第12章:忘却の地へ(5)
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 アポカリプスはもはや、依代が人の形をしていたのが嘘のように、空間を埋め尽くすほど巨大で、邪悪さを反映した外見へと姿を変えていた。だけど巨大になった分、動きは緩慢になっている。
 残る岩場を蹴って背後に回り込んでしまえば、完全な死角に入る。攻撃を受ける事無く、ざんざんとエターナリアを振るい、燃え盛る六枚羽の炎を打ち消した。
 正面からはセレンが間断無く炎を放つ。アポカリプスはいらだったふうに腕を振り回すけれど、その攻撃は明らかに精彩を欠いていた。たやすく避けられる。
 あたしはまた岩場を伝ってセレンの元へ行き、頼んだ。
「あいつの頭の上から、あたしを落として」
 彼の金赤色の瞳が驚きに揺れたけれど、あたしは、にっと笑って。
「受け止めても、くれるでしょ?」
 それでセレンもあたしの意図に気づいたようだ。ひとつうなずき、あたしの手を取って、滞空魔法を発動させる。
 アポカリプスが唸りながらあたしたちを見上げて手を突き出し、闇の波動を放った。セレンは空中で上手い具合に方向転換して、それをかわす。そしてアポカリプスの頭上充分な高度に来たところで、あたしの手を、ぱっと離した。
 落下の速度は武器の威力に加算される。あたしはエターナリアを両手で握りしめて振り上げる。そこにセレンの放った光炎の翼カルバリーの炎が加わり、渾身の力で振り下ろされた神剣は、アポカリプスの脳天から腹までをずっぱりと斬り裂き、そして燃やした。
 すぐさまセレンが飛んで来て、際限無く落下していきそうだったあたしの腕をつかみ止める。近くの岩に降り立てば、アポカリプスはまたもダメージを負った身体を脱ぎ捨てて、今度は人と変わらぬ大きさの、だけどますます邪悪な存在へと変化しようとしていた。
 ここで仕留める。変貌の間隙を狙ってあたしは詠唱を開始した。
『集え光の精霊』
 それは第五階層の光魔法、禁呪フォビドゥン
 前にフェルバーンに向けて放った時は、取り憑いたアポカリプスに反撃を受けて、あたしは自分の命を失った。だけど今度はきっと大丈夫。エターナリアに乗せて撃てば、負荷を受け負ってくれる。神剣を掲げて詠唱を続けると、一回り大きな手があたしの手の上からエターナリアを握った。
「オレも負担を引き受ける」
 セレンは、あたしを勇気づけるように笑いかけてくれる。
「ふたり分の力があれば、禁呪も不可能じゃなくなるはずだ」
 彼につられて、笑みがこぼれた。力強くうなずき返し、詠唱を続ける。
『あまねく世界に在る力全て、この身を器として満たし』
 アポカリプスは、巨大な身を捨て、世界中の黒という黒を凝縮したシェイドのような姿へと変わるのを終えようとしていた。こちらが魔法を放つのが早いか、奴が攻撃態勢を整えるのが先か。瀬戸際の時、ところが急に、アポカリプスがぴたっと動きを止めた。
『――アポカリプスの動きを封じる。今の内に』
 あたしたちの脳内に響いてきたのは、聞き覚えのある声。思わず詠唱を中断して、あたりを見渡してしまう。声の主はいない。だけど、この声は。
「……フェルバーン?」
 セレンが呟く。
『アポカリプスに呑み込まれて初めて、自分の愚かさに気がついたよ』
 肯定も否定も無かったけれど、続けられた言葉が、彼である事を証明した。
『世界へのせめてもの償いに、君たちに討たれよう』
「勝手な言い草だな」
 セレンのぼやきはもっともだ。世界を危機に陥れた後から、しかもこんな時に反省するなんて、本当に、本当に、ひどいひとだ。
 だけどきっと彼の今の言葉は、その気持ちは、疑いようの無い本物。それを受け取り、無駄にしない為に、あたしは詠唱を再開した。
『悪しき力持つ意志を打ち破る為に、この命懸けて』
 心と身体が相反してその場で震えるばかりのアポカリプスが、ぎこちなくこうべをこちらに巡らせる。
『我が敵を打ち滅ぼせ!!』
 奴がフェルバーンの意志を打ち破って動き出すのに先んじて、魔法が完成する。ひときわまばゆい輝きを放つエターナリアから、ふたり分の魔力を乗せた、最高位の光魔法が撃ち出された。
 それは一瞬にしてアポカリプスを呑み込み、闇を駆け抜け、黒い太陽までをも貫き、そうして世界の狭間に光が満ちる。
『すまなかった』
 光の中、あのひとの穏やかなささやきが聞こえた気がして、あたしは声に出していた。
「さよなら」
 さよなら、あたしの、初恋だったひと。

