第11章:悠久の剣(6)
BACKTOPNEXT

「二年前より腕が上がってる」
 兄さんとつばぜり合いをしながら、ラシェルさんは我が事のように嬉しそうに言った。きん、と剣同士が反発し、二人は距離を取る。そこにエイリーンとレジェントが打ちかかった。
『大地の精霊よ、その剛き力を今ここに示せ』
 ラシェルさんが早口に詠唱すると、床石を突き破って岩の槍が飛び出し、その攻撃を遮断する。
 詠唱から地属性魔法の発動を予測していたあたしは、その間にラシェルさんの背後にまわり、エターナリアを振りかざした。確実に斬りつけるだろう直前、彼女は凡人にはできない反応速度で振り返り、咄嗟に剣を掲げた。青白い輝きは甲高い音と共に受け止められる。
 そこへセレンが炎を放った。
『大地の精霊、強固なる障壁の姿で我を守りたまえ』
 ラシェルさんはまたも詠唱、土の壁を生み出して炎を防ぐ。それから、ぎっとあたしを睨むと、高い膂力であたしの剣を弾き返し、いきおい、あたしの身体も後方にはね飛ばされた。
 ぐわしゃ。あたしは、鍛冶用の器具が収まっている箱の中へ頭からダイブ。結構鋭利な器材なんかも入っているから、それで顔や首を切らなかったのが不幸中の幸い。ぞっとした。
 あたしが身を起こす間にも戦いは続いていた。兄さんとレジェントとエイリーン、三方向から打ちかかってもラシェルさんは軽々とそれをいなし、セレンが放つ炎を防ぐ。あの世から呼び戻された人間は、常人の域を超えてしまうのか、それとも元々ラシェルさんがそれだけの実力を持つ人だったのか。本人に問いただす暇は、勿論無い。
「五人がかりでその程度?」
 ラシェルさんはくすりと笑いを洩らして、間合いを取ると、詠唱する。
『大地の精霊よ、その力集いて刃となし、我が敵を打ち滅ぼせ』
 紡がれる言葉で気づく、これは第四階層。こんな屋内でそんな強力な術を使うつもりか。
 あたしの懸念などどこ吹く風、ラシェルさんは構わず魔法を発動させた。床石が剣呑な刃となって、あたしたちを襲う。飛んで来たひときわ大きな石の塊を、身を伏せてかわすと、それはどがん、と工房の壁を壊して、外の道へとごろごろ転がった。あんなのの直撃を受けたら、首の骨を折って一発でおだぶつだ。
 だけどこれで、床がぐちゃぐちゃになってしまった工房内で戦うのは無理になった。あたしたちは工房の外へと飛び出す。道には、一体何事かとすっかり野次馬が集まり、遠巻きに集団を作っていた。
 これもあたしたちが危惧していた事。観衆が集まったら、ラシェルさんは、彼らを楯にあたしたちの反撃を封じる手さえ使うかもしれない。
 でも、工房からゆっくり歩み出て来たラシェルさんは、周囲の見物人をひととおり見渡すと、興味無さそうにふいっと顔をそらして、その視線を再びあたしたちに向ける。卑怯な手段は使わないでいてくれると、そこは信用していいんだろうか。
 ラシェルさんが再度の剣戟の相手に選んだのは、やはり兄さん。鋭く重い一撃一撃を、間髪入れずに放つ。それを受け止め、流しきれているのは、ひとえに兄さんの腕前だ。
 打ち合いが続く中、あたしはレジェントとエイリーンに目配せして、ばらばらの方向から斬りかかる。
「邪魔を、するな!」
 苛立ったように吼えて、ラシェルさんは再び詠唱。土の壁が彼女の周囲を取り巻き、がん!とあたしは顔面からぶつかって尻餅をついた。他の二人もはね飛ばされたらしいけど、頭の中身がぐわんぐわんと回転して、自分以外を気にする余裕を失う。
 はっと正気に戻った時には、冷たい刃があたしの喉元に突きつけられていた。
「あなたは、神剣を使えるのだったわね」
 薄茶の瞳に憐れみの感情を乗せて、だけど声色は剣と同じくらい冷たく、ラシェルさんは宣告した。
「ラテジアの妹さん……ごめんなさいね」
 ひやりと、かつて味わった死の感覚が背中から襲いかかる。またあの喪失感を体験しなくちゃいけないの? アポカリプスを必ず倒すと、エターナリアにかけて誓ったばかりなのに?
