第6章:風王国の陰謀(4)
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 アヴェスタ城内は薄暗かった。陽が傾きかけて、窓から射し込む光の量が減ってきたからってのは勿論の事、どこかどんよりした空気が漂っているせいもあるのだろう。
 しばらく敵の気配も無いまま、あたしたちは無言で廊下を進む。と、窓の無い、数歩先も真っ暗で見えない通路に出た。
 クロウがさっと松明を取り出し、そつない手つきで火をつける。セレンが居たら灯りには困らないんだろうけど、あいにく別行動中。最近はすっかりあいつの便利さに頼り切っていた自分に気付く。
 そしてふと思う。あいつは無事かな、と。
 なんで、リサじゃなくて、兄さんでもなくて、あいつの事を最初に心配するんだろう? 確かに旅に出てからこっち、一番長い時間を共有したのはセレンだけれど、あいつが傍に居ない、それだけで、どうしてこんなに心細く感じるんだろう?
 そんなあたしの疑問は、レジェント王の発言で今は霧散する事になった。
「不気味な絵だな」
 その言葉に、壁に目を向けてみる。肖像画が廊下にいくつも飾られていた。紳士淑女、騎士、子供、老人など、人物は様々だ。ただ、いずれにも共通点がある。誰も彼も、ぎょろりとこちらを睨み歯をむいて、今にも飛びかかって来そうなくらい、攻撃的で険のある表情をしているのだ。
 そして、こちらを睨み飛びかかって来そうな、というその印象は、気のせいではなかった。絵の中の女性の目が光ったかと思うと、絵が、本当に飛び出して来たのだ。いや、正確には、絵の中に潜んでいたシェイドが、人の形をとって。
「やっぱり影絡み!」
 爪を振りかざし襲って来た影の急所と思しき箇所に、エイリーンが拳を叩き込み、回し蹴りを放つ。影は恨みがましい呻吟をあげながら消滅した。
 影が飛び出した絵に目を向けてみる。女性の肖像から狂気は消えて、穏やかな表情を取り戻している。だけど、それで終わりじゃなかった。廊下に並ぶ絵からぞろぞろと影が這い出て、あたしたちに迫って来たのだ。一体一体はそんなに強くないけれど、いかんせん数が多い。全滅させて全ての絵を元に戻すには、それなりの時間がかかってしまった。
「皆、大丈夫か」
 最後の影が消滅した後、さすがに疲労してげんなりしていたあたしたちに、レジェント王が声をかけてくる。
「はい、王様も、大丈夫ですか」
 息も切れ切れな中言葉を返すと、「なんとかな」と呟いた後、彼は苦笑をあたしに向けた。
「カラン。『王様』は無しにしないか」
 意味をはかりかねてあたしがぽかんとしてしまうと、レジェント王は、あたしとエイリーンを交互に見ながら。
「敬語を使われたり気を遣われたりするのは、居心地が悪いんだ」
「ですが、陛下はヴァリアラの……」
「今の俺は、一国の王ではなく、一人の戦士。君たちと同等の人間だよ」
 エイリーンが遠慮がちに言ったが、レジェント王はきっぱりと。
「今後は、レジェント、と呼び捨てにしてくれて構わない。敬語も無しだ」
 そこで、エイリーンとあたしはしばらく顔を見合わせた後、レジェント王、いや、レジェントに向き直って、深くうなずいた。
「では、お言葉に甘えて、レジェント、と」
「正直、敬語使うのって面倒だな、とか思ってたんだ」
「陛下、俺は対象外ですか?」
「お前の敬語は使っていて使っていないようなものだろう」
 仲間はずれっぽくされたクロウが挙手と共に自己主張するのを、レジェントは笑いながらばっさり切って捨てる。だけどそれは邪険に扱っている訳じゃなくて、信頼しているがゆえの軽口の叩き合いなのだと、あたしたちにもわかった。
 すっかり穏やかな表情を取り戻した肖像画の通路を抜けると、上階に向かう階段の前に、人影がみっつ見える。それが兄さんたちだと認識するのに、時間は要らなかった。
「遅い」開口一番、兄さんは仏頂面で一言。
「そちらが早かったんだよ」レジェントがまぜっかえす。「同じような目に遭ったと思うけどな」
「要領が違う」
 兄さんがむっつり顔でそう言うのを横目に見ながら、セレンが近づいて来て、
