第12章:忘却の地へ(1)
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 彼と、交わした約束。

 クライスフレインに戻ったあたしたちは、まずエイリーンの怪我をリサに治してもらった。エイリーンがすっかり竜王の証である見事な銀髪になっていたのを見て、リサもレジェントもはじめは驚いていたんだけど、すぐに慣れたみたい。
 それからあたしたちは、市街地のカバラ支社に向かった。本社のアスター君に連絡を取ってもらうためだ。支社の社員には、国王陛下と、神剣を持つバウンサーって事で、もうバウンサーのカードを見せるまでも無く顔パス。社員が端末を操作すると、
『カランさん、皆さん、お疲れ様です!』
 端末の向こうから、ガゼルの本社にいるはずのアスター君の声が聞こえてきた。リアルタイムで通信ができるなんて、やっぱりカバラの技術はすごい。
 こちらからの声も聞こえるという事なんで、いよいよアポカリプスの元に乗り込む準備が整った事を、アスター君に伝える。
 アスター君は、
『そうですか……』
 と神妙な声音で答えた後に、教えてくれた。世界中で、人間とアストラルが協力しあってシェイドや魔物と戦っている事を。各地の里から出て来たアストラルたちが、世界中へ散り、あるいは魔法で、あるいはその知識を伝えて、人間たちと共に今の脅威へ立ち向かっているのだと。
『これもカランさんがアストラルに働きかけた成果ですよ』
 なんか妙に誇らしげにアスター君は言う。働きかけたって言っても、ユエナが協力するって言ってくれたのは彼女自身の意志だし、ノアルやアーレンが来たのも、彼女が声をかけたからであって、あたしの成果って訳じゃないんじゃないかな。そう洩らしたら。
『アポカリプスを倒せる神剣を持つ勇者がいる。それが世界中のひとびとを勇気づけているのは、紛れも無い事実です』
 アスター君は断言した。そうして、改まった声であたしたちに告げる。
『カバラ社からバウンサーの皆さんに、依頼いたします。世界を救ってください』
 折り目正しいアスター君らしく、端末の向こう側できっちり直立して九十度の角度で深々と頭を下げる彼の様子が容易に想像できて、ちょっとおかしかったんだけど、笑うのは不謹慎だと呑みこみ、こちらも真面目に返す。
「わかりました、任せて」
『……ありがとうございます』
 アスター君は感慨深げに声を洩らして、
『各地の影の襲撃には我々が対応します。皆さんはアポカリプスを倒す事だけを考えてください』
 と、言ってくれた。
「ありがとう」
 世界中の人が、アストラルが、自分たちのよって立つ世界を守り抜こうとしている。ならばあたしたちは、この手に帯びた力に責任を持って、その世界を存続させなくちゃならない。
 絶対に、負けられない戦いなんだ。

 いよいよ明日、アポカリプスの元へ乗り込む事になった晩。
 夕食の後、ベッドにもぐり込んでも、ぎんぎんに目がさえてなかなか寝つけない。仕方が無いので、少し散歩でもして気持ちを落ち着けようと、楼閣の中をぶらぶらする。
 すると、礼拝堂の方から声が聞こえてきた。この声は、リサの祈り。戦勝の加護を願っているんだろうか。声をかけてみようかと、礼拝堂の中をのぞいてみたあたしは、慌てて身を引っ込めた。彼女の背後で、祈りが終わるのを待っている先客がいたからだ。
 リサも気配に気づいたらしい。祈りが一区切りつくと振り返ったようだった。
「陛下」
「……やはり、ここだったか」
 少し間があったのは、多分、笑み返したんだろう。レジェントの声が聞こえる。それからしばらくまた、沈黙が落ちた後。
「エリサ姫、明日の戦いに君も来るという意志は、変わらないのか」
「私が行かずに、どなたが皆さんの傷を治すのですか」
 リサはレジェントの質問に質問で返す。それは彼女の意志が強固だという主張。だけど、今までみたいにどこかよそよそしい会話じゃない。お互いがお互いを慮っている感情を、きちんと言葉に乗せている。そうなったきっかけがアリミアの死だっていうのは、悲しい出来事だけれど、その後から二人は確実に、心の距離を縮めたんだ。
「いつまでも、どこまでも、あなたのおそばにいさせてください」
「エリサ姫……」
「いいえ」
