番外編3『白髪の剣士』(3)
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『悔やま、ないでね』
 腕の中で、息も絶え絶えに彼女は告げた。
『私の為に、泣いたり、自分を、責めたり、しないでね』
 血に濡れた手が顔をなで、ぬるりとした感触が頬を赤に彩るのが、他人事のように感じられる。
『……泣かないよね、男の子、だものね』
 最後の力を振り絞って微笑んでみせた、その目は潤んでいる。
『でも、あなたの弱さも、脆さも、全部含めて……好き、だった』
 手が力を失って、頬を滑り、ぱたりと地に落ちる。二度と開かなくなった目から、つっと伝い落ちる涙一筋。
 呼びかけても、彼女はもう応えない。
 自分以外動くものの無くなった中で、喉も裂けよとばかりに、激しい慟哭の叫びを張り上げた。

 クライスフレイン、王族が住まう楼閣の一角の玉座が設えられた広間に、銀色羽根のガルーダが勢い良く舞い込んだ。巻き起こる風に、その場にいた誰もが驚き慌てふためく。
 ただ一人を除いて。
「おお、これはこれは陛下、ご無事でしたか。心配しましたぞ」
 本来は神経質そうな顔に媚びへつらう笑みを浮かべて、恭しく礼をしたこの男が、デミテル・ウェブスターか。なるほど、甥姪とは似ていない。面差しそれ自体もだが、背丈は小さくて、虚勢を張る小物ぶりが全身からにじみ出ている。ガルーダの背の上からラテジアはそう判断し、絶対に相容れない性格をしているだろう相手を見すえた。
「お言葉いたみいります、叔父上」
 ここまで三人を乗せ、おまけもついて、重たそうに飛ぶ相方を叱咤して来たレジェントは、紫の瞳を半眼に細めて、叔父である男を睨みつけた。
「生憎、あなたのお考えに反して、無事に戻りました」
 その場の温度が一気に数度下がったようだった。ざわめき合っていた人々が一斉に口を閉ざし、デミテルは中途半端な笑いを浮かべたまま固まっている。
「……何をおっしゃっているのやら」随分と長い沈黙が流れた後、デミテルは、訳がわからない、とばかりに首を横に振った。
「アリミアを誘拐して、俺を亡き者にし、ヴァリアラ王座を奪おうとした」
 王の宣告に、再びどよめきが起きる。
「デミテル殿」
 騎士団長のサイゼル・ロストックが眉間に皺を寄せ、剣の柄に手をかけた。
「そのような不遜を、貴公ははたらこうとされていたのですか」
 しかし、デミテルはあくまで飄々として肩をすくめる。
「何を根拠におっしゃるのですか、陛下。亡き太后様と血を分け、王家に忠誠を誓ったこの身。おとしめるような発言をされるのは、たとえ甥であるあなた様といえど、許されるものではありますまい?」
「口だけは達者な奴だな」
 それまで黙って事の成り行きを見ていたラテジアが口を開くと、デミテルのやけにぎょろりとした目が、うさんくさそうにこちらへ向けられた。
 苛立ちを覚えつつも、ラテジアはガルーダの背から飛び降り、ガルーダにくくりつけて運んで来た「おまけ」を広間に引き出した。
 ごろりと転がったのは、ぐるぐる巻きに縛られた、刺客の男。
「言え」
 舌を噛み切らないようにはめていたさるぐつわを外し、すかさず首筋に剣をぴたりとつけて、ラテジアは絶対零度の声色で告げた。
「お前の雇い主を。お前にどういう命令をしたかを」
「そ、そこの男だ。ヴァリアラ国王の、叔父だ」
 陥没した鼻から鼻血をたらしっぱなしの、哀れな形相になった男は、あえぐように言葉を発した。
「姫をさらって国王をおびき出し、事故に見せかけて二人揃って片付けちまえと。そうしたら十年は遊んで暮らせる金をやると言われて、四割前金をもらった」
 広間の温度が更に下がったような気がした。空気が張りつめ、国王を信頼する騎士たちはこぞってデミテルを見すえ、常々からデミテルに取り入っていた貴族たちは明らかに狼狽する。しかし。
「……これはこれは」
 嘲りを込めた、余裕を残す笑いが、デミテルからこぼれ落ちた。
