第2章:決意の旅立ち(1)
BACKTOPNEXT

 本当は。
 きっかけが欲しかったのは、あたしの方だった気がして。

「バウンサー登録?」
 シェイド襲撃から数日後、またいつものように閉店した食堂で、フェリオとセレンとあたしの三人で遅い夕食をとっている時。あたしが言い出した提案に、あいつはレモンスカッシュを飲むのをやめ、褐色の瞳を怪訝そうに細めて首を傾げた。
「うん、そう」
 我ながら名案だと思ったので、あたしは満面の笑みのまま、あいつの作った塩味のパスタをずるずるずるーっとすすりながら続ける。
「ふぁばらしゃのまうんさーにひょーろくしとふぇわね」
「口の中空にしてから喋りなさい」
 フェリオに釘を刺されて、あたしは口に含んでいたものをゴックンと飲み込み、水も飲んでから、言い直した。
「カバラ社のバウンサーに登録しておけばね、世界中のどこの支店に行っても仕事がもらえるの。登録すればカードを発行してもらえるから身分証明にもなるし、仕事こなせばこなすほどお金は入るし、バウンサーとしての腕前を認めてもらえてますますいい仕事入るしで、一石三鳥くらい」
「そのカバラ社って何なんだ?」
 眉間に皺を寄せたまま、あいつが訊いてきた。
「厨房に入れば、火力台だの冷蔵庫だの冷凍庫だの、街に出てもそこいら中に、カバラ社製の印が目に入る」
「知らないの?」
 ここは、記憶喪失のセレンだから「覚えてないの?」と訊くところだったんだろうが、思わずそっちが口に出てしまった。けど、あいつは特にムッとする事もなく素直にうなずく。
 カバラ社は、このオルトバルス大陸とは別のダイアム大陸に本社を置く、世界の最大手企業。貨幣の発行や経済の統制は勿論、古代に存在したという魔法文明の遺産を発掘、活用して、一般人でも魔法が使えるようにしたり、人々の生活を色々便利にしてくれた、いや、現在進行形でしてくれている、文字通りこの世界に無くてはならない存在。
 だいぶ昔――あたしが生まれる前――から会社自体は存在したらしいけど、数年前、若い社長が就任してからは、ますますめざましい発展を遂げている。
 そのカバラ社が、世界中の傭兵や冒険者をバウンサーとして管理して、仕事を提供しているおかげで、各地を旅する人も、ある程度腕に覚えがありながら他の地へ出て行かない、あたしみたいな人間も、収入に困らず暮らせるようになっている訳だ。
 それを説明してやったら、セレンはますます眉根を寄せて。
「この世界は、そのカバラ社ってのに支配されてるのか? なんか気に入らないな」
「支配じゃないよ。確かにカバラ社のおかげで生活は便利になったけど、何の抑圧も強制もされてる訳じゃなし」
 そう返してやったけど、あいつはどこか納得いかなそうな表情のまま。
「まあ、気に入る気に入らないは別にして、登録して来るぐらいいいんじゃないの?」
 フェリオがぷかぷか煙草の煙を吐き出しながら、にっと笑った。
「明日は二人とも店の仕事休んでいいよ。二人で行っといで」

