番外編4『刃の名』(2)
BACKTOPNEXT

 クロウは私服に着替え、楼閣を出て市街地へ降りると、まっすぐにある一角を目指した。
 目抜き通りから少々外れた小道に並ぶ、一件の家の戸をくぐる。
 たちまち、金属の匂いが鼻腔に滑り込んだ。
 だがそれは嫌気を伴うものではなく、慣れ親しんだ、クライスフレインに帰って来たのだという感覚。
「なに、ひとんちの入口で一人でニヤニヤしてるんだよ。気持ち悪い」
 鍛冶場に立ち尽くして馴染みの匂いを満喫していると、これまた親しんだはすっぱな声が、奥から飛んで来た。
 同年代の少女が、豊満な胸の前で腕を組み、青灰色の瞳を呆れたように細めてこちらを見すえている。
「いいだろ、久々に帰って来たんだから、感慨にふけっても」
 クロウが軽口を叩くと、少女――ミーネ・スクーナーは、高い位置でまとめた煉瓦色のくせっ毛をばりばりとかき、二、三拍置いた後、
「……おかえり」
 ぼそりと、聞こえるか聞こえないかの声量でそう洩らした。
 彼女はクロウを奥の部屋へ招き、テーブルに腰掛けさせると、
「どうせまだ昼飯食ってないんでしょ」
 と、ずんどうのごとく大きい鍋を火にかけ始めた。煮込んだシチューの香りが鼻に、ことことと沸き立つ音が耳に届く。腕の良い鍛冶師であるミーネには、舞い込む仕事も多い。裏を返せば暇な時間が少なく、その上、武器を打つ以外の事においては案外器用ではない。
 ある程度見劣りしないものができ、作り置きもできる、シチューという料理をよく選ぶのは、彼女にとって当然の選択であった。
 やがて金属の皿にシチューが盛られ、これまた金属のコップに熱い茶が注がれて、どん、どん、とクロウの前に置かれる。
 熱いものを金属製の食器に入れるとは何の嫌がらせかと、以前文句は言ったのだが、彼女はとんと気にかける様子が無い。
 いただきます、と手を合わせ、よく煮込まれた野菜を口に放り込む。途端に、懐かしい味付けが口内に広がった。
 母親というものを知らないクロウにとって、ミーネのシチューこそが、いわゆるお袋の味、クライスフレインに帰る場所がある、という実感を伴うもののひとつだ。
 そう考えると、その大切な証のひとつが失われてしまった事を思いだし、鼻の奥が突かれたようにつんとなる。まずい、と思った時には目頭が熱くなって、ぽたぽたぽたっ、と落涙していた。
 親しみのわく味を口にして安心した途端、張りつめていた緊張が解け、父親代わりとも思えた人――仮にも自国の主を父などとはおこがましいのかもしれないが――の喪失が、今更胸に迫ってきたのだ。
 ミーネは、大の男が突然目の前で泣き出した事に、はじめこそ唖然としていたが、すぐに苦笑を唇の端に乗せると、両手を伸ばしてクロウの頭を抱え込み、彼の顔にそのふくよかな胸を押しつける程に強く抱きしめた。
 いつもなら、胸どころか腰に手が触れた触れない程度で怒り、喧嘩に発展するというのに、彼女はこういう時だけ、まるで姉か母親のような顔をする。
 だが、飄々として何事も受け流す人間、と周囲に受け取られているクロウにとって、素顔をさらけ出せる場所は非常に少ない。今はたかぶる気持ちが落ち着くまで、ミーネの厚意に甘え、彼女の胸を借りる事にした。
 しばらく経って、
「……悪い」
 クロウがか細い声で詫びると、ミーネも腕をほどき身を離した。そして、
「あんたって、意外と泣き虫だよね」
 意地悪げに笑う。
「初めて会った時も泣いてた」
 それを指摘される度、「言うなよ」とクロウは苦笑いを洩らさざるを得ないのであった。

 暗殺組織にいた頃、上手く立ち回っていたとはいえ、クロウもはじめから何なりとこなせた訳ではない。感情に任せた大人の苛立ち、子供同士の嫉妬。それらはクロウがどんなに努力をしてみせたところで、かわせぬ棘として突き刺さる。そしてそれを些細な傷として受け流せる程、少年も精神的に成長しきってはいなかった。
