番外編5『歳の差夫婦』後編
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 思い思いに着飾った若者たちが、緩いテンポの音楽に合わせて、手に手を取り、優美に踊る。フェルディナント家の宴は、盛況だ。
 熱を帯びた視線を交わし合う男女を、ナイアティットは、会場の隅の壁にひっそりと背を預け、妙に冷めた目で見ていた。
 夜会には出て来た。だが、彼女の格好は盛装ではなく、いつもの白い騎士服。伸びかけの髪は首の後ろでひとくくりにして、化粧も薄い。
『本当にいいの? もったいないよ』
 タニヤは、ナイアティットに似合いそうなドレスや靴や宝石を見繕ってくれたので、それらをことごとく断ると、心底残念そうな顔をした。
 親友の厚意をむげにするのは心苦しいものがあったが、飾り立て浮かれて宴に参加する気にもなれず、結局、このような色気の無い姿で出席する事になった。
 制服を着て来る、それ自体が珍しい訳ではない。だがそれは、男性陣における話であって、女子がドレス姿で来ないのは明らかに浮く。
 タニヤは早々に、リヒター以外の好みの男性で手を打ち、ダンスの輪へ加わっている。その楽しそうな様子をぼんやりと眺めていると。
「ナイアティット」
 名を呼ばれて、顔をそちらに向ける。貴公子らしく白い盛装に身を包んだリヒターが、少々驚いた様子でこちらに近づいて来た。
「どうしたんだい、そのような格好をして」
 ナイアティットの制服姿など見慣れているだろうに、頭のてっぺんからつま先までじろじろと見回して、リヒターは問いを発した。
「タニヤ・アイヴィスに意地悪でもされたのかい」
「違うわ」
 ナイアティットは素っ気なく反論した。彼は、タニヤがナイアティットに先を越されるのを危ぶんで、ドレスを着させなかったとでも言いたいのだろう。とんでもない思い込みだ。断ったのは自分だ。タニヤは明朗で友人思いで、そんな陰険な女の子ではない。
 大切な友を侮辱されたのが腹立たしく、それきり口をつぐんでしまったのが、逆に、実は肯定なのだと勘違いをさせてしまったのだろう。リヒターは、哀れむような視線をナイアティットに注ぐと、
「とにかく、女性がこのような場でそのような格好をしているのは絶対に良くない。君の為にならない」
 優雅な、しかしややもすれば強引な所作で、彼女の手を取る。
「すぐに君に似合う見立てをさせよう。我が家のメイドは優秀だ、最後のダンスには間に合うよ」
 そして、ナイアティットの返事も聞かないまま、リヒターは彼女の手を引いて客室に案内し、メイドを呼びつけて、ドレスの色や髪型のあれこれを事細かく言い含めると、「それじゃあ、後で」と、柔らかい笑みを投げかけて立ち去った。

 リヒターの宣告通り、フェルディナント家のメイドたちは優秀だった。手早くナイアティットの制服を脱がせてコルセットをきつく締め、十五歳の娘には少々派手が過ぎるとも思える青色のドレスを着せる。
 そして鏡台の前に座らされると、髪を、顔がつっぱるほどにしっかりと結いあげ、長さの足りない分はつけ毛エクステを絡ませて、その間にきっちりと化粧も施す。
 時間にしてものの数十分で、ナイアティットは、色気の無い見習い騎士から、見事な貴族の令嬢へと進化を果たしていた。
 しかし。
(私らしくない)
 与えられたドレス。流行一辺倒の髪型。型通りの化粧。全てが、人形のように鏡に映る。いつもの自分を根底から否定されているような不快感が、心の底に澱んだ。
 爪先が細く、拷問用具のように足全体を締めつける、ヒールの高い靴で、会場への階段をよろよろと降りきると、リヒターが待ちかねていたかのごとく、ぱっと表情を輝かせた。
「やあ、ナイアティット、素敵だ。まるで僕の前に天使が舞い降りたかのように、神々しいよ」
 軽い。言葉に羽根が生えているかのごとく、軽い。
 人並みの女子ならば、リヒターの容姿でこのように褒められれば、いちころなのだろう。が、ナイアティットの心は、浮かれたりしない。
 更に続けられた台詞に、ナイアティットは表情を固くした。
「やはり女性は、このように飾り立ててこそ、価値が光り輝くものだ」
 心の底の不快感が、先程よりはっきりと形を成す。それは、自分好みに飾り立てない女に価値は無いという事か。男の論理の傲慢を感じて、我知らずのうちに握り締めた拳を、しかし伸びて来た手が、開かせた。
「さあ、行こう。最後の曲にはまだ間に合うよ」
 こちらの胸の内など知る由も無いのか、リヒターは嫣然と微笑んで。
