2:不穏の種

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「団長」
 城に戻ったカナタ達――というか大きいカナタを待ち受けていたのは、密偵のマリエルだった。半年で伸びすぎた前髪を短く切り、青灰色の瞳がまっすぐに青年を見すえている。
「陛下がお呼びだ。執務室。大将もいる」
 いつものように抑揚の無い声で彼女は淡々と告げ、用は終わりだとばかりにふいっと踵を返して廊下の向こうへ去った。
 カナタ達は茶で身体を温める暇も無いまま、更衣室で作業着からいつもの騎士服に着替えて剣を腰に佩くと、早足で国王の執務室へ向かった。謁見の間ではなく執務室を指定してくるとは、内々の話なのだろう。
 木製の扉の前に立って大きいカナタがノックすると、誰何の応えが返る。
「カナタです。小さい方もいます」
 いくら自分の方が上背があるからとはいえ、十七の少年をつかまえて「小さい方」と言うのはいかがなものか。だがしかし、二人は顔も声も同じなので、「カナタです」だけではどちらのカナタかわからない。不可抗力なのかと諦め半分になりながら、カナタはもう一人の自分が「失礼いたします」と扉を開くのに続いて室内に踏み込んだ。
「来たね」
 二人のカナタがびしりと敬礼を送るのを見て、執務机に就いていた男性の、赤紫の瞳が優しげに細められる。褐色の肌に尖った耳介。かつて数百年の栄華を誇ったセァク帝国皇族の血を直系で受け継ぐ、生粋のセァク人である国王ヒョウ・カは、三十を超えたとは思えない若さを残した顔に、ゆるい笑みをひらめかせた。
 その傍らに立つ黒髪黒衣の壮年の男が、赤の鋭い瞳でこちらを見たが、気安く声をかけてくる事はしない。家では父子だが、ここでは彼――インシオンと自分は、王国軍総大将と一介の王立騎士団員だ。一線を引いてめりはりをつけるのは当然の事であった。
「カナタも一緒なのか」
 王は少年の方を向き、少しだけ困ったように目をすがめてみせる。
「……ご迷惑なら退出いたしますが」
 新米正騎士が首を突っ込むべきではない、大人達にしか聞かれたくない話なのだろうか。憮然としながら答えると、「いや」と口を挟んだのは父だった。
「あながちお前も全くの無関係とは言えねえ。話を聞け」
 そう言われて、カナタは背筋を正し、傍らの青年にならって後ろ手に組んで直立不動になり、王の話の続きを待った。
「ツァラ地方の兵から報告があったんだ」
 笑みを消し神妙な顔になった王は、机の上に肘をついて手を組み、その上に顎を乗せて、眉間に皺を寄せた。
「怪物の目撃情報があった。姿形の特徴から、破獣カイダではないかと思われる」
 破獣。その単語に、隣の青年が息を呑むのが、気配で伝わった。
 千年の昔、南国の島国アルセイルで生み出され、大陸をも焼いた暗黒の遣い、破神タドミール。その血を浴びた人間は、死ぬか、破神の力の片鱗『神の力』を得るか、大半は異形の怪物、破獣と化したという。黒く固い皮膚に瞳の無い金色の眼球、蝙蝠のごとき一対の翼と、鋭い爪や牙を有した破壊の使徒のほとんどは、人間としての正気を失い狂って、人里を襲い血生臭い殺戮を繰り広げた。
 破神の血を持つ人間は、破神や破獣になる因子を受け継いでゆく。その忌まわしき輪廻を断ち切って、破神の呪いから世界を解き放ったのは、『神の力』を持っていたカナタの両親や、その周囲の人々だ。大陸の多くの人は知る事の無い歴史で、カナタらきょうだいにとっても自分達が生まれる前の出来事で、『エレとインシオンの子供だから知る権利はある』という理由から、昔話として教えてもらっただけだ。
