第7章:旧世代の堕ちた聖域(3)
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 楼閣に帰り着く頃にはすっかり陽が沈んで、夕食の時間になっていた。昨日も一昨日もそうだったんだけど、レジェントのたっての願いで、皆で食堂に集まって晩餐をする事になった。
 レジェントは、そこにアリミア姫を同席させて、きちんとあたしたちにお礼を言わせたかったみたいなんだけど、彼女は元々身体が丈夫でない上に、デミテルに術をかけられ操られていたせいで、結構な体力を奪われたらしい。充分な休養が必要と医者に診断されて、今も自室で寝ているのだとか。
 クロウは、「俺は一騎士ですから。陛下と同席なんてとんでもない」と辞退し、セレンは相変わらず図書館にこもっていて、「食事は後で、部屋でとらせてもらえますか」と、声をかけに行ったナイアティットにそう断ったらしい。あの、人付き合いをおっくうがる兄さんでさえちゃんと出て来ているのに、本当に何してるんだか。
 夕食は、料理は美味しかったし、大盛り上がりとまではいかないがそれなりに話もはずんだ。兄さんは自分から進んで喋る事をしないし、リサとレジェントは隣同士に座りながらもやっぱりどこかよそよそしいので、もっぱらあたしとエイリーンが、今までの旅について語る事になった。けど、レジェントたちはその話を興味深げに聞いてくれた。
 孤島の滅びた町の話をした時には、
「恐らく、そのような町は世界中のあちこちにあるだろう。それを少しでも減らす為にも、クルーテッダスのデュアルストーンを守らなくては」
 と、決意を新たにしていた。
 すっかり熱中して話していたので、皆が食べ終わる頃に、あたしの皿には肉料理がまだ半分近く残ったままだった。慌てて口に詰め込もうとすると、
「そんなに急かなくていいさ。料理は逃げやしないから」
 なんて、レジェントに笑われた。それを見たリサがつられてくすくすと笑みを洩らし、それからすぐにはっとして、口元を引き締めると、レジェントから不自然に視線をそらす。
 この二人は本当に、どうにかできないかな。あたしはエイリーンと困り顔を見合わせるしか無かった。

 食事が終わって割り当てられた部屋に戻る途中、渡り廊下を通ると、ふと、夜風に混じって綺麗なメロディが流れてきた。その旋律には聞き覚えがある。アヴェスタで聴いた、アリミア姫の歌声だ。
 彼女の部屋はどこだろう。あたしはあたりを見渡し、渡り廊下の目前まで太い枝を張っている木にひらりと飛び移った。そのまま、歌声の出所を求めて木々を辿ってゆく。
 ほどなくあたしは、アリミア姫の部屋を見つけた。窓を開き、胸の前で手を組んで目を閉じ、彼女は美しい吟詠を奏でている。あたしは木を伝って窓際まで行き、声をかけた。
「身体はもういいんですか?」
 途端、歌は途切れ、紫の瞳がはっと見開かれる。端整な顔に心底からの驚きを浮かべて、アリミア姫は、二、三歩後ずさった。まあ、普通人間がやって来るはずの無い場所に誰かがいたら、仰天するに決まってる。彼女の反応は正しい。
「あ、ごめんなさい。歌が聴こえたから、気になってつい、こんな所からお邪魔して」
「あなたは……」
 やっぱり、喋っても鈴みたいに可愛らしい声。
「あ、あたしはカラン。カラン・ミティア」
「カラン様」
 名を反芻して、彼女には、あたしが誰だかわかってもらえたらしい。深々と頭を下げられる。
「ラテジア様の妹君ですね。先日は本当に、ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」
「迷惑だなんて思ってないよ。無事でよかった」
 あたしはそう答えて両手を振るけど、アリミア姫の瞳にはかげりが落ちて、長いまつげは伏せがちだ。
「いいえ……。わたくしはいつも、皆に迷惑をかけてばかりです。お兄様にも、幼い頃から、ずっと」
 憂いを帯びた声色で、彼女はあたしに問いかけた。
「兄が、直属の者を各地に派遣したり、自身が身分を隠して放浪しているのは、ご存知ですか」
 いきなりなんだろう、と一瞬面食らったけど、クロウの事は知っているし、そもそもレジェントと出会ったのは、彼がリュードと偽名を名乗って兄さんと一緒にいた時だ。うなずくと。
「その理由については?」
 それは知らない。こないだ兄さんにこっそり訊ねたら、「道楽だ」と答えたけど、一国を抱える王様が、本当にただの趣味であちこちうろうろしているとは思えない。
「ええっと、自分の目で下々の者の生活を見るため、とか?」
 とりあえず想像で答えると、アリミア姫は、
「わたくしのせいなのです」
 静かに、だけどしっかりと、首を横に振った。
「わたくしは幼い頃から身体が弱く、病を重ねておりました。お兄様は、名医がいると聞けば部下を派遣し、あるいは、秘薬があると聞けば自ら幻鳥ガルーダを駆り、世界のどこへでも飛んで行かれました。わたくしがいるばかりに、お兄様は、国の主という重荷の上に、更に負担を背負っているのです」
 沈鬱な面持ちで彼女は続ける。
