第5章:混乱の収穫祭(2)
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「何故、お前がこんな所にいる」
 兄さんは、青い目を細めてあたしを見すえてきた。
 もともと口数は多くないし、愛想よくふるまうのも得意じゃない人だけれど、今、あたしに向けられる口調は、ひどく冷たい。多分、びっくりして、その後に、怒ってるんだろう。フェリオの店に居候して、平凡だけど平穏な生活をしているはずの妹が、旅装束なんかまとってオルトバルスじゃない大陸にいるんだから。
 あたしが返す言葉に困ってしどもどしていると、セレンとエイリーンが驚きの声をあげた。
「兄さんって、こいつが!?」
「えっ、カランのお兄さんなの?」
 すると兄さんは、二人にじろりと一瞥をくれてから、バウンサーのカード――地属性の黄色だ――を取り出し、
「ラテジア・カイナー」
 目線も合わせずにとても簡潔に名乗る。
「あ、あら、苗字が……?」
 エイリーンがきょとんとすると、兄さんはもう一度彼女の方を見るけれど、いちいち語るのも面倒だとばかりに、はあ、とため息をついて視線をそらし、カードをしまいこんだ。ので、かわりにあたしが説明する。
「あのね、あたしたちの故郷では、息子は父親の、娘は母親の苗字を名乗るのが一般的だったの。だからあたしと兄さんは下の名前が」
「そんな事はどうでもいい」
 不機嫌な声があたしの説明を遮断する。兄さんはやっぱり、怒ってますという表情を隠しもしないで、腕組みしてあたしを睨みおろしてる。
「何をしにここまで出て来た」
 影(シェイド)がデュアルストーンを狙っているのを追っている、なんて言ったら、きっと兄さんは、「そんな危険な事に首を突っ込むな」って激怒するに違いない。どうやって怒らせずに、順を追って話したものか。躊躇していたら、やはり離れてても兄妹、感づくところがあったらしい。
「仇なら、俺が探し出して討つと言っただろう」
 とても機嫌悪そうに、兄さんはあたしに宣告する。
「ザスへ帰れ」
 すると、それまで黙っていたセレンが、がん、と椅子を蹴って席を立ち、兄さんに詰め寄った。
「おい、あんた。三年も離れていた妹に挨拶も抜きに、その言い方は無いだろ」
 兄さんはもともと背が高かったけれど、旅に出てからさらに伸びたらしく、あいつが向き合っても見上げる形になっている。
「同行者か」
 そんなあいつを冷ややかに見下ろし、兄さんはそっけなく言った。
「丁度いい。こいつをザスに連れ帰ってくれ」
「こいつの事情も訊かないのかよ」
 あいつが食ってかかっても、兄さんは眉間に寄せた皴を消さないまま、つれなく。
「訊く必要も無い。とにかく、中途半端な覚悟と腕前の奴に周りをうろちょろされても、迷惑なだけだ」
「中途半端なんて、お前、こいつがどんな思いをしてきたか知りもしないで……!」
 あいつは激昂して兄さんの襟首つかんで、今にも殴りかかりそうな勢いだったから、
「やめて、セレン」
 あたしはあいつの腕に手をかけて、おしとどめた。あいつが憮然として見下ろしてくる。
「だってお前、こいつは今までの苦労も知りもしないで」
「兄さんの言う事も一理あるから」
「こいつをかばうのかよ」
「そういう訳じゃない。でも、確かにそうなの。あたしは兄さんに比べたら、戦いの腕前も、それに対しての決心も、全然足りてない」
 褐色の瞳が見開かれ、それから、すっと細まる。
「……その程度だったのかよ、お前は」
 兄さん以上に不機嫌な声色が降って来た。顔を見上げれば、あいつは、見損なった、という表情であたしを見下ろしていて。
「勝手にしろ」
 という言葉を残して兄さんから手を離すと、ぷいと顔をそむけ、その場から立ち去ってしまった。店を出て行く時に、どん、ばん!と、あまりにも乱暴な扉の開閉音をたてて。
