10:継承

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「今日はもう帰るんだ。君も伯父上もしばらく出仕しなくて良いよう、父上が取り計らっている」
 ユウキにそう見送られて、カナタはユーリルと共に帰路につく。自宅へ戻ると、目を赤く腫らしたミライが、「おかえり」といつもの強気が嘘のようにか細い声で出迎えた。
「皆は?」
 カナタが訊ねると、双子の姉は赤銀のまつ毛をふっと伏せて、溜息をつくように零した。
「トワとスウェンは部屋に戻したわ。流石に寝かせないと」
あにいは。帰った?」
「まだいる。父さんが座ったまま寝ちゃったから、母さんを見てくれる人がいる方がありがたいし」
 父やきょうだいに話を聞かれない状況で、大きいカナタが残っていてくれる事は、幸いだった。相談がしやすい。残る問題は目の前の姉なのだが、それはユーリルが察してくれたようだ。
「ミライさんも、少し休まれた方が良いです」
 さり気なく歩み寄って、青白いミライの頬に手を伸ばす。
「顔色が悪いですよ。エレさんは私とカナタで見ていますから」
「でも、ユーリルだって昨夜から眠っていないでしょう」
 たしかに、誰もがセイ・ギの襲撃から一睡もしていなかった。カナタの家族は今、全員心身共に疲弊している。数々の戦場を渡った軍人である父や、騎士として不寝番を経験した事もあるカナタと違い、姉や弟妹はただびとだ。少し無理にでも睡眠を取らねば、いずれ倒れてしまうだろう。
「じゃあ、私も一緒に休みます。今は一人じゃない方が気持ちも落ち着くでしょうし」
 ミライにそう告げて、少女はちらりとこちらに視線を送ってくる。カナタは浅くうなずき、恋人の気遣いに感謝した。
 ユーリルが姉の肩を抱いて上階へ去るのを見届けて、両親の部屋へ入る。するとまず、椅子の背もたれに寄りかかって眠っている父が視界に飛び込んできた。包み込むように毛布がかかっているのは、姉がした事だろうか。視線を巡らせれば、変わらず昏睡状態の母と、ベッドの傍でへたり込む青年、そして、その近くで膝を抱えて丸くなっている少女の姿が目に入った。
「兄」
 呼びかけると、カナタと同じ色の瞳がのろのろとこちらを向く。王国軍大将だけでなく王立騎士団長まで登城しないのは明らかに異常事態だ。いずれ人々の間にも不安の噂は広まってゆくだろう。それを早めに収束させる為にも、必ずセイ・ギを討たねばならない。
「その子を連れてアルセイルへ行きたい。船はユウキが用意してくれる」
 小さいエレをちらりと見やると、彼女はそれを覚悟していたかのようにほのかな息をつき、膝を抱え直す。
「兄も一緒に来て」
「やだ」
 返答は、あまりにも子供じみた拒絶だった。
「僕はエレの傍にいるんだ。絶対離れない」
 口を開けばエレ、エレの男の本領発揮だ。今までは、彼が母にこだわって駄々をこねても、『仕方無いな』の一笑に伏す事ができた。だが、今回は訳が違う。そのエレの命がかかっているのだ。
「そうやって、エレエレ言ってここにしがみついてたって、母さんが自然に助かる訳じゃないだろ!?」
 カナタは思わず声を荒げ、ずかずかともう一人の自分に歩み寄ると、その襟首をつかみ上げていた。
「母さんを助けたくて時間まで超えてきたあんたが、母さんの命を脅かす相手一人に対抗する気も起きないのかよ。あんた本当は、とんだ腑抜けなの?」
 翠の目が見開かれ、それから、すっと細められたかと思うと、手首をつかみ返される。
「君に何がわかるってんだよ」
 いつに無い怒りを包括した低い声を発しながら、大きいカナタがゆらりと立ち上がった。
「きちんと両親がいて。何不自由無く育って。置いて行かれる事の辛さも知らないで」
 母が傍にいる事について、この男に面と向かって「ずるい」と言われた事は幾度もあった。だが、今向けられる感情は、そんな生温いものではない。相手を焼き尽くしても構わないとばかりに燃え上がる、激しい嫉妬の炎だ。普段自ら過去を語らない彼が、どれだけ『エレとインシオンの子供達』を羨んでいたか。それが鋭い刃となって心をえぐるかのようだった。
「何もわからないよ」
 それでもカナタは怯まない。憎悪に近い激情を受けて尚、言い募る。
「あんたは二言目にはエレ、エレって甘ったれて、何も話してくれないんだから」
