第7章:きっと誰もが嘘をく(2)
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 しばし、沈黙がその場を支配し、存在する音は野菜スープの煮えるそれだけになった。
「……は?」
 やがて、シズナの口から、間の抜けたそんな声が洩れる。エルヴェは髭面を歪め、ぐしゃぐしゃと頭をかきむしる。
「本当に、容赦の無い騎士様に育っちまったな、ミサク」
 諦め気味の悪態をついて、エルヴェは――いや、先代勇者エルヴェリウスは、シズナに向き直り、神妙な表情で語を継ぐ。
「そこの愛想のねえガキが言った通りだ。俺が先代の勇者。兄貴は、エルシは、俺の身代わりになった」
 事情がよくわからない。シズナが混乱するのもわかっていたのか、エルヴェは話の口火を切った。
「俺の先祖は代々勇者だった。十八年前、俺がその」
 やはり顎でしゃくるように、シズナの腰に帯びた聖剣『フォルティス』を示す。
「『フォルティス』を青く輝かせた事から、勇者の末裔だと崇め奉られて、魔王を倒す為に、四人の仲間と旅立った。その中に、兄貴とイーリエも王国つきの魔法士と剣士として同行していた」
 突然旅の仲間として出てきた両親の存在に、シズナは驚きを隠せない。両親が、そんな冒険譚を抱えていたのか。しかしそれと同時に、父の手先の器用さや、母の力仕事の特化ぶりにも納得がゆく。
「俺は戦ったよ。向かってくる魔物を片っ端からぶっ倒して、勇者様だ何だってどこへ行っても歓迎されて、有頂天になってた」
 だが、と、うつむけた顔に、恐怖に近い色が宿った。
「俺は知っちまったんだ。魔王を倒した時に。この戦いは、アナスタシアの仕組んだ茶番だって事を」
 勇者は魔王を倒し、魔王は一定の期間を置いて再び現れる。唯一王国は勇者を見出し、勇者は魔王を倒す。その繰り返しなのだ。
「全部、アナスタシアが国威を維持する為の出来レースだったんだよ」
 エルヴェが憎々しげに口元を歪めた。
「勇者は魔王を倒す為にいなきゃなんねえ。だが、魔王を倒した後、唯一王より人気が出ない為に、何かしらの理由をつけて消されなきゃなんねえ。悲劇の英雄としてな」
 勇者の多くは、戦いの後市井に降り、やがて次世代の魔王に殺された。だがある時、奉られる事に驕った勇者が唯一王の地位を脅かそうとし、激怒した時の王は、勇者を『魔族にたぶらかされ世を乱そうとした反逆者』として処刑した。
 その時から、勇者は役目を終えれば、勇者としての力、あるいは存在そのものを消される運命を課されるようになった。
「俺はそれを先代の魔王から今わの際に聞いた。怖かったよ。怖いもの無しで魔物をぶっ殺してきた勇者が、みっともなくブルったね」
 誰も死にたくはない。魔王の血に濡れた『フォルティス』を手にがたがた震えるエルヴェを諭したのは、双子の兄であるエルシだったという。
『ならば、勇者を偽れば良いだろう』
 誰よりも冷静な兄は、弟の手から聖剣を抜き取り、高々と掲げた。

『唯一王にはこう報告しよう。勇者エルヴェリウスは不慮の事故により聖剣を扱えなくなった。代わりにエルストリオが聖剣を手に魔王を打倒し、真の勇者となった、と』

 そうして、偽りの勇者は誕生した。
 王都に凱旋した『勇者』エルストリオ一行は、民の熱烈な出迎えを受け、ヘルトムート王に魔王討伐の報告をした。唯一王は勇者が魔王を打倒した成果を褒め称え、エルヴェリウスの不幸を嘆き、エルストリオの勇猛に敬意を示した。
 だが、それは表向きの伝説である。そこから先は、仕組まれた勇者の辿る道であった。
 勇者凱旋の宴が催されたその晩、王宮に暗殺者が忍び込み、勇者の仲間であった神官と弓騎士の命を狩り、応戦したエルストリオの目を切り裂き逃走した。別室で眠っていたエルヴェとイーリエに被害は無く、下手人は捕まらなかった。
 エルシに傷を与えた刃には毒が仕込まれていたらしく、彼は三日三晩高熱を出して生死の境を彷徨ったが、王宮の魔法士達の尽力により、視力を失ったものの、一命をとりとめた。
 もう、勇者としては戦えない。エルシは唯一王に隠遁を申し出、身籠っていたイーリエが子供を出産するのを待って、唯一王都を去り、表舞台から姿を消した。

「それがアナスタシアのやり方だ。で、俺は死んだも同然の人間として、赤ん坊のミサクを連れて、この山に引っ込んだ。それが事実だ」
 シズナはもう、言葉を失って唖然とするしか無かった。
 アナスタシアに腐れた空気が漂っているのは、この一年で嫌というほど身に刻み込まれた。だが、唯一王が国を、己の地位を存続させる為に、そんな筋書きまで用意しているとは、考えが及ばなかったのだ。
 一年前ならわからなかった。だが、今なら想像がつく。シズナが勇者として旅立ち、魔王アルゼストを倒せればその後、魔王の子を産んだ裏切り者として消すつもりだろう。きっと、魔王と相討ちになるなら尚の事良し、だ。そうして十数年後、また新たな魔王が現れた時に、シズナから奪い取った子を新たな勇者として大々的に世間に公表し、聖剣の勇者として旅立たせるに違いない。
『魔王の娘が我ら唯一王国の救い主となった』
 その名目は、人々の関心を集めるのにうってつけだ。そして、その子が魔王を倒して用済みになれば、『魔の血を引く邪悪な魔女』として排斥するだろう。そこまで考えるのは最早至極簡単だった。
 膝の上に置いた拳をぐっと握り締め、唇を噛む。
 悔しい、悲しい。悲劇の後に悠長に現れたかと思えば、大切なものを片端から奪い、そしてこの先尚、シズナの全てを奪い尽くすつもりなのか。ヘルトムート王の覇気の無い顔が、ヘステ妃の底意地の悪さに満ちた笑みが、王宮の人間の嘲笑が、脳裏を横切る。
 彼らの思い通りになどなりたくはない。その為には、自力で魔王城に辿り着き、アルダを問いただして、どんな結果になれど、生きて王都に帰って、どうだという顔であの老王の前に立ち、堂々と聖剣を返上して自分にはもう関係無いと王国を去れば良い。
 シズナの碧の瞳に、決意の炎が灯ったのを、エルヴェも同じ色の瞳でみとめたのだろう。ひとつ大きく息をついた後に、諦め気味に唇を歪める。
「これは俺も腹をくくるべきだな。魔王城の在り処をお前に伝える時だと」
 どくん、と心臓が脈打つ。そうだ、先代勇者ならば魔王の居城を知っている。アルダのもとへ大きく近づけるのだ。逸る心臓におさまれと念じながら、エルヴェの顔を見つめて、彼の言葉の続きを待った時。
 突然、エルヴェが吃驚きっきょうを顔いっぱいに浮かべて腰を浮かせた。
「シズナ!」
 ミサクの焦りきった声が耳に刺さって、振り返ったシズナの視界で、振りかざされた短剣がぎらりと剣呑な光を帯びて、やけにまぶしく見える。振り下ろされるそれを避ける猶予は無い。驚きに目を見開いて固まってしまうシズナの前に、大きな背中が割って入り、肉の裂ける音と、「ぐふっ」と低い苦悶の呻きが聴こえた。