第11章:悠久の剣(8)
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 白竜の森は、オルトバルス大陸の北方、ザスよりも更に北にあった。
 同じ『森』という名を持ちながら、ザワンの森とはまた違った様相を呈している。十年以上前、黒竜の一族に攻め入られ、一度は焼け落ちてしまったという木々は、再び芽吹き、あるいは焼け焦げた樹皮を破り新しい枝をはって、たくましくも鮮やかな緑を見せつけていた。
 かつて――それこそ千年前の時代――アストラルにかけてもらったという幻惑の術で、準備の無い者が踏み込んだら、あっという間にさまよって行くも戻るもできなくなっちゃうだろう迷いの森。その中を、勝手を知るエイリーンの導きで、あたしたちは惑わされる事無く奥へと進んでゆく。
 そんな術がかかっている森に、何故黒竜王グヴィナスは攻め込む事ができたのか。
「白竜と黒竜は、はじめから相容れなかった訳ではないの。きちんと交流していたのよ」
 質問すると、エイリーンは答えてくれた。
「それがいつの間にか反目しあうようになって。その時に、この森の構造を知る黒竜の一族の者が、グヴィナスに伝えたんでしょうね」
 仇の話を口に出しても、以前のように怯える様子は無い。何か凛とした決意が、彼女の中で固まっている気がする。
 やがて、森の木々が途切れたかと思うと、視界一面に白が広がった。一瞬、あたしもセレンも兄さんも、何事かと思って怯んでしまったんだけど、視線を下から上に持ち上げていく事で、それが白い壁とかじゃなくて、四肢を持ち、尻尾を持ち、まっすぐに伸びた一対の角を持ち、翼を備えた、大きな真っ白い竜である事を認識する。
「おじいさま、ただいま戻りました」
 エイリーンが静かに頭を下げると、竜はゆったりと頭をもたげ、目を細めて――竜にそんな事ができるのかはなはだ疑問なんだけど――笑ったようだった。
 次の瞬間、あたりに光が満ちて、あまりのまぶしさにあたしたちは目をつむる。光がおさまり、閉じていた目を開いた時には、白い大きな竜の姿はなく、そのかわり、蒼い石の額飾りをつけた銀髪に森色の瞳の、エイリーンに雰囲気が似ている老人が立っていた。老人の割には大柄で、背も曲がってなくて、しゃんとしている。
「よく戻った。我が孫娘」
 老人は温かみのある声音でエイリーンにそう告げて、あたしたちの方に向き直る。
「よくまいられた、人の子らと、アストラルの子。白竜王、バスク・ナーガ・ファルガータだ」
 竜の王なんていかつい肩書きに似合わない柔和な笑みで、老人は名乗った。同じ長の名を持つどこかの偏屈じいさんとは比べ物にならない……と思考しかけて、それでもあのひとはセレンのおじいさんなんだから、悪く言うのも考えものか、と思い直す。
「パティルマ・ドローレスにそなたを預けてから、十二年か」
 バスクはエイリーンのもとへ歩み寄り、大きな手で彼女の頭をなでる。
「心は、決まったのか」
「はい」
 エイリーンは、祖父と同じ色の瞳でしっかりとバスクを見つめ返し、深くうなずいた。
「白竜王の力を、継ぎます」
「では最早、多くの言葉を交わす事もすまい」
 バスクもうなずき返し、エイリーンの髪にやっていた手を、彼女の額飾りの蒼い石に移す。
「託そう。次代の白竜王に、我が力を」
 その瞬間、ふたりを中心に、ぶわっと風が吹き出した。さっきみたいなまぶしい光があたりを包み込んだので、あたしたちはまた腕で顔を覆って風と光を防ぐ。
 だけどそれは唐突に、きん、という高い音と共に終わりを告げた。伏せていた顔を上げれば、最初に視界に入ったのは、紫味を失って果てしなく銀に近くなった髪のエイリーンと、力を失いその場に崩れ落ちる、バスクの姿だった。
