力が必要な時だったという自信がある。ユスティニア姫の、人一人の命がかかっている。そしてその命は、王国と西方、大陸の全ての人の行く末に影響を及ぼすのだ。
 鎖で繋いでいた己の中の猛獣を解き放った興奮をいまだ抑えきれず、肩で息をするカナタを、場慣れしている大きいカナタは一瞥して、黒服達が立っていた場所に視線を移した。カナタも、後ろからやってきたユーリルも、そちらを見やる。
 客室のひとつのようだ。しかし即席の閂がこちら側からかけられている。明らかに誰かを閉じこめるものだ。
「当たりだね」
 大きいカナタが呟いて抜剣し、刃を振るう。簡易な鍵は甲高い音を立ててあっけなく砕けた。
 慎重に扉を開ければ、室内の様子が視界に飛び込んできた。調度品はアイドゥール遷都の際にほとんど運び出されたのだろう。古びた椅子と、羽毛のはみ出た敷布団の載るベッドしか無い。
 そこにぼんやりと座って空を見つめていた人物が、カナタ達が踏み込んできたのに気づいてはっとこちらを向く。長い赤毛に黒の瞳。衣装はさらわれた時のまま。アイドゥールで見たユスティニア姫その人だったが、彼女はカナタ達を追い越して駆け寄るユーリルの姿を見て、目を真ん丸くした。
「無事だったか」
 まるで自分の方が目上であるかのような、いつもの口調で、ユーリルがほっと息をつき、
「危険な目に遭わせてすまなかった、モリガ」
 と、深々と頭を下げる。違和感を覚えてカナタが眉をひそめると。
「そんな。私が敢えて申し出て引き受けた役目です。どうかお気に病まないでください」
 ユスティニア姫がおろおろしながら立ち上がり、ユーリルに向けて膝をついて、その手を恭しく取り、頭を垂れて、言った。
「ユスティニア姫様」
 瞬間。
 場に完全なる沈黙が降り注いだ。

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