 直後、顔に衝撃が走った。殴られたとわかったのは、遅れて痛みが訪れてからだ。小さいエレが目を丸くして硬直している。
「子供が知った風な口きくなよ!」
 翠の瞳にぎらぎらとした炎が宿っている。大きいカナタは激昂し、血が出そうなほどにきつく唇を噛みしめた。
 じわり、と。口内に鉄錆の味が広がる。殴られた拍子にどこかを歯で切ったらしい。それを唾と一緒にごくりと飲み込むと、カナタは翠眼を細めて、
「その子供に子供じみた八つ当たりしてるのはどっちだよ!」
 と拳を繰り出し、もう一人の自分の頬に叩き込んだ。青年の長身がぐらりとのけぞる。あおのけに倒れる直前、しかし大きいカナタは足を踏ん張って態勢を立て直し、今度は無言でこちらの顎に掌打を食らわせてくる。顎骨が砕けるのではないかという強さに脳が揺さぶられたが、カナタも床に足を踏み締め耐えて、蹴りを繰り出し相手の肋骨をしたたかに打った。同一人物同士の意地の張り合いに、小さいエレがおろおろしたまま、止めるタイミングを完全に見失っている。
「この、クソガキ!」
「図体ばかりでかくてガキよりましだ!」
 お互い顔面に拳を食らう事を覚悟で同時に飛びかかった時、カナタは不意に後頭部を大きな手でつかまれた。眼前で大きいカナタも目をみはったかと思うと、強い力で押されてその顔が迫り、がつん、と聞くだけで痛い音を立てて額同士が勢いよくぶつかった。星が散り、視界がぐらんぐらん揺れる。ぱっと手を離されて、カナタは前のめりに倒れ、大きいカナタも目を回しながら尻餅をついた。
「……俺からしたらどっちもクソガキだ、この馬鹿ども」
 ひどく静かだが、逆らいようの無い苛立ちを孕んだ声が、頭上から降ってくる。ようよう顔を上げれば、父インシオンが、『死神』の名に相応しい、殺気じみてすらいる怒気を赤い瞳に燃やして、二人のカナタを見下ろしていた。
 いつの間に起きていたのか。どこから話を聞いていたのか。
「馬鹿二人が隣で怒鳴り合ってりゃ、嫌でも起きる」
 息子の疑念に答えるように父は鼻を鳴らし、付け加える。
「それにな、俺は寝てても変わった事があったらすぐ起きるように訓練してる。年期が違うんだよ。お前らの話し声なんざ、蹄の音よりでけえ」
 この様子では、カナタが部屋に入ってきた頃から父は既に気づいていたのかもしれない。話は完全に聞かれていた訳だ。まだ回転している視界を叱咤して何とか起き上がると、いま一人の自分も、ようやく目が覚めたような顔をして立ち上がるところだった。
「同じ顔して喧嘩する暇があるなら、さっさと動け」
 ばつが悪そうな顔をする二人の息子を順繰りに見回して、父は深々と溜息をつく。
「本当ならな、何を置いても俺が戦わねえといけないのはわかってる」
 だが、と軽く目を伏せて彼は続けた。
「あんなガキみてえなセイ・ギに後れを取るし、『神の血』も俺にはもう無い。歳を取って、昔みたいに無茶できねえ身体なのは、自分がよくわかってる」
 まただ、とカナタは感じた。『黒の死神』からその威厳が消えて、ひどく老いたように見える。数瞬躊躇って、父は更に言葉を重ねた。
「だから、悔しいが俺もお前らに頼るしかねえんだよ。御託並べてる暇があったら」
 そこで一旦言葉を切り、父は二人のカナタに向けて、頭を下げた。
「頼むから、エレを助けてくれ」
 カナタも大きいカナタも、驚きのあまり目をみはって立ち尽くしてしまった。王国軍将官で英雄でもある父が、人に頭を垂れるところなど、滅多に見た事が無かった。ましてやそれが、自分の息子に対してなど、この人がそんな事をする訳が無いと思っていたので、ただただ驚愕してしまう。
「やめてよね。あんたが僕らに頭下げるとか、ほんっとあり得ない」
 すねたふうな声が聞こえたので傍らを見れば、大きいカナタが居心地悪そうに、父から目線を逸らしながらぽつりと洩らした。
「あんたはいつも不遜で、偉そうで、堂々としてる……僕の父親だったのに」
 父が赤の瞳を軽い驚きにみはる。しかしそれも束の間の事で、手を焼く子供に対するかのごとく困ったような笑みを返すと、今度はカナタに視線を向けて、壁に立てかけてあった己の剣を手にし、鞘ごと差し出した。
破神タドミール殺しの剣の効力は、わかってるな」