「おじいさま」
 エイリーンが祖父の身体を咄嗟に支える。最前までの精悍な姿はどこへやら、急に歳相応の弱々しい老人になってしまったバスクは、しわだらけの手を孫娘の頬に伸ばした。
「悲しむ事は無い。我が力は、いつまでもそなたの中にある」
 そして、できる限り力強く微笑む。
「いや、儂だけではない。歴代の竜王の力と、そなたの両親、白竜の同志たちの想いと魂は、常にそなたと共に」
「おじいさま」
 エイリーンがバスクの身体を抱きしめる。彼に死が迫りつつある事は、あたしたちの目から見ても明らかだ。でも急に、何故。
「竜王は一子相伝だ」
 疑問に答えるように、セレンが教えてくれた。
「代々、次の竜王に力を託すと、前の竜王は役目を終えて命が尽きるんだ」
「それを知っていたから、ここに来るのをためらっていたのか」
 兄さんが呟く。そうか。エイリーンが竜王を受け継ぐって事は、バスクの命を終わらせる行為。彼女はそれを恐れていたんだ。ドローレスから、いつか竜王の力が必要になる事を、聞かされていたんだろう。それでも、行かなくてはいけなかった。ドローレスの占いが、「変わらない」、「少しもずれてない」ってのは、その道が変わる事が無い、という意味だったに違い無い。
「恐れるな」
 エイリーンの頬をなでながら、バスクは告げる。
「そなたにはこんなにも心強い仲間ができた。彼らと共に、最後まで諦めずに進むがよい」
「はい」エイリーンは涙声で答える。「はい、おじいさま」
「世界を……頼……」
 バスクは穏やかに目を閉じる。手が、ぱたりと静かに地面について、そのまま、彼の姿が光の粒子となって、大気に解けてゆく。不謹慎だけど、竜王の最期はあまりにも綺麗な光景に見えて、泣きそうになった。
 祖父の身体が世界に還るのを見届けたエイリーンは、しばらく、涙をこらえているかのように、ぎゅっと唇を引き結んでいたんだけれど、急にその緑の瞳を鋭く細めて振り向き、一点を睨みつけた。
「なんだ、あの老いぼれは死んだのか」
 聞き覚えのある声に、あたしたちもエイリーンの視線を追う。いつの間に現れたんだろう、そこに立っていたのは、バスクとは対照的に小柄でしわしわの老人。
「無為に老いた果てに、儂がとどめを刺そうと待ち望んでいたのだが、一足遅かったようだ」
 黒竜王グヴィナスが、ひとを小馬鹿にしたような声音を放った。
 あたしと兄さんは剣を鞘から抜き、セレンがグラディウスの赤い刃を生み出す。
「待って」
 だけど、あたしたちを制止したのは、エイリーンの凛とした声だった。
「ここはわたしに任せて」
 そう言って振り返る彼女の顔には、前回グヴィナスとまみえた時の怯えは一切無かった。満ち溢れた自信さえ感じる、気強さを与えてくれる。
「おぬしがバスクの代わりに儂と戦うか? あれだけ恐怖にかられていた小娘が?」
 グヴィナスが嘲るように笑いを洩らす。だけどエイリーンは引かない、恐れない。
「わたしは以前のわたしじゃない。竜王の力があるわ」
 エイリーンが毅然と言葉を返す。
「それにわたしには、仲間がいる。倒れそうになったら支えてくれる人がいる。あなたとは違う」
「ほざくがよい」
 グヴィナスが、くだらない、とばかりに鼻先で一笑に伏すと、あたりにあの、竜族が竜に戻る時の光が満ちる。光がおさまった時、そこには、黒い鱗に覆われた、バスクの白竜に劣らない大きさの竜がいた。まさに、黒竜王。
 いくらなんでも、このばかでかいのにエイリーンひとりで立ち向かうのは無茶だ。そう思って、エターナリアを手に足を踏み出そうとしたあたしを、腕を伸ばしておしとどめたのは、兄さんだった。
「任せろと言ったのだから、今は黙って見ていろ」
 兄さんの口ぶりは相変わらずそっけないんだけど、そこには、エイリーンへの信頼が見て取れる。