 そうしても事態は好転しないとわかっていながら、ぎゅっと目をつむった時だった。
「――ラシェル!!」
 いつになく感情的な兄さんの叫び声が耳に届いた。目を開けば、兄さんが大剣を振りかざし駆け込んでくる。すっかりあたしに気が向いていたラシェルさんは、反応が遅れる。きいん、と金属音と共に、ラシェルさんの剣が宙を舞った。
 一瞬、剣の軌跡に気を取られたラシェルさんは、だけどすぐに兄さんに視線を戻す。得物を失った相手の隙を逃さず、兄さんは全力を込めた一撃を放とうとする。
「ただの剣では、私は……」
 殺せない。そう続けたかったんだろうラシェルさんの言葉はしかし、兄さんの背後で光炎の翼カルバリーを呼び出そうとするセレンに気づいて、中断を余儀無くされた。ただの剣の一振りでは、アストラルの黄泉返りの力で呼び戻された者は倒れない。だけどもしその一撃に、彼らを倒せるアストラルの魔力が乗ったならば、どうなるか。
 答えはあっけないくらい簡単に出た。金赤色の瞳のセレンが光炎の翼を撃ち出す。その炎を帯びた兄さんの剣が振り下ろされる。
 ざん、と。
 炎を乗せた刃は、ラシェルさんの胸を切り裂き、真っ赤な血の花を咲かせた。
 ゆっくりと、ラシェルさんはあおのけに倒れてゆく。地に叩きつけられる寸前、その身体を兄さんが受け止めた。アストラルの炎を浴びてぼろぼろになってしまった大剣を放り出して。彼女の血で、服が赤く染まってゆくのもいとわずに。
「ラシェル」
 その一言に込められた感情を、あたしは理解しきれなかった。恩人を斬った悲しみか、もう元に戻らない過去への悔恨か。それとも、これでラシェルさんを楽にしてあげられる、安堵、だったのかもしれない。
「やっぱり」
 ラシェルさんが微笑んで、震える手を兄さんの頬に伸ばした。
「二年前より、ずっとたくましくなったわね。そして、強くなった」
「俺は強くなんかなっていない」
 まるで子供みたくふるふると首を横に振り、兄さんは洩らす。
「あんたを失ってからずっと、もっと強ければと後悔してきた。あんたがいなくなってからずっと、誰かと関わって、また失うのが怖かった」
 兄さんの告悔は続く。
「俺は弱い人間だ。強いふりをして、ずっとその弱さを隠してきたんだ」
 するとラシェルさんは、伸ばしていた手を兄さんの髪にやり、そっとなでた。小さい子にそうするように。
「そうして自分の弱さを認められるようになったのは、強くなった証拠よ」彼女は、柔らかく穏やかに笑いかける。「もう、私から教える事は何も無い」
 たちまち、兄さんの顔が今にも泣き出しそうになった。こんな兄さんの表情を見るのは、数年、ううん、十年単位で久しぶりだ。本当に子供の頃以来の。
「エイリーンさん」
 いきなりラシェルさんに名指しされて、エイリーンは不意打ちを受けたようにびくりと身をすくませるけど、「はい」と答える。それを待って、ラシェルさんは彼女に告げた。
「ラテジアの事、よろしくね。この子、愛想無くて、人づきあい悪くて、しかもこうやって危なっかしいから……そばで、見ていてあげて」
 エイリーンは、はいともいいえとも答えなかった。もしかしたら答えたのかもしれないけど、ただ顔を覆って泣き出してしまったので、その返答は誰の耳にも届かなかった。ラシェルさんはそれすら笑みで包み込んで。
「ラテジア、形見って訳じゃないけどね」
