第4章:埋没の過去(3)
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 五年。ううん、もうすぐ六年が経つのに、あの日の事は、昨日の出来事のようにはっきりと記憶に焼きついて、決して忘れられない。
 夜闇の中、村は燃えていた。突然シェイドと共にやって来た、魔物の吐き出す炎によって。
 飛び交う悲鳴と、破壊と殺戮の音。影が地を走った後には血の尾をひいて累々と横たわる死体。小さな村の、つい夕方まで親しく会話を交わしていた人たちが、次々と物言わぬ骸になってゆく中、小さなあたしはただ目を見開いて、炎の中に立ち尽くしていた。
「逃げなさい、二人とも!」
 必死に叫ぶお母さんの声が聞こえる。その身体の下半分は崩れ落ちた家の下敷きになって、赤い血が地面にじんわりと吸い込まれてゆく。お父さんは剣を手に魔物の群に斬り込んで行って、行方が知れない。
 それでも呆然と突っ立っているばかりのあたしの腕を、兄さんの手がつかんで引き、走り出した。
「お母さんも、一緒に」
「後で俺が助けに行くから。今は母さんの言う通り、逃げよう」
 もうお母さんの命は失われかけているのだという事実を、当時のあたしは理解できなかった。何度も何度も後ろを振り返るあたしを、兄さんはきっとはがゆく思っていたに違いない。そして、お母さんを助けられなかった自分自身への苛立ちも抱えていたんだ。
 片手であたしの手を引き、もう片方の手に握った剣で迫り来る魔物を斬り捨てて、兄さんは走った。森の中へ逃げ込んで岩陰に身を隠し、二人して息を殺した。あの影がいつあたしたちを見つけるか、底の知れない恐怖に怯え、兄さんの腕の中でがたがた震えながら夜明けを待つその時間は、永遠に続くんじゃないかってくらい長く長く思えた。
 やがて空が白んで、影があたりを探し回る気配が森から消える頃、あたしたちは岩陰からのろのろとはい出した。もっと幼い頃には、迷って家に帰れなくなるから決して踏み込むな、と両親にきつく言われていた森を後にし、小高い丘に登った時、森の一ヶ所から立ちのぼる煙を見つけて、それが生まれ育った故郷が失われた証である事を、あたしたち兄妹は悟った。
 あたしは、村に帰ろう、お父さんとお母さんを迎えに行こうと、兄さんの服の袖を引っぱったけど、兄さんがうなずかなかった。唇をぎゅっと引き結んだまま、首を横に振った。
 あたしたちは村に戻らないまま、その丘を後にした。森を出れば小さな町がある事は、何度かおつかいに出て知っていたから、二人でそこを目指した。だけど、着の身着のまま逃げ出し、持ち合わせも無い子供たちをかえりみてくれる大人は、皆無に等しかった。兄さんが宿屋の扉を叩き、三食とあたしの世話と引き換えに、かろうじてひとつ手元に残っていた剣を振るって近隣の魔物退治の仕事を引き受けてくれなければ、あたしたち二人とも、孤児として町の片隅でひもじく寂しく寒い思いをして、そのまま死んでいたかもしれない。
 でも、その暮らしも長く続かなかった。ある日突如として複数の影が町を襲ったのだ。
 多くの人が死んだ。なんとか命だけは助かっても怪我を負った人が、たくさんいた。あたしは宿屋の一室で仕事に出た兄さんの帰りを待っていて、影の襲撃に気づくと、洋服ダンスに隠れて、村が失われたあの日を鮮やかに思い出し、恐れおののきながら、奴らが去るのをただひたすら願ってた。
 兄さんが町に帰って来た時、もう影は去った後だった。けれど、生き残った人のうち誰かが、奴らの言葉を聞いたらしい。
 いわく、
「緑の髪の子供たちを探せ」
 と。
 そして、その町でその条件に当てはまる人物といえば、あたしたち兄妹しかいなかった。
 それが発覚した後、あたしたちにぶつけられた非難と憎悪と敵意は、忘れたくても忘れられない。石を投げられ、死んでしまえ、となじられながら町を追い出された。怒りに駆られる人たちに殺されなかったのが唯一の救いだったんじゃないかと思うくらいだ。