 悔しくて、悔しくて。だけど落ち込む顔を誰かに見られるのが嫌で、施設を飛び出し、クライスフレインの路地裏のごみ捨て場の陰に潜り込んでは、膝を抱えて泣いた。
 そんなある日、出会いは訪れた。
「あっ!」
 気づきの声があがるが遅く、バケツ一杯の生ごみが、頭上からべしゃっと降ってきたのだ。
 恨みがましさに満ちた顔を上げると、バケツの中身をぶちまけたままの体勢で、あんぐり口を開けて固まっている青灰の瞳と視線がかち合った。
「ごめん。まさかこんなとこに人がいるなんて、思ってもいなかったから」
 少女は申し訳なさそうに肩をすくめ、それから、人の顔を無遠慮にのぞき込んで、
「……あんた、泣いてんの?」
 と、遠慮会釈もなくずっぱりと訊いてきたものだから、クロウは慌てて涙とごみまみれの顔をごしごし拭き、声を高めた。
「泣いてなんかねえよ! 大体、何だってこんな思い切りぶちまけるんだよ!」
「なんだい、泣いてたくせに、口だけはいっちょまえに。大体ごみ捨て場なんだから、ごみを放って何が悪いんだよ。こんな所に人がいるのがいけないんだろ」
「だから泣いてないって言ってるだろ!」
 売り言葉に買い言葉の少女をにらみつけ、勢い込んで立ち上がったら、まだ髪についていた、尾頭と骨だけ残った魚が、ぽろり、と二人の間に落ちる。
 少女はぽかんと口を開けていたが、やがて。
「あっ……ははははは!」
 ごみバケツを抱えたまま、おかしそうに笑い出す。それを見ている内に、クロウも気勢を殺がれ、情けない形に口を歪めて、
「は……ははは」
 と笑い返すしか無かった。
 少女はミーネ・スクーナーと名乗り、クロウはただクロウ、と名乗った。二人は右手で握手を交わし、ミーネはクロウを自宅に連れて行った。そして、ごみに汚れた彼に、温かい蒸しタオルと、子供にはやや大きい大人物のシャツを与え、熱い茶を沸かして金属のカップに注いで、テーブルにどん、と置いた――そうだ、この時から既に彼女は金属の食器に熱い物を入れているのだった。
「親が鍛冶でもやってるのか?」
 台所に至る前に乱雑な仕事場があったのが気になり、クロウはミーネに訊ねていた。あまり一般人と関わりを持たないようにしていたのに、何故か興味がわいた。
 だが、返って来た答えは予想外のもの。
「やってたよ、親父と祖父じいさんが。でも死んだの。アヴェスタで」
 それがあまりにもあっけらかんとした口調だったもので、クロウはしばしその言葉の重みを量りかねて、ぽかんとしてしまった。
 その間にミーネは、アヴェスタ事変で家族の働き手を亡くし、女手ひとつで育ててくれた母も病死して、身寄りが一切なくなった事、たまたまクライスフレインを訪れた旅の鍛冶師から、親の遺した鍛冶道具を使って何とか食いつなげる武器を打つ手段を教わった事を、やはり妙にさばさばした口調で語った。
「まあ結構、なんとかなるもんでね。今日が苦しくても、明日になりゃどうにかなるよ」
 そう言ってそばかす顔に笑みをひらめかせる少女の顔が、何故か神々しくすら見えた。自分と同じ天涯孤独なのに、何故そうも気丈に割り切って、元気に笑っていられるのか。クロウは、再び目の裏にこみあげてきたものを必死にこらえる。
「あ、また泣くんだ?」
「泣かねえよ!」
 ミーネがからかうような口調でこちらをのぞき込んでくるので、咄嗟にぷいと顔をそらし、物凄い勢いでシチュー皿を空にする。あまりに速くかき込みすぎたので、喉につっかえむせて、本気で涙目になった。
 げほげほ言いながら茶を飲み下すクロウを、ミーネはにやにや笑って見ていたのだが、やがて。
「ねえ」
 テーブルに肘をつき、身を乗り出して訊いてきた。
「あんた、夢ってある?」
「は?」
 また唐突で、クロウは思わず変な声をあげてしまった。それに構わず少女は続ける。
「あんたって、夢無さそうな顔してるのよね。夢を持ちなよ。人間、目標があった方が頑張れるでしょ」
