第7章:きっと誰もが嘘をく(1)
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 名も無き北の山奥は、雪こそ降ってはいなかったが、びょうびょうと冷たい風が身を叩き、かじかむ手に何度も息を吹きかける羽目になる。
「いやんなっちゃうな」
 ぼやいたコキトが『温暖律』で周囲の空気の温度を上げる事で、ようやくシズナ達は、いくばくかの安心感を得る事が出来た。
 ここに来るまでに、何度か魔物の襲撃に出くわした。豹のような俊敏な獣、人間より一回り大きい食人鬼オーガ、八本の足で地面を這い回る大蜘蛛、翼の生えた鳥人間ハルピュイア。かつて目にしたもの、王都での座学で習ったもの、知らずに初めて出くわすもの、多々あった。
 イリオスを失って四人になったシズナ達は、しかし人数が減ったからこそか、より連携を見せるようになった。アティアの『勇猛律』で膂力と敏捷性を高めたシズナが、聖剣『フォルティス』を握り先陣を切って敵を斬り払い、彼女を背後から狙う輩はミサクが冷静に銃で急所を貫く。二人の手を逃れた魔物も、コキトの『猛炎律』の業火や『地槍律』による地面隆起からの槍に貫かれて命を狩られる羽目になった。
「やっほう、豊作豊作!」
 戦いが終われば、コキトがうきうきしながら倒れた魔物の腹をさばいて、魔律晶を取り出す。それをもって魔物を動かすという、命の源、魔法の核である魔律晶は、様々な色や形を見せて、コキトの手中に収まる。これは使える、これは力が足りない、と魔法士が吟味して仕分けしている間に、
「シズナ様、お疲れでしょう。お茶を淹れますね」
 と、アティアが近くの川から水を汲んできて、火を熾して沸かし、カモミールとエルダーフラワーで、戦いに昂った心の安らぐ茶を淹れてくれた。
 だが、シズナの中の疑惑は晴れない。
 もしも、この中の誰かが、偶然を装ってシズナの勇者としての活動を阻害しているとしたら、魔王城には永遠に辿り着けないだろう。魔王を倒せない勇者に、唯一王国は用は無い。ただでさえヘルトムート王の機嫌を損ねているのだ。シズナから『フォルティス』を取り上げて他の誰かに渡し、シズナの事は適当な理由をつけて処分しかねない。一年前まで世間を知らずにいた彼女でも、その程度の想像は巡らせる事が可能になっていた。
 だが、怖いのは、勇者の資格を剥奪される事ではない。魔王の居城に辿り着けないという事は、すなわちアルダと再び会う事もかなわない、という事だ。
 今更会って何を話すのかなど、わからない。顔を合わせた途端に、お互い聖剣と魔剣を抜いて殺し合いになるかも知れない。
 それでも。アルダに会いたい。どんな結末を迎えようと、あの日の思い出以上の最悪の結果になろうとも、今の彼から言葉を聞きたい。何を考えて魔王になったのか。本当に人類を滅ぼすつもりなのか。
 そして、勇者の血族である自分を憎んでいるか。
 決意は力強い歩みとなり、北の山の道無き道もしっかりと踏破してゆく。会えば活路が開けるかも知れない、というその人物を目指して、シズナは一歩一歩を踏み締めた。
 そうして、山に入って何時間が過ぎた頃だろうか。
 視界に煙が見え、野菜スープの香りが漂ってくる。それを頼りに進めば、シズナの実家より小さな小屋がぽつんとたたずんでいるのが見えてきた。
 ミサクは躊躇いもせずその小屋へ向かってゆくと、シズナ達が追いついて足を止めるのを待ってから、小屋の扉をノックした。
 中に人はいるはずだが、返事は無い。
「エルヴェ」
 想定の範囲内だったのか、ミサクが声をかけた。
「僕だ、ミサクだ」
 やや間があった。やがて、蝶番の軋んだ音を立てて、小屋の扉がわずかに開き、ぎょろりとした目が隙間からのぞく。その色を見て、シズナは一瞬息を呑む。
 暗がりで微かに外の光を反射するその瞳の色は、シズナと同じ碧であった。
 瞳の主は、ミサクの姿をみとめると、即座に扉を閉めようとした。しかし、ミサクが咄嗟に靴先を挟み込んだ事で、それは失敗する。
「貴方の協力が必要になった。どうか話を聞いて欲しい」
 いつも以上に真剣なミサクの表情を見て、小屋の中の人物の瞳が揺らぐ。その碧色が、ミサクの後ろにいるシズナ達を順繰りに見回し、驚きをもって再びシズナに焦点を合わせたかと思うと、
「……お前」低い声が、耳朶を叩いた。「まさか、シズナか」
 こんな山奥に住む人間が、自分の名前を知っているとは。勇者の知名度とはそれほどのものなのかと思ったが、相手の反応は、どうも勇者を前にした恐れからではない。昔のシズナを知っているかのような声色だった。
 ひとつ、溜息が聴こえた。中にいる人間が扉を開け放つ。あらわになった相手の顔を見て、シズナも驚きに目を見開く羽目になった。
 それなりに鍛えられた身体をした、壮年の男性だった。瞳はやはり碧色。ぼさぼさに伸びた髪と無精髭は、銀に近い薄金色をしている。だが、シズナの動揺を煽ったのはそこではない。顔に傷があるかどうか、そこの差こそあれど、彼の顔は、亡き父エルシと瓜二つだったのである。そういえば、発した声も、父にひどく似ていた。
 心臓が逸る。これは偶然の一致なのか、それとも何か意味を持っているのか。
「……部屋が冷える。早く入れ」
 ミサクがエルヴェと呼んだ男は、顎をしゃくり、シズナ達を屋内に促した。
 小屋の中は一部屋しか無く、シズナ達四人が入ると、狭苦しくすら感じてしまう。暖炉に火が点いて鍋が乗せられ、野菜スープがことこと煮えていた。
 エルヴェは「適当に座れ」と、椅子が二つしか無いテーブルを指差す。家主を立ちっぱなしにさせるのは忍びないので、他の三人が自然にシズナに席を譲って、彼女が腰掛けると、それぞれ距離を取って背後に立った。
 それを見届けたエルヴェが、薬缶で沸かしていた湯で生姜汁を割ってばらばらの形をした湯飲み五つに注ぐと、テーブルの上へ適当に置いて、自らどかりと椅子に座り込み、
「とうとう来ちまったのかよ」
 と深々と溜息をついた。
 そんなエルヴェに、ミサクは淡々とこれまでの道程を語り、
「このままでは魔王の居城に辿り着く事が出来ない。貴方の助言が必要だ」
 そう言い切った後で、青い瞳を細めて、相手を呼んだ。
「エルヴェ、いや、真の勇者エルヴェリウス」
 と。