「素性も知れぬ男にこのような茶番を演じさせて、陛下は何を企んでいらっしゃるやら」
 尻尾をつかまれないと自信があるらしい。あくまでしらを切り通すつもりなのだろう。
 だが。
 ラテジアは横目で、妹姫を抱いたままガルーダを降りて来るヴァリアラ国王の姿を見届けた。彼は、叔父が黒である事を証明する、最後にして決定的な証拠を握っているのだ。
「企みなどではない。これが事実なのだから」
 レジェントが、懐から金色に輝く物を取り出した。それは、ラテジアが無法者から奪い、レジェントに託した物。ヴァリアラ王家の徽章たるグリフォンの姿が刻まれた、ヴァリアラ金貨だった。
「これがあなたの罪を証明する」
 金貨を眼前に掲げて言い切るレジェントを、デミテルは鼻先で一笑に伏す。
「たった一枚の金貨が? そんな物はいくらでも出回っております。陛下、国王といえど、ご冗談も大概にしていただかねば」
「そう、ただの金貨だ」
 デミテルの台詞を途中で遮り、レジェントは続けた。
「まだ正式発行されていない、な」
 デミテルの目が見開かれた。レジェントの手の中で輝きを放つ金貨には、グリフォンの姿が刻まれている。後方を振り仰ぐ、現在のヴァリアラ国旗と同じ意匠が。
 ラテジアは知っている。ヴァリアラ国民だけでなく、世界を旅するバウンサーならば既知の事実だ。現在出回っているヴァリアラ金貨のグリフォンは、いまだ旧いまま、前を向いている事は。
「この金貨はまだ、王族に連なる者への俸給にしか使われていない。つまり、王族関係者が、アリミアを襲撃した者たちにこれを渡したのだろう」
 デミテルが、こぼれ落ちんばかりに目を見開き、歯をぎりぎりと食いしばっている。
「叔父上、あなたが慎重に事を為そうとする方である事は知っている。だから俺は、このような事態も見越して、財務に関わる重臣以外誰にも知られないようにこの件を進めた」
 レジェントが金貨を放り投げる。きらきら輝きを放つ弧を描きながらそれは落ち、二、三回床を跳ねた。
「用心深いあなたが、自分の俸給だけは中身をあらためない落ち度があったという、部下の報告も受けている」
 なるほど、ただの兄馬鹿ではない。一国を担うだけの思慮と度胸のある男だと、ラテジアの中で、この国王の評価が是正されると同時、彼が叔父に宣告した。
「デミテル・ウェブスター。反逆を目論んだ罪、素直に認められよ。今ならまだ、身内として処遇は考慮する」
 一瞬の沈黙の後。返って来た答えは、魔法の詠唱だった。足元から、ぎゃあっと悲鳴があがったので、はっとして視線を下ろせば、ここまで連れて来た男の首が飛んでいた。得物の名残は無い。魔法で生み出された風の刃に斬り飛ばされたのだ。そう理解すると同時。
「……ふ、ふ、は」
 あまりに場違いで、頭がおかしくなったのではないかという笑いが耳に届いた。声の方を振り向けば、片手を突き出した――魔法を放ったのだ――体勢のまま、デミテルが、狂気じみた笑みを顔に張りつけていた。
「父親同様、余計な浅知恵だけは働く小僧よ」
 最早取り繕いはしない。彼は、二発目の詠唱を始める。先程の風の刃の威力からして、第三階層並の魔法を扱う事、次にそれが放たれれば、犠牲は一人では済まないかも知れない事は、想像に難くない。ラテジアは咄嗟に床を蹴り、デミテルとの距離を一息で縮めた。
 ぎょっと目を見開くその顔に拳一撃。折れた歯が宙を舞い、騎士たちが反応する時間も与えず、デミテルは仰け反り、どうとあおのけに倒れた。
「……恐れ入った」
 しん、と場が静まり返った後、サイゼルが感嘆の吐息を洩らすまで、しばし時間があった。
「やはり君は強いな」レジェントが、心底から感心している、という笑みをこぼしながら近づいて来る。「本当にヴァリアラ騎士になってみないか」
 その気はさらさら無い。そう答えようとして半眼を向け、そしてラテジアは、その視線を再度デミテルに向けると同時、剣の柄に手をかけた。
「甘いんだよォォォッ!!」