 リサが首を横に振る気配がして、声に確実に親愛を込めて。
「リサ、とお呼びください」
 レジェントは一瞬、きょとんとしたようだったけど、
「わかった、リサ」
 と、力強く返した。
 ここで二人の間に割って入って行くなんてのは、野暮ったいだろうな。あたしはそう思って、礼拝堂の前から去った。
 しばらくぶらぶらして、渡り廊下を行こうとすると、人影をふたつ見つけて、あたしはまた物陰に隠れる。
 兄さんとエイリーンだった。
「いよいよ明日ね」
「そうだな」
「緊張してる?」
「まあな」
 エイリーンが訊ねても、相変わらず短い、淡々とした返事。でも。
「安心した」
 それこそが兄さんらしいと、彼女もわかっているんだろう、くすりと彼女は笑いを洩らす。
「いつものあなたらしくて」
 兄さんが怪訝そうに眉をひそめるのを、エイリーンは微笑みで見守りながら。
「でも、ラシェルさんから直々にあなたの事をよろしくって頼まれたんですもの。ずっとそばで見てていいわよね?」
 遠まわしに告白されて、兄さんは面食らったようだった。心なしか赤くなって、視線をしばしさまよわせた後、わざとらしくそっぽを向いて。
「……勝手にしろ」
 できるかぎりいつもの調子を装って返事したけれど、動揺しているのまでは隠せない。兄さんにこんな反応をさせるなんて、エイリーンは意外と恋愛の主導権を握りそう。
 そんな事を考えながら、今ここでふたりの前に出て行くのはあまりにも不粋だとも思って、あたしは静かにその場を去った。
 結局、二組のカップルにすっかりあてられて、どきどきしながら眠りにつく羽目になりそうだ。ここで寝起きするのも今夜が最後になるかもしれない、自分にあてがわれた部屋の前まで戻ると、腕組みして扉によっかかって、所在無げにしているセレンが、顔を上げこちらを向く。軽く驚いたようだった。
「どこから来るんだよ」
「どこって、その辺散歩してたんだけど。そっちこそ、何やってんの」
「いや……ちょっと、寝つけなくてな」
 訊ね返すと、彼は決まり悪そうにそっぽを向きながら。
「なんとなくここまで来てみたけど、お前はもう寝てるかと思ってノックできずにいたら、向こうから来るなんて」
 あたしが中にいないのに、ひとり扉の前で悶々としてた訳か。その様子を想像するとおかしくて、ぷっと吹き出してしまう。
「笑うなよ」
「ごめんごめん」
 一応口では謝ってみるけれど、笑いが止まらない。おなか抱えてケタケタ笑ってると、セレンが憮然とするので、必死に笑いを引っ込めた。
 すると、沈黙が落ちる。目線を上げれば、赤い瞳が穏やかにあたしを見つめていた。一体何なんだろう。そわそわして落ち着かなくなる。
「なあ」
「なっ、なに!?」
 唐突に声をかけられたので、思わずどもりながら返すと、セレンはくすりと笑いを洩らして。
「どうせこのままじゃ眠れそうにもないから、少し、飛ばないか」
 飛ぶ? と首を傾げかけて、ああそうか彼は滞空魔法で空飛べるんだっけ、と思い出す。どうせこっちもまだ寝られそうにないから、うなずくと。
「じゃあ」
 と、いきなり足が床から浮いた。お姫様抱っこ状態になったのだと気づくのに、数秒必要だった。
「ち、ちょっと!?」
 細腕のくせに何してんの!? こちらがおたおたしているうちに、セレンは滞空魔法を発動させて、廊下の窓から夜空へ飛び出してゆく。暴れたら落っこちる事必至なので、あたふたしながら、彼の首に手を回してしがみついた。
 夜のクライスフレインは、あちこちで街灯が灯り、城砦都市の姿を照らし出している。この明かりの下で、人々は暮らし、笑ったり怒ったり泣いたり喜んだり、誰かを愛したりして、生き死んでゆくんだ。
 上空に目をやる。冷えた空気の中、澄み渡った空には、満天の星。
 昔カバラ社発行の雑誌で読んだ。この、点にしか見えない光のどれかには、もしかしたら、この世界と同じように、水と大気が存在して、生命が息づいて、文明があって、歴史が築かれているのかもしれないって。
 そこに、エターナリアと同じ、だけど名前の違う神剣が存在して、誰かがそれを振るって戦ったんだろうか。戦の歴史は悲しいけれど、今はその地に平和が訪れて、人々は平穏に暮らしてるとしたら。そんな人たちとこの世界の人たちが出会える日が来たら、それってすごく、素敵な事じゃない?
