第12章:忘却の地へ(2)
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 冬を迎えた空は、明け方から曇り始めて、今にも雪が降り出しそうな灰色に染まっている。昨夜はあんなに澄みきっていたのに。
 きんと張りつめるような冷たい空気の中、楼閣の入口まで、サイゼルさんとナイアティットをはじめとする大勢のヴァリアラ騎士が、あたしたちの出発を見送りに来ていた。
 サイゼルさんたちは当初、グリフォンを出して、あたしたちのフォローに回ると言い張ったんだけど、エイリーンの変身した白竜でゆくあたしたちにはきっとついて来られない。それに、数多くのシェイドが襲ってくる。それを一点集中で突破したいから、周囲に命を危険にさらす者がいて気を散らしたくない、と、レジェントがあえて口調きつく突き放して、騎士全員をクライスフレインに残す事にしたのだ。
「留守を預かる事になるのは、何度目でしょうか」
 サイゼルさんは苦笑をレジェントに向ける。
「ですが、あなた様はいつでも必ず戻って来られた。今回も信じて、お待ち申し上げます」
 サイゼルさんが敬礼すると、それにならって他の騎士たちも敬礼する。ヴァリアラ式の敬礼がどんなものか、はっきりとは理解していないけど、あたしたちも同じようにすべきだろうと、真似して礼を返した。
 ヴァリアラ騎士たちが見守る中、エイリーンが白竜に変化した。その美しさに、観衆からため息が洩れる。それを横目に見ながら、あたし、セレン、兄さん、レジェント、リサの順で、白竜の背に飛び乗った。
 騎士たちが再度敬礼を送ってくれる。白竜はばさりと力強い翼を広げて、灰色の空へと飛び立った。

 白竜王の力は伊達じゃなかった。スピードが他の飛獣の比じゃない。地上を見送り、海を眼下に、あっという間に、数週間前何もできずに逃げ出したあの島へと向かってゆく。
「来るぞ」
 上空が暗くなり、島影を視界にとらえる事ができるようになった頃、セレンが皆に声をかけ、グラディウスの刃を生み出した。それに応じて、あたしたちも各々の武器を構える。
 島を覆う黒い光を突き抜け、それよりなお黒い身体を持つ鳥型の影が大挙して押し寄せた。竜のエイリーンが一声吼えて、翼で叩き落すけど、いかんせん数が多い。あたしたちは、竜の背の上でできる限り動き回って、剣を、槍を振り回し、影を撃退する。
『水の精霊よ、冷ややかなる鋭き結晶となりて、我が敵を撃ち抜け』
 ケーリュケイオンで強化されたリサの第四階層の氷魔法が吹き荒れ、次々と影を消し飛ばす。
 敵の数を減らし、充分に島まで近づいたところで、
「カラン!」
 セレンの瞳の色が金赤色に変わった。
「エターナリアの一振りに光炎の翼カルバリーを乗せて、あの結界を破る!」
 あたしはしっかりとうなずき返すと、エイリーンの頭まで駆けのぼり、エターナリアを振り上げた。その後ろから、セレンが光炎の翼を打ち出す。タイミングを合わせて、透明の刃に白い炎の翼を乗せ、黒い結界目がけて振り下ろした。
 神剣の力で威力を強化された炎の一撃は、周囲の影を巻き込んだ後、ぱきいん、と、砕け散るような音を立てて、黒い光の結界を破った。白竜がそのまま、結界の消えた島へと突っ込む。勢いを殺しきれなかったか、ずざざ……っと、しばらく地面を引きずって、ようやく止まる。下手に振り落とされたら大怪我をする可能性があるから、あたしたちは必死でその背にしがみついていた。
 白竜の背から降りると、ひとの姿に戻ったエイリーンは、第一声、「ごめんなさい」と詫びてきた。
「まだ加減がわからなくて。乗り心地、悪かったでしょう?」
「そんな事ありません」
「というか、それどころではなかったしな」
 リサとレジェントが言葉を返して苦笑する。だけど皆、すぐに笑みを消して、身構えなくちゃならなかった。そこかしこの岩場から迫り来る殺気。人型の、だけど全身真っ白で顔がのっぺらぼうの、決して人間には見えない影が、わらわらと姿を現した。
 あたしたちはそいつらを斬り裂き、突き、魔法で消し去るけど、次から次へとわいて出る。たどり着くべき場所はまだまだ先なのに、こんなところで手こずってるなんて。焦りが心に浮かびかけた頃。
「――こっちだ!」
