第12章:忘却の地へ(4)
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 漆黒の空間に、踏みしめる大地は無かった。重力かどうかも判断できない力に引かれるまま、上か下かもわからずに落ちて行きそうだったあたしたちだったけど、セレンが咄嗟に滞空魔法を発動させて、とどまる。
 そこは真っ黒な世界なのに、黒い大きな光がひとつ、太陽みたいに世界を照らし出している。その光のおかげで、空間に存在するものやお互いの姿を、はっきりとみとめる事ができた。
 宙に散乱する岩が足場になりそうだ。セレンがあたしを連れて、その内のひとつに降り立つ。
 黒の世界に、黒の太陽。
 ここが、世界の狭間。いや、アポカリプスが造りだした、誰からも忘れ去られた、忘却の地。
「勇者の子孫と、最強の精霊を宿したアストラル。結局貴様たちが、我が前に至ったか」
 ほど近い場所からアポカリプスの声が聞こえて、あたしもセレンもそちらを振り仰ぐ。あたしたちが立っている場所からそう遠くない上方の岩場に、アポカリプスは腕組みなんかして余裕に満ちた表情で立ち、こちらを睥睨していた。
「我らがこうしてあいまみえるのは、運命であったという事だ」
「――運命?」
 アポカリプスの言葉に、こめかみのあたりがぴきりとひきつるのが、自分でわかった。
 運命だって?
 故郷が滅ぼされたのを?
 あたしとセレンの出会いを?
 兄さんの怒りを。
 エイリーンの涙を。
 リサの悩みを。
 レジェントの決意を。
 クロウの痛みを。
 フェリオの優しさを。
 エリル様の嘆きを。
 ミーネさんの頼りない笑みを。
 アスター君の苦労を。
 セレンの両親の想いを。
 アリミアやシェリー、ラシェルさん、バスクの死を。
 エターナリア島の人たちの苦しみを。
 世界中の、悲しみを。
「そんな言葉で、片づけるなァッ!!」
 感情の昂りに任せて大音声。そんなもの、アポカリプスの心にはちっとも響かないんだろうとわかっていながらも、怒鳴らずにはいられなかった。
 案の定、アポカリプスは心動かされた様子なんてこれっぽっちも無い。くつくつとくぐもった笑いが次第に大きくなっていき、腹の立つような高笑いになった。
 そしてそれと同時、アポカリプスが変貌を始めた。身体が数倍に膨れ上がり、黒い皮膚に覆われてゆく。それひとつひとつが剣のような鋭い牙と爪。瞳孔の無い赤い瞳。光炎の翼カルバリーとは対極に位置する邪悪さを備えた、燃え盛る黒い炎の六枚羽。
 美形のカバラ社長の面影はもうそこには無かった。心の中の暗黒を投影したような、まがまがしくて醜悪で巨大な怪物がそこに居た。
 見入っている暇は無かった。それが手を突き出し、闇の刃をいくつもいくつも飛ばして来たから。セレンが即座に炎の壁で打ち消すけれど、何割かが貫通した。それが身体を貫く前に、ほとんど脊髄反射でエターナリアで弾く。神剣の透明な刃は闇の力を無効化し、消し飛ばした。
 だけどすぐに第二波が飛んでくる。それをしのげばまた次が。防戦一方で、反撃の糸口をつかみあぐねる。焦りは隙を生み、刃のいくつかを消し損ねてしまった。それがあたしに突き刺さる直前、セレンがあたしの前に飛び出した。
 ざくざくざくっと、刃が斬りつける音。セレンが、必死に抑えたけれど抑えきれない苦悶の叫びをあげた。グラディウスが手を離れ、あちこちの岩場にぶつかって、乾いた音を立てながら奈落に飲み込まれてゆく。攻撃を受けた彼の右腕は血で真っ赤で、今にももげそうになっていた。
 あたしのせいだ。ざっと血の気が引いて青くなるあたしに、うずくまったセレンはそれでも、責める言葉じゃなくて、頼みの台詞を発してきた。
「悪い、三十秒だけもたせてくれ。その間、心配して振り返ったりしなくていい。いや、絶対すんな」
 また次の刃が飛んできたので、議論を交わす猶予は無かった。とにかくあたしはアポカリプスに向き直り、エターナリアで攻撃をしのぐ。自分の頭の中で時間を数えながら。
 まだ? 三十秒ってまだなの? 長すぎない? 不安が心を支配し始めた時、あたしの横を通り抜けていった白い炎が、アポカリプスの顔面を直撃した。光炎の翼に焼かれて、アポカリプスは低い唸りをあげ、焦げた顔をかきむしる。
 振り返ると、金赤色の瞳のセレンが立っていた。突き出された腕はすっかり元通りになっている。
「光炎の翼がもたらす回復力は火の鳥フェニックス以上だ。そう簡単に死なない」
 アポカリプスの反撃を防ぎながら、彼は言う。
「だからオレの事は心配すんな。自分が怪我をしない事を考えてろ」
 一撃を叩き込んだ事で、アポカリプスの攻撃の手は少しだけ緩んだようだ。あたしはセレンに向けてうなずくと、足元の岩を蹴って、足場になりそうな岩から岩へと飛び移り、アポカリプスに肉薄した。攻撃対象が二手に分かれた事で、敵の攻撃はさらに散漫になった。闇の刃を弾き、振り下ろされた爪をかわして、エターナリアで肩口めがけて斬りつける。
 手ごたえはあった。傷口付近が闇の粒子を立ちのぼらせて蒸発し、アポカリプスが苛立たしげな呻き声をあげる。