 気まずい空気があたしたちの間に残される。それを打ち破ったのは、呑気ともとられるくらい物柔らかな声だった。
「まあ、それくらいにしておけよ、ラテジア。妹さんもそちらのお嬢さんも困っているじゃないか」
 あたしたちは一斉に声の方を向く。兄さんと同席している男性が、一人いた。声音の通り温和そうで、瞳も髪も濃い紫の、兄さんとそう歳が変わらなそうな人だった。
「ああ、はじめまして、ラテジアの妹さん。俺の事はリュードと呼んでくれ」
 風属性の緑のバウンサーカードを見せて、彼は微笑う。
「君の事はラテジアからよく聞いていたよ。彼は暇さえあらば君の事ばかり」
「貴様と一緒にするな」
 兄さんがリュードさんの言葉を中途に打ち切った。冷たく言い放ったけど、口の端が引きつっているから、彼の言っている事があながち嘘でもないらしいと示している。
「とにかく」
 わざとらしく咳払いひとつして、兄さんは改めてあたしを半目で見下ろしてきた。
「収穫祭が終わるまでは見逃してやる。だが、終わったらすぐにザスに帰れ」
 そうして、自分と、あたしたちのテーブルに置かれていた伝票までをひっつかんで、そばを通ったウェイトレスに会計を支払うと、あたしが止める間も無く、さっさと店を出て行ってしまった。リュードさんも、すまないね、とばかりに軽く頭を下げて、兄さんの背を追いかけて行って、あたしとエイリーンだけが残される。
「カラン」
 エイリーンに優しく肩を叩かれるまで、あたしは自分が結構長い時間、ため息こぼしながらぼけっと突っ立っていたのだというのに、気づかなかった。
「探しに行った方がいいんじゃないかしら」
 言われて、はじめは、兄さんの事かと思ったんだけど――エイリーンにもそう思ったのが伝わったらしい――、彼女は苦笑して首を横に振る。
「セレンよ。お兄さんが大切なのもわかるけど、彼だって今まであなたと一緒に旅をして、ずっと大事に思ってきてくれたのに。このままじゃ彼、可哀想よ」
 そうだ。つい兄さんをかばって、あいつを怒らせてしまった。謝らなきゃ、という考えが、ようやくあたしの頭の中に浮かぶ。
「わたしは宿を取っておくから。その間に仲直りしてらっしゃい」
 あたしはいい友達を持った。エイリーンに感謝して、「ありがとう!」と一言残すと、食堂を飛び出した。

 そうしてあたしは、あいつを探しに街へ出たものの、ガゼルは本当に半端なく広大で、そこにいる人数も今までの街の比じゃなくて、無闇に歩き回るはめになってしまった。空中ケーブルに乗って、上から道行く人々を眺めてもみたんだけれど、金髪の男の子なんて掃いて捨てるほどいるので、その特徴だけであいつを見つけるのは困難だった。
 すっかり途方に暮れてしまったあたしが、カバラ本社前の駅でケーブルを降りて、公園広場に足を踏み入れる頃には、すでに陽も暮れかけていた。
 さっきパンフレットで読んだ、失われた建築法で二十五階建てなんて高さを実現しているというビルを見上げて思案する。これからどうしようか、エイリーンと合流して宿に行けば、あいつも何食わぬ顔して戻ってくるんじゃないかって、そんな考えが浮かびかけた頃。
「あらあ、カラン? カランじゃない!」
 これまた聞き覚えのある声が耳に届いて、あたしは振り返る。書類の束を抱えてそこに立っていたのは、ザスのカバラ支店にいるはずの、シェリスタ・ハイランド、シェリーだった。
「シェリー!?」
 今日は本当に懐かしい顔に再会してばかりだ。目を真ん丸くしてお互いに駆け寄る。
「どうしてガゼルに?」
「異動したのよ、本社に呼び戻されて。あなたこそ、フェリオさんから旅に出たとは聞いたけど、ダイアム大陸まで来ていたなんて」
 シェリーはいつものへらっとした笑みを浮かべて、眼鏡をついと押し上げる。
「今日はセレン君とは一緒じゃないの?」
「それが……」
