第6章:風王国の陰謀(5)
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 悲鳴をあげてレジェントに駆け寄るリサ。
 それを後目に、無感情で窓を開くアリミア姫。
 走り出す兄さんとクロウ。
 間に合わず、窓の外へ放り出され、夕陽を受けて輝きを放つデュアルストーン。
 それをぱしりとくわえ飛び去って行った、鳥型のシェイド
 その一連が、ほんの数秒の間の出来事だったはずなのに、物凄いゆっくりに見える。だけどあたしはその間じゅうただただ呆然としていて、一歩も動く事ができなかった。
 アリミア姫を取り押さえようとした兄さんたちが手を伸ばすけれど、それが途中で、見えない壁に阻まれるかのように――そう、まるでデュアルストーンを守っている結界と同じように、ばしんと強烈に跳ね返され、二人とも床に投げ出されるはめになった。
「よくやった。良い子だ、アリミア」
 男にしてはやや高めの耳障りな声が聞こえ、アリミアの隣に人の気配が生じる。魔力に包まれて、小柄で痩せっぽちで神経質そうな中年の男が現れた。その右腕は、カバラ社で開発されているという義手なのだろう。手袋に包まれた指が動くたびに、ぎちぎちと金属音がきしんだ。
「デミテル……!」
 リサの回復魔法を受けながら、まだ脇腹を抱えてうずくまっているレジェントが、唸るように男の名を呼ぶ。
「貴様が、アリミアを」
「いい傀儡になってくれたよ、我が姪は」
 デミテルがにやっと笑った途端、アリミア姫の瞳から虚ろな光が消え、糸の切れた人形のように床に崩れ落ちた。操られていたって訳か。
 そこではたりと思い出す。何かを転移させる魔法に、他者を操る術。どちらも第四階層の魔法だ。このデミテルという男、ろくな事ができなさそうな顔をしているくせに、高位の魔道士だという事になる。
 あたしは相手から目線を外さないようにしながら、剣を抜いた。エイリーンとあいつも油断無く構え、兄さんとクロウも立ち上がる。
「おやおや」
 そんなあたしたちに囲まれても、デミテルは動揺ひとつ見せない。へらへらと笑っているばかりだ。馬鹿なんじゃないかとさえ思えてきた時。
「こんな場所で荒事を起こすなど、少々狭苦しいだろう」
 奴は右手を高々と掲げ、
『闇の精霊の力でこの場にいる者の全てを転移』
 人間にできるのかと信じられないくらいの早口で、詠唱した。途端に激しいめまいのような感覚に襲われ、足元が揺らぎ、視界が歪む。次に気がついた時には、あたしたち全員、狭い部屋ではなく、広い別の場所――多分、大広間だ――にいた。居合わせた全員を一気に移動させたのだ。
「ここが丁度良い」
 デミテルが口を三日月形にかたどる。それが戦闘開始の合図だった。
「エリサ姫、ありがとう。アリミアを頼む」
 出血は止まったらしいレジェントが、リサにそう声をかけて、槍を握り直すと、デミテルに打ちかかった。同時に、兄さんとエイリーンも続く。
 だけどデミテルは、三人の武器が射程距離に入るまで微動だにしなかった。ただ、笑みを浮かべたままの唇から、何言かを滑らせる。それだけで、見えない障壁がデミテルを覆い、武器は跳ね返された。
 怯んだ三人に向けて、デミテルが手を突き出す。
『闇の精霊の加護で我が敵を吹き飛ばす弾丸』
 やはり早口で呪文が紡がれ、闇の波動が三人それぞれを別方向へ弾き飛ばした。
 リサとクロウは、意識を失っているアリミア姫を、戦いに巻き込まない場所で守っている。あと動けるのは、あたしと、セレン。
 あいつに目配せして、うなずき合う。それでお互いの意図は伝わった。
 あたしは床を蹴って走り込む。デミテルが詠唱する。闇属性の魔力の球が打ち出される直前、あたしは身を沈める。その頭上を、セレンの放った火球が飛んでいった。
 デミテルの顔に、一瞬焦りが浮かぶ。咄嗟に魔力球を火球にぶつけて相殺するが、直後、奴の眼前で小規模な爆発が起き、ぐあうと獣みたいな悲鳴をあげて、奴はのけぞった。セレンが連続で、火属性の爆発魔法を放ったのだ。そこにあたしが斬りつける。すんでのところで体勢を立て直され、必殺の一打はかわされてしまったが、相手の左腕を浅くはなく斬り裂いた。
「おのれ、おのれ、おのれ!」
 腕から血をぼたぼた垂らし、爆発を受け右半分が醜く焼け焦げてしまった顔で、デミテルは呪詛のように唸って、あたしじゃなく、セレンだけを睨みつける。
「詠唱無しに魔法を撃つ……。貴様が、あの方が言っていた小僧か!」
 あの方?