 緑の髪を持っている限り影に追われ続ける。それを知ったあたしたちは、次にたどり着いた港町で、なんとか持ち出した、いくばくか貯まっていたお金を使って、髪を黒く染めた。そして、来る者を拒まない、一度街の仲間になった者は守ってくれるというザスの噂を聞き、オルトバルス大陸行きの船に乗った。誰もあたしたちを知らない新天地へ行って、静かに暮らそうと。
 その頃のあたしは、次々と襲い来る出来事を受け止めきれなくて、嘆く事も、笑う事なんかもちろんできないくらい憔悴して、話す事さえままならない状態になっていた。そんな妹を抱えながら旅をした兄さんの苦労は、今思い返せばとんでもないものだったと思う。
 ザスに着くと、兄さんはすぐにカバラの支店を訪ねた。あたしの面倒を見てくれる場所と、兄さんができる仕事を探して。幸い、当時の支店の担当者――シェリーの前任者だ――はかなりの好人物で、すぐさま兄さんをバウンサーとして登録して、フェリオの店を紹介してくれた。フェリオも、多くの事情を訊かずにすんなりとあたしたちを受け入れてくれた。
 そうしてあたしたちは、ザスの一員になったのだった。

 最初は途切れ途切れに、しかし次第に勢いを持って一気に、あたしがそこまで話し終えると、沈黙が落ちた。ぱちぱちと暖炉の火がはぜる音だけが、居間に響く。
 やがて、あいつの方から口を開いた。
「その、兄さんはどうしたんだ? オレはザスで会わなかったけど」
「わかんない」
 五歳年上の兄さんは、三年前、十七になった時いきなり、村の皆の仇を探しに行くと言ってザスを出て行った。過去に未練が無いように思えていた人だったけれど、故郷と皆の命を奪った影に対する怒りや憎しみは、あたしよりも強く深く心に刻まれていたに違いない。
 その後しばらくは不定期に手紙が届いていたが、ここ最近は連絡がぱったり途絶えてしまい、今どこを旅しているのか、そもそも生きているのかさえわからなくなっている。
 その後あたしは、たまたまザスに来たバウンサーに頼み込んで、剣を教えてもらった。自分がバウンサーとして働くためだけじゃない。いつか兄さんを追いかけて、探し出せるように。一緒に、村の皆の仇と戦えるように。
 そう告げると、セレンは、
「……そうか」
 とぽつりと呟いて、また押し黙った。
「黙ってて、ごめん」
 膝を抱えたまま、ぼそり、そう洩らすと。
「なんで謝るんだよ」
 予想外の答えが返ってきたので、はっと顔を上げてあいつを見る。向けられる瞳が、炎の照り返しを受けて、戦う時みたいに赤く見える。
「言いたくないから黙ってたんだろ。オレだって自分の事を何ひとつ話せない。おあいこだ」
 赤い目が、今までにないくらい優しく細められて、だけど、という言葉と共に、あいつの手があたしの手に重なる。
「お前の事を少しだけ知られて、よかった。話してくれてありがとう」
「う、うん……」
 笑みを浮かべてまっすぐに見つめてくるあいつを、何故か直視できなくて、あたしは、赤くなっているだろう顔をぎくしゃくとそらした。なんで心臓がドキドキ言ってるの?
 妙にまごまごしながら、何とか続く話題を見いだそうと逡巡していると。
 ふっと、暖炉の火が消えた。廃屋といえどそんなに隙間風が吹き込むほどではないし、第一、あいつの魔力で生み出した炎だから、そう簡単に消えたりしないはずなのに。
 様子を見に身を乗り出そうとしたあたしを、セレンが、重ねていた手に力をこめて引き止めた。痛いくらいに手を握られたので、文句を言おうと振り返ると、あいつは顔を伏せ、とても苦しそうに息をしていた。額からの汗が首筋まで流れ落ちている。
 どうしたの、と声をかけるより先に、あいつが、あえぐように声を洩らした。
「逃げ、ろ」
 訳がわからずあたしが戸惑っていると、いつになく強い調子であいつが怒鳴る。
「早く!」
 そこまで言って、あいつはがっくりうなだれた。が、一瞬の後、がばりと顔を上げる。
 瞳が色を失い、うつろで、とても正気には見えない。
 いきなり向けられた殺気に驚いて視線を落とせば、あいつの手にはいつの間にか、刃を生み出した魔道剣が握られていた。