番外編4『刃の名』(3)
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 ウィンザー王の葬儀は、楼閣の中層にある聖堂で行われた。
 国王の棺が安置された祭壇の前で、司祭が逝く者への祈りを捧げ、並んだ椅子の最前列には王族が座り、そこから後ろへと、身分の高い家臣が居並ぶ。
 クロウをはじめとした白服の騎士たちは、聖堂の要所要所に立ち、神聖な儀式を邪魔する不届き者がいないか鋭く目を光らせていた。
 祈りの言葉が終わり、故人への献花が始まる。一番手のレジェントが、祭壇に白い花を置いた所で、この葬儀もつつがなく終わりそうだと、誰もがほんの少し気を緩め息をつく。しかしその瞬間を、敵は狙っていたのだった。
 アリミアが兄の手を借りて立ち上がった時、クロウの視界の端に、窓際に立っていた一人の騎士が、閉じられている窓を押し開けるのが映り込む。刹那、クロウは他の騎士の誰よりも早く床を蹴り、「殿下!」と静粛な空気を切り裂く声で叫んだ。
 直後、開け放たれた窓から、秋の冷たい風と共に明確な殺意が矢の形を取って飛び込んで来る。レジェントがアリミアを抱きかかえて身を伏せ、矢をかわしたのを確認しながら、クロウは腰の双剣を引き抜き、窓を開けた騎士が剣の柄に手をやる暇すら与えず、相手の喉笛をかき斬った。
 だが、それで終わりではなかった。
 びょう、と風を切る音を立てて、二射、三射目が襲い来る。それと同時、騎士の内十数人が、白い騎士服をばさりと脱ぎ捨てた。その下からは暗殺者然とした黒服が現れる。たちまち聖堂のあちこちから悲鳴があがった。
 貴族たちは我先にと出口へ殺到し、王族を守る事などすっかり忘れている。突如現れた敵に対抗すべきか、王子たちを守るべきか、人々を脱出させるべきか。一寸でも迷った騎士は、暗殺者たちに容赦無く斬り捨てられた。
 クロウは、王子が妹姫をかばいながら剣を振るっているのを確認すると、再び飛んで来た矢を叩き落とす。窓外には木々の葉が生い茂っており、身を隠しながらの射撃にはうってつけだ。
 そこで彼は、倒した暗殺者から弓を奪い取ると、矢をつがえた。本当のところ、どうひいき目に見ても、クロウは弓術が得意ではない。訓練ではいつもぎりぎり及第点をもらうような悲惨な腕前だ。だが、ここで外す訳にはいかない。
 幸運な事に、クロウは本番には強い性質たちだった。鬱蒼とした木の合間に光る鏃を見逃さず、引き絞った弦から手を放す。相手も慌てて矢を放ったが、こちらの矢が向こうを射ち抜く方が早く、敵の矢は標的をそれて、窓硝子を派手に叩き割った。
 黒服の射手が木から落下するのを見届けて、聖堂の中を振り返る。暗殺者たちは、はじめこそ人々の意表をついて混乱に陥れたものの、気を取り直した騎士たちにかかれば、多勢に無勢。あっという間に制圧された。
 ある者は斬り伏せられ、ある者は状況不利と見るや、口内に仕込んでいた毒を飲んで自害した。
「殿下、姫様、ご無事ですか」
 クロウは剣の血のりを払って、主君のもとへ駆け寄る。何人かの黒服の死体を足元に置いたレジェントは、利き手ではない右手に剣を持ちながら、ああ、とくぐもった声を返した。
 その反応と、傍らのアリミア姫が真っ青な顔で震えているのを見て初めてクロウは、王子が、顔の左半分をおさえた指の隙間からだらだらと血を流しているのに気づいた。
 息を呑むと、レジェントはこちらを向き、「大した事は無い」と手を離した。斬りつけられたのだろう、左目の下がざっくりと裂けている。出血こそひどいが、眼球を外したのは不幸中の幸いだった。
