番外編4『刃の名』(1)
TOPNEXT

 この名は、忌むべきものではない。
 誇りであり、存在意義であり。
 自分が生きる意味、そのものだ。

 十六歳のクロウ・セスタスは、魔獣グリフォンの背から降りると、目を細めて、小高い丘の上からヴァリアラ首都クライスフレインの街並を一望した。
 故郷を発った時は春真っ盛りで、暖かい風と色とりどりの花が見送ってくれたが、今は、肌寒さをはらむ秋風とこの季節に咲く秋桜コスモスが、自分を出迎える。
 あれから、半年か。
 異国の地で過ごした月数を指折り数え、そして深い溜息をつく。
 クライスフレインの景色はぱっと見変わっていない。だが確実に、そこには変化が訪れていた。
 あちこちの家々の窓から下げられた、弔意を示す黒の布が風にたなびいているのは、ここからでも見える。
 王族が住まう楼閣の屋根に掲げられたヴァリアラ国旗は、今は本来の半分の高さにまで引き下ろされ、そこに描かれた雄々しいはずのグリフォンは、弱々しく頭を垂れていた。
『ウィンザー国王陛下崩御。すぐに戻られたし』
 クロウを故郷に呼び戻した訃報は、クライスフレインの全てが活気を失い、風前の灯火のように頼りなくするには、充分すぎる威力を持っていた。

 楼閣へ向かうと、入口で彼を出迎えたのは、よく見知った顔だった。
「クロウ、帰ったか」
 短く刈り込んだ黒髪に碧の瞳の騎士が、微笑を浮かべながら駆け寄ってきた。
「ランサ」
 友の名を呼び、クロウは同僚とがっちりと手を握り合う。
「殿下と姫は」
「すっかり消沈されているよ」
 亡くなった王の、二人の子供の様子を訊ねれば、ランサ・ランケアは女好きのする端整な顔から笑みを消し、悲痛な表情に打って変わって、ぽそりと言った。
「特にアリミア様の落ち込みようは、見ていていたたまれない」
 一刻も早く二人に会い、国王の亡骸とも対面したい。だが、世界を視察する特命を受けているといえど、クロウはまがりなりにもヴァリアラの騎士だ。主君に面会するには相応の礼儀を尽くさねばならない。
 ランサと別れた後、旅装を脱ぎ捨て湯を浴びて、長旅の汚れを落とし、騎士服を着込む。伸びた髪はどうしようも無いので、首の後ろでひとつに束ね、クロウは謁見の間へ向かった。
 旅立つ前に挨拶へのぼった時、ウィンザー王が座していた玉座は今空席で、その前に、紫髪の少年が立っている。
「よく戻ってきてくれた、クロウ」
「ただいま帰りました、殿下」
 クロウが膝をつき敬意を払って頭を下げると、少年――レジェント・リュード・ヴァリアラは、騎士のもとへ近づいてきて、その肩に手を置いた。
「この度は……」
「堅苦しい挨拶は無しにしよう。お前にも俺にも似つかわしくない」
 悔やみの言葉を述べようとしたクロウを、ヴァリアラ王子は遮る。顔を上げれば、紫の瞳と視線が交わった。
 こころなしか目がはれぼったいように見える。この国を継ぐ者といえど、彼もまだ自分とほとんど歳も変わらぬ少年だ。人前で毅然としていても、独りになれば、肉親を失った感傷を抑えきれない事はあるだろう。
「俺よりアリミアを心配してやってくれ。泣きすぎてまた寝込んでしまっている」
 不安そうに見上げていると、レジェントも気づき、苦笑した。
「とにかく、父上に会ってくれ。お前が戻って来たのを見れば、父上も安心して逝けるに違い無い」
「は」
 再度低頭し、クロウは謁見の間を退出すると、国王の棺が安置されている聖堂へ向かった。
 棺の蓋は開いていた。壮年の王の遺体は、葬儀の日まで腐敗を防ぐ魔法がかけられ、まるで眠っているかのごとくに見える。
「陛下」
 呼びかければ、今にも目を開いて起き上がり、父親のような包容力ある笑顔を向けてくれそうだ。
「陛下」
 二度、呼びかける。
 応えは、無かった。

