5:還ってきた者

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 燃え盛る街のただ中で立ち尽くしている。自分の身体が人のものではない自覚はあった。
 ああ、これは夢だ。幼い頃からよく見る夢だ。そう認識したが、今回の夢はいつも繰り返されていた光景とは違う。空を覆っていた漆黒の巨躯は既に地に落ち黒い粒子となって散滅している。だが、それがもたらした災厄は終焉を告げる事が無かった。
 炎に包まれた中で、赤黒い血を浴びた幼い娘がこちらを見上げている。翠の瞳を見開いているが、怯えている様子ではない。何か珍しい物を発見して驚きにとらわれているような、そんな感情だ。
 ゆっくりと、小さな手がこちらに伸ばされる。かしずくように膝をつくと、少女がこちらの顔をそっと撫ぜる。その手が赤に染まった事で、自分が血塗れである事に気づく。
「……ないてるの?」
 自分だって涙で頬を濡らしているのに、己の事など他所に置いたように少女は小首を傾げ、それから優しく唇でこちらの頬を辿った。
 唇にも深紅が移る。
「なかないの」
 子供のくせに、更に小さい子供をあやすように、彼女は言った。
「なかないの」
 直後。
 少女の手からふわりと虹色の蝶が飛び立ち、くるくる舞ったかと思うと、白く輝く。
 それがあまりにも神聖なものに思えて、人の身ではない目から、ぶわりと涙が溢れ落ちた。