 忘却の地は崩壊を始めていた。激しい振動が襲い、岩場が次々と崩れて、無限の闇に呑まれてゆく。
「脱出しよう」
 セレンの言葉にうなずき返す。彼が転移魔法を発動させようとした、まさにその時だった。
 闇の奥から、黒い影が幾本もの腕を持って伸びてきたのは。
 気づいた時には、あたしは突き飛ばされていた。なんだか最初にデュアルストーンを見つけた時にも、同じ状況があったような気がする、なんて、頭のどこかが呑気に回想していた。あの時は、獣型の影がセレンの肩に食らいついていったけれど、今迫る危険はそれの比じゃない。
 しぶとく残ったアポカリプスの意志が、セレンに絡みついたのだ。そうだ、アポカリプスはアストラルを乗り継ぐ存在。執拗に生き残る為に、とにかく身近にいるアストラルを次の依代にしようとしている。
 近くのまだ無事な岩場に踏みとどまり、エターナリアで黒い腕を振り切ろうとしたあたし目がけて、邪魔をするなとばかりに、腕の一本が襲いかかって来た。顔を殴られ、衝撃に意識が遠のきかけた瞬間、エターナリアを取り落としてしまう。
 まずい。必死に手を伸ばしても、宙に放り出された神剣にはもう届かない。青くなるあたしの目の前で、だけど、エターナリアは受け止められた。
 セレンの手によって。
 彼がエターナリアを振り回し、自分の腕に、足に絡みつくアポカリプスの意志を斬り飛ばす。
 エターナリアを、振り回して。
 そこではっと気づく。そうだ。あたし以外には持てないはずのエターナリアを、さっき彼は手にして、あたしに渡してくれた。そういえば、皆が持てるかどうか試してみた時にも、彼はひとり無関係そうにして、参加しようとしなかったじゃない。
 そうだ。伝説の勇者は、人とアストラルの混血。
 セレンの血筋は、なんだった?
 考える間にも、アポカリプスの腕は次から次へと伸びて来て、崩壊する世界の底へセレンを引きずり込もうとしている。あたしと彼の距離はどんどん開いていくばかり。
「カラン!」
 どうしようか。考えあぐねるあたしの耳に彼の声が届いた。見やれば、自分の魂が生か死かの境目にさらされているのが嘘のような穏やかな表情で、彼はあたしに笑いかける。
「約束、守るから」
 それが何を意味しているのか。気づけないほどあたしは馬鹿じゃなかった。
「駄目、駄目だよ」
 あたしは必死に手を伸ばす。
「一緒に帰ろうよ。元の世界へ。皆のところへ!」
 だけど彼はゆるゆると首を横に振り、転移魔法を発動させる。
 あたし一人に対して。
「これはオレたちアストラルが始めた事だ。だからアストラルの手でケリをつける」
 ぶわっと涙があふれ出し、彼の笑顔がはっきりと見えなくなった。
 叫びたかった。何で、どうして、いつもひとりで勝手に決めて突っ走るの。なんでいつも、あたしを置いて先に行っちゃうの。
 あたしはまだ、何も伝えていないよ。なんにも。
 感謝も、お詫びも。
 心の中で育てた、この気持ちさえ。
「ありがとう」
 歪む景色の中、彼の声が聞こえる。
「お前に出会えて、本当によかった」
 その言葉を最後に、あたしの視界は完全に閉ざされ、意識が飛んだ。

