第8章:絶望の始まり(6)
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 セレンは、フェルバーンから魔道剣ルーンブレイドを引き抜くと、「かはっ」と渇いた声と共に血を吐き出す彼の脇腹に膝蹴り一撃をくれてよろめかせ、あたしのもとへよろよろ近づいて来た。
「大丈夫か」
 その服は真っ赤に染まっている。いくら人より早く傷が回復するからって、胸を刺されたんだ、痛くないはずがないのに、なんで人の心配なんかできるの。一瞬でも疑いかけたのに、どうしてそんなふうに人に気を遣えるの。わんわん泣き出したい気分になるのを、唇をぎゅっとかみしめて我慢すると、あたしはうなずきながら、差し出された手を取り立ち上がった。エイリーンとクロウも駆け寄って来る。
 ごめんね、なんて一言を、あいつは求めていないだろうから、代わりの言葉を舌に乗せた。
「図書館で、本、見た」
「だと思った」
「記憶、戻ったの?」
「完全にってわけじゃないけど、なんとなくな」
 あいつは魔道剣を構え直す。
「詳しい事情は後でいくらでも話す。ただ、今は、奴がデュアルストーンを集めていた張本人で、アストラルはアストラルにしかとどめを刺せないって事だけ、わかっていてくれるか」
 前半部分はもうわかっていたけれど、後半は初耳で、思わずあいつの顔を見つめてしまう。それはつまり、あいつにしかフェルバーンを倒せないって事で。逆を返せば、フェルバーンはあいつを殺せるって事で。
「平気だよ」
 あたしの視線が、顔から、血まみれの胸に移ったのに気づいたあいつは、軽く口元を緩めてみせる。
火の鳥フェニックスの加護を受けたオレは、アストラル同士で傷を受けても簡単には死なない身体になってる。デュアルストーンを守る為に、そういう身体にされたから」
「そういう事だ」
 忌々しげな声にはっと見やると、胸からぼたぼた血をこぼすフェルバーンが、ふらつきながらも地に足を踏みしめて、今までに見た事が無いくらいの憎悪を宿した目で、あたしたちを睨みつけていた。
「……まったく、面倒な相手に最後の石を託してくれたものだよ、火のアストラルの長は」
 最後の石。それを聞いて思い返す。地、水、風、王家が守ってきたデュアルストーンは、影(シェイド)に奪われた。恐らくはもう、フェルバーンの手元にあるんだろう。光の石も取られた。だけど、あとふたつ、闇と火のデュアルストーンは、世界の歴史に埋もれて行方不明になっているはずだ。
 一体、ひとつはどこに? そして、最後のひとつって?
 あたしが疑問を顔じゅうに満たしたのに気づいたんだろう。フェルバーンは、「知らぬのか」と嘲笑ひとつ洩らして、懐から何かを取り出した。黒光りする、他の四つと変わらない大きさの石。
「勇者が遺したデュアルストーンは、六つ。うち四つはこちら側に、残り二つは向こう側にと、分かたれた」
 あたしたちがはっと息を呑むのを愉快そうに眺めながら、彼は石を軽く放り上げ、そして、空中でぱしりとつかみとめる。
「そのうち一つが、闇のアストラルに伝わってきた闇のデュアルストーン。そして」
 その視線が、セレンの手にする魔道剣に注がれる。
「最後の一つは、火のアストラルの元に、火のデュアルストーンが」
 言われて、あたしの脳内で、パズルの最後のピースがかちりとはまりこむように、答えがはじき出された。あいつの握る魔道剣。そこにはめ込まれているのは、赤い石。デュアルストーンと全く大きさの変わらない。
 それで合点がいく。だからあいつは影に追われていたんだ。影が本当に狙っていたのは、セレン自身じゃなくて、あいつの持つ火のデュアルストーン。
「あまりにもあからさまに振るうものだから、それがそうだと気づくのに随分と時間がかかってしまったよ」
「オレは記憶が無いから、そうと気づかずに振り回してただけなんだけどな」
 ハッ、とひとつ笑いを交えてセレンが返すと、フェルバーンは黒い瞳を憎々しげに細めた。だけど、それもすぐに余裕の笑みにすりかわる。
「だが、どう転ぼうとも、どれだけ時間がかかろうとも、石が我が手に揃う運命は変わらなかったようだ」
 フェルバーンが右腕をまっすぐに頭上にかざす。空がますます黒さを増し、冷たい空気が、ざあっとあたりを包み込む。
「冥土の土産にお見せしよう」
 彼は高らかにのたまった。
「闇のアストラルが宿す、最強の闇の精霊、死神ハーデス
 その途端、先ほど以上に強力な闇が、死者の王と魔物辞典に記される、鎌を持った黒衣の魔物の姿をとって、あたしたちに襲いかかって来た。鎌が振り回され、そこから放たれた無数の黒い刃が容赦なく身体を斬りつける。闇の波動があたしたちを吹き飛ばす。あたしたち四人は、これでもかってくらい痛めつけられて、別々の方向にはね飛ばされた。
 あのひとにデュアルストーンを揃えさせるわけにはいかない。セレンを守ろうと、痛む身体を叱咤して、上半身を起こしたあたしが見たものは、既にあいつの元に歩み寄り、いやみなまでにゆったりと魔道剣を拾い上げる、フェルバーンの姿だった。
「かえ、せ……!」
 フェルバーンは、必死に手をのばすセレンの声など聞こえていないふうに、手の中で柄だけの剣をもてあそんでいた。けれど不意に、いい事を思いついたとばかりに邪悪な笑みを満たしたかと思うと、魔道剣を一振りして黒い刃を生み出し、