「刃に毒が仕込まれている可能性もあります。すぐに治療を受けてください」
 血止めの為の布を差し出しながらクロウは告げ、即座にきびすを返す。
「クロウ」
 どこへ行くつもりか。言外に問われた気がしたので、彼は振り向かずに答えた。
「敵は外にもいました。かたをつけて来ます」
 そうして彼は、開け放たれた窓から身軽に外へと身を躍らせた。
 地面には点々と血の跡がついていた。それを追って走っていると、心臓がはやる。間違いであってくれ、思い過ごしであってくれ、と。
 果たして楼閣の裏手で血の跡の主に追いついた時、クロウの望みは虚しく砕かれる事となった。
 右の太ももを射抜かれ、脚を引きずりながら進んでいた黒服の男が、追手の気配に感づき、歩を止め振り返る。どうして、という驚愕と、やはり、という諦観を込めて、クロウは男の名を呼んだ。
「ランサ」
 ランサ・ランケアは、こちらを見て薄い笑みを浮かべた。そこにいつもの親愛の情は微塵も無い。嘲るような、諦めを帯びたような、しらけた笑みだ。活気に満ちていた碧の瞳も、今はうつろに白濁している。
「何で、お前が」
 訊きながらも、愚問だと自覚する。先ほどざっと見渡しただけだが、暗殺者たちのことごとくが、クロウの同僚だった事を確認した。つまり、クロウと同時期に騎士になった、暗殺組織で育てられた子供たちだ。それが意味するところは。
「お前にしては愚かしい問いを口にするじゃないか」
 ランサが笑った。今度は明らかな嘲笑で。それが答えだ。
 では恐らく、ウィンザー王を射殺したのも。冷えた鉛の塊が腹に落ちた気分だった。
「俺たちは王家を覆す為に組織で育てられた武器。殺せと命じる者がいた時、その刃を振るうのが当然だろう」
「組織は無くなった。五年も前に」
「無くなってなんかいないんだよ」
 クロウの言葉を、ランサは即座に否定する。
「この国の地下に根付いたものは簡単には消えない。俺たちは所詮、あの闇から抜け出せない」
「そんな事は無い!」
 クロウは声を荒げた。自分はウィンザー王に救われて、生きる意味をもらった。ミーネに出会って、人間らしい感情を持つ余裕を得た。
 なのに、自分が日向の道を歩めると浮かれている間、この友はそんなどす黒い暗闇を抱えて生きていたのか。気づいてやれなかった後悔の念が心に生じる。
「同情するなよ」
 そんなクロウの胸のうちを見抜いたかのごとく、ランサは半眼になり、腕より少し長いだけの、名前と同じ短槍ランスを二条、両手それぞれに握って構えた。
「お前がそんな奴だから、俺はこちら側に誘わなかったんだ」
 それで会話は終わりだとばかりに、ランサは地を蹴り打ちかかって来た。咄嗟に眼前に掲げた双剣で、一打目を受け流す。
 脚を負傷しているのがまるで嘘のように、ランサは激しく身をひねり、優雅に腕を振り回して、舞のごとき攻撃を繰り出してきた。
 二撃、三撃と受け止めるごとに、じりじりと圧され、後ずさる事を余儀無くされる。槍対剣では間合いが違う。圧倒的にこちらが不利だ。
(陛下、すみません)
 クロウの瞳に冷徹な光が灯る。
(俺は今この瞬間だけ、騎士を捨てる)
 内心で主君に詫びて、彼は繰り出された槍を身を沈めてかわすと、ランサに足払いをかけた。ただでさえ傷ついている弱点を突かれて、ランサの上体が無様に泳ぐ。体勢を崩したがらあきの背中に、クロウは右手の剣を突き立て、左手の剣で脇腹を斬り払った。
 剣を背から引き抜き、蹴りを入れると、ごぼっと血の塊を吐いて、ランサは地に倒れこんだ。