 次に気がついた時、あたしはあの、世界の中心の島にいた。
 戻ってきたのだ。一人で。
 その状況をはっきりと認識するより先に、ひときわ大きな揺れが島じゅうを襲い、世界の狭間へ続く門は崩れ落ちた。揺れはそれだけでは収まらず、島全体が崩壊を始める。
 白竜になったエイリーンに兄さんとクロウが乗ってきて、リサを引き上げる。あたしは地面にへたり込んで呆然としていたんだけれど、レジェントに腕を引かれ、白竜の背に押し上げられた。
 皆を――ううん、彼がいない。ひとり欠けたあたしたちを――乗せて、エイリーンは空へ飛び立つ。直後、轟音をあげて島は崩落し、海の底へと沈んでいった。
 もう、あの忘却の地へは行けない。それを認識した時、あたしは言葉にならない叫びをあげて、白竜の背から身を乗り出し、慌てた兄さんに引き止められた。
 何回、彼の名を呼んだかわからない。どれだけの涙を流したかわからない。
 どんなに泣き叫んでも、戻りたいと望んでも、あの場所へ行く事は二度とできなかった。
 彼の姿を、見つける事も。

 その後。
 四季が一周して。

 世界から影は完全に姿を消した。魔物たちもすっかり大人しくなって、なりをひそめている。
 カバラ社はアスター君が新社長に就任して陣頭に立ち、ランバートンとヴァリアラ、両王家と連携を取り、また、アストラルの力も積極的に借りて、各地の都市の復興を始めた。
 世界は救われ、そして変わろうとしている。人とアストラルはまだ互いに距離をはかりつつも、少しずつだけど確実に歩み寄りを見せている。千年前の過ちが繰り返される事は、もう無いだろう。
 最後の戦いからしばらくして、あたしたちはカバラ社からバウンサーとアストラルを派遣してもらって、エーデルハイトの故郷の村を訪ねた。エターナリア島のように、打ち捨てられたままの皆を、きちんと埋葬して弔う為に。
 あたしと兄さんは、お父さんとお母さんの骨を見つけ出し、並んだお墓に納めた。
 それが終わると、あたしたちは互いの無事を願って別れ、それぞれの道へと進んだ。
 レジェントとリサは、アリミアの喪が明ける頃に結婚式を挙げた。それはそれは盛大で、真っ白な花嫁衣裳をまとったリサは、とても綺麗で、とても、幸せそうだった。
 ヴァリアラには、他にもおめでたい事があった。サイゼルさんとナイアティット夫婦に、男の子が生まれたのだ。立派な騎士にするんだって、サイゼルさんは今から意気込んでる。
 クロウはしばらく療養した後、ヴァリアラ騎士に復帰した。ミーネさんに再会した時、彼は二発や三発くらい殴られるのも覚悟していたみたいだけど、どっこいミーネさんは、生還したクロウの姿を見た途端、その胸に飛び込んで泣き出したものだから、クロウもすっかりおろおろしてしまった。
 クロウはリサにきちんと手を治してもらい、今はミーネさんと二人仲良く、時に喧嘩もしながら、一緒に暮らしている。最大の脅威は去ったとはいえ、世界にはまだ危険が残っている。ノアルとアーレンに手伝ってもらいながら、ミーネさんは今日も武器を打ち続ける。
 兄さんとエイリーンは、ふたりで旅に出た。バウンサーとして各地を巡っているらしく、その土地独特の紙を使った便りが時折届く。ほとんどはエイリーンの字で、兄さんが筆を取ることはめったに無い。でも、なんだかんだでふたりはうまくやっているみたいだ。
 シエナ・アイトでは、アポカリプスを倒す為に命を賭した勇士として、セレンを弔う儀式が行われたらしい。らしい、なのは、ユエナから話に聞いただけだから。先導したのがハヴィッツだっていうのは驚きだ。
「あいつがそう簡単にくたばる訳無いじゃん。いつかフラっと戻って来るって」
 ユエナの軽口に、あたしも、そうだね、と笑みを返した。

 そして、あたしは。
 ザスに、フェリオの店に帰った。
 フェリオは柔らかい笑顔で、「おかえり」と言いながらぎゅうっとあたしを抱きしめて、あたしが大泣きしながら思いの丈をぶちまけるのを、何も言わずに聞いてくれた。

 それから、あたしは。
 毎日、お弁当を作って。
 この、ルグレット平原で。
 彼を、待ち続けて。