 彼は、クロウ・セスタスという以外に己を形容する名を知らない。本当は別の名前だったのかもしれないが、その記憶も無い。
 気がついた時には、クライスフレインの路地裏で、ぼろをまとい、靴も無く素足で、飢えと寒さに震えていた所を、黒服の大人に拾われたのだ。
 その大人は少年の手を引いて、彼同様行くあてを無くした子供たちの暮らす孤児院へと連れて行った。折しもアヴェスタから遷都したばかりの混乱の時代、親に捨てられる子供は、クライスフレインのそこかしこに溢れていた。
 孤児院の大人たちは、少年に優しいなぐさめの言葉をかけ、新しい服を着せると、温かい食事を出してくれた。空きっ腹に染み入ったスープの味を、今でも覚えている。
 そして数日の後、大人たちは本性を見せた。少年にクロウ・セスタスという名前を与え、刃を握らせて、人を殺す術を教え始めたのである。
 孤児を集め、武器の名を子供につけ、命を奪う殺戮者に仕立てあげる。それがこの家の真の姿だった。混沌期にあったこの時代のヴァリアラで暗殺は横行し、帰る場所も心配する者も無い孤児たちは、使い捨てるにうってつけの人材だったのだ。
 できないと泣く子、言われた通りの身のこなしをできない子、少しでも生意気な口を叩く子には、罵声が飛び、容赦なく張り手や殴打が下され、時には赤く焼けた鉄の棒を背に押し当てられたり、指を削ぎ落とされたりもした。
 クロウはその点、我ながら上手く立ち回ったと思う。逆らわず、文句も言わず、そつなく指示を実行した。
 正確にはわからない仮の誕生日で八歳を数えた頃には、自分は将来、太陽の下を歩けぬ身分として、闇に潜みながら生きてゆかねばならないのだろう、という自覚が、心に漠然と存在しているのだった。

 運命が変わったのは、十一の夏だった。
 蒸し暑さに寝苦しい深夜、ヴァリアラ騎士団が、暗殺組織壊滅の為に乗り込んできたのだ。
 洗練され統率された騎士たちの前に、相手を攪乱し闇から葬り去る技は意味をなさなかった。仲間や大人たちは次々と捕らえられ、最後まで抵抗を試みた者は斬り捨てられた。
 クロウは物陰に身を潜め息を殺していた。『騎士など国の犬』と大人たちから教えられていた彼は、その犬を一匹でも多く道連れに死ぬ事が己の至上命題だと、その時は本気で考えていた。
 かつ、かつ、かつ、と。長靴の音が耳に届く。クロウは両手それぞれの中にある短剣をぐっと握りしめると、靴音が充分に近づいたところで、暗がりからばっと飛び出した。
 確実に不意を突いたと確信した。だが、敵の喉をかき切ったと思った瞬間、甲高い音を立てて右手の中から短剣が失われた。
 弾き飛ばされたのだと気づくと同時、闇の中、刃の輝きばかりが翻り、左手の短剣も奪ってゆく。
 圧倒的に実力の違う敵に戦いを挑んでしまったのだと後悔した時には、敵の剣がぴたりと首筋に突きつけられていた。
「そこまでだ」
 低いが柔らかみを帯びた、しかし聞く者を絶対的に服従させる威力を含んだ声が、耳朶を打つ。視線を上げると、黒い騎士服に身を包んだ中年の男が、自分をまっすぐに見下ろしていた。
 努めて相手を畏怖させようとしている訳ではない。だが、その紫の瞳に含まれる無言の威圧感に、クロウは全身を叩かれたような衝撃を受けて、息をするのも忘れた。まるで男が、はじめから自分を屠るために喪服を着て現れたのではないかと、錯覚するほどであった。
「陛下」
 そこに、黒とは対照的な白の騎士服の男たちが、ばらばらとやって来る。
「制圧、ほぼ終了いたしました」
「ご苦労。皆、よくやってくれた」
 黒服の男は彼らに視線を向け、ふっと微笑を浮かべる。
 その隙に間合いを取り短剣を拾い直して、再度男へ打ちかかる事は、クロウの身体能力ならばできただろう。しかし彼はそれをしなかった。
 たとえそうした所で、今度は確実に首を飛ばされるだろうという、彼我の実力差を自覚していたのも事実だった。だがそれ以上に、この男と戦ってはならない、剣を向けるべき相手ではない、と、頭の片隅でぼんやりと考える自分がいたのだ。
 陛下。
 騎士が呼んだ名の意味を考える。この国でその名を持つ人間は、ただ一人。
「ウィンザー王……?」
 唖然と呟くと、男――ウィンザー・ヴィルヘルム・ヴァリアラは、クロウの方へ視線を戻した。
「踏み込みと、短剣を振るう思い切りは良かった」
 すっと、クロウの首より剣を引きながら、彼は告げる。
「騎士団で鍛えれば、もっと良い戦士に育つだろう」
 瞬間、言われた意味がわからず、クロウがぽかんとしていると、紫の瞳が細まり、剣を鞘に収めた手が差し出されて。
「どうだ、その力、騎士としてヴァリアラの為に役立ててみる気は無いか」
 人生を変える言葉が、国王の口から紡ぎ出された。
 その瞳に、言霊に、見る者聞く者をひきつける力があるかのようで、クロウはのろのろと己の手を伸ばし、差し伸べられた手を、しっかと握り締めた。