 完全に騎士としての礼儀を欠いた、暗殺者として叩き込まれた戦い方だった。だがそうしなければ、この男を相手に勝機はつかめなかった。
「は、はは……」
 血の海に沈んだランサが、白い騎士服を返り血に赤く染めて立ち尽くすクロウを見上げ、低く笑う。
「何て顔、してるんだよ」
 ランサを見下ろすクロウの瞳には、憐れみと同情が宿っていた。そしてランサの瞳には、憎しみと侮蔑が。
「そんな奴だから……俺は、お前が、嫌いだったんだ……」
 憎まれ口を叩いて、ランサの目から光が失われる。身を屈めて、嫌いだと最期に告白して逝った友のまぶたを閉じてやると、クロウはすっくと立ち上がった。
 その瞳に今度は、明確な怒りの炎を燃やして。

 石造りの冷たい通路に、かつかつかつと、高い靴音が響く。
 血に汚れた騎士服を着替える間もあらばこそ、クロウはそのままの格好で、楼閣そばの地下牢へ向かった。
 クライスフレインの地下牢は三層に分かれている。初犯の盗みや喧嘩など、軽犯罪を犯した者が入る、反省房の意味合いを持った上層。再犯者や放火、殺人などの重犯罪者を収容する中層。そして、死刑囚や、社会復帰が困難と思われる思想を持ち、王家も処分を持て余した者が、その命尽きるまで半永久的に閉じ込められる下層。
 クロウは、その中の下層の奥、かび臭さが鼻をつく牢の前で足を止めた。
 牢の中の寝台で、ぼろ毛布にくるまっていた影が身じろぎする。ふたつの瞳がぽかりと開き、嘲笑に細められた。
 影が毛布をはいで起き上がり、よたよたと歩み寄ってくる。骨と皮ばかりになったやたらと長い指が鉄格子をつかみ、こけた頬が押しつけられる。
「ミゼリ・コルデ」
 クロウが名を呼ぶと、女――そう、このやせこけた醜い姿からは一見して見分けがつかずとも、彼女は女だった――は、不揃いな歯を見せた。
「おやおや、これはこれは」
 その身体からの予想に反して、張りのある艶っぽい声が発せられる。まるで老婆のようだが、彼女はまだまだ壮年なのだ。
「どこかで見た坊やだねえ」
「クロウ・セスタス」クロウは答える。「あんたにもらった名前だ」
 その言葉に、ミゼリは一瞬、ぎょろっとした目を驚きに見開いた後、にたりと唇をめくり上げた。
「そうかい、そうかい、お前、うちの死にぞこないかい」
 けっけっけ、と、烏のような声をあげて女は笑う。
「その制服をまだ着ているって事は、お前、あたしの言う事を、ランサの坊やから聞かなかったね」
 やはりか。クロウは顔をしかめた。
 五年前、暗殺組織を構成していた大人たちの中で唯一、極刑を免れた女がいた。人に直接手を下さなかった事、子供たちにも、体罰こそ与えたものの、同時に寝食の面倒を一手に引き受けていた事からだ。
 だが、ヴァリアラ王家は滅するべき、という危険思想は、他の大人たちと同じように持っていて、それはとてつもなく深く彼女の中に根付いていたので、社会に戻す事もできず、こうして下層に幽閉された。
 それが、ミゼリ。
 本名かどうかは知らない。恐らく偽名だろう。
 何故彼女が王家を憎むのかも、クロウは知らない。アヴェスタ事変で家族を失い、怒りのやり場を見いだせず、民を守りきれなかった王家や騎士たちに矛先を向けたのだろうと、一般論を想像するばかりだ。そしてその怨恨の毒は、長年幽閉される事で、一層彼女の身に染み渡っていったに違い無い。
「やはりあんたが、ランサたちをそそのかして」
 クロウが怒りを込めた声を発すると、ハ! と、大きな嘲りがミゼリの口から飛び出した。