「エリサ様とのご結婚も、本来ならばとうに行われているはずが、わたくしの身体がよくなるまではと先延ばしにされて、結果、エリサ様とお心がすれ違うばかり。わたくしなど、いない方が」
「そんな事ない!」
 台詞を途中でさえぎり、あたしは声をあげていた。うつむきがちだった紫の瞳が、はっとこちらに向けられる。
「いない方がいい人なんていない。あたしにも兄さんがいるけれど、離れてたって、どんなに喧嘩したって、いなくなった方がいいなんて思った事は一度もないよ」
 そう。人見知り激しくて無愛想な兄さんだけど、兄さんがいてくれなかったら、あたしは生きのびてこられなかった。
「レジェントは、心からあなたを心配しているからそうしてるんだよ。いない方がよかったら、治してあげようなんて思わない」
 それにリサだって、本当の本当に嫌だったら、婚約なんて破棄してる。王族の婚約がそう簡単に反古にできるのか知らないけれど、投げ出して、さっさとランバートンに帰ってるはずだ。一人ででもレジェントを追ってアヴェスタに行こうとしていたのは、アリミア姫の事も心配だったからに違いない。
 そう告げたら、アリミア姫は、未知との遭遇みたいにびっくりした表情を見せて、それから、
「そのような考えは、した事もありませんでした。」
 おずおずと微笑む。
「カラン様は、お強い方なのですね。身も心も」
「え、ううん、そうでもないよ、とんでもない」
 あたしはきまり悪くて、はは、と笑いを洩らし、それからはたと気づく。
「あ、お姫様にこんな口のきき方しちゃだめだよね。いえ、だめですよね。怒られちゃう」
 慌てて取り繕ったんだけど、アリミア姫は綺麗な――だけどどこか儚げな――微笑を浮かべる。
「いいえ、是非そのままで。アリミア、と呼んでくださいまし」
 そうして、ちょっとだけ小首を傾げて。
「わたくしは幼い頃から部屋にこもりがちで、友と呼べる存在がおりませんでした。カラン様はわたくしとお歳も近いはず。どうか、友達になってくださいませんか」
 申し出に、あたしが断る理由は無かった。あたしはあたしにできる精一杯の笑顔を返す。
「もちろん! よろしくね、アリミア」
「ありがとうございます、カラン様」
「アリミアもだよ」
 手を差し伸べながらそう告げると、アリミアがきょとんとしたので、先を続ける。
「『様』とか、敬語とか、なし!」
「あ……は、はい、カラン」
 ちょっと照れくさそうに笑みこぼれながら、アリミアはあたしの手を握り返す。本当に可愛らしい笑顔だった。
「あ、そうだ、これ」
 昼のお菓子の残りを持っていた事を思い出し、あたしは、油の染みない紙に包まれたクッキーを差し出す。
「あたしが作った訳じゃないけど。結構おいしいから、食べてみて」
 アリミアはしばらく、あたしの顔とクッキーの包みを見比べていたけれど、やがて、嬉しそうに頬を染めて受け取ってくれた。
「ありがとう、カラン」
 しかしこれで、リサにレジェントにアリミア。あたしは、世界の王族のうち三人もと、敬語なし呼び捨てでつきあう仲になっちゃった訳だ。今更ながら、恐れ多い事をしているな、と、心の中で苦笑いをした。

 アリミアにおやすみを告げ、木々を伝って渡り廊下に戻ると。
「おわっ!」
 驚き声に出迎えられた。アリミアの部屋に行った時もそうだけど、こんなところから人が出てくるとは、普通思わないだろう。
「おっ前、どこから現れるんだよ!」
 心臓がばくばく言ってるらしい。かなりびっくりしました、って顔をしたセレンが、胸に手を当てつつ、ちょっと大きめの声をあげた。
「ごめんごめん」
 あたしは口ばかり詫びながら、危なげなく木から廊下に飛び移る。
「あんたこそ。今まで図書館にこもって何してた訳?」
 受け流されると思ってた。「お前には関係ねえよ」って笑い飛ばされると。だけどあいつは一瞬、物凄く神妙な表情を見せた後、
「まあ、ちょっとな」
 なんて、ほんのちょっと口元を緩めただけ。なのであたしも、これ以上訊いていいものかどうか、迷ってしまった。しかし、タイムリーにあいつの腹がぐうと鳴るものだから、思考はよそにそれてしまったのだ。
「あ」
「なんだよ」
「お菓子」
 そんなに空腹なら、分けてあげようかと思ったんだけど、残していた分はクロウとアリミアにあげてしまった事を思い出す。
「全部無くなっちゃった。取っておけばよかったね」
「別にいいさ」
 あいつは笑いながら、こちらの額を小突く。
「お前が作った菓子じゃ、砂糖じゃなくて塩入りになってそうだからな」
「ああ、ちょっと! あたしの腕前馬鹿にしすぎじゃない? それにナイアティットたちが作ったんだから、失礼だよ」
 拳を振り上げると、あいつは「はいはい」と小馬鹿にした様子で、その拳を避ける。あいつはすっかりいつもの調子に戻っていた。だから、あたしもそれ以上は、図書館で何を見たのか、なんて考える事は、頭の中から消えてしまっていたの。
 この時にきちんとあいつの話を聞いてあげればよかったって、しばらく後に激しく悔やむ事になるなんて、思いもしなかったから。