 連綿と続いてきた人の営み。それはきっと、途切れる事無く未来へと続いてゆく。
 あたしたちは守ろう、その未来を。いつか異世界の誰かと巡り会えるような時代へ続く道を。
 ふと、セレンの顔を見やる。視線に気づいた彼は、こちらを向いて軽く笑んでみせた。至近距離でそんな笑顔を見せられたら、また心臓がばくばくいうじゃない。あたしはわざと目線を外す事で、この動悸をおさえた。
 やがてセレンは、クライスフレインを見渡せる高台を見つけて、そこに降り立った。ふたり並んで草の上に腰を下ろし、しばらく街の灯りを眺めていたんだけれど。
「言っておきたい事があるんだ」
 セレンが不意に口を開いた。何だろう。どきどきしながら振り向くと、彼は真剣な面差しで。
「アポカリプスの元に行ったら、奴は世界の狭間に逃げるかもしれない」
 予想していたのとは違う方向の話だったけど、真面目な話だ。あたしも唇を引き結ぶ。
「千年も封じられていたんだ。その間に奴が、自分の居た空間を自分に都合のいいように造り変える時間はたっぷりあった。そこに乗り込む事になる可能性が高い」
 要するに、自分の有利な舞台にあたしたちを引き込もうって訳か。
「望むところじゃない。どこまでも追っていって、とどめ刺そうよ」
「それが簡単な話じゃないんだよ。世界の狭間は、文字通り狭間に存在するから、とても不安定な場所なんだ。首尾よく行く事ができて、アポカリプスを倒せたとしても、帰る事ができないかもしれないし」
 両手で拳を作って意気込んでみせるけれど、セレンは深刻そうな表情を崩さずに。
「最悪、どこか別の世界に飛ばされて、離れ離れって事もありうる」
 心臓がまたどきりと脈打つ。
 離れ離れ。セレンと。今まで彼と一緒に旅をして来て、彼がいなくなったり、あたしがいなくなったりした事はあったけれど、それはごく短い時間で、ずっといなくなるなんて、考えた事も無かった。
 別れたくない。
 その考えがあたしの脳裏に浮かんだ。
 見失いたくない、セレンを。
 だから。
「じゃあ、約束しとこうよ」
 あたしは言った。
「もしはぐれちゃってもさ、待ち合わせ場所、決めとけばいいんだよ。最初に会った、ルグレット平原。あの場所で、待ってる」
 セレンの赤い瞳が一瞬見開かれた後、なんか、泣きそうな形に細まった。
「すぐには来られないかもしれないぜ」
「そしたら、ずっと待ってる。毎日お弁当作って。あんたの大好きなレモンスカッシュも作って」
「弁当、作れるのかよ」
「失礼だな。この旅のおかげで、あたしだって少しは料理できるようになったんだよ」
 腕を組んで、ぷうっと頬を膨らませると、彼は両手であたしの頬をおさえ込み、笑う。
「ま、期待せずにおくよ」
 まったく、失礼だな。あたしは、ぷっ、と一息吹いて腕を解くと、右手の小指を立てて、セレンの目の前に差し出した。たちまち、彼が怪訝そうな顔をして首を傾げる。そうだ。彼はこの世界の人間じゃなかったんだ。握手も知らなかった。この指の意味を知らなくても、当然だ。
「あのね、この世界の、約束の仕方。小指同士を絡ませるの」
 それでもセレンはしばらく、珍しい物を見るかのように、あたしの小指を眺めていたんだけれど、やがて恐る恐る自分の右手の小指を出して。
 あたしの小指と、一回り大きい彼の小指が、絡み合う。
 星明かりの下、ふたりだけの、大事な大事な、約束を交わした。