「そそのかして? まるでお前たちの意に沿わないような言い方だねえ! あたしたちが仕込んだお前たちに意志なんか関係無いんだよ。言われた通りに動いて、人を殺してりゃいいのさ!」
 女は瞳に狂気の光を宿してまくしたてる。
「それができない奴はクズだ。だからお前はクズだ。人を斬り裂けないクロウ、騎士なんて生温い湯につかって、本分を忘れたなまくら刃。お前を必要としている奴なんか、このヴァリアラに、いや、世界のどこにもいやしないんだよ!」
 ミゼリの罵倒に、かっと脳が沸騰しかけ、クロウは剣を抜いて女の喉元に切っ先を突きつけた。
 が、その脳裏を幾人かの顔が横切ったと同時、怒りは急速に冷めてゆく。
 人生の価値を教えてくれたウィンザー王。
 守るべきレジェント王子とアリミア王女。
 安心感を与えてくれるミーネ。
 彼らのクロウに対する想いは、決して嘘などではない。必要とされていない自分ではない。そして、クロウの彼らに対する情も、幻覚などでは決してない。
「何とでも言え」
 ミゼリから剣を引いて、クロウは剣を鞘に収める。
「俺には、この名前を、武器じゃなく個人として呼んでくれる人たちがいる。あんたにとってなまくらでも、その人たちの為なら、俺はどんな武器よりも鋭利な刃になれる」
 ミゼリが目をみはり、血がにじみそうなほどぎりぎりと唇をかんだ。鉄格子にかけた手がわなわなと震える。
「……いい度胸だ」
 やがて彼女は笑った。悪意に満ちた笑顔で。
「あたしが死んでも、この国の影の部分は無くならない。いつでも、あたしたちみたいな連中が、世の中をひっくり返そうと闇に潜んでいるんだよ。それを忘れるな!」
 そしてクロウが反論する間も無く、彼女はごぷりと血の泡を吹いて崩れ落ちた。血に混じってかすかに香る、毒のにおい。ランサが接触していたなら、彼女に自決用の毒を渡す事は造作も無かっただろう。
「やってみろよ」
 半笑いのままこときれた狂女の死体を冷たく見下ろし、クロウは低く呟いた。
「その時は俺がいくらでも、皆を守るクロウになってやる」

 ウィンザー王暗殺事件は、首謀者のミゼリ・コルデと、彼女に接触をはかって指示を仰いでいたランサ・ランケアをはじめとする実行犯たちがことごとく死亡した事で、事態の収束を余儀無くされた。
 王の遺体は楼閣裏手の王族墓地へ埋葬され、数ヶ月後、王子レジェントが国王として即位する事になる。
 即位式の後しばらくして、新王に呼び出されたクロウは、特命騎士の任を継続して欲しい旨を述べられた。
「俺は父には遠く及ばないかもしれない。だが、お前が俺の片腕として動いてくれれば、この上なく頼もしい」
 そう告げるレジェントの左目下には、裂傷の痕が残っている。自分たち王家を憎む者が存在する事実を胸に刻み、いつか彼らの考えを翻す事ができるよう、善政を行ってゆこうという彼なりの決意の証だと、伝え聞いた。
「頼む、クロウ」
 まだ、名を呼んでくれる人がいる。自分を必要としてくれる人がいる。ならばそれに応えよう。
「謹んでお受けいたします、陛下」
 王の前にひざまづいたクロウは、深々と頭を下げた。

 それからクロウは市街へ降りた。
 クライスフレインに帰って来た時は涼しかった風も、冬を越し、春を迎えて、温かさを帯びて頬をなでるのが心地良い。
 慣れた道を歩き、戸口をくぐる。
 見慣れた鍛冶場の奥から少女が出て来て、白い歯を見せ親しげに笑う。
「おかえり、クロウ」
 ここにもいる。自分に存在意義を与えてくれる人が。
 クロウは安堵感で胸がいっぱいになるのを感じながら、笑顔を返すのだった。