 地に転がったままの、自分が振り回していた大剣を指差す。
「あれを、あなたにあげる」
 兄さんが、ラシェルさんの顔と、剣を、交互に見やる。
「『エクスカリバー』。フェルバーン・ロキ・イスカリオが、光のアストラルから盗み出した技術で作り出した、アストラルやシェイドを斬れる剣。恐らく、アポカリプスも」
 あたしたちは驚いて、エクスカリバーと呼ばれた大剣に一斉に振り向いた。
「あのひとは万一アポカリプスに反抗された時の事を見越して、自分でも、アポカリプスを倒せる武器を身近に持っていようとしたのよ」
 意外と小心者よね、とくすりと声ばかり笑い、だけど直後、迫り来る死の痛みに、ラシェルさんは顔を歪める。
「ラシェル」
 呼びかける兄さんに、ラシェルさんは笑みを見せた。死の淵にあってなお、綺麗で印象的な、美しい笑顔を。
「短い間だったけれど、あなたと一緒に旅をできて、本当によかった」
「ラシェル、俺も」
 兄さんの答えが返る前に、ラシェルさんは静かに目を閉じる。そして、影化した人間と同じように、一瞬にして黒い結晶となって、さらさらと崩れ落ちていった。
「……ラシェル」
 たちまち手の中から失われてゆくラシェルさんの欠片を、必死に繋ぎとめようと、兄さんはがむしゃらに手を伸ばし、握り締めて、つかもうとする。だけど結晶はあっという間に砂のように砕け、風に舞って、ラシェルさんが存在した証を何ひとつ残さなかった。
 ううん、ある。
 彼女が振るっていたエクスカリバーが。そして、形にはならないたくさんの記憶が、兄さんの胸の中に。
 ラシェルさんの欠片を手の中から完全に失ってしまった兄さんは、うつむいて、しばらく動かなかった。だけどやがて、その肩が細かく震える。
 誰もが声をかけかねて立ち尽くす中、そっと兄さんの横に腰を下ろしたのは、エイリーンだった。静かに兄さんの肩に手を置く。と、兄さんはエイリーンの方を振り向いて、突然、すがりつくようにエイリーンの肩に顔をうずめた。
 泣いてる。兄さんが。ラシェルさんの名を呼びながら。
 妹のあたしでさえ、故郷を出てからは一度も見なかった、兄さんの涙だ。
 周囲に集まっていた野次馬も、すっかり静まりかえってしまっている。
「陛下、皆さん、ご無事ですか」
 その人垣をかき分けてリサがやって来た。あたしたちの様子を見て、戦いはもう終わったのだと、そして、何が起きたのかも何となく察してくれたらしい。兄さんとエイリーンをいたわるように見つめた後、
「怪我をされた方は」
 レジェントに安否を訊ねる。そこであたしたちはようやく、怪我人がいる事を思い出した。
「工房の中だ。ミーネとノアルが」
 案内されて入った工房内の、魔法で床がめちゃくちゃになった惨状に、リサは一瞬面食らったけれど、すぐに気を取り直してミーネさんとノアルの治療にあたる。ミーネさんの傷は幸い深くはなく、すぐに治せた。ノアルも出血は相当だったが、命に別状は無いらしい。アーレンもそうだったとか。アストラルを倒せる武器の攻撃を食らったのに。
 そこで気づく。ラシェルさんは、ミーネさんたちを襲撃しろとフェルバーンから言われたものの、最初から、命まで奪う気は無かったんじゃないかって。
 真相は闇の中だ。知っているのはラシェルさん自身だけ。そして彼女とは二度と、言葉を交わす機会は無いんだから。