 破神は母エレが持っていた濁り無き言の葉の力『アルテア』で完全に消滅した。破獣も世界から一匹残らず消え、『神の力』を使う事もできなくなったはず。だのに何故今再び、破獣が現れるのか。
 カナタが抱いた疑念は、当然ながら当事者だった大人達にはより一層深い疑惑として胸に根付いたらしい。父が赤い瞳を伏せがちにして腕組みし、呟くように洩らした。
「まだ人的被害があった訳じゃねえが、牧畜が数匹、かなり無残にやられたらしい。報告にあった殺り口は、間違い無く破獣だ」
 数えきれないほどの破獣を葬ってきた父が言うのだから、その怪物が破獣である可能性は極めて高いのだろう。いずれにせよ、人間が危害をこうむる前に対策を講じなくてはならない。そしてそれは、王国中に噂が広がり人々を不安にさせる前に、可及的速やかに行われなければならない。
「それで僕が呼ばれた訳?」
 大きいカナタが翠眼を細め、覚悟を決めたようにひとつ、息を吐いた。
 破獣の正体を知っていて、破獣と相対して生き延びた経験を持ち、今も破獣に立ち向かう力を有し、かつ比較的自由に動ける人間。それは大きいカナタしかいない。彼の双子の姉である大きいミライも対象の内だが、彼女は西方との関係を取り持つ為、相方のソキウスと共に現地に滞在している。今から呼び戻していては時間がかかるし、西方にも破獣の出現が伝わってしまう可能性がある。内輪だけで話を片付けるには、この青年に頼るしか無いのだ。
 だが、かつて破獣に勝てる力を持っていたとはいえ、たとえ『黒の死神』の息子とはいえ、今の青年は人間の標準を遙かに超えた能力を持っている訳ではない。一人で破獣と渡り合う事は可能なのだろうか。カナタが不安を覚えて眉根を寄せた時。
「こいつも連れて行っていい?」
 もう一人の自分が、拳で軽くこちらの頭を小突いたので、カナタは驚きに目をみはって、思わず青年の顔を振り仰いでしまった。王と大将に許可を求める彼の眼差しは真剣で、冗談の一粒も込めていない事がうかがえる。
「話を聞いた以上、部外者にはできないし、他に頼れる相手もいないし」
「……やっぱり、カナタは居合わせるべきじゃなかったかな」
 叔父王がそうぼやいて氷色の髪先を指でいじくり、父も苦い物を呑み込んだような渋い顔をする。だが。
「頼りたいのはやまやまだけど、それでカナタに何かあったら、姉上に申し訳が立たないよ」
 ヒョウ・カのその言葉を聞いて、カナタの決意は定まった。
「行きます」
 ぴんと背筋を伸ばし凛と声を張って、叔父王に向けて強い視線を送る。
「おれ……自分も今は正騎士です。戦力に数えてください」
 途端に王の瞳が真ん丸く見開かれ、父も軽い驚きを宿した表情で見つめてくる。
『エン・レイ姫の子だから』、『英雄の息子だから』という事で、必要以上に丁重に接してこられたり、逆に敬遠されたりと、特別扱いを受ける事は、幼い頃から嫌というほど経験してきた。だが、いやだからこそ、こんな時まで親の名前に振り回されたくはない。母は心配するだろうが、迫る脅威の存在を知りながら、はいそうですかでは片付けは別の人にお任せします、と安穏とアイドゥールに留まる真似はしたくない。
 それにもうすぐユーリルが王国にやってくるのだ。彼女を安全に迎える為にも、不穏の種は取り除いておきたい。
「……覚悟は決まってるんだな?」
 確認を求めて口を開いたのは王ではなく、父インシオンだった。きりっと唇を引き結び、深くうなずき返す。父は顔をしかめてがりがりと頭をかき、彼が続けようとしていた台詞を、ヒョウ・カが引き受ける。
「では頼むよ、二人とも。くれぐれも気をつけて」
 その言葉に、二人のカナタは示し合わせもせず見事に敬礼を揃えた。

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