 あたしたちの間に疑問が生じた瞬間を、敵は逃さなかった。
『闇の精霊の呪縛を憎き敵に』
 素早く詠唱し、セレンの懐すれすれにまで転移したかと思うと、黒い魔法陣を宙に描き、それをあいつの胸目がけて叩き込んだのだ。衝撃で吹き飛ばされたあいつが、くの字に身体を折り、倒れ込む。
「くくく、これで、くくははは!」
 デミテルが狂ったように笑う。その笑いが、途中で「かはっ」と喀血によって中断された。
 奴の背後に回りこんでいたレジェントが、過たずに心臓目がけて、槍を突き立てたのだ。
「叔父上、いや、デミテル・ウェブスター」
 いつになく険しい眼差しと声色で、レジェントは宣告する。
「あなたはこの国を乱しすぎた。国王である俺自身の手で、裁きを下す」
 デミテルは、自分の胸から突き出た槍の穂先を、他人事のように見つめていた。この刃が引き抜かれた時、確実に絶命するだろう。ところが。
「……ふっ、くっははへへへへ」
 奴は痛みの声をあげるどころか、血と共にさらに不気味な笑いを吐き出した。
「裁きだと? 思い上がるな、若造が」
 次の瞬間、デミテルの背から飛び出した何かにレジェントは弾き飛ばされ、槍から手を離して、床に転がる羽目になった。
 デミテルの背に現れたものを見て、その場に居るデミテル以外の誰もが、唖然となる。それは翼だった。鳥のような美しさは無い、魔物辞典の中だけで見た事のある、悪魔系の魔物が持つ、蝙蝠のような気味の悪いそれだ。
「この場にいる全員の命をもらおうと思ったが、デュアルストーンはいただいたし、少々分が悪い。今日はここまでにしておくか」
 胸に槍を突き刺したままデミテルは笑いを垂れ流し、ゆらりと宙に浮く。
「だが次は、ヴァリアラの民全てを滅ぼしつくすぞ。それだけの力が、私にはあるのだからな!」
 そのままばさりと翼をひるがえし、追いかける猶予をあたしたちに与えぬまま、デミテルは窓を割り、すっかり暗くなってしまったアヴェスタの空へと姿を消した。
 勝利感は全く無かった。むしろ、不吉な言葉と、心臓を貫いても死なない異形の記憶を残されて、今後奴がまた現れた時どうすれば倒せるのか、という不安ばかりが、あたしたちの心にかげりを落とした。
 だけど、今考えても仕方ない。頭を振って、思考を別方向に向ける。
「大丈夫?」
 あたしはセレンに近づいて、声をかけた。うずくまったまま動かないので、よほど致命的な術でも打ち込まれたのかと不安になる。
「……あ、ああ」
 あいつは、のろのろと顔を上げ、それから、自分の両手を見つめた。一体、どうしたのか。わからなくて顔をのぞきこむと、あいつは、はっとこちらを見て。
「なんでもない。大した事無かったみたいだ」
 なんて口元を緩めたから、あたしも笑みを返す。
「なんだ。心配して損しちゃった」
 あいつの脇腹をひじで小突いて、あたしはリサと共に、皆の傷を回復させるため、あいつのもとを離れた。
 そう。今悩む必要は無いと、色々考えるのは、後でいいと。
 この時は、そう思っていた。