第8章:絶望の始まり(5)
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 冷静に状況を判断しようと努めるけれど、頭の中には、どうして、の疑問符があふれ出て、考える、という行動を封じてしまっていた。
 破壊者を蘇らせようとしているかも知れない何者かのあとを追って、ここまで来た。
 その最奥にいたのは、ふたり。ひとりがもうひとりを深手に追い込んでいる。
 だとすると、悪いのは。
「カラン、間に合って良かったよ」
 いやに優しい口調で、フェルバーンさんがあたしに語りかける。
「カバラ社の力を結集して追いかけていた甲斐があった。アポカリプスの復活前に、それを企む者を止める事ができた」
 そうして、憎々しげな視線をセレンに向ける。
「彼は記憶喪失だと偽って、その裏でデュアルストーンを集めるためにシェイドを操っていた」
 どくどくと、はやる鼓動の音が耳に届く中、フェルバーンさんのきっぱりとした宣告が混じる。
「彼はずっと我々をたばかっていたんだよ」
 ……そうなの?
 心で問いかけても、あいつは応えない。ううん、声に出してもあいつはもう答えてくれないかもしれない。胸を打ち抜かれているんだから、死んでいるかもしれない。
 嘘だったの?
 影に狙われているってのは。記憶喪失ってのは。デュアルストーンを守る為に旅に出るって言い出した決意は。
 そもそも、空から降って来て、怪我をして倒れていた事さえも。全部、あたしを信用させて、利用するためのお芝居?
「カラン」
 はっと気づくと、フェルバーンさんがあたしの前に歩み寄って来て、手を差し出していた。
「君は光のデュアルストーンを持っているね? 僕に託してくれないか。カバラ社で厳重に管理し、二度とこのような事態が起きないようにする」
 あたしは、フェルバーンさんの顔と手をぼんやり交互に見やる。そうだ、手放してしまえばいい。世界の命運を左右する石なんてこの手から離して、あたしは関係無いですって、もう旅なんかやめてしまえばいい。
 これで終わるんだ。甘ったるい誘惑があたしの心を揺さぶる。
「カラン」
 不安げなエイリーンの声。それに答えず、ゆっくりと、大事にしまいこんでいた光のデュアルストーンを懐から取り出す。
「カラン!」
 クロウが呼びかける。あたしはやっぱり答えずに、少しずつ右手を伸ばす。フェルバーンさんの笑顔が、もういいんだ、何もかもどうでもいいんだ、という気持ちへと、あたしの心を引きずり込む。
 あとはこの拳を開いて、フェルバーンさんの手に石を託すだけ。そうなった時、はっと、まるで走馬灯が回るみたいに蘇る記憶が、あたしの心を占めた。

『よろしく、カラン。助けてくれてありがとな』
 初めて出会った時、おずおずと手を握って言ったのは、きっと心からの感謝だった。
 もう立派なザスの一員だとフェリオに言われて、金髪をかき回していた、照れくさそうな顔。
『自分の中に何か別のものが居て、それを行使するなんて。人間業じゃ、ないよな』
 自分の力を少なからず恐れて、持て余して、戸惑っていた。
『もしかしたら、誰もいないかもしれないんだ。オレを知っている人、待っている人は』
 孤独感に満ちた表情。あたしが知っている、と言ったら見せた、安堵に近い感情。
『お前の事を少しだけ知られて、よかった。話してくれてありがとう』
 過去を話したら、まっすぐに笑いかけてくれた。
 シェリーが死んだ時、肩を抱いてなぐさめてくれた。
『元気、出せよな』
 あれがうわべだけの心遣いだったなんて。