 狂ったような叫びと共に、詠唱を終えたデミテルが跳ね起き、火属性魔法がラテジアを襲った。喉まで焼けつくような炎の中、それでも手は剣を鞘から抜き放ち、振り下ろす。
 耳元で唸る炎の音がうるさくて、相手が悲鳴をあげたかはわからなかった。ただ、必死に振り下ろした剣が、デミテルの右腕を確実に斬り飛ばすのを見届けたところで、ラテジアは前のめりに倒れこんでいった。

 その後の記憶はあやふやで、歌声が聞こえる中、夢と現を行き来していた気がする。
 その狭間で、夢を見た。いや、それは夢などではなくて、実際にあった過去だ。
 あの時も同じだった。襲って来た盗賊。全滅させたと思って油断した、ほんの一瞬。最期の力を振り絞って斬りかかって来た敵から自分をかばって、彼女は致命傷を負った。
 隙を見せて彼女を失ったというのに、また同じ失態を演じてしまった。もし彼女がこの場にいたら何と言っただろう。怒りながら不覚をいさめただろうか。それとも、「やっぱりまだまだね」と苦笑を見せただろうか。
 彼女の性格からして、後者のような気がする。
 唇の端に微苦笑を浮かべてみたのは、つもり、だったのかもしれない。だが、それをきっかけに、意識は急速に現実へと立ち返った。
 まぶたを開くと、まず天井が見えた。視線を少しずらすと、二対の紫の瞳が心配そうに覗き込んでいる。
「……ラテジア様」
 歌が途切れた。包帯をぐるぐる巻きにされた手を握りしめてくれながら、アリミアが、紫水晶の瞳から涙をぽろぽろこぼす。
「よかった」
 レジェントがひとつ、大きな安堵のため息をつき、笑いかけた。
 そしてレジェントは語った。
 あの事件から、三日が過ぎた事。デミテルはあの直後、転移魔法を用いてその場から消えてしまった事。デミテルに与していた家臣たちが根こそぎ投獄され、デミテル派はクライスフレインから一掃されつつある事を。
 回復魔法を使える魔道士を召集するのに手間取って、ラテジアの火傷を治すのに少々時間がかかってしまったとも、レジェントは申し訳無さそうに告げた。幸い、治療が上手かったらしく、今後も剣を握って動き回るのに支障は一切無いとの事だった。
「随分うなされてて、ラシェル、ラシェルと、女性の名を呼んでいたが」レジェントがからかい気味に訊いてくる。「恋人かい?」
 だが、彼の笑みは、ラテジアの答えを聞いてすぐに消えた。
「俺が殺した女の名前だ」

 ラテジアは、傷が癒えるとすぐにクライスフレインを去って行った。レジェントが、新しいヴァリアラ金貨でかなりの額の礼を用意したのだが、「要らん」と何とも無味乾燥な応えひとつ残して。
 いや、それ以外のものも残った。彼が療養する内の十数日ではあったが、共有した時間の思い出が。
 アリミアは、兄と共にラテジアのそばについて、ぽつぽつと言葉を交わし、時に己の声を用いて歌を披露してみせたりした。
 そうして、彼の故郷が既に亡い事、その仇を探している事、妹がオルトバルス大陸にいる事、大切な女性を亡くし後悔の念にさいなまれている事を、口数少ない彼との会話の中から知った。
 その後、二年。
 今日に至るまで彼とは会っていない。だが、時折旅に出る兄レジェントが、偶然彼と再会し、それからはしばしば連絡を取り合って、バウンサーとしての仕事を共にこなす事もあるという――と言っても、ほぼ一方的に兄が話を持ちかけているだけのようだが。
 アリミアは考える。自分も再会できるだろうか、あの白髪の剣士に、と。
 少年から青年へと成長した彼は、どんな姿をしているだろう。天空色の瞳に、触れたら切れそうな鋭さと、硝子のように壊れてしまいそうな孤独を、抱えたままだろうか。
 彼の心の傷が癒される事を願いながら、だがその役目は、自分のものではないだろうと、アリミアは予感する。いつかどこかで、彼を受け止める優しさを持ったひとりと、彼は出会うに違いない。
 届く事はありそうにない淡い想いを自覚しながら、窓外に目をやれば、彼の髪のように白い花が精一杯咲き誇って、終わりの近い春を謳歌していた。