 ウィンザー王は、暗殺組織の大人たちはすべからく、斬るか、捕らえて裁判にかけるかしたが、子供たちには寛容であった。
 まともな教育も受けられず、暗闇に生きるしか無かった彼らに、教養を与え、そして選択権を与えた。
 いわく、その戦力を活かす為に騎士団の一員となるか、もしくは市井に下り、ただの一市民として平凡な人生を手に入れるか。
 半分ほどの子供は、穏やかな暮らしを望み、城下やヴァリアラ各地の家庭に引き取られていった。
 そして残り半分の子供は、騎士となる道を選んだ。騎士としての礼節を徹底的に叩き込まれ、身につけた技を活かし、ヴァリアラの為に生きる。
 クロウは、その後者を選び取った。
 だが、子供たちに対する生粋の騎士たちの目は、決して温かくはなかった。
「反逆者の手先」、「正々堂々戦う術を持たない連中」、「陛下の温情に甘えた子供」。
 悪口は聞こえよがしに叩かれ、あからさまな程度の低い嫌がらせを受ける事は絶えない。騎士服を切り裂かれたり、剣を楼閣の裏手に埋められたりなどは序の口で、召集を伝えられず遅参して上官に殴られるのを、にやにや笑いで見ている者たちもいた。
 報告は、騎士たちの素行を監視する密偵によってすぐさまウィンザー王の耳に入る。王は、アヴェスタが王都だった時代から仕える家系の騎士でも、不正には堅固な態度で臨み、悪質な騎士は厳罰に処した。
 だからと言って、子供たちに甘く接した訳でもない。私闘を禁じ、馬鹿にされたからとかっとなって喧嘩を起こした者も罰した。
 生まれつき騎士だから、生まれが騎士でないから、は国王には関係無かった。騎士の名に恥じない行いをしているか、ヴァリアラの為に尽くすか否かが、全ての判断基準だった。
 そしてクロウはそこでも上手く立ち回った。古参騎士との確執はのらりくらりと受け流し、王都を脅かす魔物の襲撃があらば、前線へと飛び出す。
 成長するうちに身につけた、誰とでも打ち解ける気さくさをもって、子供たちのリーダーとなり、騎士たちにも一目置かれ、両者のつなぎ役として認められる存在になっていった。
 その人望はウィンザー王も確信する所となり、クロウは特命騎士の座を拝する。
 普段は一騎士としてふるまうものの、有事には王族護衛ともなり、身分を隠して世界を巡る密偵にもなり、そして、彼が本来それだけの人生をたどりかねなかった暗殺者にもなる。
 クロウはその役目を、謹んで受けた。
 日陰の道を歩むはずだった自分に、別の生き方を与えてくれたウィンザー王の為なら、いかなる役目もこなす。それが自身の生きる意義。
「頼むぞ、クロウ」
 王の口から呼びかけられる己の名は、非道に人の命を奪う刃の名ではなく、誇りだった。

 だが、その誇りを与えてくれた主が失われた今、自分はどうすれば良いのか。

「どうしましょうか、陛下」
 冷たい頬に触れ、バウンサーとして世界を巡る間にすっかり身についた、軽い口調で呼びかけてみても、やはり応えは無い。
 ぎい、と扉がきしむ音がして、誰かが聖堂に入って来た気配に、クロウは眉根を寄せて振り返った。恩人との邂逅の時間を邪魔する不届き者に、辛辣な言葉を投げかけようとして、しかしクロウはそれを飲み込む。
 ランサだった。
 友は無言で近づいて来ると、クロウと並んで棺の中の国王に一礼を送り、そのまま見下ろす。
 言葉も無いまま、二人で王の亡骸を見つめる時間が過ぎた後。
「陛下が亡くなられた理由を聞いたか」
 ランサが重たげに口を開いた。そういえば、亡くなった、その事実だけに気を取られ、死因を聞くのを忘れていた。
 クロウが首を横に振ると、ランサは苦々しげに唇を歪めて、心底悔しそうに息を吐く。紡ぎ出された言葉を聞いた瞬間、クロウは限界まで目を見開く羽目になった。
「暗殺されたんだ。王家を憎む者たちの手によって」