 思えない。
 それがあたしの中で出た答えだった。

 あたしはぐっと拳に力を込めて、その手を自分の胸元に引き寄せた。
「ごめんなさい」
 驚きの表情を見せるフェルバーンさんをまっすぐに見つめ、あたしは言葉を続ける。
「あたしにはセレンが嘘をついていたなんて思えません。セレンがアポカリプスの復活を望んで動いていた黒幕だなんて、思えません」
「……僕の言葉を信じない、と?」
 フェルバーンさんが、すっと半眼になって見下ろしてくるけれど、怯まずに、その目から視線を外さずに。
「あたしは」
 あたしはきっぱりと告げた。
「あなたの言葉より、セレンを信じます」
 決定的に、目の前のこの人を傷つけたと思った。どんなきつい言葉でなじられても構わない。それでもあたしは、一瞬の優しさを与えてくれた人の心遣いよりも、一緒に過ごしてきた人の信頼を取る。エイリーンとクロウは、あたしの判断に安堵のため息を洩らしていた。
 フェルバーンさんはしばらく、一切の感情というものが抜け落ちたような顔で、あたしを見ていた。が、唐突にうつむいたかと思うと、肩を震わせる。
 大の男が泣くの? と思った。でも違った。やがて聞こえてきたのは、ひきつれるような、気がふれたんじゃないかって、笑い声。
 顔を上げたフェルバーンさんは、笑っていた。笑っていたの。
「……愚かな娘だ」
 その口から、今までに無いほど低い声が紡ぎ出される。一瞬、本当にこの人が喋ったんだろうかと耳を疑ったくらいだ。
「素直に従っていれば、世界の終焉をかたわらで見せてやったものを」
 フェルバーンさんが再度あたしを見下ろす。唇は笑みの形をとっているのに、見る者を射すくめ畏怖させる、恐ろしく冷たい表情だった。
 そして、その瞳の色。
 今までのように、穏やかな灰色じゃない。この世界にありえない――セレンの赤い瞳と同じように、ありえない――、全てを吸い込んで決して離さないかのごとき、漆黒。
 途端に。
 ぶわっと闇が押し寄せた。暴風に見舞われたかのように、あたしたちの足は簡単に地面から引きはがされ、身体が宙を舞う。地に叩きつけられて、あちこちの骨が悲鳴をあげた。
 はっと気づくと、右手の中からデュアルストーンが消えていた。どこ!? あたりを見渡して、あたしの倒れている場所から数メートルの位置に転がっている、白い石を見つける。それを拾おうと、必死に身体を起こしはいずってでも近づこうとしたあたしの視界に、男物のブーツが石を踏みつけるのが、映り込む。
「最早隠す必要も無いか」
 爪先で石を蹴り、弾きあげられたそれを手中に収めた人物――フェルバーンさんは、にたりと口を三日月形に歪める。
「我が真名(まな)は、フェルバーン・ロキ・イスカリオ」
 みっつめを持つ名前を聞いて、あたしたちの思考が追いつく前に、彼は自ら宣言した。
「貴様ら人間が追放されし者エクサイラと呼び、忘却の彼方に追いやった、闇のアストラルだ」
 ――アストラル?
 セレンだけじゃなくて、フェルバーンさんも、アストラル?
「本当に全く気づかなかったのかい?」
 フェルバーンさんが、あからさまにこちらを見下す嘲笑を洩らしながら、告げた。
「言われてみりゃ、納得できる部分もたくさんあるよな」
 クロウが起き上がりながら双剣を鞘から抜き、油断無く構える。
「六年前、カバラ社の前社長が突然病死した。影がこの世界に頻繁に現れ始めたのも、その頃だ。当時から仕組んでいたって訳か」
「さすがヴァリアラ騎士は優秀だね。洞察力がある」
 言葉ではほめても、声色はまったくもって逆の感情を示している。
 だけど、クロウの推測が正しいんだろう。正体の見えない他の誰かなんて、いなかったんだ。最初から、このひとが全てを企み、時に影にフェリオの店を襲わせたり、時にハルトのように暗い思いを持つ人をそそのかして、時に狩猟会のように影を足元に放って自演してまで、みんなを欺いて、デュアルストーンを集めていた。デミテルやシェリーのように人を影みたくし、グヴィナスやラシェルさんのように死者を蘇らせて、操っていた、「あの方」は、他でもない、このひとだったんだ。
 でも、それじゃあ。
「じゃあ、六年前、村を滅ぼしたのも」
 自分の声がひどく震えているのがわかる。だけど、知りたいという誘惑は、知りたくないという拒絶を上回った。
「村? ああ、そうだな。君はクルーテッダスの末裔だったか」
 くっと喉の奥で笑った後、フェルバーンさんは、決定的な言葉をあたしに叩きつけた。
「アポカリプスを倒すなどという障害は、取り除いておかねば落ち着かなかったからな。勇者の直系は根絶やしにしようと思ってね」
 ひゅっと息を呑む音が自分のものだと気づくのに、二、三秒必要だった。
「まさか逃がした生き残りの君がデュアルストーンの為に奔走してくれるとは、夢にも思わなかったよ」
「じゃあ」
 ぶるぶると。両手が震える。膝が笑う。訊いちゃいけない。訊いたら引き返せなくなる。それでもその質問を、あたしは彼にぶつけずにはいられなかった。
「あたしに優しくしてくれたのは。そばで暮らせばいいって、言ってくれたのは」
 ああ、と彼は鼻先で一笑に伏し、取るに足らないくだらない事とばかりに、あっさりと言い捨てた。
「自分の思い通りに動く手駒は、多い方がいいだろう? その為なら、あの程度の嘘はいくらでもつける」
 嘘。
 その一言に、あたしは完全にキレた。
 ぎりっと歯を食いしばり、地面から飛び起きると、剣の柄に手をやる。だけど、剣を抜き放つ前に、ばっと伸びてきた手が、あたしの手をつかみ止めた。
「無駄だ」
 フェルバーンさんの、ううん、フェルバーンのもう片方の手があたしの首に回され、ぎり、と力をこめられる。身長差がありすぎる。地面から足が浮いて、息がつまった。
「君ももう、僕の為に充分に働いてくれた。礼がわりに、死を与えてあげよう」
 クロウとエイリーンが戦闘態勢を整えるのが気配でわかる。
「動くなよ」
 それをとどめたのは、フェルバーンの鋭い声。
「下手な真似をすれば、この小娘の首、たやすくへし折る」
 ああ、その程度だったのか。あたしは、このひとにとって。
 悔しくて涙がにじんだ。偽りの笑顔にほだされて、だまされた自分が。甘い言葉に舞い上がって、このひとの本質を見抜けなかった自分が。
 兄さん、ごめん。仇を目の前にしてへらへらしてた馬鹿な妹で。フェリオも。帰って来たくなったら帰って来ればいいって、待っててくれるはずなのに。
 意識が途切れそうになる。それを手放してしまえば楽になる、という闇からの誘いが迫ってくる。黒い世界にとらわれそうになった時。
「ぐっ……!?」
 フェルバーンのうめく声が、あたしを現実に引き戻した。首を絞める手がゆるみ、あたしの身体は地に落ちる。即座に咳きこみながら息を整えて、顔を上げたあたしが見たのは、信じられない、といった表情に顔を歪めるフェルバーンと、その胸から突き出した、赤い光だった。
「貴様、その身体でまだ動くか……!」
「あいにくな」
 彼が憎らしげに声を向ける、背後から魔道剣ルーンブレイドを突き刺した相手は、赤い瞳を細め、乾きかけた血がこびりついた口元を軽く持ち上げる。
「往生際は悪いみたいだ」
 それは、あたしが今一番聞きたかった声だった。