「おい、お前の兄貴、めちゃくちゃ人使い荒いぞ」
 あたしの腕を取り引き寄せ、兄さんに聞こえない程度の声量で耳打ちした。
「絵から影が大群で出て来た途端、人の襟首ひっつかんで、『火の鳥フェニックスで全部燃やせ』だぜ。お望み通りやったけどよ」
 無表情の兄さんに命令されて、あいつがしぶしぶ魔法を使う。その光景が容易に想像できて、思わず吹き出すと、「笑い事じゃねえだろ」とあいつがきまり悪そうに呟く。くすくす笑いながら、セレンが無事だった事に、心からほっとしている自分が居る事に気付いて、やはり、何でだろう、という疑問が浮かんだ。答えはその時には出なかったけど。
 七人が再び合流できて、さあこれからどうしようと、頭を寄せ合った時だった。
「……歌?」
 エイリーンが、ふっとこぼして顔を上げた。竜族の耳は人間よりいいという。だけど、こんな場所で歌なんか聴こえるだろうか。あたしたちが疑問に思っていると。
「確かに、聴こえる」
 セレンまで言い出す。なので、あたしたちもじっと耳を澄ませる。すると微かに、城内の空気の流れに乗って、聴こえた。とても透明で繊細で、でもどこか哀しげな、女声。
「……アリミアだ」
 途端にレジェントの顔色が変わった。
「アリミアが歌っている」
 止める暇なんて無かった。彼はだっと走り出したかと思うと、階段を一段飛ばししかねない勢いで駆け上がる。歌声のする方向へ確実に疾走するレジェントを追いかけて、あたしたちも全力で走らなくちゃいけなかった。
 ある一室の前で、レジェントはようやく止まった。歌声は扉越しでももうはっきりと聴こえる。扉に鍵がかかっている事を知ると、クロウが「解錠できますが」と申し出たが、それを待つ時間すらもどかしいとばかりに、「こちらの方が手っ取り早い」と、レジェントは槍を一閃。ドアノブごと鍵を破壊してしまった。
「アリミア!」
 扉を開けると同時、レジェントが呼びかけると、歌が止んだ。広くはない室内の窓際に立っていた小柄な女性――ううん、あたしより年下の少女かもしれない――が、ゆっくりと振り返る。
 長くて艶やかな、レジェントと同じ深い紫の髪。大きな瞳は、彼より少し色素の薄い、紫水晶アメジストを思わせる透明さを帯びた色。どこか儚げな印象を与える、まるで、職人が丁寧に作り込んだ人形に命が吹き込まれて動き出したかのような、美少女だった。
「……お兄様?」
 ただ言葉を発しただけなのに歌っているみたいな、外見通り華奢な声が、唇から零れ落ちる。
「アリミア!」
 レジェントが息をはずませながら駆け寄って、その腕の中にアリミア姫をしっかりと抱きしめた。
「無事だったか。身体は大丈夫か。酷い目には遭わされていないか」
「はい、お兄様。大丈夫です。何ともありません」
 まるで恋人同士みたいにしっかりと抱擁を交わす兄妹を前に、セレンとエイリーンは唖然としていて、兄さんは相変わらず無感情、クロウは見慣れた光景なのだろう、微笑を浮かべている。その横でリサが、心中複雑そうな表情を見せ、うつむき加減に立っていた。
 それでやっと鈍いあたしにもわかった。リサとレジェントの、どこかよそよそしい雰囲気の理由。これだけ仲の良い兄妹のやりとりを見せつけられたら、政略結婚で二人の間に割って入って行くのは相当気が引けるに決まってる。そこにいくばくかの感情が存在するなら、尚更だ。
 リサに何と声をかけたらいいのか。言葉を見つけられずにまごまごしていると、アリミア姫の声が耳に届いた。
「でも良かった、お兄様が来てくださって。だって」
 瞬間、背筋をぞっとなで上げる、殺気。あたしたちの誰が反応するよりも早く、レジェントが、苦悶の声をあげてその場にうずくまる。
「お兄様を、わたくしの手で殺せるのですから」
 あっという間に床に血だまりを作ってゆく兄を、感情の無い紫の瞳で冷たく見下ろすアリミア姫の口元には、虚ろな笑みさえ浮かんでいて。
 右手には、血に濡れた短剣。
 そして左手には、緑の石――デュアルストーンだ――がはめ込まれたペンダントを、しっかと握り締めていた。