 人の声、しかも聞き覚えのあるそれが、あたしたちの耳に届いた。まさか、そんな。皆が、信じられない、という顔をするけれど。
「いちかばちか信じてみよう。罠だとしても、これより少し悪い事態になるだけだ」
 レジェントの言葉にうなずいて、全員で声のする方へ駆けてゆく。岩場に結構な段差があったけれど、滞空魔法に頼らなくても怪我をする高さじゃない。意を決して飛び降りる。影たちは降りられないのか、追っては来なかった。
「やっぱり来ると思ってたよ」
 岩陰から声の主が姿を現したので、あたしたちは目をみはる。騎士服はぼろぼろになって、無精ひげがはえているけど、間違いない。行方不明になっていた、クロウ・セスタスだった。
「よく生きていてくれた!」
「影じゃないよな?」
 レジェントが感激気味にクロウの両肩をつかみ、セレンが怪訝そうに首を傾げる。
「もしそうなら、あの影どもと一緒に襲いかかってるよ」
 クロウはセレンに苦笑を向けた後、レジェントの足元にひざまづく。
「不覚を取り、長らく陛下のお役に立てなかった事を、お詫びします」
「いや」
 謝罪に、レジェントは首を横に振る。
「こうして生きていてくれただけでいい。ミーネも喜ぶだろう」
「でも、何週間も影だらけの島にいて、よく無事だったね?」
 あたしが疑問を口にすると、クロウはまた苦笑い。
「どうせこの島からは出られないからだろうな、相手にもされなかった」
 アポカリプスにとったら、結界の中に居残って身動きのとれないクロウは、取るに足らない存在だったんだろう。不幸中の幸いと受け取るべきか、なめてくれちゃってと怒るべきか。複雑なところだ。
 それでも、この島で生き延びるには大変だったに違いない。すっかりぼろっちくなったクロウの格好をながめていて、あたしはある違和感に気づいた。
 クロウの左手。抜き身の剣の柄を布でぐるぐる巻きに固定し、無理矢理握りこませているようだ。視線に気づいたか、「ああ、これ」と彼は左手をかざしてみせる。
「グリフォンごと落ちた時に、骨をやっちまってな。腕は動くけど指がどうにもならないから、こうしてる」
 あまりに平然と言うものだから、そんな深刻な事態じゃないのでは、って錯覚してしまう。手が動かないのは、戦士として大問題じゃない?
「すぐに治します」
「いや、これで何とかなってますから。姫様は力を温存しといてください」
 リサが回復魔法を施そうとしたんだけど、クロウはそれを押しとどめて、それから、あたしたちが飛び降りてきた岩場を睨みあげる。
「それに、アポカリプスはそんな暇をくれなさそうですよ」
 次の瞬間、岩場からばっと巨大な影が飛び出し、少し離れた場所に降り立った。その姿を見て、あたしたちは息を呑む。
 みっつ頭の獰猛そうな、狼に似た魔物。カバラ社魔物辞典の中でも、特に凶悪な魔物として書かれている、地獄の番犬とも呼ばれる獣。ケルベロスだ。獲物に餓えた瞳はらんらんと光って、みっつの口から荒い息が洩れている。
 これはちょっと手こずるかもしれない。身構えようとしたあたしたちを、だけど、左手に固定された剣がさえぎった。
「皆は先に進んでくれ」
 クロウは、ケルベロスから視線を外さないまま、決然と告げる。
「俺はこんなだから、一緒に行っても大して役に立てないと思うけど、ここでカランたちが進む為の時間稼ぎをする事くらいは、できる」
「でも」
 こんな凶悪な魔物相手に、一人で敵うはずが無い。心配を顔に満たすと、クロウはやけに自信のある笑みを向ける。
「ここまでしぶとく生き延びたんだ。俺の悪運の強さを信じてくれよ」
 軽めの口調はいつものクロウだけど、有無を言わせぬ力があった。信じて任せるしか無い。あたしはうなずき、それからはっと気づいて。
「クロウ、これ、ミーネさんが!」
 ミーネさんから預かっていた双剣を取り出す。クロウは一瞬驚いた様子を見せたけど、
「さんきゅ」
 と受け取り、一振りは手早く左手の剣を取り替えて固定し、もう一振りを右手で握りしめた。待つ、なんて風情が魔物にあるのかどうかはわからないけれど、ケルベロスが襲いかかってきたのは、クロウが双剣を装備し終えた直後だった。鋭い牙を双剣で受け流し、彼が叫ぶ。
「行け!」
「クロウ、無事で!」
 彼の覚悟を無駄にはできない。あたしは短く返して、皆と一緒に走り出した。