第10章:望みは儚く消えゆきて(2)
「……ナ、シズナ!」
 アルダが自分を呼んでいる。そう認識した瞬間、暗闇は退くように去っていった。ゆるゆると目を開けば、心底からの案じ顔をしたアルダが、こちらの顔を覗き込んでいる。彼の腕の中にいるのだと気づけば、意識は明瞭になった。
 一年ぶりのアルダの腕だ。安堵しかけた心が、辺りに満ちる冷たい空気に、一気に緊張を取り戻す。
 身体に巻き付いていた線はもう無く、痛みも訪れない。アルダが『回復律』を使ってくれたのだろう。彼の手を借りて身を起こせば、さっきまで存在しなかった紫の霧が辺りに漂い、視界を悪くしている。だが、その中でも紫に光る球体と、そこに浮かぶ人の顔は、はっきりと見て取る事が出来た。
《我はデウス・エクス・マキナ》
 脳内に直接響くような声が聴こえる。
《世界の摂理を創りし神》
《世界の情報を集めて存続する支配者なり》
 デウス・エクス・マキナの名は、ミサクの口から聞いた。遙か昔の機械文明を司っていた主。それが今、自分の目の前に存在しているというのか。
《魔王と勇者の循環を創りしも我》
《勇者は静の感情を集め、魔王は動の感情を集める》
《蒐集した情報は我が原動力となる》
《喜び、怒り、哀しみ、恐怖。全てはデウス・エクス・マキナの糧になる》
 その単調な語りの中に含まれた情報の片鱗に、シズナの中で驚きが渦巻く。
 デウス・エクス・マキナは、人の感情を食って存在する神なのだ。それを集めやすいように、勇者と魔王を作り出して、相争わせていたのだ。
 故郷が滅びたのも。
 アルダが魔王として覚醒したのも。
 唯一王都で経験した屈辱も。
 エルヴェの死も。
 投げ出したくなるような運命も。
 全ては、この『機械仕掛けの神』の掌の上だったのだ。
 それを理解した途端、シズナの脳はかっと沸騰した。鞘から抜き放った『フォルティス』は、怒りの赤を帯びる。
「駄目だ、シズナ!」
 アルダの制止も聞かず、シズナは激情のままに飛び出していた。紫の球体に向け聖剣を振り下ろすが、刃はぎいん、と鈍い音と共に弾かれるばかりだった。
《敵対行動を認知。迎撃を開始》
《蒐集したデータから、対象の脅威を生成》
 直後、霧の中で円筒のふたつが光り、中にいた人型のようなものが急速に成人の形を成した。その姿を見て、シズナは絶句する。
 円筒内から液体が引いてゆき、服まできちんと再現されて出てきたのは、男と女。髪と瞳の色こそ紫だったが、その姿は、夢惑の森でミサクに討たれたイリオスと、北の山で身を投げたアティア、そのものだった。
『恨んでるぜ、シズナ』
『わたし達を死に追いやった、貴女を』
『だから』
『死を』
 二人は交互に言い放つと、イリオスの右腕が鋭い刃に変わり、アティアがいきなり『火炎律』を放って、襲いかかってきた。
「惑わされるな、シズナ!」
 棒立ちになってしまうシズナの前にアルダが躍り出て、『防御律』で炎を防ぎ、刃を跳ね返す。
「デウス・エクス・マキナが君の記憶の中の死人から造り出した、俺達の亜種だ! 本人じゃあない!」
 そうは言われても、頭は認識するが、身体は正直で、聖剣を握り直す事を忘れてしまう。
『痛かったんだぜ?』
『まだ、死にたくなかったのに』
 二人は本当に本人達が言いそうな恨み言を洩らしながら、刃を振り下ろし、魔法を放ってくるものだから、攻撃を躊躇ってしまう。アルダが焦って舌打ちし、床に落ちたままであった魔剣『オディウム』を拾い上げた。刀身が青く輝いてイリオスの刃を受け流し、飛来した氷塊を叩き落とす。
『死ねよ、お前らも死ねよ』
『苦しんで、絶望して、最高の嘆きを、神の贄にして』
 舞のごとく攻撃を繰り出しながら、イリオスとアティアが嗤う。狂ったように、高らかに。
 恨まれているのか。憎まれているのか。後悔の深淵へ引きずり込まれそうになって、唇を噛み締めてうつむいた時。
「――シズナ!」
 叱咤の声が強く耳朶を震わせた。
「君は俺に言っただろう、『私の為に生きろ』と! それは君が俺に一方的に望む事なのか!?」
 アルダだった。誰よりも愛しい紫の瞳が、真摯にこちらを見すえている。
「ならば俺も勝手に望む! 俺は君に生きて欲しい! どんなに血に汚れても、どんな罪を背負っていても構わない! 俺が君の苦しみの半分を請け負う! だから、これからの喜びも分かち合ってくれ!」
 ああ、と吐息が洩れる。
 アルダはやはりアルダのままだった。どこまでもまっすぐで、どこまでも優しくて。
 だからこの人に惹かれたのだ。だから。

 この人と、共に生きたい。

 その想いが、鐘を叩くように強く、強く、シズナの胸に響いた。
『戯言を』
『出来損ないの魔王、お前も消えろ』
 イリオスが刃を振り下ろし、アティアが『闇黒律』を放つ。アルダは咄嗟に『障壁律』を生み出したが、半瞬遅く、闇の刃が腕をかすめた所にイリオスの刃が襲いかかって、『オディウム』を彼の手から弾き飛ばした。
 徒手になったアルダ目がけて、イリオスが歪んだ笑みを浮かべて刃を振り上げる。アルダは舌打ちして『障壁律』を生み出し、かろうじて刃を受け流したが、守りの壁が消えるのを見計らったタイミングで、アティアの『光球律』がアルダを直撃し、彼の身体は床を転がった。
「アルダ!」
『フォルティス』を握り締めたまま、シズナは彼のもとに駆け寄る。だが、それを待ち構えていたかのように、がくんと足が力を失い、まるで石でも背負っているかのように身体が重くなる。
 この期に及んで『呪縛律』を使われたのだと気づいた時には、イリオスが狂ったような哄笑を響かせながらこちらに襲いかかってきて、遠慮無くシズナを押し倒した。強く後頭部を打って、視界に星が散る。
『さよならだぜ、シズナ』
 紫色をしたイリオスがにやりと笑い、刃を振り上げる。思わずぎゅっと目をつむって、訪れる痛みを覚悟した時。
「シズナ!」
 誰よりも愛おしい声が耳孔に滑り込み、続いて、肉を断つ鈍い音と、低い呻き声が届いた。
 嫌な予感がする。心臓がばくばく言う。恐る恐る目を開いて、シズナの脳は、視界に映る現実を受け止める事を、放棄してしまった。
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