 目が覚めると、どこかの天幕の中、固い寝台の上だった。前後不覚に陥って、しばらくぼうっとしてしまう。まだ自分が人ならざるものであるかのようだ。そう考えたところで、カナタの意識は急速に現実に戻ってきた。
 はっとして両手を掲げる。人間の手だ。鋭い爪は無い。顔は。顔はどうだ。ありもしないだろう鏡を求めて枕元をまさぐっていると、天幕の入口の布がばさりと音を立てて持ち上げられ、いきなり光が射し込み、そのまばゆさにカナタは呻きながら目を手で覆った。
「起きたかい」
 自分と同じ声がした事から、相手は大きいカナタだとわかる。ようよう目が慣れてきて手をどかすと、彼の後ろに、赤銀の髪の少女がちょこんとついてきている事に気づいた。
 それで記憶が走馬燈のように蘇ってくる。駐屯軍の隊長が破獣カイダになって、致命傷を負わされたと思った時、この少女が現れた。彼女の血を飲んだ直後、自分も破獣に変貌して、敵を撃破したのだ。
「駐屯軍には仔細を話していない。あの隊長は破獣にやられて、見られた死体じゃないから埋葬を済ませた、そういう事にしている」
 だからお前も口裏を合わせろ、ともう一人の自分は言外に告げている。こくりとうなずいて、のろのろ身を起こすと、青年と少女が傍らまで歩み寄ってきた。
「結論から言うけど驚くなよ」
 大きいカナタが隣に並んだ少女の肩に手を乗せ、そう前置きして神妙な顔で告げた。
「この子はエレだ」
「……は?」
 突然母の名を出されて、間の抜けた声をあげてしまう。そんなカナタの反応も予想の範疇だったのだろう、青年は「最後まで聞く」と、少女の肩に置いていない方の手を掲げて、言を継いだ。
「大丈夫。君の母親のエレは今もアイドゥールにいる。この子は、千年前のアルセイルから来た、この時間とは異なる世界のエレだ」
 そう言われても、意味がよくわからない。今の時間軸とは別の世界がある事は、目の前の、ある意味同一人物である男の存在が証明している。しかし彼が生きた世界では、母エレは悲惨な最期を遂げ、千年前のアルテアの故郷アルセイルに、その子供達が埋葬したのだ。生きている訳が無い。第一その時母は二十九だ。こんな幼い姿をしているはずが無い。眉をひそめると、「あー……」と大きいカナタが、父が困った時と同じようにがりがり頭をかいた。
「僕らが同時に存在できる時点で、気づいておくべきだったんだよね。他にも歴史の違う世界があるって可能性に」
 そう言われて、鈍い人間ではないカナタは理解する。
 平行世界とでも言うべきか。歴史の異なる世界が複数存在して、それぞれの世界に、似たような運命を辿る同一人物がいるのだとしたら。それなら、母と同じ容姿とエレの名を持つ人間がいたとしても不思議ではない。
 しかし何故今、その少女がここにいるのか。しかもこの世界から消滅した『神の力』を有して。
 カナタに与えられた、傷を瞬時に治し破獣になる血。これは間違い無く、かつて両親が持っていた『神の血』だ。だが母が『神の血』を得たのは、かつてアイドゥールが破神タドミールに滅ぼされた『アイドゥールの悲劇』より、ずっと後年だと聞いている。目の前の少女の歳で『神の血』を持っているはずが無い。
「驚くのも無理はありません」
 無い無い尽くしで混乱し始めるカナタに声をかけたのは、いるはずの無い小さなエレ本人だった。
「私自身、もう死んだものと思っていましたから」
 十歳くらいと見える外見とは裏腹に、大人びてしっかりした口調で語る彼女は、たしかにただの少女ではなさそうだ。でも、とうつむき言を継ぐ。
「千年前のアルセイルで、アルテアを使って私を蘇らせた者がいました。彼は『神の血』と、私より強いアルテアを持っているようです」
 憶測で語るのは一体何故だろう。カナタが眉を跳ね上げると、よく似た太めの眉を垂れ下がらせて、小さいエレは首を横に振った。
「ごめんなさい、私も千年前のアルセイルの事は、このカナタから聞くまで何も知らなかったんです」
 そう詫びて、彼女は大きいカナタを振り仰ぐ。
「私をアルテアで蘇らせたのは恐らく、彼の知る容姿から」
「……セイ・ギ」
 小さなエレの台詞にかぶせるように、もう一人の自分は憎々しげにその名を絞り出した。
 セイ・ギの名前は知っている。歴史を学べば、かなり早い段階に出てくる人物だ。かつて大陸を席捲したセァク帝国の初代皇帝。浅黒い肌に尖った耳介という、直系子孫の叔父ヒョウ・カと同じ特徴を持つ男。破神に焼かれた大陸に忽然と現れ、破獣を狩り、『神の力』を得た人々を迫害から守って、英雄と崇められた人物だ。
 ただし、学校の授業で知る事ができるのは、そこまでだ。この話には裏がある。
 アルセイルの研究者だった彼こそが、アルテアと『神の血』を持って海を渡り、破神となって大陸を侵略し、破神の因子を大陸中にばらまいて、その後救世主として降臨した。完全なる自作自演で大陸の覇者となったのだ。
 何故そんな事をしたのかまでは、カナタら子供達は聞いていない。かつて、『私が、アルセイルで』と、大きいミライが口を開きかけた事があるが、『あなたのせいではないでしょう』と相方のソキウスが制したので、それ以上を知る事がかなわなかったのだ。
「僕だって、アルテアでエレを生き返らせなかったのに」
 やろうとは思ったけど、と大きいカナタが忌々しげに毒づく。それをちらりと見やる小さなエレの視線はまるで、手を焼く駄々っ子を見守る母親のそれだ。それを目にすると、目の前の少女の中身は決して見た通りの年齢ではないのだという事がうかがえる。
「セイ・ギは私を連れて、アルテアで千年後に行こうとしました。それを止めようと私がアルテアを使って反発した事で、別の歴史を持つ世界に飛ばされたのでしょう。でも」
 赤銀のまつげを物憂げに伏せて、少女は言葉を重ねる。
「彼もこの世界にいるようです。そして、私を捜し出す事を諦めていない」
 聡いカナタはそれで悟る。突然この世界に現れた破獣。消えたはずの破神の因子をばらまいて、はぐれた少女を追い求める執拗さ。それをもたらした者は。
「私は時を超える時に、元の姿とアルテアの力のほとんどを失いました。目の前で死にかけていたあなたを救うには、残る『神の血』を分けるしかなかったのです」
 勝手な事をしてごめんなさい、と少女が深々と頭を下げる。母と同じ顔をした人物に謝られるのがむずがゆくて、「謝らないでよ」とカナタはそっけない態を装って返した。
「あなたが助けてくれたおかげで、おれは死なずに済んだんだから」
 若草の瞳が見開かれ、それから嬉しげに細められる。
「やっぱりカナタは、優しい子に育ってくれましたね」
 中身が母とはいえ、自分より幼い姿をした相手にそんな事を言われるなんて。子供に子供扱いされるのが何だか癪で、カナタは返事をせずにそっぽを向いた。
「とにかく」
 大きいカナタが腕組みしてひとつ息を吐き出す。
「この子を放っておく訳にはいかない。セイ・ギが動き出して、破獣になる人間を増やすかもしれない。王国で保護すべきだ」
 たしかに、このエレをセイ・ギが狙っているのなら、今後何らかの行動を起こす可能性が極めて高い。駐屯地の隊長を破獣にしたのは、間違い無く彼だろう。そうやって、エレを求めて無闇に破獣の被害を大陸に広めてゆく危険性もある。初代皇帝の人となりはカナタが直接知る由も無いが、自分が皇帝となる為に悲惨な陰謀を繰り広げた男だ。放置しておくのは危険だという事だけはわかる。
 それに。
 自分は『神の血』を得て、即座に傷の癒える身体と破獣となる能力を与えられた。話に聞いていただけの、両親と同じ力を手にした今、この小さなエレを守ってセイ・ギに対抗できる筆頭は、自分なのだと思える。
 いや、この子だけではない。家族やユーリル、大事な人々をこの手で守るのだ。
 カナタの翠眼に宿るのは、未知の力への恐怖よりも、揺るがぬ決意の方が勝っている。それこそが、『黒の死神』の名を受け継ぐ少年の強さだった。

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