第3章:水鳥の影(5)
BACKTOPNEXT

 あたしたちは、貧民街を、城下街を駆け抜け、城へ向かった。女王様には、顔を見られたら大騒ぎになるだろう事を見越して、マントを頭からすっぽりかぶってもらって。
 城門前まで来た時、果たして通してもらえるだろうか、さっきのように止められるんじゃないか、女王様の姿を見せる訳にもいかないし、と一瞬怯んだが、あたしたちを「エリサ様のご友人」と認識してくれた門番たちは、慌てて門を開いてくれた。
「お姉様、皆さん、ご無事でしたか!」
 城内のそこら辺にいた侍女をつかまえて、リサの居場所を聞き、言う通り謁見の間に飛び込んだら、一人で室内をおろおろしていた彼女は、こちらの姿をみとめるなり心底ほっとした様子で駆けて来て……、あいつを見上げてちょっと怪訝そうに首を傾げる。
「……セレンさんですか?」
「多くは訊かないでくれ」
 相変わらず女装したままのあいつは、まだ何か言いたそうなリサを押しとどめて。
「それより、デュアルストーンだ。もうシェイドがたどり着いている可能性が高い」
 セレンが真顔で――でも、化粧して女の子の格好だからいまいち緊張感が足りない――告げると、リサもたちまち表情を硬くした。
「ご案内します」
 もう顔を隠す必要の無い女王様が、マントを脱ぎながら。
「ついて来てくださいませ」
 そうして、玉座の後ろの壁に向けて何言かを呟くと、ずずず……っと、重たい音を立てて入口が開いた。隠し通路だ。
「デュアルストーンは、この先の水鳥の塔の、最上階に」
 歩き出す女王様の後を追って、あたしはいつ影に出くわしても守れるように、隣に並ぶ。リサ、エイリーン、セレンが続いた。
 塔の中は水路がひかれ、さらさらと水が流れていた。地を司るサンザスリナのデュアルストーンが地の底にあったように、水のデュアルストーンは水に守られているのか。
 早足が、段々と駆け足になる。しまいには女王様を追い越して、階段を一段飛ばしで昇って、あたしは、影が待ち構えているだろう事を覚悟して、最上階に飛び出した。
 が、あたしたちを出迎えたのは、予想外の声。
「皆さん、何故ここに?」
 ハルトさんだった。心底、意外だ、という顔をしてあたしたちを見つめている。影がいるだろうとばかり思って張りつめていたあたしも、味方の姿にすっかり気が抜けてしまう。
「ハルト」
「ご無事でしたか、女王陛下」
 女王様がたまらずハルトさんに駆け寄る。ああ、やっぱりこの二人はただの女王と近衛騎士って関係じゃないんだ、と、微笑ましく見守っていたら。
「駄目だエリル様、近づくな!」
 いきなりセレンが大声をあげた。何事かと思い見やると、あいつは魔道剣の刃を作り出して、赤い目でハルトさんを睨みつけている。
「一体どういうつもりかな? 陛下の一の騎士である私に武器を向けるとは」
 ハルトさんはあくまで穏やかな笑みを浮かべている。だけどあいつは油断無く魔道剣を構え、ハルトさんを見すえながら。
「おかしいとは思ってたんだよ。何故あんたはここにいる? 影が城に入り込んだかもしれないと知っていたのは、エリル女王とカランだけだ」
「それは勿論、私も影の存在に気づいたからであって……」
「そう、影がデュアルストーンを狙っているという結論にたどり着くのは、さっきリサがエリル様に報告した時、あの場に居合わせた奴だけだ。一見不自然は無い」
 赤い目を鋭くつり上げて、あいつは、魔道剣をまっすぐハルトさんに突きつける。
「だけどあんたはミスを犯した。女王様がいなくなった時、オレたちに、『さらわれた』と言ったよな。ただ『いなくなった』じゃなくて。つまり最初からエリル様がさらわれるのを知っていた。いや、あんた自身が仕組んだんだろ」
 あたしたちははっと息をのんでセレンを見、それからハルトさんの方を見る。彼は相変わらず穏やかな笑みを浮かべている。傍らの女王様は顔色を失って、唇を震わせていたが。
「女王様をさらわせて、オレたちに疑いをなすりつけようとしたんだろ。近衛騎士と一介のバウンサーじゃ、言い分の信用度も段違いだからな」
 そこまで言ったところで、くつくつとやけに気味の悪い笑いが、ハルトさんの口から洩れる。一瞬うつむいた彼が再び顔を上げた時、そこには、礼儀正しい騎士ではなく、狂気じみた表情が宿っていた。
 そして、ぐい、と女王様の肩を引き寄せると、腰の剣を抜き放ち、事もあろうに女王様の首筋に突きつけたのだ。
「動くな!」
 咄嗟に武器を構えようとしたあたしたちに、牽制の言葉が投げかけられる。
「ハルト……?」
「ハルトどうして!? あなたはお姉様を……!」
 女王様が信じられないとばかりに呟き、リサは声を荒げる。ハルトさんはふっと鼻先で笑った。