「あいつが立ち上がれなくなったら、俺たちが肩を貸してやればいい」
 兄さんがそんな事を言うなんて。驚いて兄さんの顔をまじまじ見ている間に、また光があたりに満ちる。振り向けば、そこにはやや華奢ながらも無駄の無い身体つきをしているエイリーンはいなくて、グヴィナスとほぼ同等の大きさの、真っ白な竜がいた。エイリーンが白竜王に変貌したのだ。バスクよりもシャープな印象を与えるその姿は、本当に美しくて、鳥肌が立ちそうだった。
 白竜が一声吼えて、黒竜に飛びかかった。黒竜は鋭い牙の並んだ口を大きく開いて、待ち受ける。どおん、と、大きな音を立てて二頭の竜はぶつかりあい、それから、この森の中ではらちがあかないと思ったんだろう、互いに立派な翼を広げて、上空へと飛んだ。
 人間には介入できない領域で、白と黒が激しくぶつかりあう。激突するたびに、互いの爪が、牙が、互いを傷つけ、血の雨を地上に降らす。あたしたちははらはらしながら見守るしかできない。
 だけど、決着はやがて訪れた。業を煮やして襲いかかって来た黒竜の爪を、白竜は大きく羽ばたいてかわす。渾身の一撃を避けられて体勢を崩した黒竜の喉元へ、白竜が思い切りかみつき、喉笛を引き裂いたのだ。
 喉を切り裂かれては声も出せず、ひゅおおお……と、激しい呼吸の音を響かせて、黒竜がバランスを崩し、落ちて来る。このままじゃ下敷きになりそうだとひやりとすると、セレンが咄嗟にあたしと兄さんの腕をつかんで、転移魔法を使う。安全な位置まで下がった直後、どおんと、墜落してきた黒竜が地面に叩きつけられた。
 黒竜があっという間に、小さな老人の姿に戻る。地に落ちた拍子に首の骨を折ったらしいグヴィナスは、ひゅうひゅうと苦しい息を繰り返しながらも、それでも、フェルバーンに蘇らされた弊害で、死ぬ事ができない。その横に白竜が降り立ち、エイリーンの姿に戻る。
 彼女は自分でとどめを刺したかったんだろう、カイザーナックルを手にはめようとする。だけど、戦いで傷だらけになった身体はぼろぼろで、足取りもふらふら、上手くナックルを手に収める事ができない。とうとう力を失って倒れこみそうになった時、横から抱きとめたのは、兄さんだった。
「支えてくれる奴がいると、あんた自身が言っただろう」
 頬を染めて見上げるエイリーンに、兄さんは告げる。
「本意ではないかも知れんが、後は任せろ」
 その言葉を受けて、セレンとあたしがグヴィナスのもとへ踏み出す。地にあおのけに倒れた黒竜王は、言葉をなさない何事かをひゅうひゅうと吐いている。恨み言か、負け惜しみか。それは判断できないけれど、ひとつ確かなのは、彼が倒すべき相手であるのに変わりは無いという事。
 エターナリアとグラディウスを同時に振り下ろす。確実に滅びをもたらす武器二振りに貫かれたグヴィナスは、またたく間に黒い結晶と化して、砕け散った。
「……ありがとう」
 兄さんの手を借りて自分の足で立ったエイリーンが、あたしたちに頭を下げてくる。
「お礼はいらないよ」あたしは笑みながら告げる。「あたしたち、仲間なんだから」
 エイリーンは、自分の言葉を返されて、一瞬きょとんとしていたんだけれど、不意に笑み崩れて、
「そうね」
 と小首を傾げた。そのまま身体まで傾いでいくので、また兄さんが慌てて支える。そういえば、グヴィナスと戦ったせいで全身傷だらけなのだ。
「クライスフレインに帰ったら、リサにちゃんと治してもらってね」
 と前置きして、あたしは回復魔法を詠唱する。とりあえず、血止めくらいにはなったはずだ。
「とにかくこれで、アポカリプスに対する手段は全部出揃った」
 セレンがぱしんと、拳を手のひらに打ちつける。帰ったら決戦の準備だ。あたしたちはお互いに顔を見合わせ、深くうなずきあった。