第4章:埋没の過去(2)
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 セントパミラ号はあっという間に魔物に囲まれた。エイリーンや、こういう航海には必ずいる、雇われで乗り合わせているバウンサー達が甲板に飛び出して来て、応戦するけれど、いかんせん敵の数が多い。それに相手は、海の中から飛び出して襲って来ては、また水中に潜るのだ。こちらが不利。
「くそっ、らちがあかない!」
 あいつが舌打ちして船の縁を乗り越えた。
 あの群の中に飛び込むつもり!? 無謀すぎる! と喉まで出かかったところで、あいつの身体は海上を滑るように飛んで行く。そうだった、あいつは滞空魔法を使えるんだった。
 あっけにとられる船員さんや他のバウンサー達の目の前で、セレンは火属性の魔法をマーマンに向けて次々放った。だけど、水に火は相性が悪すぎる。その威力はいつもほどは発揮されていないみたい。
 水に有効なのは……雷だ。そして風属性の中に雷を撃つ魔法は存在する。あたしは咄嗟に剣をしまって、詠唱を始めた。届かない剣より、第一階層でも、使わないよかましだ。
『風の精霊よ、怒りの槍を天空より解き放て』
 空を稲妻が走り、まっすぐ海に落ちていく。雷は外す事無くマーメイドの一体を直撃し、海の底へ沈めていった。
 すると、バウンサーの中にも魔道士がいたらしい。雷や光の矢が続く。彼らを狙って船上に乗り上がって来る連中は、他のバウンサーが斬り捨て海中に蹴り戻した。
 皆の攻撃で敵は順当に数を減らしていく。やがて、マーマンやマーメイドのきいきいうるさい声も聞こえなくなった。
 ほうと息をつき、それから、海上のあいつに手を振って戻って来るように合図する。
「結構やるじゃんか」
「リサのおかげだね」
 呑気に手を振り返すあいつに笑みを向け……、その足元の海中にゆらりと影がさすのを、あたしは見た。
「セレン!」
 咄嗟に叫んだけれど、あいつが反応するには遅すぎた。水中から、奇声をあげて飛び出したマーマンの銛が、あいつの脇腹に突き立てられる。
 あいつは苦痛に顔を歪めながらも、魔道剣を取り出し、魔力の刃を生み出して、魔物の腕を斬り飛ばし、返す刀で心臓を貫いて敵を海に沈めたが、それが精一杯だったらしい。ぐらり傾いだかと思うと、ばしゃんという音と水飛沫をあげて海に落ちた。
 水面にじんわり赤い色が広がっていく。あいつは浮いて来ない。
「もしかして、泳げないの!?」
 あるいは気を失ったか。それともその両方なのか。
 とにかくこのままじゃ、いくら怪我がすぐに治るあいつでも、その前に溺れておだぶつになってしまう。
 あたしは上着を脱いで、剣も外して、できるだけ身軽になると、海中へ飛び込んだ。
 飛び込みにちょっと失敗して、鼻に塩水が入り込む。つんと突き抜けるような痛みにげほげほと咳き込みながらも、必死に水をかいて、あいつが沈んだ場所へ泳いでいった。
 赤く染まった水面で、すうとひとつ息を大きく吸い込んで潜る。目を突く塩水をこらえながら血の跡をたどると、海底に沈んでゆくあいつの姿が見えた。後を追って腕をつかみとめる。ついでに、そばを沈みゆこうとしていた魔道剣も受け止めて。あいつは、やっぱり気絶していたんだけれど、それならかえって、無駄にもがいたりしがみつかれたりして、こっちまで身動きが取れなくなる心配は無い。後ろから抱える形で引っぱり上げる。
 水面に顔を出したと同時、ぷはっと呼吸をし、戻らなきゃ、と船を探して周囲を見渡したあたしは、唖然となった。
 潮の流れが早かったのか。飛び込んだ時より確実に、船との距離が離れていた。泳いで戻ろうにも、潮はあたしが向かいたい方向とは逆に流れ、さらにどんどん遠くへ押しやられている。エイリーンが身を乗り出して何かを叫んでいるけれど、その声も遠い。
「心配しないで。何とかして戻るから!」
 そう大声で返したけれど、正直、こんな大海原で遭難したら、何とかするなんてかなわないんじゃないかって不安がつきまとう。
 混乱しはじめた頭で、打開策を求めて再度周囲を見回したあたしの視界に、島影が映りこんだのは、そんな時だった。
 流れに身を任せれば、無理矢理船に向かって体力を消耗するより、あの島に着く方が危険が少なそうだ。助けが来てくれる事に望みをかけて、あたしは意識の無いあいつを抱えて、島の方へと泳いで行った。
 何とかたどり着いて、ずるずると、自分の身体もあいつの身体も引きずりながら、浜辺にあがる。線が細いはずのあいつは、服が水を吸っているのもあるけれど、予想以上に重たくて、引き上げるのに一苦労だった。やっぱり男の子なんだ。
 砂浜にあいつを横たえて、傷に目をやる。驚異の回復力、もう出血は止まっていたけれど、傷自体が完全にふさがったわけじゃない。
 やっぱり第一階層しか使えないけれど、何もしないよりましだ。手をかざして回復魔法の詠唱を始める。
『光の精霊よ、この者の傷を癒す慈悲の輝きを、今ここに』