「陛下を愛して……と? エリサ様、とんでもない。私は、あなたがた王家を憎んでいる!」
 その言葉に、リサが衝撃を隠し切れない様子で呆然と呟いた。
「まさか、あの事を」
「忘れる訳が無いでしょう」
 瞳に、今は明らかな憎悪を宿して、ハルトさんは告げる。
「我が父は、先王によって叛意ありと疑われ、処刑された。一族の誰にもそんな意図を持つ者はいなかった。だのに、愚かな家臣の戯言を信じた、愚かしい先王のせいで!」
 今までの落ち着いた物腰が嘘のように、彼は激昂した。
「底辺に墜ちた子供が、死に物狂いで這い上がって来た人生を、あなたがたは知らないでしょう。私は、ランバートンに復讐する事だけを胸に生きて来たのですよ」
「そんなはずはありません!」
 リサが叫んだ。
「お姉様を守ってきてくれたあなたの笑顔は。その行動は。嘘などに見えません。あなたは、お姉様を」
「黙れ! 嘘も真実も最早関係無い!」
 ハルトがリサの言葉を遮り、女王様をつかむ手に力を込める。
「それよりも、デュアルストーンだ。その封印は王族にしか解けない。エリサ様、わかりますね、あなたがすべき事が」
 リサはしばらくハルトをじっと睨みつけ、二人の視線が火花を散らした。でも、何の状況の打開にもならないと思ったんだろう。リサはゆっくりと、部屋の中央、デュアルストーンが置かれた祭壇に歩み寄ってゆく。祭壇の上の台座に彼女が手をかざすと、サンザスリナの時と同じ、何かがぱりんと砕ける音がした。結界が壊れたのだ。
 リサは、台座に安置されていた水色の石――デュアルストーンを手に取り、ゆっくりと祭壇から降りて来ると、
「お姉様を離してください」
「デュアルストーンが先ですよ」
 短い問答の後、デュアルストーンをハルトに向けて放り投げた。ぱしん、と受け止めたハルトは、剣を引き、女王様を突き飛ばす。よろめく女王様に構わず、彼は手の中のデュアルストーンを見つめ、それから肩を震わせた。
「デュアルストーン……やっと、半数……ふっふふふふ、はははははぐはァ!!」
 不気味な笑いが、急に何かを吐き出すような声に変わった。見れば実際、ハルトの口から黒い煙のようなものが飛び出してきたのだ。あっという間に人型を取ったそれは、ばったり倒れ込むハルトの手から、デュアルストーンを奪い取る。
「影!」
 影が人に憑いていたというの。セレンがいち早く動いたが、魔道剣は空を斬り、影はけたけたけた、と人を馬鹿にした笑い声を残して、塔の窓から逃げ出す。窓際まで追いかけたが、一瞬で空に溶けて見えなくなった。
 しばらくの間、誰も動けない時間が流れた。だけど。
「う、うう……」
 呻き声に女王様が振り向き、慌てて身を屈めた。
「……ハルト」
 いたわるようにかけた優しい声と伸ばした手は、ぱしん、と乾いた音と共にはたかれた。
「同情ならおやめください。影に取り憑かれていたとはいえ、自分が何を言い、何をしたかはわかっています」
 ふらふらと立ち上がったハルトは、呆然とする女王様を冷たく見下ろす。
「全て、私の本心ですよ」
「それでも!」
 リサが痛切に声をあげる。
「あなたがお姉様を守ってきてくれた日々も、本物ではありませんか」
「やり直せるはずよ、ハルトさん。生きて償う道ならいくらでもある」
 エイリーンも呼びかける。でも、ハルトはそんな声を嘲るように口元を歪めて、ゆっくりと首を横に振った。
「生きて償う? 生憎、私はそこまで往生際の悪い男ではない」
 そうして、ゆっくりと後ずさって、窓際へと近づいてゆく。その意図にあたしたちが気づいた時には、止めるには遅すぎた。
「――ハルト!」
 駆け寄ろうとする女王様に、
「さようなら……陛下」
 とても優しく微笑んで、ハルトは塔から身を躍らせる。女王様の手が空をつかむのが、やけにゆっくりとして見えた。
「ハルト……」
 宙に伸ばされたままの手が、やがてのろのろと下ろされ、女王様はがくりと膝をつき嗚咽を洩らす。
「一度も、一度も……『エリル』と、名を呼んでは、くれなかった……!」
 女王様の泣く声以外は物音ひとつ起こせないまま、あたしたちは立ち尽くしていた。
 長い、長い間。

 デュアルストーンを奪い去った影は見つからなかった。塔の下を流れている川に落ちたのか、ハルトも。
 彼は、デュアルストーンを狙った賊と戦って命を落とした事にされ、遺体の無いまま、国をあげての葬儀が営まれた。それは女王様の希望で、あたしたちも誰も反対しなかった。
 それが一番まともな方法だろうし、あたしたちが真実を話したところで、きっとランバートンの誰も信じない。ハルト・シュバルツは、ランバートンの忠実な騎士として皆の心に残ればいい。
 弔意を示す城の鐘は、いつまでも鳴り響いて、止まないかのように思えた。