 そんな物を持つ暇は無かった。今日を生き延びるのに精一杯で、明日の事を考える暇など、クロウには無かったのだ。
「あたしはね」
 それまでこましゃっくれた表情しか見せなかったミーネが、ふと夢見がちな光を瞳に宿す。
「将来は、騎士様のお嫁さんになりたいんだ」
 瞬間、暗殺者として氷点下になるようしつけられた心が急速に凍る。ヴァリアラの騎士など、自分の天敵だ。
 だが、そんなものの嫁になりたいと夢を語る少女を、奴らに色目を使う敵、と見なす事はできなかった。むしろ、クロウの氷の心の一部分に、嫉妬にも似た熱をともす。
 何故だろう。冷静に考えて、クロウは思い至った。
(ああ、そうか)
 羨ましいのだ、彼女が。
 自己の境遇に悲観する事も、同情を誘う訳でもなしに、明日が必ずやって来る事を信じていられる、その強さが、羨ましくて仕方無かったのだ。

 子供の頃に会ったのはそれっきりで、幼馴染などと呼べる程、長い時間を共有した訳ではない。それでも折につけて彼女を思い出したのは、恐らくあの時点で惚れていたのだろう。
 再会は数年後、あまりに唐突だった。
 鍛冶師として武器を納めに楼閣へやって来たミーネが、既に見習い騎士になっていたクロウを目ざとく見つけて、「あーーーっ!?」と、人を指差しばかでかい声をあげたのだ。
 たちどころに捕まり、「サボりの言い訳はいくつでも作っておいてやる」という、同僚たちのありがたいのかどうかよくわからない声援に送り出されて、市街の茶店でみっちり数時間。あれからどうしていたのか、何故騎士になったのか、そもそもどこで何をしている子供だったのか。クロウは自分の生い立ちから根掘り葉掘り訊かれる羽目になった。
 クロウが洗いざらい白状するのを、頬杖ついて聞いていたミーネは、話が終わった時、ふうん、とひとつ息をこぼして、それから意地悪く笑ってみせた。
「それにしても、あんたが騎士だなんて、何かの冗談みたい」

 とにもかくにも、彼女と出会った事と、自分を取り巻く環境が変わった事で、クロウにも目標を持つ心の余裕ができた。
 ヴァリアラ王族を守る。それが大きな目標、いや、使命だった。
 だがそれが根元から折れた。大恩ある国王を暗殺者から守る事ができなかっただけでなく、死に目にすら立ち会えなかった。
 改めて襲い来る喪失感に、額に手を当てうつむき、溜息をもらすと、ふっとこちらの肩に触れる手がある。見なくてもわかる。同年代の平凡な娘からはかけはなれた、まめだらけのごつごつした、しかしクロウと比べれば遙かに華奢な、少女の手。
 その手を取り彼女の夢をかなえるという、もうひとつの目標は、果たすタイミングを逸したままである。
 まだ早いだろう、若すぎるだろう、こちらの思いあがりかもしれない。自分の中で色々な言い訳をしてきた。旅先では、情報を得たり有利に振る舞う為なら、娘たちの心を浮かれさせる言葉の数々をしれっと放てるのに、最も大切な存在に対して、とても簡潔な「一緒になろう」の一言だけはいまだ告げられずにいる。
 相手もそれをわかっているのだろう。せっつく事もせず、我慢強く、よくもまあ何年もつきあってくれているものだ。
 顔を上げると、いたわるような微笑が向けられた後、その笑みが消えて。
「気をつけなよ」
 少女が低く囁いた。
「王様は、狩りの最中に何者かの毒矢を受けて亡くなった。騎士団の中に裏切り者がいるんだって、街でももっぱらの噂だ。葬儀の時、王子様とお姫様が狙われるかもしれない」
 それを聞いた瞬間、クロウはすっと無表情になり、
「ありがとな」
 と、ミーネと目線を合わせず平坦に礼を言う。
 彼の中で、故人を悼んだり、誰かをいとおしむ、人間的な自分から、冷静で容赦の無い戦士であるそれへと、スイッチが入れ替わったのだ。
 任務の為に己の心を殺す。それが最大の原因として存在する限り、少女への求愛をできない事は、クロウ自身も重々承知しながら。