第5章:混乱の収穫祭(3)
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 公園広場には、気まずい空気が満ち満ちていた。陽が暮れて、噴水も水を吐き出す時間を終え沈黙してしまったので、外灯の炎がちりちりと揺れる音ばかりが、いやに大きく聞こえる。
 何か言わなくちゃ。ようやく思考がそこにたどり着いて、あたしは口を開きかける。でも、それより早くあいつが、冷たい感情を宿した顔をついとそむけ、きびすを返した。
 追いかけようとすると、ぱしりと腕をつかみとめられる。
「カラン」
 フェルバーンさんが真顔であたしを見つめている。
「僕は冗談や気まぐれでこんな事をしたりはしないよ。君のような幼くて可憐な子が、危険な旅などをしているのを、見過ごすなんてできない」
 あたしの顔を真正面にとらえて視線を外す事無く、フェルバーンさんは言葉を継いだ。
「カラン、カバラ社に入らないか。危ない事はやめて、僕のそばで静かに暮らせばいい」
 ついさっきまでのあたしだったら、そんな告白を受けたら、夢見心地で周りが見えなくて、勢いでうなずいていただろう。だけど今は、あいつの失望に満ちた褐色の瞳が脳裏に焼きついて、それどころじゃなくなっていた。
「す……すいません」
 フェルバーンさんの手を振り払い、あたしは頭を下げる。
「失礼します」
 そうして、あたしは公園広場から走り去った。残されたあの人がどのような表情をしていたか、考えもせずに。

 結局あたしとセレンは言葉を交わす事をできず、その日の宿は、別々の部屋に入って夜を明かした。
 意外と次の朝になったらケロっと忘れているんじゃないかって、淡い期待を抱いてみたんだけど、世の中そんなに甘くはなくて。
 朝食時、食堂に降りて来たあいつは、あたしにひとっこともかけず、目線も合わせないまま、黙々と食事をとると、
「ごちそうさま」
 誰にともなくそれだけ告げて、エイリーンとあたしを残しさっさと席を立ってしまった。
 昼間はどこへ出かけているのか、つかまえる事ができなくて、朝と夕の食卓は始終そんな息のつまるような雰囲気で。エイリーンがなんとかあたしたちの間を取り持とうと、あいつに会話をふったりしてくれたんだけれど、あいつはエイリーンとは普通に話すけれど、あたしの方を向く事もしない。
 そんな状態のまま数日が過ぎて、狩猟会の本番を迎えた。

 収穫祭の期間中、ガゼルの街はたくさんの人であふれかえっていた。もともと、住んでいる人も外からやって来る人も多いけれど、本当にどこから集まったのかってくらい。
 カーの通行が規制された大通りでは、大道芸人が技を披露しておひねりをもらい、押し寄せる旅人たちにお金を落としていってもらおうと、店はここぞとばかりに掘り出し物を軒先に並べる。
 道を歩いていれば、あちこちの食堂が、特別セットの紹介やら割引券がついたチラシやらを配っていて、あっという間に両手が紙束でふさがる。普段お財布のひもがきつい人だって、こんな昂揚する気分の中にいたら、際限なく出費するに違いない。
 そして、メインイベントの狩猟会の今日はさらにすごい事になっていて、歩道にも、そこかしこの建物の窓際にも、人がひしめきあい、それが祭の熱狂する気分で大声で会話を交わしたり、叫んじゃったりなんてしているから、もう、落ち着く場所なんてこの街には無いと言ってもいい。
 こんなに興奮した人だらけのところに、さらに興奮したフタツノブタなんかを放って大丈夫なんだろうか。すごく不安に思ったけれど、参加申請に行った時、受付のカバラ社員のお姉さんはやっぱり営業スマイルで、
「この時期のフタツノブタは確かに獰猛ですけれども、こちらから故意に近づいて刺激しなければ、そうそう人に危害を加えません。観衆の皆さんは安全ですよ」
 と言いながら、バウンサーカードを装置に読み込んで出場登録をしてくれた。それはつまり、こちらから故意に近づいて刺激する出場者の身の安全は、保障されないって事か。
「大丈夫ですよ、回復魔法が使える社員がすぐに駆けつけますし、もし治療費用がかかるような大怪我をされたら、当社から見舞金が出ますので」
 安心していいのか悪いのか判断が難しいフォローと共に、お姉さんは、あたしとエイリーンにカードを返してくれた。
 狩猟会のスタートはカバラ本社前からだ。公園広場には、腕に覚えのあるバウンサーたちが、ずらりと揃っている。身の丈ほどもある大剣を持った人。筋肉質な肉体美をおしげもなく見せつける、身体にフィットする服を着た人(いや、あたしは別にマッチョが好みな訳じゃないけど)。銃、と言っただろうか、火薬の力で弾を撃ち出すカバラ社の新兵器を手にした、妙にスタイルのいい女性もいる。
 なんだかあたしはすごく場違いな気がして、始まる前から途方に暮れていると。
「カラン」
 名を呼ばれたので振り返る。兄さんだった。兄さんも狩猟会に参加するのだ。あたしの剣よりはるかに刃渡りが長くて幅も広い剣を、背に負っている。兄さんの体格だったら、これくらいの得物を振り回す腕力は充分にあるだろう。
 兄さんが、両手にひとつずつ持っていた紙コップの片方を無言で差し出すので、素直に受け取った。口をつけると、苦味のある香ばしさと冷たさが口の中に広がる。アイスコーヒーだ。主にダイアムの南の半島で栽培されるコーヒー豆は、オルトバルスにはあまり輸入されないので、ザスに居た頃は味わう機会が無くて、話にだけ聞いていた飲み物だ。飲んだ経験があるフェリオが「あれは大人の味だよ」と言っていたから、もっと飲みづらいものかと思っていたんだけれど、これにはシロップとミルクが入って、適度な甘味を帯びている。やっぱり、ガゼル製なので、人工的な味にしか思えなかったけど。
