第6章:夢惑むわくの森に銃声は響かない(2)
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 秋へ向かうアナスタシアの平原は黄金色に染まり、アルダと走り回った故郷の草原を思い出させる。
 魔物の襲撃から一週間。シズナ達は、セレスタ村を離れて、北へと向かっていた。
 セレスタでは、シズナが聖剣『フォルティス』を振るって魔物を全滅させた結果、「魔物をわざと数匹逃がし、魔族の足取りを追う」という作戦を、遂行する事が出来なくなってしまった。
「まったく、考えのねえ嬢ちゃんだぜ」とイリオスがあからさまな嫌味を言って、アティアに物凄い目つきで睨まれていたが、赤い『フォルティス』がもたらしたあの衝動は、シズナにも恐怖に近い感情を抱かせた。
 自分を律する事が出来なかった。ただただ、立ちはだかる者を討てば良いという気持ちに突き動かされるまま、目の前の敵を屠っていった。
 あれが、聖剣が勇者に与える力だとしたら、魔剣『オディウム』にも同じ効力があるのかも知れない。それならば、あの日のアルダの豹変にも納得がゆく。そう考えた所で、『アルダは魔王なのだから、元々持っていた素質が違うのかも知れないだろう』と嘲笑う自分がいるのも否めなかった。
 いずれにしろ、セレスタでの魔物の追跡に失敗した以上、この地に滞在していても仕方が無い。そんな折、ミサクが、
「魔物を追い続けるより、訪ねた方が良いだろう、という人物が一人だけいる」
 と、宿の主人が厚意で提供してくれた食事を摂っている最中に言い出したので、彼が住んでいるという北を目指して、再び旅立った。
 今年の残暑は早々に去り、野営の夜には冷え込む事も多くなる。更には北方に向かうので、自然、肌寒さは増してゆく。
 シズナも火の番を受け持つようになって、焚き火に枯れ枝を放り込んでいたところ、小さなくしゃみをして、
「大丈夫か」
 とミサクを起こしてしまった事もあった。その時は、彼の眠りを妨げてしまった事が申し訳無くて、
「大丈夫、ごめんなさい」
 と肩に掛ける厚布をかぶり直して誤魔化し、ミサクもそれ以上を問い詰める事無く再び横になった。だが、後から振り返ると、他の面子が起きなかった程度のくしゃみで目を覚ますなど、彼はどれほど就寝中も異変に気を払っているのだろうと疑問が湧いて出て、次いで彼の眠りはその程度の浅さなのか、それで日中平気なのか、と心配になってきた。
 しかし、朝が来ればミサクはいの一番に目を覚まし、てきぱきと身支度を始める。世の中にはほんの二、三時間の眠りでも充分に活動出来る人間がいるというから、彼もそういう部類なのだろうと、シズナは自分の中で勝手に納得する事にした。
 やがて両脇を平原に囲まれた道は終わり、霧が立ち込める、人の手によらない道無き道へと入ってゆく。
「おんや」コキトが興味深そうに口元をつり上げて、色眼鏡の下の目を細めたようだった。「『夢惑むわくの森』へご招待かい?」
「む……なんだって?」
「その程度の言葉も覚えられない、可哀想な脳味噌をお持ちなのですね」
「コキトの見込み通りだ。会って欲しい人物は、この森の向こうに住んでいる。ここを通るしか無い」
 イリオスが眉間に皺を寄せて、アティアが恒例になった毒舌を吐く。このやりとりにも慣れてきたのか、はたまた最初から気にしていないのか、ミサクはコキトの言葉にだけ反応した。
「夢惑の森には人間を惑わす魔物がいて、入ると生きて出られないって噂だけど」
「リリスの事なら、領域を侵す道にさえ入らなければ彼女も仕掛けてくる事は無い」
 歩きながら話している内に、一同の目の前に、鬱蒼とした森が姿を現した。無尽蔵に枝が伸び、深緑の葉が互いを覆わんとばかりに茂って、霧は一層濃さを増している。
「道は把握しているから、僕から離れないでくれ」
 ミサクがそう言って先頭に立ち、シズナ、アティア、イリオス、コキトの順で森に踏み入った。
 森の中は、昼なのに薄暗く、『燐光律』で灯りを作らないと、入り組んだ根に足を取られて転びそうだ。五人分の足音がやけに大きく耳に届く。どこかでギャア、ギャア、と並の鳥ではない何かが鳴く声が聴こえ、不気味さをより引き立たせている。
「こ、こういう時は歌でも歌うと明るい気分になれますかね」
 無限に続きそうな霧の道と、沈黙に耐えかねたか、アティアが努めて明るい声で両手を振る。
「王都の侍女達の間で流行っている恋唄とか」
「砂糖吐きそうなほど甘ったるい歌なんか聴いて、気持ちが休まるかってんだよ」
 ここぞとばかりにイリオスの反撃が来て、アティアは半眼になりながら黙り込む。そこにもう一人の突っ込みが入らなかった事を訝しみ後ろを向いて、シズナは表情を強張らせた。
「コキトは?」
 その言葉に、ミサクがはっとして振り返り、アティアとイリオスもいがみ合いをやめて背後に気をやった。最後尾にいたはずの魔法士の姿が、いつの間にか消えている。
 彼らがそれに気づくのを合図にしたかのように、ざわり、と周囲の霧が濃さを増した。更には、何かが近づいてくる気配がする。
 反射的に、シズナは腰の『フォルティス』を抜いた。聖剣は今は色を帯びず、透明な刃を保っている。ミサク達も各々の武器を構えて、襲撃に備える。
 窓硝子に爪を立てて引っかくような声をあげて四方八方から飛びかかってきたのは、人間の胸までほどの背丈を持つ小鬼ゴブリンの群れだった。魔物とはいえ知性が高く、木から伐り出した棍棒や、人間から奪った金属の剣を持って襲いかかってくる。
 シズナは、背中に迫っていた一匹を、振り向きざまに斬り伏せた。ぎゃっという短い悲鳴の後、青い血を噴きながら小鬼がのけぞって地に落ちる。返す刃で右から来た棍棒持ちへ一閃。首が飛んだ。
「ミサクてめえ、何が道を知っているだ! 俺達をはめるつもりかよ!」
 怒声に目をやれば、イリオスは相変わらず大剣を振り回す豪快な戦い方で、次々と小鬼を叩き伏せ、ミサクは彼の悪口に動揺する事無く、一撃一撃正確に敵の急所を撃ち抜いてゆく。
 アティアは短剣で敵を牽制し、一歩下がって青緑の魔律晶を取り出して念じた。空気を叩く音に併せて光が弾け、味方に吸い込まれたかと思うと、シズナは自分の身が軽くなるのを感じた。補助魔法の『敏捷律』を使ったのだ。より早く駆け、より素早く剣を振れるようになった身体で、シズナは更に小鬼を屠った。