番外編3『白髪の剣士』(2)
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 温かい背中、と。同じ事を言われた経験がある。
『ラテジアの背中は温かいわね』
 柔らかい栗色の髪が、素肌に触れる。
『でも、まだまだ、頼りがいがあるとは言えないかな』
 いつになったら相方として頼ってもらえるのか。むっとしながら訊ねれば、彼女は笑って、耳元で囁いた。
『少なくとも、私から簡単に一本取れるくらい強くなってもらわないと、一人前とは認めないわよ』
 だが、その機会は訪れない。もう、永遠に。
 何故なら、彼女は。

「……ラテジア様?」
 蹄の音と混じって消え入りそうな、おずおずと呼びかける声に、はっと現実へ立ち返る事で、ラテジアは、自分が過去の思い出に耽っていたのに気づいた。
 そうだ、クライスフレインへと森を抜ける途中だったのだ。ちらりと振り向けば、ヴァリアラの姫が、気づかわしげな表情でこちらを見ている。
「……何でもない、気にするな」
 こういう時、相手を安心させる為に吐く言葉を、ラテジアは知らない。他人を慮るというのは、昔から苦手だ。最低限の言葉を交わす事しかしない、というか、できない。
 一人で旅をするようになってからは殊更、必要な時以外は口を開かなくなっていた。
 その方がいい。無闇に言葉を交わして余計な情を抱けば、突然別離が訪れた時、傷つくだけだ。彼女の時のように。
 では何故、この少女を助けてしまったのだろうと、思い返す。
 バウンサーとして依頼された訳でもない。ヴァリアラの姫だというのが、彼女の誇大妄想による虚言である確率だって、なきにしもあらずだ。
 それでも助けたのは、妹に似ているからだろう、と考え至る。
 ザスのフェリオの店で、平々凡々として退屈ではあるが、静かな暮らしの中にいるはずの、カラン。
 もう年頃の娘だ。そろそろ、嫁に行く時の事を考えてやらねばならない。が、その為の資金までフェリオに世話になる訳にはいかない。となれば、兄の自分が用意してやるしかない。
 今まで二年間、バウンサーとして世界を渡ってきたおかげで、それなりの金はまとまった。後は帰るだけだ。目的を果たして。
 だが、その目的を果たす、という事が、いまだ達成される見込みが無いのも、重々承知していた。
 二年間、世界のあちこちを回っても、自分たちの生まれ育った村を滅ぼした仇については、尻尾をつかむどころか、影法師すら見いだせない。やはり危険を承知で、故郷の大陸エーデルハイトにも足を伸ばしてみなければならないだろうか。
 だが、その後も。仇を討ったとしても、帰れるのだろうか。剣を手にして血にまみれ、大切な人を死に追いやった自分が、穏やかな日々の中へ帰る事など。
 そこまで考えた所で、ラテジアは、自分がまた思考の回廊へ迷い込んでいた事を自覚する。声に出して喋らない分ぐるぐると一人で考え込むのは、幼い頃からの癖だ。
 大きく溜息をついてしまったのを、不機嫌なのかと受け取ってしまったらしい。アリミアが恐る恐る口を開く。
「あの」
 だが、この時彼女が何を言おうとしていたのか、ラテジアは遂に知る事が無かった。ざっと頭上をよぎった大きな影に、二人とも天を見上げ、それぞれ異なる感情にとらわれたので。
「あ」
 アリミアが喜びの表情を顔に浮かべて、安堵の息を洩らした。だが直後、それが戸惑いに変わる。ラテジアがきっと唇を引き結び、剣の柄に手をかけたからだ。
 満月の光の中、一点の影がさし、そしてまっすぐこちらに向けて急降下してくる。
 ぎいん、と、金属がぶつかり合う音が夜の森に響いた。
 馬に併走して、銀色の羽根を持つ大型の鳥が飛ぶ。幻鳥ガルーダ。存在は聞いていたが、実物を見るのは初めてだ。そしてその背に乗るは、自分よりひとつかふたつ年上だろう、紫の髪の、アリミアに共通する面差しを持つ青年。
 だが、普段は温和に違いない紫の瞳は今、明らかな敵意を込めて、ラテジアに向けられている。
「賊が!」
 青年が口を開いた。歳の割には低めで迫力のある声だった。
「アリミアを返せ!」
 繰り出された槍を、片手だけで剣を振って弾き、すれ違いざまに相手と視線を戦わせる。
 アリミアと似た容姿、そしてガルーダ。どうやらヴァリアラ国王自らお出ましのようだ。そして自分は、彼の妹姫を誘拐した蛮賊と盛大に勘違いされているらしい。
「お兄様!」
 アリミアが悲鳴のような声を上げるが、相手は取り合う様子も無い。ガルーダが地上すれすれを滑り、馬の行く手を遮るように回り込む。
「馬鹿か!」
 そんな風に馬を無理矢理止めれば、大事な妹が振り落とされて大怪我をするかもしれない、という事に考え至らぬほど、頭に血が上っているのか。