 翌日。あたしはセレンを連れて、ザスのカバラ社支店へ足を運んだ。
「シェリー、いる?」
 あたしはもう常連だから、そのままドアを開けて入っても良かったんだけど、中にいるのが、前置きが無いと嫌、と言う人物なので、ノックして呼びかける。
「はいどうぞ〜」
 へにゃへにゃと気の抜けそうな返事が戻って来たので、セレンが微妙な表情をしてこちらを向いたが、あたしは、いつもの事なので構わずドアを開けた。
 最大手企業と言えど、支店なので中は狭い。四、五人入れば満員という敷地の、あたしにはどう使うか理解できない機材が並ぶ中に、埋もれるようにして座っていた人物が、こちらを向いて眼鏡を押し上げ、へらっと笑った。
「あら、カランじゃない」
 シェリスタ・ハイランド。みんなシェリーって呼んでる。この支店をあずかっている、カバラ社から派遣された、れっきとした正社員。
 古代の魔法文明研究が三度の飯より好きで、のめり込むと客が来ても全く気づかない事もある、少々困った女性だけど、のほほんとして明るいので誰も憎めない。
 シェリーはあたしの後から入って来たセレンに気づくと、明らかにわざとらしく驚いた様子で、再度眼鏡を押し上げる。
「あらあ、はねっかえり娘にもお嫁の貰い手がつきましたって、報告にでも来たの〜?」
「ちっ、違う!」
 あたしだけでなくセレンまで台詞がかぶった。
「誰がこんなちんちくりんの料理下手を……がはっ!」
 あいつは余計な事まで言うので、裏拳で思いきり顔をはたいてやる。
 シェリーは、そんなあたしたちのやりとりを見ながら、
「冗談よお」
 ところころ笑った。
「フェリオさんの店に新しく来た男の子でしょ? ここに来るバウンサーの皆さんの噂話を聞いてれば、嫌でも耳に入ってくるの。いつ登録に来てくれるかな〜って楽しみに待ってたのに、カランったら、ぜーんぜん連れて来てくれないんだもの」
「はあ、それはすいません」
 ぶたれた箇所をさすりながらセレンが思わず謝る。いや、別に謝る所じゃないよ、それ。
「それで」
 シェリーは、それまでののほほんとした態度から急にぴしっと改まる。仕事モードに入った彼女は、それまでのへにゃへにゃ加減が嘘のようにてきぱきとした動きと滑らかな口調になるのだ。
「用件はバウンサー登録でいいのかしら?」
「うん」
 あたしは答えて、腰のポーチから、掌大の薄い板を取り出す。これがバウンサーとしての身分証明になる、世界共通のカードだ。
 世界に存在する、火水風地光闇、六種類の魔法属性。その中で、その人に最も近しい色を帯びるらしく、あたしのカードは、光の白。
「とりあえず、どんなものなのかあたしので見せてあげて」
「わかったわ」
 シェリーはあたしのカードを受け取って、あたしにはよくわかんない機材に向き直ると、カードを穴にさしこんで情報を読み込ませた。途端に、彼女の前のモニターとかいう画面に、読めない文字がずらっと羅列される。
「このモニターには古代の言語で表示されるの。だからこっちのシステムで翻訳して、別のモニターに現代語でね」
 古代文明に関わると非常に饒舌になるシェリーが、得意げにセレンに説明を始める。ああ、こうなると長いぞ。今は昼前だけど、夕方まで帰れなくなるかも。あたしが諦めかけた時。
「倉庫の片付け、ルグレット平原での薬草摘みに、迷子の飼い犬の捜索? なんだよ、おつかいみたいな仕事ばかりじゃないか」
 古代言語で表示されている画面をのぞきこんでいたセレンが、スラスラスラっと内容を読み取ったのだ。
「読めるの!?」
 あたしとシェリーが仰天して振り向いても、
「読めないのか?」
 当のあいつはぽかんとするばかり。
「記憶喪失だって聞いてたけれど、古代語が読めるなんて大したものじゃない。カバラの本社に行けば、研究部門で即採用してもらえるわよ」
 シェリーが感心しきった様子で告げ、そして続ける。
「それとね、どんな小さなおつかいみたいな事でも、バウンサーは仕事をきちんと達成するのが重要。カランの依頼達成率は今のところ九十九パーセント。小さな積み重ねが信用に繋がるのよ」
 フォローありがとうシェリー、と言いたかったところだが、ある一ヶ所の突っ込みどころをセレンが聞き逃さなかった。
「達成できなかった一パーセントは何だ?」
「……ブラムさんちの畑の……芋掘り」
 あたしの大の苦手のカエルがあっちこっちでゲコゲコ鳴いていて、耐えきれなかったのだ。
「何だよお前、カエルが嫌いなのか? 何にも恐い物なんて無さそうな顔して」
「うるさいな、あたしにだって好き嫌いはあるんだよ」
「はいはい、痴話喧嘩は帰ってからする」
「痴話喧嘩じゃない!」
 言い合いを始めたあたしたちを茶化し、二人して反論するのを笑って流して、シェリーはあたしのカードを返してくれた。そして。
「じゃあセレン君、登録の為に」
 じゃきん、とナイフを取り出し、ぺろりと舌なめずり。
「血をちょうだい」
 あいつがびっくりして、二、三歩後ずさったから、あたしは吹き出しそうになるのをこらえて説明する。
「あのね、カードを作る時、その人の属性を調べる為に必要なんだよ。血って言ってもほんのちょっと、指先軽く切る程度でいいの」
 シェリーも毎度毎度、このネタで新人を脅かしすぎだと思う。
 自分でやる、とナイフを受け取ったセレンは、右小指に刃を当てて軽く滑らせる。そして、シェリーが差し出した、まだ登録のされていない透明なカード ――これがどういう原理で作られていて、どういう仕組みで個別に登録できるのか、講釈が始まったらきっと長いので、あたしはシェリーに訊いていない―― に、ぽたりと一滴血を落とした。
 途端、血はカードに吸い込まれるようにじんわりと広がり、燃えるような赤に色づいた。
「あら、立派な火属性」
 シェリーが感心したふうに笑う。まあ、あいつが最初に見せた魔法が火だったから、予想はついていたけれど。
「じゃあ後は、個人情報登録ね」
 シェリーが機材に向き直り、赤いカードを読み込ませ、キーボードとやらに手をかけ、カタカタと音を立てて打ち込みを始める。
「でも、記憶喪失じゃ大した項目埋められないわね。名前と大体の年齢だけでいいわ。歳はまあ十七歳くらいよね。フルネーム教えて」
「セレン・アルヴァータ・リグアンサです」
 途端に、キーボードを叩いていたシェリーの指が止まった。いつものほほんかぴしりか、どっちかだった顔に、明らかに戸惑いを含めた表情を浮かべて、セレンを見る。
「セレン君。変な事訊くけど……君、人間?」
 いきなりの歯に衣着せぬ質問に、あいつだけでなくあたしも面食らった。あたしたちの疑念に気づいたのだろう、シェリーは続ける。
「この世界で、姓と名の間にみっつめの名前を持っている人は多くないの。人間ならば王族。あとはエルフや竜族などの『人でないひと』たちだけなのよ。例外は無いわ」
「そうなんですか?」「そうなの?」
「カランは知ってなさい」
 あたしたちが驚いて目を丸くすると、シェリーは額に手をやって唸った。
「とにかく、誰かに狙われてるっていうし、フルネームを名乗るのは危険よね。セレン・リグアンサで登録しておくわ」
「お手数おかけしてすみません」
「こんなの手間のうちに入らないわ。それより、普段名乗る時もアルヴァータを抜かした方がいいと思うわよ。名乗った途端に相手に襲われるかもしれないから」
 セレンが頭を下げると、さらりと恐い事を言ってのけ、シェリーは、
「はい、登録完了! これでいつでも仕事あげられるから、ここに来てね」
 赤いカードを取り出し、一番近くにいたあたしに託した。
 そしてあたしからセレンに渡す。その時、ふと気にかかって、差し出されたあいつの右手をちらりと見てみる。
 やっぱり、さっき切ったはずの小指の傷は塞がって、もうほとんど見えなくなっていた。