「ああ、緊張しているかな? これを飲んで気持ちを落ち着けるといい」
 と、琥珀色の液体が注がれたグラスを、すっと差し出して来る。丁度喉がからからになっていたのも手伝って拒否できず、グラスを受け取りぐっと仰ぐと、熱い感覚が一気に喉を滑り落ちていった。
 どんなに気に食わなくても、気を遣われた事には、義理でも応えなくてはいけない。ぽっぽと身体が温かくなるのを感じながら、ナイアティットが腹をくくって、リヒターの手を握り返そうとした、その時。
「失礼」
 横から伸びて来た手が、ぱしりとナイアティットの手を受け取り、リヒターの手が宙に浮いたままになる。
 一体どこの粗忽者か。胡散臭そうに眉をはね上げて手の主へ振り返ったナイアティットは、ぽかんと口を開けたまま、固まる羽目になった。
 白い盛装のリヒターと対照的になるかのような、黒いスーツに身を包み、髪を整髪料できっちりとまとめて、ナイアティットの手を取っているのは、他の誰でもない、サイゼルだった。いつものセンスの無い格好はどこへやら、美丈夫ぶりが際立ち、ナイアティットの心臓は早鐘を打つ。
「フェルディナント殿、お誘い、感謝する。遅参して申し訳無い」
 どうして、という疑問がこちらの口から発せられるより早く、従兄は、虚空に手を差し伸べたまま呆然としているリヒターに微笑を向ける。
「最後の一曲だけでも、我が従妹と踊らせていただきたく存じる」
 静かだが、決して有無を言わさぬ重さのこもった言葉に、リヒターは、魂の抜けたような顔をしたまま、かくかくと振り子人形のように首を縦に振る事しかできなかった。
 黒の瞳が優しく見下ろしてくる。これだ。自分だけに笑いかけていて欲しい顔。ナイアティットは知らず知らずの内に、頬が熱くなるのを感じた。
 滑るように自然に、サイゼルはナイアティットをリードして、ダンスホールに踏み出す。タニヤを初めとする誰もが、制服姿ばかりしか知らない『堅物ナイア』の変貌と、朴念仁で名の通った副長の登場に、びっくりした様子でこちらを見ていたが、楽団が次の曲を演奏し始めたので、ナイアティットとサイゼルの為に場所を空けると、すぐさまそれぞれのパートナーとダンスを再開した。
 仮にもヴァリアラ古参貴族の家系だというのに、騎士道ばかりに打ち込んで、女性らしくある事をかえりみない娘に、母親は常々、「剣を振るより、ダンスを覚えてはくれないかしら」と嘆いていたものだ。
 だが実際、ナイアティットの踊り方は基本のきの字を辿るのがやっとで、酔っ払いのようなステップを踏んでいる。剣技のひとつ分くらいは、ターンの仕方ひとつを覚えていて良かったかもしれない。母の言い分も正しかった訳だ。
 だが、戦果は散々たれども宴の場数だけは踏んでいるサイゼルは、さすがに慣れたもので、ぎこちないナイアティットの腰に手を当て、手に手を添えて、こちらを先導し、ナイアティットの苦手のことごとくをフォローして、まるで踊り上手のように優雅な舞へと変転させた。
 一人前の令嬢になったような感覚。もしここで向かい合っているのがリヒターだったら、彼の手による、体よく作り上げられたお人形ごっこの続きと辟易しただろう。だが、今目の前にいて、自分をまっすぐ見つめてくれる相手は、幼い頃から大好きだった人だ。まるで夢見るような気分で、足元がふわふわしてきた。
 ふわふわ。しかしその心持ちは、まるでなどというたとえではなく、本当に頭が急速にぼんやりする。足取りがおぼつかなくなり、膝の力がかくんと抜けた。
 いきなりその場に崩れ落ちそうになるナイアティットの背に、サイゼルがすかさず手を回し、受けとめる。
「すまない、気分を悪くしたようだ。皆は続けてくれ」
 何事かと注目する観衆に一声かけると、従兄はナイアティットの身体を軽々と抱き上げて、ダンスホールを後にした。

 城塞都市のクライスフレインでは珍しく広々と整えられた、フェルディナント邸の庭園へ出ると、サイゼルはナイアティットを噴水の縁に座らせて、「大丈夫か」と声をかけた。
 返事をしたいが、まだ世界がぐるぐる回っている。彼の肩に頭を預け、小さく頷き返すのがやっとだった。
「酒を飲んだな」
 呼気から察したのか、従兄が嘆息する。そんなものを飲んだつもりは毛頭無い。そう答えようとして、ぼんやりする頭で記憶を反芻する。リヒターが差し出した、喉が熱くなる飲み物。あれがそうだったのかもしれない。
「リヒター・フェルディナントが、夜会に招いた女性を酔い潰させて、という噂を聞いたからな。事が起きる前で良かった」