 ラテジアは舌打ちすると、馬の腹を思い切り蹴る。直後、馬は高々と飛び上がって、ガルーダの頭上を越える。白い髪が月光を受け、青みを帯びて輝いた。
 ぽかんと口を開けてほうけてしまう青年から、多少距離を取った所へ、馬は見事に着地した。
 ラテジアが促すと、アリミアは馬を降り、小走りに青年の元へ向かった。青年は妹が駆け寄ってくるのに気づくと、自らもガルーダを降り、
「アリミア!」
 両腕を広げて待ち受ける。だが、妹姫はそこに飛び込んで来なかった。
「お兄様の馬鹿!」
 アリミアが拳を振り上げて、ぽかぽかと彼の胸を叩いたのだ。
「ア、アリミア、何故」
「ラテジア様はわたくしを助けてくださったのです。その方に、槍を向けないでください」
 そうしてアリミアが経緯を語る内に、青年の顔からラテジアを警戒する色は消え、代わりに、他者への怒りが宿る。
「クライスフレインに帰って来たら、お前が外出したと聞いたから、心配になって追って来たが」
 青年は呟いた。
「やはりデミテル叔父上か」
 そろそろ頭も冷えただろう、というタイミングを見計らい、ラテジアも下馬して剣を鞘に収め、近づく。すると。
「すまなかった」
 青年は素直に頭を下げ、左手を差し出した。
「レジェント・リュード・ヴァリアラだ。勘違いだったとはいえ、妹を助けてくれた恩人に、とても失礼な事をした」
「構わん」
 今、戦ったばかりだからわかる。レジェントは敵意を示さない為に利き手を差し出しただけで、左である事にそれ以上の意味は無いのだろう。その手を握り返しながら、ラテジアはそっけなく言い放った。
「お前が、前後不覚になるくらいこの姫を大事に思っている事だけは、よくわかった」
「……本当に悪かったと思っているよ」
 思いきり嫌味と取れる――実際そうなのだが――一言に、レジェントは反論の余地も失って肩をすくめた。一国の主をいきなりお前呼ばわりするいちバウンサーの言動を、咎める様子も無い。
「でも」アリミアが申し訳なさそうに洩らす。「本当に悪いのはわたくしです。お兄様に何の相談も無しに行動した結果、多くの方にご迷惑をかけてしまいました」
「そんな事は無い、気にするな」「自覚しているなら、王族としてましな方だな」
 レジェントとラテジアは真逆の感想を述べ、国王が憮然と剣士の方を見やる。
「お兄様」口を開きかけた兄を妹がとどめ、そしてその身から不意に力が失われ、アリミアはがくりと崩れ落ちそうになって、慌ててレジェントが抱きとめた。
「アリミアは、生まれつき身体が弱いんだ」
 気を失った妹を軽々抱き上げながら、レジェントが弁解のように言う。
「ここまで、ずっと気を張っていたに違いない」
「なら、ここからはお前がしっかり守ってやれ」
 ラテジアはそれだけ言って、レジェントから視線を逸らすと、再び剣を抜きながら青い目をすっと細めた。レジェントも気づいたらしい、妹をかばいつつ距離をはかる。
「何だ、先発の連中は失敗したのか」
 木立の向こうから現れたのは、背の低い、鉤鼻とぎらぎらした目が小さめの顔の中で異様に目立つ、中年の男だった。
「だが都合がいい。兄妹もろとも始末できて、報酬は俺が独り占め」
 きしししし、と、耳障りな笑い声を洩らして、男は両手に短剣を構える。
 が。
「生憎だが」
 ラテジアは不機嫌極まりなさそうに口を開くと同時、地を蹴り、男との間合いを一気につめたかと思うと。
 一撃目で、右手の短剣を叩き落とし。
 二撃目で、左手の短剣を弾いて。
 腹に思い切りよく膝を叩き込み。
 ぐらついた所へ、左手の拳で、鉤鼻が陥没するほどに殴りつけ。
「お前の夢は夢で終わる」剣を鞘に収めて吐き捨てる。
 そのたったいつつの動作を行う十数秒で、男をあっけなく地に沈めた。
「……すごいな」
 レジェントが心底感心した様子でこぼす。
「ヴァリアラの騎士にも、これほどの腕を持つ者はそうそういないよ」
「おためずくなど言わなくていい」
 ラテジアは無愛想に言い放ち、そして、先ほど無法者から奪った物をレジェントに向けて放り投げる。それは、月光を受けてきらきら金色の輝きを放ちながら、国王の手に収まった。
「この男と、それが、使えるか」
 問いかけに、レジェントは受け取った物をまじまじと眺めて、目をみはり、
「十二分に」
 とうなずきながら、それを己の懐にしまいこんだ。
 直後、ラテジアが地に伏す男の顔面に蹴りを入れた。「ごふう」とうめく声がする。レジェントが、そこまでせずとも、と非難しようとして、しかし言葉を飲み込む。
 剣士の靴は男の口に突っ込まれていた。黒幕を知られない為に、舌を噛んで自害しようとしたのだろう。だが、それすら阻まれた男は、この後、どうあがこうとも死ぬより恥さらしな目に遭うだろう事を想像して、絶望したに相違ない。