 喧嘩した、と言い出せなくてまごまごしていると、本社ビルの扉が開いて、出て来る人影がふたつ、見えた。
 途端にシェリーがぴんと背筋を伸ばす。その反応であたしも、出て来た人が誰なのかを悟った。
「お疲れ様です」
 カバラ正社員のシェリーが礼儀正しく頭を下げる相手なんて、そうそういない。
「シェリスタ君こそ、ガゼルに来て日が浅いのに、頑張ってくれているね。ご苦労様」
「いえ、それが私の仕事ですから……」
 シェリーががらにもなく頬を赤らめている。黒ぶち眼鏡のアスター君を従えた男性、カバラ社社長フェルバーンさんは、シェリーに穏やかな笑みを向けた後、あたしの方を振り向き、灰色の瞳に軽い驚きを宿して、だけどすぐに相好を崩した。
「やあ、君は、カランだったね。ハミルで会った」
「は、はい!」
 たった一回、短く会話を交わしただけの出会いなのに、あたしの事を覚えていてくれた。それだけであたしはすっかり舞い上がってしまう。
「今日は一人でどうしたのかな。また会うという約束を果たしに来てくれた……という訳ではなさそうだけど」
 あたしが仲間連れでない事を不思議に思ったらしい。首を傾けて、優しく囁く。
「あの時一緒だった彼と、喧嘩でもしたかな」
 言い当てられて、あたしはどきりとした。答えないのが肯定とばれてしまったらしい、フェルバーンさんはアスター君を振り返り、告げる。
「アスター君、すまないが先に、先方と約束の店へ向かっていてくれるかい」
「しゃ、社長! 単独行動はつつしんでくださいと」
「時間までには行くさ」
 慌てふためくアスター君には構わず、フェルバーンさんは、「少し歩こうか」とあたしの背中を押す。振り向いた時、アスター君は困りきった顔をして、シェリーが何故か、今までに見た事も無い物凄く恐い表情で、こちらを見送っていた。
 公園広場をしばらく歩き、噴水そばのベンチに腰を下ろすまでの間に、あたしはフェルバーンさんに語った。兄さんと再会して、セレンと喧嘩してしまった事。それ以前の、セレンと出会い、あいつと一緒に旅に出た事。影 がデュアルストーンを狙っている事。影に故郷が滅ぼされた事まで。この人になら話しても大丈夫だと、その時のあたしは、心底からそう信じていた。
 フェルバーンさんは、時折あいづちを打ちながら、しかし口は挟まずに、あたしの話を最初から最後まで聞いていてくれた。そうして、あたしが話し終えて黙り込むと。
「そうか」
 すっと手を伸ばし、あたしの頭を自分の肩に抱き寄せてくれた。
「君はこんなに若いのに、僕が想像もつかないくらい、辛い思いをしてきたんだね」
 優しい言葉が心に沁み入る。この人は、あたしの過去を受け止めてくれる、あたしの気持ちをわかってくれる。そんな安堵感が胸に満ちると同時、今までずうっとこらえていたものが決壊して、あふれだした。涙として。
 フェルバーンさんは、しばらくの間あたしの頭を無言でなでていてくれたけれど、ふっと穏やかな笑みを見せる。
「君には泣き顔より、笑っている方が似合うよ」
 その手があたしの頬の涙をぬぐったかと思うと、彼の顔が近づいてきて。
 唇が、触れ合った。
 あまりに突然の出来事で、あたしはびっくりして、すっかり涙も引っ込んで、目を見開いてしまう。
 結構長めの時間が過ぎて唇が離れると、フェルバーンさんは、くすりと笑った。
「可愛いね、君は」
 からかわれたの? 本気なの?
 どちらなのかわからなくて、それ以上に、キスされるなんて、生まれて初めての経験だったから、心臓がどくどく言って頬が火照っている。もう陽は沈んで、公園内には魔力の外灯がつき始めたが、それに照らされているあたしの顔は、きっと真っ赤だ。
 フェルバーンさんと目を合わせられなくて顔をそらし、そして、視界に入った人影に、はっと視線をそちらに向ける。
 そこにはセレンが立っていた。
 褐色の目を、さっき以上に、驚きで大きく見開いて。