「最後にいま一度、この剣の威力を己が身で味わうがいい」
 さっきあいつから蹴りを食らったのと同じ場所、脇腹目がけて刃を振り下ろす。絶叫するのを避けて、抑えた苦悶の声だけしか発しなかったのは、あいつの意地だったんだろう。
 セレンの胸を踏みつけて、わざと痛みを増すように、刃をひねりながら魔道剣を引き抜いたフェルバーンは、黒い刃を消すと、魔道剣を握る手に力をこめ、そして一息に握りつぶした。砕け散るかけらが、込められていた魔力の名残だろう光をきらきら放ちながら地に落ちる中、ひときわ輝きを放つ赤い石を、彼はつかむ。
 狂ったような哄笑があたりに響き渡った。ううん、もう本当に狂っているのかもしれない。
「ははははは! 揃った、揃ったぞ、デュアルストーンが!」
 フェルバーンは熱にでも浮かされたような足取りで、門へと近づいてゆく。その手にはいつの間にか六つのデュアルストーン。彼が放り投げると、六色の光は輪の形を作って、門に向かって浮かび上がる。そして、上空でひときわまばゆい光を放ったかと思うと、きいん、と甲高い音をたてて砕け散った。
 瞬間、沈黙が落ちる。だけど直後、地震かと思うほどの振動が襲い来た。門扉に刻まれた紋様がまがまがしい光を帯び、重たい音をたてて開いてゆく。その向こうから、闇色の風が吹き込んできた。
 来る。なにか、とてつもないものが。その場にいる誰も彼もを圧倒する威圧感に、身体がすくんで動かない。セレンも、クロウも、エイリーンも、指一本動かせずに愕然と硬直している。
「来るがいい、かつてアストラルが造りし最強の破壊者、アポカリプス!」
 平気なのは、その存在を待ち望んだフェルバーンだけ。
「わが身に宿り、そして世界に滅亡を!」
 陶酔したように両腕を広げて、訪れる闇を待ち受ける。その高笑いが、一瞬途切れた。飛び出して来た誰かが突き出した一閃を避け、邪魔くさそうに相手を見やる。
「まさかあなた自身が黒幕だったとはな」
 この土壇場に駆けつけたレジェントは、状況を見て即座に事態を把握してくれたらしい。絶え間なく槍を繰り出すが、それはことごとくすんでのところでフェルバーンにかわされた。
「ヴァリアラ国王か。丁度いい」
 フェルバーンが片手を突き出す。
「邪魔者には一人でも多く消えてもらった方が、後々楽だ」
 闇の波動がレジェントの長身を軽々吹き飛ばす。「陛下!」とクロウが青い顔で駆け寄った。
 このままでは、フェルバーンはアポカリプスを復活させてしまう。
 止めなくちゃ、何としてでも。
 あたしは決意すると、身体を地に縫いとめていた圧迫感を心から必死に追いやり、起き上がって、しっかと足を踏みしめた。そして開始する。
『集え光の精霊』
 魔法の詠唱を。
「――カラン!?」
 最初に感づいたのはセレンだった。詠唱を必要としないアストラルでも、どういう呪文が何を行うものなのか、知識としては染み付いているのかもしれない。アスター君の言葉を借りるなら、遺伝子とやらに。
『あまねく世界に在る力全て、この身を器として満たし』
「やめ……っ、やめろ!」
 あいつの焦る様子で、エイリーン達も気づいたらしい。
 あたしが光魔法の第五階層――禁呪フォビドゥン――を使おうとしている事に。
 でも、もう止められない段階まで来ている。かつて三百ディールでバウンサーから買った魔道書。バウンサー自身はインチキくさかったけど、本に書いてある事は真実だと、リサの講釈で知った。ならば、そこに書いてあった、第五階層の魔法の存在も、嘘じゃないはず。ヴァリアラの図書館から持ち出した魔道書と突き合わせて、それを撃ち出す為の呪文は判明した。
『悪しき力持つ意志を打ち破る為に、この命懸けて』
 フェルバーンが闇のアストラルなら、光属性には弱いはず。そして、これだけの力を持つアストラルに、生半可な攻撃はきっと通用しない。やるしか無い。
『我が敵を打ち滅ぼせ!!』
 あたしは、完成した光魔法を放つ。光の奔流がまっすぐに、フェルバーンへ向かってゆく。フェルバーンが、初めて余裕を無くし、驚愕に満ちた顔で、両手を突き出し闇の波動を放つのが見えた。
 光と闇が激しくぶつかり合う。光がじりじりと闇を押す。
 大丈夫。やれる。勝利を確信した瞬間、フェルバーンの背後の門から吹き出す闇が、彼に吸収され、力を与えたように見えた。
 光と闇の力関係が逆転した。光を飲み込んだ闇が、あっという間に襲い来る。混ざり合った強大な力を受けて、あたしの身体はあっけなく宙に浮く。
 色んなものが視界に入った。
 驚愕に目を見開くレジェントとクロウ。両手で口をおおって立ち尽くすエイリーン。勝ち誇ったような、狂気の笑みを浮かべるフェルバーン。
 そして、何かを叫びながら手を伸ばすセレン。
 口の形から想像する。もしかして、あたしの名前を呼んでるの? 聞こえない、聞こえないよ。そう返そうと口を動かしても、自分の声さえ遠い。
 なら、せめて手をつかみ返そうと、手を伸ばす。その手が、指先からぼろぼろぼろっと、土くれのように崩れていく。
 身体が消失する感覚。その感覚さえ消失してゆく。
 それを味わいながら、あたしの意識は完全に、黒い世界へと沈んだ。