 リヒターがどういう行為を行っていたのか。最後まで聞かずとも、十五歳のナイアティットでも想像がついた。そんな事をしていたのか。彼にとって女性は、魔力人形マークくん以下の玩具であるに違いない。腹立たしさが込み上げてくる。
 が、その憤りが鎮まってゆくと、次第に酔いも冷めてゆくのを感じた。
「どうして?」
 まだ少し重たい口を動かすと、従兄が怪訝そうに見下ろしてくる気配がしたので、そちらを向かないまま、ナイアティットは問いかけた。
「どうして、招待されたのを黙ってたの」
 ああ、と洩らしてサイゼルが答える。
「君が行くようだから、できれば君と共にと思ったのだが、行けるかどうかわからなかったんだ」
 君と共に。ナイアティットがどきりとする間に、彼は言葉を継いだ。
「騎士団長と、話があって」
 顔を上げれば、従兄の横顔は暗闇に沈みかけていたが、至極真面目な表情をしている事は、うかがい知れた。
「今年いっぱいで退役するので、団長の座を引き継いで欲しいと言われた」
「それで、何て答えたの」
「お受けいたします、と」
 ナイアティットの予想通りの答えが返ってきた。誰からも次期騎士団長と目されていたサイゼルだ、当然の流れだ。
 だが、続けられた言葉に、ナイアティットは極限まで目を見開く事となる。
「これで、憂い無く君を妻に迎えられる」
 黒の瞳が、まっすぐにナイアティットを射抜く。先ほど以上にめちゃくちゃな動悸に襲われ、息が苦しくなった。
「決めていたんだ、騎士団長の座に落ち着いたら、君との昔の約束を果たそうと」
「……覚えてたの?」
 十年前の指切り。子供の口約束と放り捨てられても仕方の無い、ささいなわがままだ。それを覚えていてくれたというのか。だが。
「自信が、無いの」
 従兄の腕をつかんで、ナイアティットは顔を伏せる。
「つりあわないんじゃないかって。私、あなたより十八も年下の子供だし」
「そこはむしろ、私の方が年上すぎると気にするところではないかな」
 彼が苦笑しているのがわかるが、不安は止まらず、口をついて出る。
「女の子らしい事は何もできないから可愛くないし、騎士としてまだまだ未熟だし、背だってすごく小さいし」
「身長は気にしなくていいと思う」
 ぽすん、と頭に手が置かれて、よしよし、となでられる。子供扱いされているような気がして、むっとした顔を上げると、サイゼルは優しい笑顔をたたえたまま、こちらを見下ろしていた。
「女性らしくないと君は言うが、ナイアはこんな風に飾り立てなくても充分可愛い。そのままの君で良い。騎士としての腕前は、時間が必ず解決する。背伸びする必要は無い」
 彼はしばしためらい、そして、不安げに口にする。
「ナイアが、あの頃の約束など反古だと言うのなら、私の想いは迷惑なだけだろう。はねのけてくれて構わない」
 だが、と、黒の瞳がひたとまっすぐに見据える。
「もし、ナイアの気持ちが変わっていないなら、私は、君が伴侶として隣に立ってくれる日を待っているよ」
 先程リヒターによって心にわだかまった不快感が、一気に失せていくのを感じた。この人は、ありのままのナイアティットを認めてくれる。女性らしさを語って押し付けたりしない。対等な一人として、求めてくれている。
 やっぱり、この人だ。
 ナイアティットは微笑み、従兄の胸に顔をうずめる。
 天邪鬼な少女と武骨な男の間に、これ以上の言葉はいらなかった。

 夜会の後、リヒター・フェルディナントがナイアティットにちょっかいをかける事は無くなった。友人たちに、「尻軽女」などと悪口を叩いているのだと、「あんな奴、ちょっとでもいいかなと思ったあたしが馬鹿だった」という失望感に満ちたコメントと共に、タニヤが教えてくれたが、そのくせリヒターは、サイゼルの存在を恐れているのかあからさまに彼を避けて通るし、新騎士団長と見習い騎士の間柄は誰もが知るところとなったので、ナイアティットもそれ以上は気にしない事にした。
 正式に騎士団長の座を継いだ後、サイゼルは叔父叔母、つまりナイアティットの両親に、結婚を認めて欲しいと挨拶に行った。
 自分たちの娘より歳の近い甥に、娘を嫁にくれと頭を下げられた彼らは、父は渋い顔をして存分に黙りこくった後、「一発殴らせろ」と拳骨を振るい、母はそんな男たちの様子を見ながら、「お嫁のもらい手がついて良かったわねえ」と、呑気に笑ってナイアティットの頭をなでた。
 かくして、ヴァリアラ騎士団には、名物夫婦が誕生する事になる。
 歳の差も気にせず仲むつまじくあり、そして毅然と王家に仕える夫婦。その名を、サイゼル・ロストックと、ナイアティット・ロストックといった。