 攻撃に移る隙を与えないように、エターナリアで斬る。光炎の翼の炎が焼く。アポカリプスがのけぞり、咆哮する。
 大丈夫、いける。楽観的思考が脳裏をかすめた次の瞬間。
 大きくのけぞったアポカリプスの喉から腹にかけてが、ばくんと割れた。まるでさなぎが羽化するかのように、その裂け目の下から新たな漆黒の体躯が現れる。より巨大に。よりおぞましい姿で。
 傷ついた古い身体を脱ぎ捨てたアポカリプスが、吼えた。ただそれだけで、闇の波動が辺り一帯を埋め尽くす。エターナリアを掲げたけれど、それで波動を切り裂く事はできなかった。
 衝撃波に、足元の岩場が砕け散る。ぽおんと自分の身体が虚空に放り出される。
「――カラン!!」
 セレンが叫ぶ声を聞きながら、あたしは無限の闇へと落下していった。

 はっと目が覚めると、萌え始めた草のにおいが鼻をついた。身を起こせば、さわさわと柔らかい風が頬をなでてゆく。
 あたりを見回す。そこは、故郷の村の中。川べりの草の上に寝転がって、そのまま昼寝に落ちていってしまったらしい。
 夢を、見ていた気がする。長い長い夢を。
 そう、夢だったんだ。あたしはそう認識する。この村が燃えて無くなったなんて、なんて悪い夢を見ていたんだろう。
 他にも何か色々あった気はするけれど、ぼんやりしていて思い出せそうにない。思い出せないくらいの夢なんだから、忘れたってきっと大した事は無いんだ。あたしはそう考えて、夕空の下、家路へついた。
 木製の、こぢんまりとしているけれど、四人で暮らすには充分の家。ちょっとだけたてつけが悪い扉を開けると、
「おかえり、カラン」
 家族が出迎えてくれた。
 鍋の中身をかき回しているのは、長い緑の髪が綺麗な、美人のお母さん。普段は茫洋としているけど、剣を握ると勇敢な戦士の顔になるお父さん。髪の色はお母さんやあたしと同じ緑だけど、顔はばっちりお父さん似の兄さん。
 ――兄さんは、髪の色が変わってなかったっけ?
 一瞬、そんな考えが頭をよぎるけど、それは夢だ、ってひとり首を横に振る。
「カランったら。ぼうっとして、どうしたの?」
「な、なんでもない」
 お母さんの優しい笑みに包まれて、再度首を横に振る。だけど次の瞬間、また脳内を通り過ぎる情景。血だらけのお母さん。真っ黒の、魔物とは違う怪物。あれは何と言ったっけ。……影? シェイド
『――カラン!』
 誰かがあたしを呼ぶ声がしたような気がして、こうべを巡らせる。あたしたち家族以外に、誰もいない。いるはずが無いのに、何故か、その声を探さなくちゃいけない気がした。
「カラン」
 家の外へ向けて足を踏み出そうとしたあたしの腕を、ぱしりとつかみ止める手があって、振り返る。お父さんだ。
「そっちへ行っては駄目だよ」
 笑みかけるお父さんの表情が、なんだか物凄く白々しく、空っぽなものに見えた。
「あなたは私たちと、ここで幸せに暮らすのよ」
 お母さんの笑顔も、何か大切なものが欠けたみたいに。
「ずっと、ずっと。世界の終わりまで」
 違う。その思いが胸に浮かぶ。
 あたしの心のどこかが気づいてる。この手を振り切って声の方へ行けば、この穏やか過ぎる世界が終わってしまう事を。だけどこうとも知ってる。行かなくちゃ、世界そのものが終わる事も。
 そこに気づいた瞬間、失われかけていた記憶が、かちりと音をたてて全部繋がった。あたしはアポカリプスの攻撃を受けて、落とされたんだ。この、偽りの優しい世界に。
「ごめん」
 ごめんね、お父さん、お母さん。あたしは宣告する。
「二人は、もういない」
 それから兄さんの方を向いて。
「兄さんももう、昔の兄さんじゃない」
 直後、家族の笑みは無表情に変わり、姿がぐにゃりと歪んで、影になった。扉を開けて家の外に飛び出せば、もうそこは、のどかな村の中じゃなかった。広がる情景は、記憶の中に残っている村と変わりないけれど、一切の色が抜け落ちた無色の世界。そして、人型の影がゆらりゆらりと近づいてくる。
 武器。そう思考して気づく。手にしていたはずのエターナリアが消えている事に。どこへやったんだろう。失くしてしまったの?
『カラン!』
 心急く耳に再度届いた、あたしを呼ぶ声に、色の無い空を振り仰ぐ。
 そうだ。この声は、あたしをはるかなる世界に連れ出してくれた声。
 喜びも悲しみも分かち合い、あたしがあたし自身と向き合う勇気さえ与えてくれた声。
 そして、きっと、誰よりも。
「――セレン!!」
 この感情を与えてくれた彼の名を大声で呼ぶ。それと同時、色の無い世界を白い炎が駆け抜け、影を焼き尽くす。
 幻の世界が消えた。何も無い宙に放り出されたあたしに向けて、伸ばされる手がある。あたしはそれをしっかりとつかみ取る。
「カラン!!」
 金赤色の瞳が、あたしを映している。安心感と、愛おしさすら感じる顔が、そこにある。
 彼が、つかんだ手とは反対側に持っていたエターナリアを託してくれる。あたしはそれを受け取り、力強く握りしめる。
 そうしてあたしたちは、更なる変貌を遂げたアポカリプスと、向かい合った。