 リサと同じ詠唱をする。リサが使ったのは第二階層で、あたしが今使うのは第一階層だけれど、魔法の詠唱なんてのは実際には何でもいいのだ。遍在する精霊に呼びかけ、力を借りる為の合図みたいなもの。彼らに願いが届けばいい。
 自分の手から温かい光がこぼれて傷口に吸い込まれるのを、見届ける。一回じゃ頼り無いから、もう一回。
 やがてうめき声が耳に届き、あいつがうっすら目を開いた。まだ意識がはっきりしないのか、しばらくぼんやり視線をさまよわせていたけれど、それが急速に、焦点をあたしの顔に合わせる。
 違う。顔じゃない。あいつが見ているのは、あたしの髪だ。
 あたしもはじめ、どうしてか意味がわからず、ぽかんとしていたんだけれど。
「色……?」
 あいつが唖然と呟いたので、ようやっと思考が事実に追いつき、はっと自分の髪に触れる。海水をたっぷり吸い込んで重たくなった髪をひとかきした掌を見てみれば、そこにはべったりと黒色がついていた。
 ここに鏡は無いけれど、映して見なくともわかる。
 あたしの髪は今、黒く染めた染料が落ちて、その下の色――緑――をさらけ出しているに違いなかった。

 陽が落ちて、あたりが暗くなった。
 あたしと、傷がふさがって動けるようになったセレンは、ひとまずどこか落ち着いて火をおこして、ぐしょぬれになった服と身体を乾かす場所を探そうと、島の中を歩き始めた。無人島かと思っていたけれど、しばらく歩いて海辺の防風林を抜けると、小さな集落が目の前に広がった。
 ううん、正確には集落「だった」場所だ。生物がいる気配はしない。あちこちの建物も風雨にさらされて崩れかけているのが、ここが滅びてそれなりの時間が過ぎている事を示している。
 こつりと靴先に何かがぶつかる感触に、下を向くと、最早白骨化して、まとっていた服もぼろぼろになってしまっている、人間の死体が目に入った。見渡せば、同じような屍があちこちに点在している。
 滅びたんじゃない。ある日突然滅ぼされて、孤島ゆえに誰にも気づいてもらえないまま、打ち棄てられたんだ、この島は。
 その考えに至った途端、あたしの視界は、この場に無い景色の記憶を重ね合わせた。
 あたり一面の炎と。
 逃げ惑う人々の悲鳴と、人のものじゃない叫び声と。
 血の海に沈んで動かなくなった、よく見知った人たちの亡骸と。
 自分の顔が一気に青ざめるのが感じてとれた。歯がかちかち鳴り、膝が笑っているみたいに震えたかと思うと、力が入らなくなって、その場にへたりこみそうになる。
「おい!?」
 あいつが咄嗟に手をのばし、腕をつかみとめて支えてくれたので、倒れこむのだけは避けられた。はっと我に返ると、炎と血の赤い光景も耳の奥の反響もざっと消え失せて、ただ廃墟という現実だけが残るばかり。
「大丈夫かよ。顔、真っ青だぞ」
 平気。そう返そうとしたけれど、心と身体は正直で、そのたった一言を紡ぎ出せなかった。あいつは困ったように周囲を見回して、それでも適当な場所を見つけたらしい。
「とにかく、そこで休もう」
 まだ崩れきっていなくて屋根のある民家に向かって、あたしの手を引く。あたしは、引かれるままふらふらとついて行った。
 家の中に入ると、積もったほこりとカビの臭いがしたが、居間には暖炉があり、死体も転がっていなくて、とりあえず腰を落ち着ける事はできそうだ。
 あいつが暖炉に火をともす。いくら何でも下着姿になるのはためらわれたので、そのまま暖炉の前に座り込もうとして、あたしはぎょっとなり、裏返った声をあげてしまった。
「な、なんて格好してるのよ!」
「なんてって、何だよ」
 あいつはあたしの前で平然と、上着だけじゃなくてシャツまで脱いで、上半身裸になっているじゃない。確かに、戦士としては細いけど、やはりそれなりに男の子としてしまっている身体を見せつけられたら、こっちはどぎまぎして目のやり場に困ってしまう。
「女の子の前で、そんな格好しないで!」
「こんな非常時になに女の子ぶってるんだよ。普段は女らしさのかけらも…ぐはっ」
 手近なソファに置いてあったクッションをあいつの顔めがけてぶん投げると、見事顔面命中、それ以上を言わせなかった。
 あいつは何かぶつぶつ言いながら、中の羽毛が飛び出して床に舞い散るクッションを脇に置き、しぶしぶというふうにシャツを着直した。それから、二人そろって暖炉の前に腰をおろす。
 不自然な沈黙が続いた、しばらく後。
「……訊かないの?」
 ぱちぱちとはぜる火を見つめながら、あたしがそう問うと。
「語りたくない事を根掘り葉掘り訊くほど、オレは子供じゃない」
 そう言うんじゃないかって思っていた通りの答えが返ってくる。
 ついこの間までは、そう言われたら、あたしも口をつぐんでそれ以上を喋らなかっただろう。でも、今この時は話したくなった。誰かに、ううん、セレンに、聞いて欲しかったんだ。あたしの過去にあった出来事を。
「あのね」
 あいつがこちらを向く。その褐色の目が驚きに見開かれるのを予想して、あたしは、ぽつりぽつりと語り出した。
「あたしの故郷も滅ぼされたの。シェイドに」