 あたしたち兄妹はしばらく無言で、並んでアイスコーヒーを飲んでいたが、やがて、兄さんから口を開いた。
「気は変わらないのか」
 あたしはこくりとうなずく。
 兄さんにはあの日から、また会って話をする機会があった。セレンの事も、デュアルストーンを守る為に旅をしている事も、全部話した。
 兄さんは案の定、妹のあたしがそんな危ない事に関わっているのを怒って、「今すぐザスに帰れ!」と、珍しく語気も荒く怒鳴りつけたりした。
 だけど、兄さんから見たら、決心も、戦力的にも、甘っちょろい点だらけなんだろうけど、あたしだって遊びでやってるんじゃない事、シェイドを追って、できれば村の皆の仇を突き止めたいと思っている事、自分の気持ちを、誠心誠意伝えた。ドローレスにだって、いずれ大きな運命の波が訪れる、それにしっかりと向き合えと言われたんだし。そう告げたら、兄さんも、まだ納得はしていないんだろうけど、ひとまず怒りはおさめてくれた。
「それに」
 そして今、あたしは念押しにつけ足す。
「兄さんがあたしを心配しているように、あたしは兄さんが心配なの。あたしの見てないところで、怪我したり死んじゃったりしたら、いや」
 兄さんは、あたしの口からそんな言葉が飛び出すなんて思ってもいなかったんだろう、見なくとも、あっけにとられた後苦笑している気配がする。
「お前に命の心配をされるとは、俺もまだまだ未熟という事か」
「あ、そういう訳じゃないよ。兄さんは誰よりも強いって、あたしちゃんと知ってるから」
 そう言ったら、兄さんのことだから、「当然だ」とちょっと偉そうに返すかと思った。ところが兄さんは、急に口をつぐんで黙り込んでしまう。何かまずい事でも言ってしまっただろうか。首を傾げると。
「……誰よりも、か」
 自嘲するように呟いた後、兄さんは、ぽんぽんとあたしの頭を叩く。
「とにかく、怪我だけには気をつけろ。お前も一応女だ。こんな荒事に首を突っ込んで嫁のもらい手がつかなくなったら、俺が後の世話に困る」
 あたしは一瞬、何を言われたのかわかんなくて、ぽかんとしてしまった。が、兄さんが、飲み終わって氷だけになったあたしの紙コップを受け取り、歩き出してから数秒、遅れて意味を理解し、
「え、ち、ちょっと、いきおくれるみたいな言い方しないでよ! あたしまだ十代だよ!」
 その背中に怒鳴ってやった。兄さんは振り返らずに、コップを持ったままの手をひらひら振って、バウンサーたちの間に姿を消した。
 それと入れ違いに、あたしの元へやって来た人がいた。リュードさんだ。
「やあ、ラテジアとは仲直りしたようだね」
 彼はにこやかに笑み、それから、そっと問いかける。
「彼とも?」
 視線を追ってそちらを見ると、エイリーンと何事か会話しているセレンの姿が目に入った。あいつとは結局、仲直りどころか、言葉を交わすきっかけさえつかめていない。
 無言を返答と受け取ったのだろう、リュードさんは、ふうと一息もらす。
「きょうだいは身内だから、どこかで繋がっている、見捨てきれない部分がある。だが、他人というのは……難しいものだね」
 その言葉が妙に実感がこもっていたから、この人も同じような問題にぶつかった事があるんだろうか、という疑問が浮かんだ。実際それを訊ねてみると、彼は困ったように口の端を持ち上げて、肩をすくめただけだったけど。
 それ以上この件には答えてくれそうにないから、あたしは、別の質問を投げかけてみる。
「あの、リュードさんは、ずっと兄さんと一緒に旅をしていたんですか?」
「いや」
 返ってきたのは、予想とは反対の答え。
「彼とは、一年ほど前に、ある事件をきっかけに知り合ってね。それ以来、偶然行き会った時に、一緒にバウンサーの仕事をしていただけだよ。それも俺が一方的に話を持ちかける事が多い。彼はあまり他人と組みたがらないんだ」
「そうなんですか?」
 まあもともと、誰かとつるんだり馬鹿みたいに仲良くしたりするのを、好かない人だから、あまりに意外、って話でもない。だけど、続けられたリュードさんの話は、あたしを驚かせるに充分だった。
「どうやら、かつて口走ったのを聞いたところによると、旅に出たての頃組んでいたバウンサーの女性がいたが、亡くなってしまわれたらしい。それに責任を感じて、また誰かを失うのを、ひどく恐れているんだよ、彼は」
 あたしが目を見開くと、リュードさんは真面目な表情であたしを見下ろしている。この人も、兄さんに負けず劣らずの長身だ。
「だから妹の君が旅に出ていると知って、心配したんだろう。誰だって、唯一の身内を失いたくはないからね」
 そう告げて、それから彼は、いたずらっぽく片目をつむった。よくよく顔を見てみると、左目の下に傷がある。昨日今日ついたものではなさそうな、古傷だった。
「ああ、俺がこの話を君にした事は内緒にしておいてくれよ。俺にうっかり口を滑らせた事も、彼は後悔しているみたいだからね」
 あたしも神妙にうなずき返し、そして訊ねる。
「もうひとつ、聞いてもいいですか」
「何だい?」
「兄さんの髪は……」
 リュードさんは、そこまででわかってくれたらしい。ああ、とうなずいて、答えをよこしてくれた。
「その、女性を失った時の、精神的なショックのようだね。俺が出会った時にはすでにあの色だった」