 人並み外れた能力を持つ破獣カイダや破神の因子を持つ者にも効果を期待できる鋼水晶の剣。しかしこれは、父が英雄になった三十年以上前から使っていた、信頼できる相棒ではないのか。目をしばたたいていると。
「今、戦える力を持っている奴の役に立つ物を、宝の持ち腐れにするほど、俺は馬鹿じゃない」
 父はきっぱりと言い切って、己の武器をカナタの手の中に握り込ませた。見た目よりもずっしりと重い感触が手にのしかかる。それは、託された責任の重さに比例している気がした。
「いいか、いくら『神の血』を持つ人間でも、首を落とされれば死ぬし、毒にあたれば浄化できずに苦しむし、人として最低限の身体維持をはからなけりゃ、生きていられない。過信しすぎるな」
 神妙に告げる父に、唇を引き結んでうなずくと、昨夜のように大きい手が頭に乗せられ、カナタの柔らかい黒髪を撫で回す。色は父譲りだが、質は母に似たのだろうと言われた髪だ。一時期は、瞳の色と合わせて、英雄と巫女姫の血をしっかり半分ずつ引いてしまった事に嫌気を感じた反抗期もあった。だが今、カナタの胸に宿るのは、この人達の息子であるという誇りだ。そしてその誇りは、自分が戦って母を救う事で、より強固なものとなるという自信がある。
 決意を込めて父を見上げると、大きい手ががもう一度くしゃりと頭を撫でて離れた。
「もう、一人前の男の顔だな」カナタの真剣な表情を見て、父が苦笑いを浮かべる。「頭を撫でる歳でもねえか」
 面映ゆさを感じながらも、破神殺しの剣を剣帯に装備する。大きいカナタと小さいエレを促して部屋を出ようとし、再度ベッドで眠り続ける母に目をやる。
 必ず、取り戻してみせる。母の笑顔を。家族の幸せを。
 父に見送られて玄関まで行ったところで、
「カナタ」
 少し怒ったふうな声に名を呼ばれて、カナタは足を止めて振り返った。ユーリルが階段を降りてきて、カナタの前で立ち止まり、腰に手を当て、黒の瞳でじとりと睨みあげてくる。
「ミライは」
「眠ったから、こっそり部屋を出てきたわ」
 問いかけにそう答える彼女は、イシャナの服を脱ぎ捨て、いつも通りの西方の民の装束に身を包んでいる。旅支度も完璧だった。
 少女の意図を察して、カナタは塩の塊を口に入れてしまったような顔をする。仮にも西方の姫を、先も知れない旅に駆り出す訳にはいかない。万一の事があれば、国際問題だ。たとえ以前旅路を共にしたとはいえ、あの時はユーリルの正体を知らずにいた、という事情がある。だが今回は、そんな言い訳はきかない。
「部外者にしないでって言ったでしょう」
 それでもユーリルは、絶対退かぬという決意を込めた瞳でじっとカナタを見つめて、それに、と言を継ぐ。
「西方の女は、自分も剣や弓を手に取って夫の戦についていくものなのよ。あなたがどこかで戦って、傷ついて、苦しんでいるかもしれないと、安全な場所で心配しながら待ってるだけなんて、絶対に嫌」
 これはもう何を言っても、彼女の意志を翻す事は不可能なようだ。
「諦めなよ」大きいカナタが苦笑いして、カナタの頭をぽんぽん平手で叩く。「西方の女性がどれだけ頑固かは、僕もよく知ってるから」
 そういえば奇しくも彼の妻も西方人だった。騎馬民族の女性は皆、こんなに積極的な性格をしているものなのだろうか。カナタは大きく溜息をついて、ユーリルを見つめ返した。
「無茶しないって、約束できる?」
「同じ言葉を返すわ」
 黒い瞳の中の星が、悪戯っぽく瞬く。
「私が無茶をしたら、あなたが止めて。あなたが無茶をしたら、がら空きの背中は私が守る」
 そう言って彼女は白い歯を見せて笑う。実に頼もしいのか何なのか、よくわからない台詞だ。「こいつに似合いの嫁だな」と父が抑えた笑いを洩らし、大きいカナタと小さいエレまでもが小さく吹き出すのが聞こえる。
 からかわれた事に憮然としたが、少しだけ、皆が笑った事に安堵を覚える。そして必ず、皆が心から笑顔を見せられる日を取り戻そう、という決意は確固たるものになってゆくのだ。
「行ってきます」
 カナタは父に頭を下げて、もう一人の自分と、小さいエレと、ユーリルと共に、アルセイルへの道程の第一歩を踏み出した。
『黒の死神』の意志と力を継承して。

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